『悩みの青いタネ』
another story of Dragon Quest W
「はあぁ。」
決してため息がつきたかった訳ではないけれど、つい口をついて出てしまう。外は雨。どんよりとした陰鬱な雨雲は、そのまま彼の心の中のようだ。
分厚いオーク材の扉の前で彼はもうさっきから十五回以上もノックを躊躇っている。いや、できることならノックなんかしたくない。もう、後がないから。
都合十八回のためらいの後、彼は意を決して扉を叩いた。
「どうぞ。」
部屋の中からは直ぐさま快活な声のいらえが返ってくる。それを確認してから、彼・・・ここサントハイムの王宮に仕える神官、クリフトはゆっくりと扉を開けた。
部屋の主は窓枠に腰掛けて空を見ていた。クリフトが部屋に入ってきても誰だか先刻承知、といった風に振り向きさえしない。細く開けた窓から吹き込んでくる風にそよぐ栗色の髪。しなやかで均整のとれた肢体。こちらからは見えないが覇気と生気に富んだくるくると色彩の変わる鮮やかな鳶色の瞳。
薄暗い室内に、そこだけ灯りが灯ったような錯覚を覚えながら、クリフトは彼がこの世で最も大切にしている少女を呼んだ。
「・・・姫。」
穏やかで低い声は聞いている者の耳に心地よい。退屈な説教を聞かせて眠らせる神官には向いている、といつも少女がからかいのタネにしている。
「なんだ?クリフト。」
少女・・・サントハイム王女アリーナはゆっくり振り向いて・・・瞠目した。アリーナの幼なじみで乳兄妹である黒髪の神官は、きっちりとした旅装に身を固めていたからだ。
「な・・・その、格好・・・一体、何処へ?」
自然口調が詰問調になる。クリフトはほのかな微笑みを浮かべながら口を開いた。
「姫様・・・私めは、二年ばかり外遊をしてくるよう陛下から仰せつかりました。」
「へ?」
正確には仰せつかった、という言い方は正しくない。彼が自分から言い出したことなのだから。クリフトは、幼ないころから宝物のように思っている彼の大切な少女に、今生の別れを告げに来たのだ。
そう。切っ掛けは、アリーナの縁談。降っては湧く泉のように止めどなく殺到した申し込みのどれ一つとして受け取らなかった彼女が、一つの見合い話とその相手に興味を示したらしい、と風の噂に聞いたのが一週間。前荒れる心をどうしても抑えられず、彼はこの国を出てゆく決心を固めた。見聞を広げたいからと引き留める王や重臣である魔法使いの制止を振り切って二年間の外遊の許可を得た。勿論、二年で帰ってくる気など彼にはさらさらなかったが。
かちゃり、と胸元からこの日のために用意した冴え冴えとした青い玉がはめ込まれたロザリオを取り出す。さっき教会へ行って自ら清めてきたものだ。
「・・・いつまでも、妙齢の姫の周りに私のようなうろんな男がお仕えしていては縁談にも差し障りがございましょう。もしかしたら・・・これが今生のお別れになるかもしれませんが、これを私の身代わりだと思ってどうかご・・・・・・。」
俯きながらゆっくりと、儀礼的に紡ぎ出される言葉は無理矢理中断させられた。
アリーナの体は格闘の達人らしく、しなやかなバネと筋肉を持ちながらも女性らしい柔らかさを失ってはいない。
「姫さ・・・」
クリフトの言葉を遮った、唇に至るまで。
そっと、躊躇いがちにその腰に回した手を引き寄せる。応えてクリフトの首に腕を回し、そっと顔を離しながら、はっきりとアリーナは言い切った。
「私も、行く。」
「ひ・・・」
「ばっかじゃない?クリフト。そんなの私が『はい、行ってらっしゃい』って許すとでも思ったか?一人で楽しいことに出かけるのは反則だ。」
「あ、あのですね、姫様・・・そーゆー問題では・・・」
「第一、お前一人じゃ危なっかしくてしょうがないじゃないか。」
「そんなことはありません。姫様こそ、もうじき縁談が纏まられるというのに・・・」
どっちがだ、という言葉を何とか喉で堰き止めて、俯きながらクリフトがぼそぼそと呟く。アリーナが苦笑を浮かべながら返事をした。
「・・・縁談か。縁談が纏まろうとする娘がこんなところで男と抱き合っているとでも思うのか?」
その言葉に、半ば反射的に彼女を抱いていたクリフトが慌てて体を離そうとする・・・が。首に絡められた腕は、なまなかな力では解けはしない。
「駄目だ。腕力なら私の方が上だ。」
「姫様、お戯れはおやめ下さい!」
「戯れてなんかいないさ。」
先ほどまでとは明らかに異なる声のトーンに、クリフトが何事かと顔を上げる。
「戯れてなんか、いない。」
「姫様・・・」
「私を、置いて行かないでくれ。クリフト。」
その口調は懇願にも似て。大きな鳶色の瞳は、心なしか露を含んでいる。
「ひ・・・め。」
クリフトは、滅茶苦茶に抱き潰してしまいたいという願望を何とか押さえながらアリーナの体に再びそっと腕を回した。
「クリフト・・・」
しばらくは、二人ともそのまま動かなかった。やがてゆるゆるとクリフトが体を起こす。
「・・・全く。姫様には適いません・・・外遊は、取りやめにします。」
「そう、してくれると有り難い。」
「これから先も、ずっと・・・私は、お側でお仕えさせていただきます。」
「頼む。」
「陛下に申し上げて来なければ。ブライ様にも。」
「・・・・・・そうだな。」
勿体なかったが、未練を断ち切って腕を解いた。彼女の身体の暖かみが退いた腕は、何だか頼りなくて物足りなくて・・・寒いような気がする。勝手な自分にクリフトは呆れる。
「では。」
踵を返して部屋を辞そうとするクリフトに背後から声がかけられた。
「・・・思い出した。さっき言っていた縁談のことだが。お前、相手が誰だか知らないのか?」
振り向いたクリフトが頭を振る。ショックで手が一杯でとても相手のことにまで気が回らなかったのだ。
「私は・・・恥ずかしながら、存じ上げておりません。」
「そうか・・・父上の近臣でな。」
ビクッ。
突然、見合い相手について語りだしたアリーナにクリフトが硬直する。聞きたくなどない。彼女の口から他の男の話など。だから、出奔する決意までしたというのに。
「私の花婿候補にと幼い頃より英才教育を叩き込んだそうだ。何処に出しても恥ずかしくないように仕込んだと言っていた。」
「・・・・・・そう・・・・・・・・・・・・です、か・・・・・」
ウキウキと語るアリーナの口調には一片の嫌悪もない。先ほど重ねられた唇の感触が急に遠のいたような気がする。国王に祝福され、アリーナに気に入られた縁談の相手。それは自分といかほど違うというのだろう。
「他のヤツならともかく、あいつならまぁ・・・私も。ところが。そいつが急に逃げ出そうとするから父上もブライも大慌てで。私もそんなにイヤだったのかと・・・」
―――――聞きたく、ない。
「姫様。他にご用がないのでしたら、私はこれで下がらせていただきます。」
抑揚を欠いた声で一礼する。話を最後まで聞く自信はなかった。サントハイムで、いや、彼女の側で生きてはいこうと決心したが・・・その気持ちが再び大きく傾いだ。
「・・・って、おい!クリフト・・・本当に話、聞いてないんだな。」
「・・・・・・姫様の縁談相手のお話を聞いてなんの楽しいことがありましょう。」
「クリフトにも関係があることだぞ。」
「・・・・・・?」
不審顔のクリフトに笑いかけながらアリーナがその腕に自分の腕を絡める。
「ちなみに、職業は神官でな。」
「・・・・・・?」
「・・・まだ分からないのか?鈍すぎるぞ。私とは幼なじみな男なんだが・・・・・・」
「・・・って・・・まさか・・・」
「お前〜、出ていくって言ったときに父上とブライがやけに引き留めるとか思わなかったのか?」
「そりゃ・・・思いましたけれど、でも。」
よくよく考えると思い当たる節は多い。クリフトは聖職者になるに値する以上の教育を受けさせて貰っているし、アリーナの家庭教師を言いつかっている位なので経済や政治にも明るい、いや、勉強せざるを得なかった。あれらが全て、仕組まれたことだったというのか。
「・・・で?どうする?クリフト。この縁談を受けるのか?イヤか?」
「私は・・・」
夢なら覚めないで欲しい。
「もちろん・・・」
答えなんて、選ぶべくもない・・・選ぶ余地なんて無い。
「お受けさせていただきますとも・・・ええ、もう二度と取り消しは効きませんよ?」
掌に絡めて握っていたロザリオが滑って床に落ちた。構わず引き返し、アリーナを腕に抱く。
「夢、みたいです・・・・・・・。姫様。」
「もう、アリーナ、でいい。」
「はい、アリーナ。・・・愛しています。」
「・・・・・・・・・・私・・・も。」
続く言葉を奪い取るようにキスをする。何度も。
「アリーナ。」
名前を呼ぶのは何年ぶりだろう。今までは心の内で転がすことしか許されなかったから。
「アリーナ・・・アリーナ・・・」
口づけを与えるために体の角度を変えると、しゃり、と落ちた弾みで砕けたロザリオの石を踏む。
「一生、お側を離れませんから・・・・・・。」
その石のように、クリフトの胸にあった悩みと不安の固まりも砕け散っていった。
もう、何処へも行けない。
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