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消えそうなくらい輝いていて触れようと手を伸ばしてみた一番眩しいあの星の名前は僕しか知らない
「みーはーしー!」
名前を呼ばれてそちらを向くと、ぱしっと乾いた音を立てて帰ってきたボールがグラブに吸い込まれる。
キャッチャーの防具を身につけた田島がもう一球!と手を振るのに応えて、三橋はちょっとだけ、笑ってわかった、と言った。
なんだかものたりない。
田島、くんは巧い、とおもう。お世辞抜きで、とても初めてキャッチャーをやったとは思えない上達ぶりだ。
阿部に前にそんなことを言うと、阿部もすこし笑って、田島は野球の神様が見えてるらしいからな、と言った。
放課後の部室、着替え終わるのが鈍くさくていつも最後になる三橋を、鍵当番の阿部が待っていてくれたときの出来事だったと思う。
阿部の言葉はいつも三橋にとって新鮮で魅力的だった。野球の神様だって!素敵だ、と三橋は単純に感動した。
野球のカミサマなら、オレも見たい!と言ったら、お前には見えるかもな、もしかしたらと。
さっきよりちいさく笑いながら言った阿部の顔が少しだけ寂しそうだった理由が、三橋には分からなかった。
だから、不安になって阿部君には野球の神様は見えないの、と聞いたら見えないと言われたので、それじゃ見たくないのと尋ねた。
阿部は、野球の神様に愛されたいのかなオレ、と呟き、ただもっと真っ白に笑った。
オレは、野球の神様じゃなくて、オレの―――
そこで阿部の言葉は途切れた。三橋は待った。待ったけれども阿部はとうとう口を開かず、じゃあ帰るぞと三橋を急かした。
それきり、三橋は野球の神様について聞くことができないでいた。
「三橋、四球!」
ぱしっ。白いボールは田島のミットと三橋の間を行ったり来たりし続ける。投球練習、これは投球練習なんだ。
なのに。
なんでオレ、投げてるボールにタマシイ籠もってない、気がするんだろ?
三橋は首を傾げた。田島は相変わらず、サイン無しで届きにくいとこにチョーダイ、などと注文を付けている。
無論、三橋が意地の悪い場所になど投げられるはずもない。ぎりぎり、ストライクの場所に投げる。
田島はすこしつまらなさそうな顔をするが、でも投球練習を止めたりはしない。
不意に、はっと三橋は気付いてしまった。田島が受けたいのは、三橋の投げるような制球のいいお行儀のいい球ではなく、もっと球威のあるスピードボールに違いないと言うことを。
田島君、速いのが好き、だもんね。バッターボックスでも。
西浦高校の強肩の四番打者は、一試合やって打てない球はないのが自慢だ。三橋の投げる球には、所謂はっきりした『決め球』はない。投手の並はずれた集中力と制球、捕手の指示通りの荒れた配球。その全体バランスで打者を追い詰め、アウトを取っていく。
田島には、きっとそれはまだ、到達していない域なのだと思う。もしかしなくても到達する必要もないのかもしれない。
何故ならそれは阿部の捕手としてのスタイルで、三橋はまさに『阿部のために』使わされたような投手なのだから。
試合の流れを読む、打者の心理、ランナーがいればその心理も、相手方のサインを盗む、バックで守っている選手達の配置にも気を配る。捕手の仕事は頭脳戦の様に言われるが、阿部は自分の考えがはまったとき、実に嬉しそうだ。
三橋がマウンドでボールを投げるときに無上の喜びを感じるように、阿部には阿部の楽しみがあるのだと思う。そして、田島にも。
オレ、の全力投球でも、まだ、今は田島君には、物足りない、かな。
思って次の配球を迷う三橋は、ふとあることに思い至った。田島は、榛名の投球なら、喜んで受けてみたいと思うかもしれない。
打者としても当たりたい相手ではあるらしいが。抽選会の時は、武蔵野第一を引けと花井に向かって無茶なリクエストをしていた。
榛名、も。きっと、野球の神様を見たことがあるんだろうな、と三橋はなんの気なしに考えた。プロを狙っている人間なのだ。絶対に、『呼ばれた』に決まっている。
そこで、三橋はやっと阿部が答えを濁した原因に思い至った。―――ああ、そうか。
阿部君は、もうカミサマを見たことは、あるんだ。
神様を見ている人を、知って居るんだ。だから、野球の神様なんか、もしかしたら嫌いなのかもしれない。
阿部君は、カミサマを見放してしまったのかもしれない。
”オレは、野球の神様じゃなくて、オレの―――”
あのとき、阿部は一体なんという言葉を続けようとしたのだろうか。
三橋は、混乱しながら田島のミットにボールを投げる。流石のコントロールも乱れ、ボールが変な方向に飛んで、それでもキャッチした田島が嬉しそうにそうそう、こんなのくれよ!と叫んだ。
心ここにあらずのまま、抜け殻のように三橋は投げる。投げる。投げ続ける。
心は、阿部の所に飛んだままだ。あの時の表情、あれは。
いつか。
いつかもし、オレが野球の神様に呼ばれたら、オレは、行ってしまうんだろうか。
その声に呼ばれるままに。
三橋までも、阿部を置き去りにして。
三橋は思わず、阿部はいないかとグラウンドの方に視線を走らせた。けれどもそこに彼の姿はなく、暮れなずむ茜色と鈍色の混じり合った空の中程に、きらりと宵の明星が光っている、だけで。
その事は、三橋をこの上なく不安にさせる風景だった。いない。阿部君が、いない。
―――おれもいつかあべくんをおいていってしまうよ、どうしよう。
神様、どうしよう。オレ、まだまだもっと、阿部君に、投げたい、です。
だからおねがい、もう少しだけあなたのこえに気付かせないで。
祈りに答える声は、どこからも聞こえない。
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+++END.
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