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「はい。次の方。」
言いながらルーピンは山へ山草を採りに入って腕を怪我した少年の頭をぽん、と軽く叩いてお大事に、と微笑んだ。
少年はばつが悪そうにはにかんで笑い、先生、うちの母ちゃんが晩ご飯食べにおいでって言ってるよ、と続けた。
軽く首を振って誘いを断り、ルーピンが少年を見送る。
今、ルーピンは人里離れた山奥の小さな村で、旅の路銀を稼ぐための仮初めの生計として魔法医の仕事をしていた。
むろん、迷信深い田舎のこと、次の満月までに出て行こうと決めてはいるが。
顔を見られただけで血相を変えてドアを閉ざされる場所を、これ以上作りたくない。
…それに、彼が帰る場所と呼べるのは、今までもこれからも、ホグワーツ城ただ一カ所だ。
そう決めてしまうと、不思議に旅はそう辛いものではなくなった。
一体いつまでこのような暮らしが続くのか、とかつては思っていたものだが。
ふるさとは遠くにありて思ふもの、そして悲しくうたふものとはよく言ったものだ。
帰りたいと思わないでもないが、心の中に己の居るべき場所を見つけた今のルーピンは、
そうそう人狼に振り回されることも少なくなってきている。
満月の夜は今も、暗い部屋の中で震えながらひたすら朝が来るのを待っている。
だけれども。
いつの日か、この心の内にある虚無の空洞が完全に埋まる日が来たら、もしかしたら自分はもう「狼」ではなくなるかも知れない。
姿形は狼であっても、自分は紛れもなくリーマス・ルーピンだ、と。胸を張って言える日が来るかも知れない。
そうでありたいと、思える日が。いつか、きっと。
「でも、その日まで君は待っていては…くれないだろうね、。」
ルーピンは苦笑しながらそう呟き、机の上に乗った「闇の魔術の防衛術」の教科書を見る。
使い込まれた期間は一年に満たないが、あの日々の出来事を思い出させてくれる貴重想い出の品だ。
「…想い出、か。」
自分で考えた言葉に、ルーピンは自分で苦笑した。過去のない男であった自分に、まさか想い出などを辿る日が来ようとは。
ここまで自分を変えてくれたハリー達やシリウス、ダンブルドア、そして…。
未だに思い起こすと切なく胸を刺す黒髪の少女の事を想い、
ルーピンはまるでその本が聖書ででもあるかのように、静かに黒いその革表紙に口付けを落とした。
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暫くカルテの整頓などをして時間を潰し、午後のお茶を淹れようとして立ち上がる。
ここの村人達は高山に住むせいか香りのきつい高発酵の茶を好み、実のところ嗅覚の鋭いルーピンは少々辟易していた。
今日も人当たりのいい流れの医師に向けられるいくつものアフタヌーン・ティの好意を張り付いた笑顔でやり過ごし、
ようやっと三日ぶりに好みのお茶を入れられる、と内心ホッとしていたのだ。
「…まぁ、嫌いではないけれど、こう毎日続くと流石にアッサムやダージリンが恋しいよ。」
それでも誰に対するとでもない言い訳を口にしながら、ルーピンはケトルを杖で熾した火にかけ、ごそごそと戸棚を漁る。
買い置きの茶葉は、この間里に下りたときに仕入れておいたはずであった。
の、だが。
「あ、あれ?」
茶葉の包みを見つけられずにルーピンがごそごそと手当たり次第にその辺りの扉を引っかき回す。
満月まではまだ日にちが遠く、さしもの彼の常人離れした嗅覚も、
今はまだこの雑多な臭いの山の中から目的のものを嗅ぎ分ける所までは行かない。
「おかしいな、確かにこの辺りに…。」
言いながら戸棚の中を覗き込んでいるうちに、湯の沸騰した音がする。沸いているうちに、と捜索範囲を台所から
診察室兼応接室まで広げたルーピンが、どうしても茶の包みを発見できずにため息をついて手近な椅子に腰掛けたとき。
「どうぞ。…お砂糖は五杯入れてあります、ミルクは今持ってきますね。」
という声と共に、手元の机の上に綺麗な紅い水色の紅茶が満たされたティーカップが置かれた。
紅茶がどうこうよりも、掛けられた声の主が信じられず、ルーピンは弾かれたように顔を上げる。
「!!……どど、どうしてここに。」
「先生、私もう卒業したんです。生徒じゃないんですよ。」
言いながら黒髪の少女が続けてチョコレートケーキの皿を置く。
「お茶の時間なんでしょう?」
「う、うん、ああ、そうなんだけど、君この紅茶どこで見つけた?じゃなくてえーと。」
がミルクピッチャーを手に首を傾げる。
「先生、お砂糖五杯じゃありませんでしたっけ?」
「えー、うん、そう、五杯だけどティースプーンだよね?…でもなくて!」
「え?ミルク要りません?」
「いや、ミルクは入れる、あー、そうそう、その位…じゃ、ないって!その、何で大体君がここに居るんだ?!」
彼にしてはかなり取り乱した様子を見せるルーピンに、が落ち着いてください先生、と苦笑した。
「お茶なら、お勝手入ってすぐの棚の上に置きっぱなしでしたよ?ダメですよ先生、折角のお茶の香りが飛んでしまうじゃないですか。」
「え?ああ、そ、そんなところにあったのか?…って、違う!」
何故ここが、とかなり驚愕したらしいルーピンがなおも続けて尋ねるのに、が肩をすくめる。
「手配書…って言うんじゃないですが、茶色の髪の毛でボロボロのローブを着ていて、
ポケットからいつも手品みたいに大型のチョコレートを引っ張り出す男の人を捜している、
と言ったらみんなこぞって教えてくれましたよ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
ルーピンの脳裏に気のいい村の人々の表情が浮かんだ。
彼らの目に、怪しげな流れの中年男の魔法医を尋ねて来たうら若い少女は、さぞやかし奇異に映っているだろう。
冷や汗とともに、ホントにこの村での生活も終わりかな、と考える。
が苦笑しながらあ、千里眼じゃないですよ、私占い学の成績悪かったですから、と続ける。
「ちなみにこの場所は、卒業祝いにダンブルドア校長に教えていただきました。」
「…あの狸爺。」
ルーピンは白髪の好々爺の、喰えない微笑みを思い出す。こんな事のために定期フクロウ送って居るんじゃないぞ、と内心毒突きながら。
が、少し不安げにルーピンを見つめる。視線に気付いて彼は顔を上げた。
「なに?」
「いえ、…ご迷惑なのは重々承知しているんですけど、でも…。」
ごくん、と喉を鳴らし、は手の平を固く組み合わせながら言葉を探す。
「でも、私、私、…先生に、伝えなくちゃならないことがあって、
それを言っておかないと先に進めない気がして、だから、だから私、先生を捜していて…。」
ルーピンの胸がどくんと音を立てた。
一気にそこまで告げた後、かなり長いこと押し黙っている少女が、次に何を言うのかを考えると落ち着かなくなる。
長い長い時間が経過して、ミルクティーから湯気が立ち上らなくなった頃。
やっと、少女が口を開いた。
「先生、私、前に先生が狼でも構わないって言いました。…今も、あの時と気持ちは同じです。」
「…?」
「先生、ルーピン先生…満月が来て狼に変身したら、私のこと、襲って引き裂いて喰べてしまってもいいですから。
…だから、少しの間でも良いんです、お側に置いていただけませんか?」
「君…。」
ルーピンはまだ言われている台詞に確証がもてず、ついつい先を促す。
が頬を染めて頷く。
「好きです、先生。…ずっと、好きでした。」
がたん、と椅子が揺れる音がする。倒れて床に激突するその音を遠くに聞きながら、ルーピンは腕を伸ばし、彼女を抱きしめていた。
力が強すぎて上手く呼吸が出来ずに、が喘ぐ。
「せ…んせ、」
「そんなことを言うもんじゃない…少しの間でも側になんて、言わないでくれ。」
お願いだから、と激しく囁かれ、は胸が詰まりそうになる感覚を感じていた。
「心臓が保たないよ、私は臆病なんだ、。…どちらかにしてくれ、このまま私の前から消えて、二度と現れないか。」
言ったあと、体を離しての黒曜石の色の瞳を覗き込み、榛色の瞳に不安げな色をちらつかせながら掠れた声で尋ねる。
「それとも、…ずっと、離れないか、だ。」
ぎこちなく微笑むと、ルーピンは軽くの唇にキスを落とした。
その後で、驚いたように目を見開く。
「…チョコレートの味がする。」
がばつが悪そうに微笑んだ。
「ええと、そりゃあ、…対策立てましたから。先生を落とす為の。」
言いながら、机の上に先ほど置いたチョコレートケーキを指し示す。
「あれを焼いた時に…。先生に贈るものって、色々考えたんですけれどこれしか思い浮かばなかったんです。
チョコレートの匂いがしたら、先生、もしかしたらよろめくかもしれないと思って…。」
ここへ来る前に板チョコを二枚ほど食べてきました、と流石に照れ臭そうに答える少女に、ルーピンは一瞬呆気に取られて。
すぐに、腹を抱えてさも愉快そうに笑い出した。が憤慨して軽く彼を叩きながらなじる。
「ちょ、先生!そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「ご、ごめん、、でも、でもさ…。」
ひとしきり笑い転げて、涙さえ浮かべながらルーピンはに向かって言う。
「良く、分かったね。私はチョコホリックなんだよ。」
「…チョコレートなしじゃ生きられないっていうことですか?」
「うん、まぁそうなんだけどね。」
ふと、思い出したようにルーピンは瞳を煌めかせ、少女に問いかける。
「ねぇ、知ってる?」
「何をですか?」
「チョコレートって、本来は催淫剤としての効用があるって。」
「?!」
愕然として真っ赤になる少女をからかうように、ルーピンは珍しく人の悪い微笑みを浮かべる。
「なんだっけ?満月が来る前に襲って食べちゃっていいんだっけ?」
「そそそ、そういう意味じゃありませんっっ!!」
「有り難く頂くことにするよ、ご馳走様、って先に言っておこうか?」
「言わなくていいですっ!!」
ルーピンはまたも大声で笑い出した。
こんなに笑ったのは、おそらく学生時代以来初めてだろう。
幸せだった、あのとき。
それ以来初めて、リーマス・ルーピンは幸福に包まれながら、大好きな人の元で思う存分笑い転げた。
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その後、この山奥の村の人狼の魔法医と、彼を訪ねていった黒髪の少女がどうなったのかは。
今では種族の違いすら乗り越えて成就した愛の物語として、語られている伝説である。
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And then, They Lived Happy Ever After.
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