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V
自室の前で佇んでいる少女の気配を狼の感覚で察知したとき、
ルーピンは一瞬見つかる前に回れ右をしようかと考えた。
いくら脱狼薬を飲もうと、闇の中でも昼間のように見える視力や、
遠くの物音や気配を察知できる耳、微かな匂いでさえ嗅ぎ分けられる鼻などはどうしようもない。
感覚は全て、彼の研究室の前に彼女が居る、とかなり遠くから告げていた。
けれど思い直してそのまま足を進める。
ならば、彼が帰ってくるまで扉の前でいつまでも待ち続けたりはしないだろうが、
それでも悄然と肩を落として寮に帰らせるのは忍びなかった。
彼女に、一回り以上も年下の少女に甘えている自覚はある。
情けないことに、殆ど他人に甘えた経験がないためその加減がいまいち分からないルーピンとしては、
それがどれだけ彼女の負担になっているのだか今ひとつ見当が付いていない。
いつもそうだ。傷つけないように誰も側に寄せるまいとしているのに、
その暖かさに負けてつい近寄る人間を受け入れてしまう。
他の人を受け入れるのは、怖い。
無くしてしまってから、辛い思いをするのに。
「……ジェームズ、リリー。」
呟くと、ルーピンは足を止めた。
彼等のことが思ったより深いトラウマになっているようだ。
側にいれば多少の力になれたかもしれない。
ヴォルデモードには到底及ばないとはいえ、
赤ん坊を抱えた彼等を逃がす隙くらい作ることが出来たかもしれないのに。
ブラックの奴に、彼等をみすみすいいようにはさせなかったのに。
何故なら、彼は人狼の血を受け継ぐものだから。
物凄く濃い、いっそ破壊的なまでの暴力衝動にすり替わる闇の力を体内に閉じ込めているから。
人としてのルーピンはその器で在ることに悲鳴を上げ続け、
魔法の力が最大限になる満月の夜には人でありながら狼の姿になってしまう。
が。
だからこそ、ヴォルデモードやブラックと多少なりと渡り合えたかもしれなかったのに。
ルーピンの足が、完全に止まった。
「後もう一歩」を踏み出す勇気は、このときの彼にはとても持ち得るものではなかった。
*+*+*+*
「まだ帰っていらっしゃらないのね…先生。」
はため息と共に腕時計の文字盤を見つめる。
アナログな針は、就寝時間ぎりぎりを指していた。諦めのため息と共に、ゆっくりと扉の前を離れる。
名残惜しげに閉ざされたままのドアの上部の"Remus J. Lupin"の文字を眺めてから、
帰り道を寮へ向けて歩き出した。
別に、今夜会えなかったからといって何があるわけではないと分かっている。
けれど、の中のもう一種の本能のようなものが、ルーピンに会え、と告げている。
しかも、今夜。
「でも、夜中に部屋の前に女の子が一人で立っていたら流石の先生も何事かと思っちゃうわよね。」
呟いて、苦笑する。
少しでも寮に帰る時間を遅くしたくて、いつもとは違う方向へ廊下を曲がる。
それが、幸いしたのかいっそ不幸せだったのか。
「…あ。」
「先生!」
曲がった先の角、は思い切りルーピンと鉢合わせすることになってしまった。
さしものルーピンも考えに耽っていた所為で人狼の感覚も鈍っていたのか、
がまさかいつもと違うルートに来ようとは思いつかなかったらしく、
逃げそびれて対応に困り果てている。
の方はの方で、会いたくて諦めきれなかった相手に突然目の前に出現されて、
嬉しさよりも先に困惑が立ってしまい、ただ立ちつくす。
痩せた体躯に柔らかい桧皮色の髪の毛、榛色の瞳。
色素の薄いその目は、月光を反射して金彩を帯びて光っている。
いや。
むしろ、金色に近い……。
暫く、ぼんやりと惚けたようにお互いに見惚れていた。
先に我に返ったのは、やはりルーピンの方だった。
「やぁ、。どうしたの?こんな時間にこんな所にいるなんて。」
言ってしまってから、しまった、と唇を噛む。自分の部屋に来ていたのは知っている。
こんな事を聞いたら、それこそ抜き差しならないことを言わせてしまうだけではないか。
案の定、は少し困ったような表情で俯いた。
「あの…私。」
どうしよう。
も、ルーピンに会おうと思ってここまで来たものの、
実は会ったらどうするかは全く考えていなかったのだ。
何かルーピンに会う口実を見つけてこないと、こんな時間に彼の部屋を訪ねてきた言い訳が立たない。
ただ単に夕食を食べていなかったので心配した、というには行き過ぎた行動だ。
…単なる一生徒の身としては。
苦し紛れの言い訳、と咄嗟にが思い切って口を開ける。
「先生、最上級生の間でだけですけれど、今度有志主催のボールがあるっていう噂があるんです。よかったら…。」
良かったら。
その先の言葉は出ない。
話自体は本当だった。
言い訳としてはこれでもかなり強引な部類にはいるが。
一緒に踊ってください、なのかそれとももう少し大胆にパートナーになってください、と頼むか。
決めかねて、一瞬はそこで立ち止まった。
案の定、ルーピンは不審そうな表情になる。
「それだけに、こんな時間に?」
焦った表情を押し込めつつ、なるべく感情のない低い声で早口で言う。
「せ、先生人気だから、早く申し込まないと誰かに先に誘われちゃうと思って、それで…。」
苦しい。言い訳としてはかなり苦しい。
ルーピンは黙り込み、もそれ以上の言葉を続けられないまま、沈黙だけが二人の間に流れた。
「いつ?」
「え?」
ややあって、口を開いたルーピンの言葉にが顔を上げる。
「いや、いつなのかな?その…ボールは。」
どうやら、彼は彼女の誤魔化しに乗ってくれるつもりらしい。
自らの衝動的な行動の言い訳が立ってホッとする彼女と同じように、
彼の方にも彼女を避けようとしたことに対する罪滅ぼしの意識が働いていた。
だが。それは結局の所新しいカタルシスへの引き金にしかならなかった、とすぐ後に彼は痛感する。
はにっこり微笑むと、ルーピンのヘイゼルの瞳を見上げながら言った。
「次の次の満月の晩です。」
ルーピンの表情が凍った。
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to be Continued.
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