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ハリーは困惑していた。
一体、何だって自分はあの金色で華奢で繊細で我が儘でとんでもなく綺麗な生き物に心奪われたんだろうかと思う。
それは自分とはあまりに対照的で。
家柄だって、甘やかしてくれる両親だって、愛情だって周囲の人間だって、小さい頃からふんだんに手に入れてきたに違いない。
その贅沢さに気付かず、どこかそれに倦んだ感すらあるその生き物から。
うっかりと目が離せない自分が、ハリーは一番情けなかった。
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たん、と手が壁に着かれる。
両腕の檻の中に閉じこめられた獲物は、臆する様子もなく冷静に猟師を見上げた。
「…離せ。」
「嫌だって言ったら?」
にっこり、と拒絶の微笑みを浮かべ、黒髪の少年が顔を近づける。
ふい、と顔を背けられ、首を振った。
「素直じゃないなぁ。」
「自分に正直なだけだ。」
挑むような視線と反抗的な台詞に苦笑する。
「欲しいものを貰ったら引き下がるよ?」
「僕の見るところ、お前は自分の欲しいものを分かっていないようだが?」
皮肉げに言い放つドラコ・マルフォイに、ハリーは肩をすくめてみせた。
「重々承知しているつもりなんだけどなぁ。」
「つもりだけだろう。…だだっ子のおねだりに付き合う趣味はないんだ。悪いな。」
言うと、ドラコはどけ、と軽く呟いて顔の脇に添えられた腕を払った。
ハリーの方もそれ以上食い下がることはせずにあっさりと彼を解放する。
「変なことはしないってば。…ちょっとキスとハグくらいしてみたい、って言っただけじゃないか。」
僕の気持ちは知ってるくせに、と拗ねたような言い草に、フン、とドラコが鼻を鳴らした。
「…誰が。」
「ああー、またそうやって。…だったらなんで僕と一緒にいるのさ?」
「何でかな。」
「ドーラーコー!」
ゲームのような軽い感覚に心地よさを覚えて自分を追いかける魔法界の英雄に警告するように、
ドラコは自分の方から一歩、ハリーに近づいてその緑の瞳を覗き込んだ。
しばらく何か探るような視線で眺め回した後、呟く。
「覚えておけ、心はやっても体はやらん。」
ハリーが呆気に取られた顔になった。
「…ソレ、普通逆だよ?」
「いいんだ。僕は、体の方に価値があるから。」
ぼそっと呟かれた言葉のその温度の低さに、ハリーは心が凍り付くかと思った。
「…ドラコ?」
「僕の体は、僕のものじゃない。何百年と続くマルフォイ家の跡取り息子の、その存在自体のものだ。
一筋の傷も付けるわけにもいかないし、誰かにおいそれと投げ与えてやるような安っぽいものじゃない。」
その拒絶に、微かにハリーが傷ついた表情になった。
「…ああ、特に僕みたいな半マグルみたいな魔法使いにはね。」
「茶化すな。…だけれど。もう半分は大して重要じゃぁない。」
「…?」
訝しむような視線を投げるハリーに軽く肩をすくめてみせると、ドラコはぽつりと言葉を漏らした。
「”恋死なむ のちの煙に それとしれ つひに洩らさぬ なかの思ひは”…か。」
聞き慣れない異国の言葉に、ハリーは戸惑った。
「な、なに、それ?」
「『葉隠』だ。」
「ハガクレ?」
「…調べろよ。」
ぽい、とドラコはハリーには読めない縦書きの文字を羊皮紙の切れっ端に書き付け、放って寄越した。
「ちょ、ドラコ?!」
「意味を知ったら…話はそれからだ。」
言い捨てると、毒蛇の紋章の付いた漆黒のローブを翻し、ドラコは足早にその場を立ち去った。
*****
「調べろ」とは言われても、こんな場合、ハリーが頼れるのはただ一人、栗色の髪の毛の親友だけだった。
ハーマイオニーは羊皮紙を見た瞬間、事も無げに言い放つ。
「あら、日本語じゃあない。」
「ニホンゴ?」
ハリーと、その場に居合わせたロンまでもが首を傾げてみせた。少年達の無知にハーマイオニーが溜息をつく。
ロンが恐る恐る口を開いた。
「ニホンゴってカンジじゃないの?」
「漢字だけなのは中国語!ええと…流石に読めはしないわね…ハリー、彼何か言っていなかった?」
「うーんと、たしか「ハガクレ」だって言っていた…。」
「「ハガクレ」ね…。」
ハーマイオニーはそれだけじゃ、とお手上げとでもいうように首を振る。
その瞬間、ロンが立ち上がって叫んだ。
「ビルだ!!」
ハーマイオニーが呆気にとられたようにロンを見上げる。
「ちょ、ロン…あなたのお兄さんが何ですって?」
「ビルから前に聞いたことがあるんだ、グリンゴッツ銀行の同僚にジャパニーズの魔法使いが居るって。
堅物で生真面目で勤勉で銀行員にぴったりなんだって、多いって言ってたよ。
ビルにその手紙を送れば、きっと意味を聞いてきてくれるんじゃないかな?」
ハリーが嫌なら僕が貰ったことにでもすればいいし、どう?と笑うロンに、
ハリーとハーマイオニーは他に手もなく、黙って頷いた。
*****
チビフクロウが遠い海外を目指して飛び立ってから二週間。
すっかり忘れ去った頃に「それ」は返ってきた。
疲労困憊しきったチビフクロウが着陸、というより墜落といった感じで中庭で三人並んで座っていた赤毛の少年の膝に飛び込み、
ロンは慌ててその足から体重に比例させると明らかに過積載な手紙を取り外す。
「お疲れさま、ピッグ。」
隣から甲斐甲斐しく栗色の髪の少女がチビフクロウを労る様子を見せる。
飼い主は忠実なペットを二三度撫でてやってから、
「…返事だ。」
と言いながら、パピルス紙に書かれたらしい手紙を広げた。
ハリーとハーマイオニーがピッグの世話に気を取られているうちに一人読み進めていったロンが、
見る見るうちに顔を赤く染めていく。
異変に気付いて、ハーマイオニーが顔を上げた。
「どうしたの?ロン。」
「アー、うん、何でも…。」
「”何でも”ないわけないでしょ!ちょっと貸しなさい!」
言うなりハーマイオニーは抗議の声も受け付けずにロンの手から巻物をひったくり、ハリーと一緒に顔を突っ込んで読み始めた。
『愛する弟へ。
お前、本当にこれをハーマイオニー・グレンジャー嬢に貰ったのか?
(ここでハーマイオニーは私の所為にしたのね、と小さく呟いてロンを睨み、
ロンはごめん、でも外国語書けるような知り合い君しか居なくて…と言い訳をした。)
だとしたらなかなか色男に成長したな、ロニィ坊や。
…いや、もうロニィなんて呼ぶのは失礼かな?…まぁ、からかうのはこの位にしよう。
彼女はなかなか情熱的だぞ。こんな熱い恋歌を贈ってくるんだからな。
(ここでハーマイオニーとハリーが顔を上げて視線を合わせた。)
さて。『葉隠』と言ったな。それは日本の、日本人の精神的な考え方、
いわゆる『武士道』について綴った解説書だそうだ。
(ああ、「ブシドー」なら知ってる、とロンが頷いたが、
頭の中ではアクション漫画のワンシーンか何かがリプレイされていたに違いない。)
今の歌はその中に収納されているもので、
…勿論知らないと思うが、武士道は男同士の恋を持って最上とするんだそうだ。
だが、男同士の恋というのは許されるものじゃない。そこでこの歌の登場だ。
『あなたがとても恋しくてたまりませんが、決して告げるわけにも態度に出すわけにもいきません。
このまま抱えて、墓まで持っていくつもりです。私が死んだら、体が焼かれる
(ジャパニーズには火葬の風習があるのよね、そういえば、とハーマイオニーが呟く)
その煙を見て、私があなたを好きだったことを知っていただけませんか。』
…とまぁ、そういう意味だそうだ。内に秘めた情熱、ってやつだな。ロン、さっさと気付いてやった方がいいぞ?』
読み終わった後、三人はしばし無言だった。
やがてハーマイオニーが手近な本を手に徐に立ち上がる。
「…一番の問題は。」
その言葉に、ハリーとロンが顔を上げた。ハーマイオニーはにっこり微笑んだ後、くいくい、と赤毛の少年を手招きする。
「どこぞの気の利かない少年が私の間違ったイメージをお兄さまに植え付けた事よね?」
途端にロンが弾かれたように顔色を変える。
「ハーマイオニー、ごめ、知らなかったんだってば!」
「えーえー、さぞやあなたのお兄さまは私のことを武士道に傾倒する男色スキーのオタク少女と思ったでしょうよ!」
「ハーマイオニー、悪かったって!」
必死で謝るロンのローブのフードをひっつかみ、ハーマイオニーがくるりと背中を向ける。
「悪気が無かったら許される事でもないのよ?!…お説教よ!」
「うわぁ?!」
ロンが情けない悲鳴を上げた。
言いながら、ハーマイオニーは悪戯っぽい目で唖然としているハリーを見下ろしてウィンクした。
「と、いうわけで貴方はお邪魔だからどっかに行ってくれるかしら、ハリー?
それとも、ここに居て私たちが退散する?」
気詰まりな時間を機転を効かして救ってくれた栗色の髪の毛の親友に感謝しながら、
ハリーは首を振る。
「…僕が行くよ。」
「そん、ハリー!薄情だぞ?!」
「ロン、頑張って彼女を大事にね?」
「…っっ!!あのなぁ!!」
元はといえば!と言いかけてそれ以上は追求せずに大人しくハーマイオニーに連行される赤毛の少年を、
ハリーは微笑みながら見送って、自分も腰を上げた。
目的は一つ。
答えは相手が出してくれた。
殉じてくれると誓ってくれるなら、こんな想いも悪くない。
ハリーは白金の少年がいつもお気に入りの読書ポイントにしている温室へと足を向けた。
*****
いつものように、いつもの場所に。
大きな柳の木の下の定位置に、少年は百年前からそうしているように座って黙って本を読んでいた。
隣まで歩いていって、黙って腰を下ろす。
ドラコは本から視線さえ上げないが、ハリーを拒絶する色もない。
いつものように沈黙を破ったのはハリーの方だった。
「ねー、ドラコ?」
「なんだ。」
「つれないなぁ、折角休日に二人きりでさ、なんかしない?」
「別に。」
「素っ気ないんだから。ハーマイオニーじゃないんだからそんな本にばっかり首を突っ込んでないで、二人でできることをしようよ。」
灰色がかったアイスブルーの瞳が冷ややかにハリーの新緑の瞳を見上げる。
「…例えば?」
思いつかなかったハリーが、微笑んで答えてみる。
「…キス、とか。」
「そんなことはウィーズリーとグレンジャーに任せておけ。」
「…ごもっともで。」
ふぅ、と軽く溜息を付き、光が当たると黒は黒でも青みがかった色のローブを身に纏った少年は、
同じく微かに赤い色調を帯びた揃いの制服の黒いローブの少年を見上げる。
「で?その折角の休日とやらにくつろいでいる人間を捜し当てに来た君の用件は?」
「うーん。」
ハリーは微笑んで、まぁいいじゃない、と誤魔化した。
ドラコは何も言わず読書の世界に戻り、その側でハリーはのんびり木にもたれ掛かって目を閉じる。
「そういえば。」
「?」
ぽつんと呟いたドラコに、ハリーが目を開ける。
ドラコはハリーの方すら向いていないが、言葉の声音は随分優しい。
「柳の木の下で別れると、どんな永の別れであろうと必ず再会できるそうだ。」
「へぇ。」
「僕はいつでも此処にいるからな。」
「…ドラコ。」
「ウィーズリーとグレンジャーはお前に何処までも着いていくんだろう。
だけれど、僕は此処にいる。…何故なら、僕はマルフォイ家の息子だからだ。」
君達とは一緒に行けない、という言葉は発せられなかったが、ハリーには聞こえたような気がした。
世俗のしがらみから全く自由な彼等三人に比べて、ドラコのなんと不自由なことか、とぽつりと思う。
彼の矜持を思うと、決して口にできない台詞だが。
ドラコが何かを達観したように微笑んで続けた。
「…だから僕は此処にいる。用があるならお前が来い、ハリー。」
「ああ、煙になっちゃう前にね。」
「フン、怪しいもんだな。」
「…酷。」
くすりとハリーが笑い、ドラコは興味をなくした様子で再び本の世界に戻る。
勿論、ハリーはさっきからその本が一ページも進んでいない事実は知っているが、言葉にすることはない。
平和な午後の日差しが、温室の硝子越しに少し揺れて二人を照らした。
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「上手く行ったみたいね。」
「…そうだな。」
「あーあ、いいなぁ。絵みたいよね。」
傍らの少女の言葉に羨望の響きを感じ取り、出歯亀二人組の一人が驚いたように彼女を見下ろす。
「…羨ましいの?」
「当然でしょ?!」
ロンが呆れたように首を振る。
「君の方にあの落ち着きと懐の深さが無いと無理だと思うね…。」
つい素直な感想を漏らしたロンの腕が手厳しく抓り上げられる。
「痛!…だから君には無理だってんだよ暴力女!」
「何ですって?私だってね、王子様の前ではきっと違うんだから!」
恨めしげな彼女の言い草に、ロンが吹き出しそうな表情になる。
「王子!臍で笑っちゃうね。」
「ロン!!」
「さ、行くぞ?これ以上覗いても仕方ないだろう?」
赤毛の少年は親友の結末を見届けると満足だ、とでも言うように足を翻し、
ハーマイオニーはまだ背後に少し心を残しながらもそれに続いた。
「柳の下で待ち続けるなんてロマンチックよね、ね?」
「ああ、そうだね。」
諦めきれないように呟く栗色の髪の少女の頭を、ぽん、と優しくはたいてロンは続けた。
「でも、…飛び出して行っちゃいたいのは君の方だろ?」
だから無理だって、と苦笑され、ハーマイオニーは頬を染めて呻いた。
「それを言われると…。」
「人には向き不向きってのがあるんだよ。」
そこまで言ってしまうと、ぐぅの音も出ない程度には自分自身のことを理解しているらしい栗色の髪の毛の少女の方は向かずに、ロンは小さな声で呟いた。
「…だから、気にせず行って来いよ。待っててやるから。」
ハーマイオニーが弾かれたように顔を上げる。
「…え?ロン、今なんて言ったの?」
赤毛の少年は、頭髪と同じ色に染まった顔を隠すように殊更ぶっきらぼうな口調で返事を返す。
「何にも?」
「嘘!言ったわ!もう一回言って、ね?」
「あ、そろそろ夕飯の時間じゃない?」
「ロン!!!」
食い下がるハーマイオニーの追求から逃げるように、ロンはハリーとドラコに声かけなくていいかなぁ、と続ける。
「いいのよ、あんな馬鹿ップル。放っておけば。それより…。」
「つれないなぁ、ハーマイオニー。」
ロンは苦笑しつつ、足早に獅子寮の方に向かって逃げ出した。
彼女のこの一蹴によって夕食遅刻が決定したハリーとドラコは、
未だ温室の外界の喧噪などに気付かないように言葉すら交わさずに座っている。
自分たちの方こそ実はロンとハーマイオニーに「熟年夫婦みたい」などと囁かれているとは、
露程も知らないハリー・ポッターとドラコ・マルフォイであった。
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...END.
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