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chapter:1:星空デート
そんなに緊張しないで、と手の甲を指先で叩かれた。それでも、ガチガチなのは仕方がない。心許ない布一枚の脚下がすうすうする。
「む、むりです、やっぱり引き返しましょう」
「何を言ってるんだ、ここまで来て」
毛足の長い絨毯に高いハイヒールの細い踵が沈み込んで行きそうだ。腕を絡めているのを引っ張られそうになって、金髪の男は呆れたように連れを見下ろした。
「だって、絶対、変ですよ」
「変じゃないよ、とても綺麗だ、そして綺麗だ」
にっこり笑われたが、逆に反論された。
「それがもうおかしいっつってんですよっ!」
半泣きで紫水晶の瞳が見上げて来るのに目を細め、金髪の男はそっと連れの唇に指先を置いた。
「しいっ、……淑女がそんな言葉遣いをするものじゃないよ」
「淑女じゃ、ないですもん」
しかし、連れは膨れたままだ。ふわふわとしたシルエットのスカートの裾が揺れる。
「でも、どこから見ても」
「ああっもう言わないで下さい、全部ネイサンさんの腕の御陰です、さ、行きますよ、さっさと終わらせたいです!」
言うと、通りがかりの人間が皆振り返って見る程のプラチナブロンドのどことなくボーイッシュな美少女は、連れの金髪碧眼の美形の腕をぐいと引っ張って歩き始めた。
「可愛いよ、イワン君……ミス・カレリン、と呼んだ方がいい?」
「どっちも微妙です……」
がっくりと項垂れたのは、ヒーロー・折紙サイクロンこと、イワン・カレリンであった。白金の髪の毛を綺麗にまとめて大きなカメリアの髪飾りを付け、全体的にふわっとした印象のシフォンのワンピースを着ているイワンは、普段の美青年ぶりが嘘のような、どこから見ても上品な美少女にしか見えない。
同様に連れの男性はキース・グッドマン、スカイハイである。キースの方はいかにも仕事帰りのサラリーマンがそのまま恋人を連れて来たような印象であった。細縁の眼鏡が印象的な青い瞳を隠しているので、鍛え上げられた体躯を包んだスーツ姿も何処かインテリめいて見える。スーツの襟には、このシュテルンビルトの大企業の一つである、ポセイドンラインの社員章が付けられていた。
暗めに調光された店内に足を踏み入れ、その重厚な雰囲気に押されそうになるイワンを腰に手を回して励ましながら(というより、逃げないようにホールドしながら)、キースは気付いてやって来た黒服に声をかけた。
「予約していたグッドマンだが」
「お待ちしておりました、窓際の席をということでございましたね」
言いながら、黒服が二人を窓際の席に案内する。全面ガラスで覆われたホテルの最上階の超高級レストランの中で、美男美女二人のカップルは周囲の客の注目を集めていた。
「あ、あの、やっぱり僕、変装じゃなくて擬態した方が」
「NEXT能力は発動していると見抜かれると言っていただろう。堂々としていればいい、私たちは偵察隊なのだから」
しかし、だからってなんで僕が、とイワンが眉毛を下げる。
「す、じゃない、キースさん……」
「大丈夫だよ、落ち着いて。どこから見ても美しい女性だから」
「だからそれが……」
そこに黒服がワインリストとメニューを持ってやって来た。キースはイワンに嫌いなものを聞き、確認を取ってコースを注文する。イワンの分は量を控えるようにこっそり言ってくれているのを聞いて、内心で胸を撫で下ろした。
なんだかんだで、ウエストがきついこの服を着て、満腹になったら失神してしまいそうだ。残すのも一緒に来ている相手に失礼だし。
ちなみに、イワンが手にしている方のメニューにもワインリストにも全く金額が入っていないので、キースがどんなものを選んだのか分からないが、必要経費だと言える範囲内の金額だと信じたい。そう言う意味でも残すのが怖い。
しかし、キースは流石に堂々としたものだった。
「ああ、彼女になにか食前に軽い飲み物を。甘めの、さっぱりしたもので。アルコールは控えめにして上げて欲しい」
「畏まりました。後はいかが致しましょう」
「私は初めはシャンパーニュでいいかな、銘柄は何がある?」
「そうですね……」
言いながら、キースの相談に乗っていたソムリエが、ちらりとイワンの着ている空色のワンピースに視線をやった。
「お連れ様のお服の色のようなスパークリングワインもございますが」
「へえ、どんな」
「もし宜しければお持ちしましょうか」
そんなやり取りの後で飲み物も決まり、キースが青いスパークリングワインの注がれたフルートグラスをイワンに向けて掲げた。
「それでは、いい夜になる事を祈って。乾杯だよ、そして乾杯だ」
「はい」
ヒーロー内の女性二人はまだ未成年の為、こんなレストランには連れて行けないということで、キースは適役として確定していたその相手役に急遽押し込まれたイワンであったが、これはこれで役得なのかな、とやっと少し笑みを浮かべ、用意された甘いカクテルに口をつけた。
■ □ ■ □
前菜の野菜のテリーヌと格闘していると、向い側から甘い声が聞いて来る。
「そういえば、君の方の会社の景気はどう?」
視線をあげると、とんとん、とキースが指先で手にしているカトラリーを叩いた。来る前に、合図は予め幾つか決めてある。キースのジェスチャーによると、会話が聞かれている可能性があるらしい。イワンは小さく頷いて、なるべく声を小さくして話した。擬態をしていないので、どうしたって声は声変わりした男のものだ。そうそう誤摩化せるとも思わない。
「金融業ですから、そりゃあ色々あります」
「だろうね」
「キースさんはお堅い職場ですから、羨ましい、……ですわ」
カップルの会話とも思えないが、イワンだってこれでもヘリペリデスファイナンスの社員だ。ある程度の社交会話なら合わせる事は出来る。それから暫くは、とてもカップルとも仕事の同僚とも思えないような世間話が続いた。
ポセイドンラインの株価の安定性に着いて議論を終え、キースが驚いたように瞳を丸める。
「驚いた、初めて君を見たときは、何も知らないお嬢様のように見えたのに」
「からかわないで下さい、キースさんに比べたら全然子供です」
実際、キースはそのままポセイドンラインの一線の社員だと言ってもおかしくないくらい内情には明るかった。もしかしたら、ヒーロー引退後は幹部候補にも目されているのかもしれない。
少し膨れてみせながら、甘いカクテルではなく、キースと同じ青いスパークリングワインを口にする。辛口の酒は軽めの前菜ととてもよく合っていて、イワンは仕事抜きで来たかったな、と思いそうになる自分を必死で押さえつけていた。
「ところでミス・カレリン」
「何でしょう、ミスター・グッドマン?」
「つれないな、さっきまでキース、と呼んでくれていたのに」
苦笑するキースは、左手を出して、とイワンを促した。言われた通りにイワンが左手を差し出すと、キースがその手を両手で取る。
「失礼、少しね、確かめたい事が」
言いながら、キースの右手の指先がイワンの掌に文字を書いた。くすぐったいのと恥ずかしいのを堪え、一生懸命それを読み取ろうとする。確かに、通信手段は他にはない、ないが。
ーーーーーレストラン中の注目の的です、キースさんっっっっ!!!
注目され慣れていないイワンとしては半泣きだ。いちゃついているようにしか見えないだろうが、通る黒服も控えめに二人に視線を送って来る。どうやら、キースが指輪を出して来るのか、とでも期待されているようであった。
ーーーーー違います、これはそんな甘い語らいじゃないんです、決していちゃついてる訳でもないんですっ!!
キースはイワンの動揺にも頓着する事もなく、ゆっくりと指を動かす。くすぐったさにぴくんとイワンの身体が跳ねそうになる。
(だ、駄目です、キースさん、変な声でちゃうっ)
恨みがましく見上げても、どこまで天然か怪しい限りの男はにっこりと微笑んだまま首を傾げた。
「私とこうするのは、嫌いかい?」
「嫌い、とかじゃ……」
黒服、誰でもいいから食べ終わったお皿下げに来てよ、空気読まないで下さいよ、ねえっ!! と心の中で叫ぶが、見事に空気を読んでいるサービスマン達は近寄ってすら来ない。
その内に、キースの伝えたい事が分かって来た。
(ワタシノウシロノセキノカップルノカイワヲヨメルカイ)
こっくりと頷く。読唇術は習得していて、そしてここは窓際だ。すっと照れたように手を引いてキースから視線を逸らし、イワンは窓に映るカップルの唇の動きに集中した。
(あした……おわり……シュテルンビルト……ゴールドステージ……像に……爆薬)
聞き取るイワンが、緊張でぎゅっと拳を握りしめる。NEXTによるテロ計画の幹部同士の話がこのレストランである、と偶然捕まえた組織の末端の人間から聞いての潜入操作だったが。
(どちらに……獅子の顎)
はっとイワンがキースに視線を戻した。キースが軽く頷いて、黒服を呼ぶ。
「すまない、ロゼのワインを頼みたいのだが、リストを持って来て貰えないか」
「畏まりました」
黒服が去って行くと同時に、別の黒服がキースの所にやって来た。
「ミス・カレリン様、店の方に鏑木様という方からお電話が入っております、いかが致しましょうか」
「あ、はい、行きます」
応えてイワンは立ち上がった。キースが軽く肩をすくめる。
「今日は大切なデートだから呼ばないで、と言っておいて欲しかったよ」
「妬かないで、直ぐに戻ります」
イワンはにっこりと微笑んで囁いた。キースは応えて、君には敵わないな、と言っただけだった。
■ □ ■ □
電話口に出ると、よう、と虎徹の明るい声がした。
実は、このレストランの従業員に紛れて、このホテルのオーナーと懇意のネイサンの手引きで、アントニオが入り込んでいる。彼は、レストラン入り口のバーカウンターに居る筈だった。ロゼワインを注文したのは、キース達が何か探り出した、という合図になっていた。アントニオが待機している虎徹に連絡をつけたのだ。
『首尾はどうだ、お……カレリン』
「ええ、鏑木さん、」
そこで、イワンは一瞬躊躇った。このまま電話口で喋ってしまっていいものか。先程、キースが会話を聞かれていると言った。それは、誰かレストランの客を見張っている存在にキースが感付いたということだろう。キースの敵の気配に気付く勘は一級品だし、同じ位敏感なイワン自身、ぞわぞわする落ち着かない気配を感じている。
考えた挙げ句、イワンは己の勘を信じる事にした。キースも感じているのなら、絶対だろう。
「あの……キースさん、とまだ、いるので、後からで、いいですか。キースさん、結構焼き餅妬きで」
取りあえず、それだけは続けた。後から連絡する、という意志が伝わればいい。
確実なのはPDAでの通信だが、何しろ目立つ。女性用トイレの個室に駆け込もうかとも思ったが、それも誰が入って来るか分からない。
悩んでいると、虎徹がまあ状況は何となく分かった、と言った。
『デート中に呼び出してすまなかったな、楽しんでくれや。いい報告待ってるぜ』
「あ、はい!」
それだけで電話を切り、ほっと息を吐く。席に戻ると、やって来た黒服が直ぐに椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
優雅に言いながら座ると、キースが早かったね、と笑いながら言う。
「ちゃんと話はしてきたのかい?」
「いえ、後からって言っちゃいました。キースさんとの時間を邪魔されたくないですし」
ぺろっと舌を出してイワンは言い、タイミングよくやって来た魚料理に軽い歓声を上げる。キースが頼んだロゼのワインにも口を付け、デートにはしゃいでいるような様子を見せる。
「肉料理に合わせて赤も頼むかい? それとも」
「でも、結構酔っぱらっちゃいました」
頬を上気させてキースを上目遣いに見上げて来る少女はコケティッシュというより妖艶にも思えて、キースは心の中がどきりとするのを懸命に押さえた。これは同僚の青年で、今は任務中だ。いつの間にか本当のデートのように楽しんでいた自分を些か恥じながら、キースはそれでは、アルコールはこの位で切り上げようかと言う。
「私はグラスで赤を貰おうかな」
もう少し飲まないとやっていられない気分だ。イワンは気付きもせずにキースさんはお強いですね、などと言ってくれる。
上等な肉料理と、デザートとチーズまでしっかり食べて、食後のコーヒーが出た所で、キースが再びイワンに蕩けるような微笑みを見せた。
これはお芝居、と分かっていてもイワンの心はどきどきと早鐘を打ち始める。
「ミス・カレリン」
「なんです?」
「このまま、君を帰してしまいたくない」
囁くように低いトーンの声に甘く告げられて、イワンは思わず「これはお芝居」と心の中で百回唱える羽目になる。そんなイワンに向い、キースは止めのカードを出して来た。
「……部屋を取ってあるんだが、どうかな」
早く二人きりになりたい、と情熱的に耳元で囁かれ、キースさんやり過ぎです、と真っ赤になりつつ、イワンはこっくりと頷いた。キースは満足そうにそれを見つめ、少し、と言って席を立つ。
バーカウンターに言って、アントニオを呼び止め、何事かを話しているのを見ながら、イワンはなんとなく、前の席の二人の会話に意識を戻していた。
(ヒーロー……罠……)
単語を読み取り、ぎくりとなる。気付かれたのだろうか、それとも。
慎重に会話を聞き取っているうち、徐々に、イワンの瞳が大きく見開かれて行った。
■ □ ■ □
イワンは、たった今聞き取った情報を直ぐにキース達に伝えようか悩んでいた。
前の席のカップル二人組は、今夜、このホテルにも前哨戦として爆薬を仕掛けたのだという。
もしも爆発してしまえば、ぐずぐずしていては大惨事が起る。しかし、下手に騒いで彼等を取り逃がしても、明日の爆破テロが防げないかもしれない。
もしも直ぐに非常事態だとキースを呼べば、大きなホテルだ、宿泊客や従業員を逃がすのは大変かもしれないが、それこそヒーローとしての身分を明かせば出来なくもない。なんせ、老若男女に人気の高い風の魔術師スカイハイも一緒だ。ロックバイソンもこんなときは頼りになるだろう。
イワンは躊躇した。キースはまだアントニオを何やら話し込んでいて、帰って来る気配がない。すると、前の席の二人が席を立ってしまった。
「あっ」
一瞬悩んで、イワンは立ち上がり、小さなバッグ一つを持って黒服に手洗いの場所を聞き、連れには手洗いに立ったと言ってくれと告げつつ、手洗いに行く振りをしてこっそりと彼等の後を付け始めた。
テーブルでの会話では、犯人達が爆薬をどこに仕掛けたかまでは聞き取れなかった。しかし、このままホテルを出るようなら、爆弾の爆発から退避しているということだ。その場合、即座にPDAで仲間達に連絡をとり、ホテルの客の避難を始めようと心には決めた。人命第一だ。
(取りあえず、ホテルを出るかどうかを見届けて、キースさんに連絡)
運良くレストランを出てすぐの女性用レストルームにカップルの女性の方が入ったので、イワンも続いて入ると少し離れた場所の個室に入り、急いでクラッチバッグを開ける。このバッグもネイサンが用意してくれたものなのだが、中身を見てイワンはがっくりした。
「ネイサンさん、化粧道具とハンカチしか入ってないってどういうことですか……」
有り得ない。女子はみんなこんなに荷物が少ないものなのか。現役女子高生のブルーローズの鞄はもっと大きかった気もするのだが。
万が一の場合、キースに伝言を残す為にも何か筆記用具、と思ってバッグを探ったが小さいボールペン一つなかった。散々に探して、仕方なく、口紅の蓋をとり、真っ白なレースのハンカチを広げる。
「キースさん、……お願いします」
願うように言うと、イワンはハンカチに口紅で文字を綴り始めた。
直ぐにトイレを出て、イワンは道に迷う振りをしながらカップルの後を付け始めた。もしもこちらを気にするようなら、キースと喧嘩して出て行くのだという風に装ってもいい。
このドレスには合わないからとネイサンに止められて携帯電話を持って来なかった事をイワンは心から悔んだ。メールの一本も送る事が出来ない。
(キースさん、お願いです、僕が居ない事に気付いて)
席を立つ時に、人命救助や避難誘導の役割を担う事が多い折紙サイクロンとしてぐずる子供達に渡したりするので常に持ち歩いている折り鶴を一羽、キースの席に置いて来た。空色の鶴にキースが気付けば、イワンの状況が変わったと思ってくれるに違いない。
(まあでも、あれが最後の一羽だったってのが僕も用意が悪いけど)
しかし、後ろ向きになっても仕方が無い。ヒーローとして任務を果たそうと決めたのだから、とイワンは己に喝を入れた。
先に彼等だけが乗ったエレベーターの止まった階数を確かめ、次に来たエレベーターに飛び乗る。途中、エレベーターに乗る前に、イワンは後から来るキースの為にとエレベーターホールの真ん中に飾られている花瓶の足下にバッグを置いてきた。
「十三階か、宿泊階ってことは、泊まる気なのかな」
それなら、今夜の爆発はないのか、それとも今から工作をするのか。もう部屋に入られてしまっていたら厄介だと呟きながら、イワンは十三階でエレベーターのドアが空いた瞬間に外に踏み出そうとした、その時。
「動かないでもらおう」
横合いから顳?に銃口を突きつけられて、イワンは動きを止めた。やはり、尾行が気付かれていたのだ。
「どうして俺たちを付けているのか、聞かせて頂こうかレディ」
言われて、何か言い訳を口にしようと考えたが、どうせ向こうは既に銃を抜いているし、もしかしたら爆発までにも時間がないと踏んで、きゅっと男を睨みつける。
「……あなた達、レストランで爆弾の話をしてた」
「あんた、俺たちの隣りのカップルだろう。聞かれてたのか、それは拙いな。お嬢さん、警察の関係者かなにかかい?」
「違うわ、でも、爆弾の場所が分かったらと思ったのよ」
イワンは女性としての振りを続けながら言った。若い女性だと思われれば、ある程度油断もされるかもしれない。
男は首を竦め、低い声でヒーロー気取りか、と呟いた。女の方が、殺してしまえばいいじゃない、と事も無げに言う。
「馬鹿言え、男が探すに決まってるだろう。それで警察を呼ばれてもコトだ」
「彼を巻き込まないで!」
ここぞとばかりにイワンは言った。ヒーローが絡んでいると思われてはいけない。
「一体、このホテルのどこに爆薬なんて……」
「さあ、それを聞いてどうするのかな、正義の味方気取りのお嬢さん。世の中、あんなヒーローTVなんか流すから、自分もヒーローになれると思ってる奴が出て来て敵わねえよな」
イワンは心の中で唇を噛んだ。それは、常々問題点として指摘されている事だった。だからヒーロー達は異形とも言える人間離れしたスーツに身を包み、余人には真似の出来ないように、派手に能力を演出しているのだが。
「勿論、警察に通報する」
イワンが言い切ると、男がそりゃあ随分勇敢なお嬢さんだなとイヤな笑い方をした。イワンが全身を緊張させる。幾らゆったり目のワンピースと言えど、格闘向きの服装ではない。
「さあ、場所を言いっ……!?」
言いかけた途端、背中に強いショックを受け、イワンの息が詰まる。いつの間に回り込んだのか、イワンの背後で女が甲高い声で笑う声がした。霞む視界の端で、手にスタンガンを持っている事を確認する。目の前が白くなった。
「キース、……さん」
呟きながら、イワンはそのまま意識を失った。意地でもスカイハイの名前は口にしなかったが、思い浮かべるのは金髪の男の姿だけであった。
■ □ ■ □
chapter:2:風の王者
アントニオと予定外に話し込んでしまったキースが慌てて席に戻ると、イワンの姿が無かった。
ちょこんと席に空色の折り鶴が置かれている。……イワンからのメッセージだろう、キースが席を立っている間に何かがあったのだ。
慌てて黒服に尋ねると、お連れ様はお手洗いに、と言われたが、隣りのカップルも姿を消している。
イヤな予感がして、キースは青年の姿を捜しにレストランを出た。三人が姿を消した事に気付かなかった自分を内心で罵る。それ程は時間が経ってはいない、カップルもイワンも、まだ遠くへは言っていない筈だ。
女性用のレストルームで一応声を掛けても返事はない。
探し歩いていると、エレベーターホールで置き去りにされたイワンのバッグを見つけた。花瓶の足下に目立つように置いてあり、キースも直ぐにそれが落したのではなく置いて行ったのだと言う事に気付く。
「折紙君は、一人で危険に首を突っ込んでいなければいいが……」
手がかりはないかと開けてみると、そこにはハンカチに口紅で書かれた走り書きのメモが入っていた。『明日の爆薬は獅子の顎、ヘリペリデスです。このホテルにも爆薬というのでやつらの後を付けます』と。
キースは唇を噛んだ。
アントニオから聞いたが、虎徹によると、イワンは盗聴を恐れて虎徹には事情を後で説明すると言っていたらしい。
それこそ、キースと部屋に行ってからゆっくり報告するつもりだったのだろう。所がキースが暢気にもアントニオと話し込んでいた間に事態が変わって、イワンは単独で任務を続行する事にしたのだ。
キースは何度かそれを読み込んで、ぎゅっとハンカチを握り締め、すぐさま腕のPDAの回線を開いた。不用意に呼び出し音を慣らしてイワンを危険に追い込んでも行けないので、連絡役として待機している虎徹を呼び出す。
「もしもし、キースだ。どうやらイワン君が敵と接触したらしい。もしかしたら、後を付けているか、最悪捕まっている可能性もある」
回線の向こうで虎徹のぎょっとしたような声が聞こえた。
「直ぐに他のヒーロー達や、あとネイサン君に繋いでくれたまえ、緊急事態だ」
慌てたのだろう、ハンカチの口紅の文字の最後が掠れたようになっているのを堪らない気持ちで見つめながら、キースは感情を押し殺して事情の説明を始めた。
■ □ ■ □
事前に敵の下っ端から仕入れている情報に寄ると、敵にはNEXTを感知する能力者が居るのだという。キースとしては直ぐにでも能力を顕現して出入り口の封鎖をしてしまいたかったが、イワンの身が案じられた。まだ尾行を続けているのか、それとも。
そんな事を考えていると、ネイサンから連絡が入った。キースがハキハキと状況を伝えて行く。
「ファイアー君かい、実は、直ぐにホテルの保安室に協力を仰ぎたいのだが……」
「……分かったわ」
大体の事情を聞いた所でネイサンは直ぐに各方面に手を回してくれた。キース自身は急いでホテルを出て、通信を入れて迎えに来てくれたポセイドンラインのトレイラーに乗り込む。着替えている最中に、ネイサンから映像が回って来た。流石に大企業のオーナーは仕事が速い。
そして、ホテルの監視カメラの記憶映像には、スタンガンで意識を失わされて、抱え上げられるイワンの姿がはっきりと写っていた。
倒れるイワンを見た瞬間、キースは体内の血液が瞬時に沸騰するのを感じた。
(イワン君……私が不甲斐ないばかりに)
キースの向いで、任務だとはいえ嬉しそうに微笑み、楽しそうに食事をしていたイワン。以前、潜入操作で酷い怪我を負わされているというのに、再び彼等の後を単独で付けた青年の勇気には頭が下がりそうだった。
「君こそ本物のヒーローだ、折紙サイクロン。……私たちはその勇気に全力で応える義務がある」
キースは呟き、ベルトの留め具を閉じて、マスクを抱えて立ち上がった。
■ □ ■ □
シュテルンビルトの中でも眠らない街、ゴールドステージのシュテルンメダイユ地区。
先程までキースとイワンが食事をしていたホテルの中を、支配人だという男性と一緒にヒーロースーツを身に纏ったロックバイソンが歩いていた。
「畜生、ホテルのどこに爆弾を仕掛けたんだ、全く。……支配人、構わないからあんたも逃げてくれよ、俺はこう見えて頑丈だけが取り柄なんだから」
「ありがとうございます、しかし、やはりお客様の安全を確かめてから……」
その時、アントニオのPDAにネイサンから通信が入る。
『ハァイ、バイソンちゃん。爆弾探査牛の仕事はどんな具合?』
「茶化すなバカ野郎。俺は麻薬捜査犬じゃねーぞ」
嗅覚で爆薬の場所が分かるならそうしてる、と不機嫌に言った後、お前はどうなんだ、と続けた。
「アタシ? 勿論、パーティの準備はばっちりよ」
少し離れた道路の路肩でいつもの派手な赤いスポーツカーを停め、ホテルの方を見はるかしながら、夜目にも輝くファイアーエンブレムのスーツを身に纏ったネイサンがくつくつと妖艶に笑う。
「アタシの能力は炎を操る事、よ。炎の王の力、見くびってもらっては困るわね」
あ、一応、女王とはいわねーんだ。アントニオの頭の中をそんな余分な考えが横切ったが、仲間内に氷の女王が居るからだろう、と単純に自分を納得させた。
「それで、炎の王はそこで、氷の女王はこっちに向かってんだろ? 風の王者はどこだよ」
『あらぁ、決まってるじゃない』
ネイサンが笑いながらキースの居場所を言おうとしたその時、各ヒーローのPDAに一斉に着信が入った。無論、イワンのものは鳴らさないことになっている。
「第七管区! 犯人が逃走用に使っていると目される不審車両を発見しました!!」
ホテルの駐車場からイワンを積み込んで出て行った車と、ナンバープレートが完全に一致したのだという。ネイサンが通信を開いたが、それよりも敏腕プロデューサーが早かった。
「スカイハイ、聞こえた? カメラはあなたが車に追いついてから一斉に回すわよ!!」
すっかりテレビ配信のスタンバイを終えたアニエスが叫んだ。
「後、折紙サイクロンの扱いは、あくまで巻き込まれて人質になった一般人、ってことにするわよ、いいわね!!」
ホテルの最上階でシュテルンビルトの街並を風に髪を嬲らせながら見つめていたスカイハイが、静かに了解した、と呟く。そのまま、抱えていたマスクを頭に被り、高層ビルの最上階から身を踊らせる。一陣の旋風になって去って行くスカイハイの後ろで、ホテルの一室から大きな爆発音と共に炎が吹き出した。
「チンケな爆薬の炎如きが、アタシを超えられると思ってんのっ!!」
叫びながら、ネイサンが同じくらいの炎の塊を爆炎にぶつける。同等の炎をぶつけられた火が、一瞬硬直状態を起こした、その時。
「スカーイ、ハーイ!」
キースが叫びながら竜巻の状態を加速させ、中空を真空にした弾をそこにぶつけた。燃える為の酸素を無くし、炎が弾けたように四散して消えてなくなる。
「後は任せたわよ、ブルーローズ」
「了解!!」
再び発火しないように現場を瞬間冷却して温度を下げるブルーローズと、ホテルの人々を避難させているロックバイソンとドラゴンキッドを残し、スカイハイは歓喜の叫びをあげて緊急特番を流し始めたアニエスの声を聞きながら、全力で風を起こす。
(待っていてくれ、折紙……イワン君)
心の中だけで青年の名前を呟き、キースはもっと、もっととジェットパックへ送り込む風の量を調節し、眼下の輝く街並を見下ろしながら、天空の王者はいっさんに空を駆けた。
■ □ ■ □
暗い車内で、イワンは目を覚ました。ごつごつと揺れる振動が身体に痛い。動かそうと思うと、両手と両足は縛られている感覚があった。声を出そうとしたが、猿ぐつわも噛まされている。
「……うぅ」
ごそごそと動いて、両足を持ち上げると、殆ど行かずに爪先が当たった。ぱちぱちと両目を瞬かせ、状況を確認する。
(……トランク?)
不愉快な振動といい、間違いはない。これではどこに向かっているのか目視することもできない。イワンは縛られた両手首を摺り合わせ、手首に嵌められているバングルの存在を確認する。この下にPDAが付けられている。ワンピースの美少女には似合わないけれど外す訳にもいかないしねえ、とネイサンに上から手首に収まる式のバングルを付けられたのだ。
御陰で、彼等にも見咎められずに済んだのだろう。何が幸いするか分からない。
(女も居たし、ボディチェックはされてるかな……)
しかし、その場合は真っ先に男だとばれそうな気もする。そうしたら消されているだろう。思いながら、イワンはよいしょ、と身体を徐々に後ろに逸らせ、足首を触ろうとする。他に荷物の入っていないトランクは、イワンが身体を動かすだけの余裕は充分にあった。
華奢なハイヒールの踵に触れたので、底のゴムを外し、中から小さな鑢を取り出す。潜入操作と聞いて面白半分にネイサンに頼んで仕込んで来た道具が、まさか役に立つ日が来るとは。イワンはため息をついた。身体の柔軟性も、忍者に憧れたトレーニングの結果だ。自分のような職業の者には、忍者かぶれもそう悪い事ではないのかもしれない。
「……よし」
呟くと、イワンは縄に切れ目を入れ始めた。腕の方は切り落とすが、足の方は力を入れればすぐ解けるくらいにしておくつもりだ。その後で、腕をもう一度括られているように見せかければいい。
「ぜったい、大丈夫。……必ず皆が来てくれる」
そして、キースさんが。
黄金の男が空を駆け、まるで騎士のように迎えに来てくれる図を一瞬想像して真っ赤になり、イワンは雑念を飛ばすように鑢に集中をし始めた。
やっと腕の縄を再び解けるように縛り直した瞬間、がたんと酷い衝撃で車が揺れた。
ごうっと突風が駆け抜けた音がして、耳がきいんと痛くなる。……来た、とイワンの心が躍った。と、がたん、と一際大きい揺れと共に、車が止まる。
(来た!)
飛び出すか、……いや、まだ早いか。
イワンは息を顰めて、風の魔術師が自分を必要とする瞬間を待った。
■ □ ■ □
ヘルメットの中のモニターで、出がけに送られて来た映像と同じ車を見つけ、キースは迷わず片手を振り上げた。
「スカーイ!」
そこで、中にイワンが居る事を考えて、咄嗟に衝撃波を風の球に切り替える。
「ハーイ!」
ぶわっと勢い良く車が地面から浮き上がった。四輪車は、一旦車輪を浮き上げられてしまうと弱い。風の上を滑り、タイヤが虚しい音をたてて空転する。その車を地面から浮き上がらせたまま、スカイハイは高らかに宣言した。
「人質を取って逃走する卑怯なテロリストども! この私が来たからには、もう好きにはさせはしない!!」
サーチライトを灯した空撮のヘリコプターがスカイハイの周囲に集まって来る。車の中から、先程の男女が武器を手に飛び出して来た。いきなりドアが開いてイワンに何かあっては、とそう高い場所に浮き上がらせては居ない。イワンは後部座席だろうか。車をそのまま運び去ろうかと思っていると、犯人達が車を下りると同時に開いたトランクから、男が小柄な人影を抱え上げる。
ぐったりとしている、それは紛れもなくイワンの姿だった。
「……っ!!」
ヒーロー風情が、と男がイワンに銃口を突きつけながら言った。
「この女がどうなってもいいのか、ヘルメットを脱いでこちらに来い!!」
キースが動きを止めた。犯人はイワンの頭に銃口を押し当てている。イワンは意識を取り戻したようで、こちらには来るなとでも言うように、小さく首を振った。
男がつばを飛ばしながら喚き散らす。
「俺はな、ヒーローの中でも貴様が一番嫌いだ、スカイハイ。てめーみたいなのが居るから、この女みてえにヒーローかぶれで事件に足を突っ込む奴が出て来たりして、やり難くて仕方がねえ。お綺麗な街なんか真っ平ご免だ!!」
ぐっと髪の毛を引っ張られて、イワンは悲鳴を喉の奥で噛み殺した。気丈だな、お嬢さん、と男が犯罪者の本性をむき出しにしたギラギラした目付きでイワンを睨む。そのまま、イワンの猿ぐつわをむしり取った。
「叫べよ、命乞いをしろ、俺じゃなく、スカイハイ様になあ!!」
イワンは、黙ったまま男を睨みつけていた。キースに命乞いなど、彼の意識をぐらつかせる事など、とんでもない。絶対にできるものか。
後は、タイミングだけだ。一瞬でもカメラが余所に向けば、縄を解いて折紙サイクロンに戻れるのに。焦燥感がイワンを包む。
「さあスカイハイ、俺はNEXT能力を感知するんだ、妙な真似をすると承知しないぞ」
風は使うな、と言われているのだ。キースは暫く悩み、黙ってヘルメットの留め具に手をかけた。かちり、と留め具が外れる微かな音がして、それを聞き届けたらしいイワンが紫の瞳を極大まで大きくする。
「イワ……市民の身の安全の為なら、私は何でも」
言いながら、普段の癖でヘルメットの電源を落そうとして、止めた。スピーカーが切れない方がいいに違いない。
『2カメ! 映像切り替えて!! スカイハイの素顔出るようなら消して!!』
スピーカーから、アニエスの焦ったような叫び声が聞こえる。
「駄目です、駄目ですスカイハイさんっ……!!」
僕なら逃げられるんです、キースさん。出来る事ならそう叫びたいが、撮影が入っている状態ではそうもいかない。悔しさに、イワンの瞳に涙が滲んだ。その視界の端で、自分を捕らえたときと同じように女の身体が青く光るのを見る。
もう、なりふり構っては居られなかった。キースに向かって大声で叫ぶ。
「スカイハイさん、気をつけて!! その女は瞬間移動します!!!」
「このくそアマ!」
犯人の男の方が、怒りに任せて銃底でイワンの頭を殴りつけた。イワンは勢いで地面に倒れ込んでしまう。
「あうっ!!」
「イワ……!!」
名前は呼べない。キースは唇を噛み締めた。ぎり、とヘルメットの中で口唇を噛み締め、拳を握りしめる。
「許さない、そして許さないぞ!!」
言うと、瞬間移動で自分の後ろに洗われた女の手から、風を纏った手刀で拳銃を弾き飛ばした。そのまま、厄介な能力を封じる為に、体術で意識を失わせる。
「ちいっ」
男が、地面に殴り飛ばしたイワンに銃口を向けようとした瞬間、イワンの両手足から縄が解け落ちる。さっと起き上がると、とんっ、と軽く後ろに飛び退って、全身を青く光らせ、……そこには折紙サイクロンの姿があった。スーツ姿に擬態したのだ。
「スカイハイ殿、人質は拙者が!! 思う存分戦うでござる!!」
まるで先程までの自分を抱えているかのような事を態とらしく言いながら、イワンはさも見切れるようにして、気絶した犯人の女を抱え、画面から遠ざかって行った。視線でイワンを追いかけながら上空に浮き上がるキースの目に、現場近くまで来ていたらしい、ヘリペリデスファイナンスのトランスポーターの姿が映る。
イワンは現場近くの警察官に犯人の女を引き渡すと、ヘリペリデスのスタッフ達に迎えられてトランスポーターの中に消えた。
イワン君は、もう大丈夫だ。……思いながら、キースは犯罪者の男の方を向き直る。男は小さい銀色のスイッチを高々と掲げ、キースを威嚇した。
「待て! 俺たちは、このシュテルンビルトのある場所に、山程の爆薬を仕掛けた、時限爆弾だが、このスイッチでも起爆可能だ」
「それで?」
傲然と、王者のような冷徹さでキースは男の言葉を跳ね返す。
「聞こえなかったのか!? 市民の安全を守るヒーロー様、爆弾がある、つってんだ!!」
キースは、彼にしては意地の悪い仕草で大げさに肩をすくめた。やれやれ、と手を伸ばしてヘルメットの留め具を留め直す。暢気な仕草に、男が苛立った声をあげた。
「おい、聞こえてんのか!」
「聞こえているとも! そして、私たちの中でも最も勇敢なヒーローの一人が既に君の野望を挫いてしまっている事も」
静かに言葉を紡ぐと、キースは相変わらず切り札のスイッチを翳したままの犯人に静かに対峙した。
後は、合図を待つだけだ。
奇妙な緊張感が場を支配していた。お互いに相手の出方を待っているように見せかけて、キースが待っているのは「GO!」の合図一言だけ、だったのだが。
その時。ピーッ、と音がして、キースのヘルメットのスピーカーから、聞き慣れた男の軽快な声が鼓膜に流れ込む。
『あっ、見つけたぞコンニャロ! やっぱり口の所にあったぜ!! でかしたな、折紙!!』
虎徹の叫び声が無線で入る。フルフェイスのヘルメットで隠れたキースの口元が、おかしそうに上がった。
「見つけた、のだね」
『おう、スカイハイ。そっちどーよ? こっちはバニーが爆弾解体作業なうでーす』
『なうとか言わないで下さい、恥ずかしい。それにもう殆ど終わりましたよ』
冷静なバーナビーの声も聞こえて来た。
ワイルドタイガーとバーナビーは、二人で犯人の仕掛けたと言う爆薬を、イワンから指摘のあったヘリペリデスファイナンスの像に探しに行っていた。ホテルに姿を現さなかったのもその所為だ。バーナビーが爆弾処理ができるので、この割り振りになったのだ。
「大変な量ですが、前と違って時間の余裕がありますから、なんとかしてみせます」
バーナビーがクールに請け負う声がする。
「大丈夫なの、バーナビー」
「ええ、もう後は起爆装置への線を切るだけです。……赤か、緑か」
「緑、緑だろ、バニー」
「うるさいですよ、虎徹さん」
バーナビーの手元が、虎徹の持つハンディで大きく映し出される。いつぞやと同じ状況で、バーナビーは少し笑った。あのときは、爆弾ごと空へ投げ上げたが、今回は。
「……僕は運の強いキング・オブ・ヒーローですからね。TIGER&BUNNYの悪運の強い方、バーナビーですから」
言いながら、赤い線をぱちん、と切った。時限式の時計が止まる。ふう、と息をついた。虎徹のべたべたな演技で、緊迫感が損なわれていないといいが。
虎徹とバーナビーがここに来てから、実はもう結構な時間が経っている。既に、爆弾の形式から作成者までが特定され、逮捕された爆弾魔ははきっちり警察に拘束され、カメラに映り込まない場所に連れて来られていた。
大してポリシーのある男ではなかったらしく、死にたくない、赤を切れ、とバーナビーの作業中、ずっと喚き散らしていた。解体作業を行っているのが犯人にバレては困るので、アニエスの命令でいつかのようにVTRを撮り続けていた虎徹が、煩いと顔を顰めたくらいだ。無論、アニエスには後で緊迫の作業風景を編集して流すからね、と言い渡されてている。
「へいへい、どうせ俺は運も成績もなにもかもバニーちゃんの下ですよ」
「ひがまないでください、事実だからって」
「可愛くねー!」
べえっとバーナビーに向かって舌を出した後、にやっと笑って虎徹が同僚に向けて語りかける。
「って、訳で、思う存分暴れていいぞ、スカイハーイ!」
「美味しいポイントは頂きましたからね、残りはそちらでお好きにどうぞ」
タイガーとバーナビーが手を振り、映像が切り替わる。危険物の処理は滅多にない事と特殊技能が必要とされる事もあり、見せ場に持って来る事ができればかなりポイントが高い。しかも絵になる。さっきのコードを切る演出など、やり慣れている感じさえ見える。
ヘルメットの片隅でその様子を見て、スカイハイはNEXTを最大限に発動した。ひゅうう、とキースを中心に、竜巻のように風が渦を巻き始める。
「今日の私は瞬間風速、特大怒りのハリケーン級だ!!」
両掌の間に、風を圧縮した衝撃波を溜める。犯人が慌てて爆弾のスイッチを押そうとしたが、それが不発に終わるより先に、キースが狙いを定めるように、さっと片腕を伸ばした。
「スカーイ、」
ごうっと耳元で耳をつんざく風の音が聞こえる。この街を守る風が、キースに力を貸そうと全て集まって来る気配を感じる。
「ハーイ!!」
かけ声と同時に、風の塊を投げつける。風圧を相当硬く練ったので、成人男子の一人くらい、軽く吹き飛ぶ威力があっただろう。余波を受け、側の車がずるずると横向きに道路沿いの壁まで押され、男は叩き付けられて失神した。
「おーっと、流石ですスカイハーイ! 華麗な風の技で主犯の男をゲットだー!!!」
上空のヘリコプターから、興奮したレポーターの声が聞こえる。その声を聞きながら、キースはヘルメットの中でこの夜やっと、大きく一つ、深呼吸をすることができた。
■ □ ■ □
キースが犯人を警察に引き渡していると、後ろからお疲れさま、と声をかけられた。
「ああ、バイソン君」
「すげえ技の切れ味だったな。やっぱお前は別格だよ」
言いながら、ヒーロースーツ姿のアントニオは、ごそごそと動き難そうに後ろを探った。
「おい、スカイハイ」
「なんだい、バイソン君」
近づいて来たキースに、アントニオはやたらとかさばる紙袋を差し出した。
「ほれ」
「?」
「さっきのホテルの社長から感謝のしるし、だってよ。つまみも入ってるらしいぜ。勝手にやってくれ」
紙袋を覗いて、キースは目を丸くした。
「アントニオ君、これは……」
「俺への礼なら、こないだゴールドステージに出来たっていうステーキハウスで一回ご馳走してくれ」
「ああ、了解した」
「虎徹達も付いて来るかもしれねえぞ」
「構わないよ」
ほれ、行け、と背中を押され、キースはではまたお礼は改めて、と笑いつつ、紙袋を手に歩き出した。そのまま、ヘリペリデスのトランスポーターの所まで歩いて行く。
本日の陰の功労者も、今やっと帰還して来た所のようであった。
「イワン君」
「あっ、キースさん!!」
お疲れさまでしたでござる、と折紙サイクロンが頭を下げる。
「君こそ、怪我は無いか、イワン君」
「ええ、ちょっとスタンガンを押し付けられただけでしたから」
素で話しているが、イワンは一応、折紙サイクロンのスーツに着替えていた。見えないのをいいことに、ワンピース姿はもう見られないのか、とキースは些か落胆した表情を浮かべる。
周囲を見回して、人影がないのを確認すると、マイクをオフにしてヘルメットを脱いだ。
「イワン君、少しいいかな」
「え? ……あ、はい」
イワンは自分もヘルメットを脱ぎ、何でしょう、とキースを見上げて来た。ヒーロースーツを着ていると、普段の身長差は無くて、視線が同じくらいになる。自然真っ直ぐ正面から見つめる事になる紫水晶の瞳を見ながら、キースは言葉を紡いだ。
「今日は、君の活躍で皆随分と救われたよ、ありがとう」
「いえ、そんな。キースさんだって、囮になって下さってたじゃないですか」
キースの場慣れしたスマートなエスコートがあったからこそ、カップルと見なされて、それ程に疑われずに済んだのだ。そうでなければ、車に積み込む前に葬り去られていた可能性もある。今更ながら、イワンはぞっとして身体を抱えた。そのイワンを見ながら、キースが優しく予定を尋ねる。
「よければこの後、打ち上げをしないか、二人で」
「二人で、ですか」
驚いてイワンは顔を上げた。確かに、キースとの時間は、仕事を忘れそうなくらい楽しいものであったので、終わってしまったのは惜しいな、と考えていたのではあるが。
「うん、ホテルの部屋は手放してしまったから、私の部屋か、君の部屋でも、どちらでも」
実は、酒と肴はあるんだ、とキースが紙袋を持ち上げた。大きな紙袋を見て、イワンが少し躊躇って、言葉を続ける。
「分かりました、では、……お邪魔でなければ、キースさんのお家で」
「ありがとう、そして構わないよ!!」
では着替えて来る、と再びヘルメットを被りかけたキースが、ああそうだ、とイワンを振り返った。
「大きな犬は平気かい?」
「え? ええ、多分」
「驚かないでくれよ、うちにはでっかい人懐っこいのがいるんだ」
「たのしみ、です」
キースさんの犬だから、大丈夫、たぶん大丈夫、と自分自身に言い聞かせつつ、イワンはキースの部屋に向かうべく、慌てて自分も着替えに走った。
その後、急いでいたイワンの「着替え」が先に着ていた女物のワンピースしかなかった(ヘリペリデスファイナンスのスタッフは、この後キースと二人で出かけるからと聞いて、どうしてだか誰も力になってくれなかったらしい)ことは、キース一人に取っての嬉しい誤算でもあった。
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+++END
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