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自分の書斎に入るのに、ノックが必要なのはこれが初めてだろう、きっと。キースは高鳴る鼓動を押さえつつ慎重にノックをした。
「アー、イワン君、お邪魔するよ? お茶を……入れてきた……んだけど」
ドアを開けると、斥候に任命されている本日の名前は「疾風のジョン」らしい忍犬が、首に唐草模様のスカーフを巻いてこちらにとてとて歩いてきた。その主からご下命が下る。
「ジョン殿、毒味を」
「わん!」
「いや、あのね、……怪しいものは……。ジョン、一個だけだぞ?」
紅茶に添えてきたビスケットを渋々一つ投げてやると、上手にキャッチした愛犬は、大丈夫ですという風に尻尾を大きく振った。全く、誰が飼い主だと思っているんだこの裏切り者、と愛犬に視線だけで訴えてやる。
「これでいいのかい、イワン君」
「かたじけないでござる、その辺りに置いておいて下されい」
すっかり折紙サイクロンモード全開の恋人は、キースのデスクの上に自分で持ち込んだラップトップまで広げて、デスクの椅子の上に座り込んでいる。キースの椅子はどうやらやや大きかったようだ。
デスノートみたいでござる、Lでござる、と自分では言っていたが、生憎キースには今ひとつ意味が理解できなかった。
「あの、その予約、っていうのはいつなんだい?」
夕食の時間を何時に合わせたら良いかが分からず、キースはそう聞いてみたが、イワンは戦端が開くのは四時でござる、とだけ言った。キースは時計を見上げる。後もう数時間だ。まあ、その後にイワンが折紙サイクロンからキースの恋人に戻ってくれる確率は、この上なく少ない予感がするが。
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フィギュア、という玩具があるのは知っていた。ヒーローのフィギュアが展開され始めたのが、HERO TVが人気が出てきたここ数年だということも。
ロックバイソンや、ワイルドタイガーの旧コスチューム、ブルーローズなどは今までに展開され、それぞれ都市伝説のような争奪戦を生み出して来たのだが、何故か。……何故か今まで、キング・オブ・ヒーローであるはずのスカイハイは発売されていなかった。
数の手配ができていないとか、ポセイドンラインが許可を出さないとかスポンサーの意向とか、色々な噂が囁かれ、その間に何故か先行でアポロンメディアのワイルドタイガーとバーナビーが先に発売されてしまい、あちらこちらで盛大なサーバー落とし現象が起こってサイバーテロでもないのにオデュッセウスコミュニケーションズが悲鳴を上げて、……最早、スカイハイは伝説になったかと思われていた。
だが、しかし。
イワンはある日、玩具メーカーから来たDMを見て危うくモニターに頭をぶつけそうになった。
そこには紛れもなく、紛れもなく……『“ありがとう! そしてありがとう!” KING OF HERO スカイハイ、ついにフィギュア発売決定!』の文字があった。
次の瞬間、イワンが取った行動が、本人にメールして裏を取った事だったのは仕方があるまい。本人……イワンの恋人でもあるキース・グッドマンからは、そういえば、そろそろできるって聞いたような気がする、というあやふやな返事だった。
そんなあやふやでいいわけがあるか! こっちは有給がかかってるんだ! と、折紙サイクロンとしてのコネを最大限に生かして裏を取って、発売が間違いないと決まったときのイワンの浮かれ具合は半端なものではなかった。
なんせ、もうないかもと思われていた夢のスカイハイ発売である。
その後、予約開始の日に備えたイワンが有給を申請し、着々と回線とパソコンの整備をし、販売店のリストアップなどを重ねて今日の日に至った、という訳である。
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ちなみに、キースの家の書斎に居るのは、別段生スカイハイのご加護を狙っている訳では無い。家を購入するときに業者に適当に頼んだ、というキースの家の回線が、もの凄く高速なものだったという理由がある。殆どネットの海には出て行かないキースでは宝の持ち腐れだが、やっとその真価を発揮できるときが来たというわけだ。イワン自体は持ち運びに便利なモバイル系の回線をメインにしている為に、こういう時には少し弱いな、と思っていた所だ。
キースさんのお家の回線を貸して下さい、と申し出られたとき、キースは単純に自宅デートだと思って喜んでいたようだが、日にちが近づくにつれ、戦闘モードのイワンに、もしかしてこれは本当に自分ではなく回線が目当てなのではと認識を改めたのか、家には居るが怖がって寄りついてこない。
かくして、自宅から持参の竹皮に包んだ握り飯と竹筒入りの茶を兵糧に、イワンは相棒の忍犬ジョンを脇に控えさせ、スカイハイを手に入れるべく本気で待機しているのであった。ちなみに、衣装も忍者装束だ。何でも型から入る方、折紙サイクロンである。
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イワンには分かっていた。ワイルドタイガーやバーナビーのフィギュアの時の狂乱を見るまでもなく、スカイハイは激戦必至である。シュテルンビルトの人口殆どが敵と言ってもいい。老若男女への浸透具合は、キングはやはり半端ではないのである。なんで受注生産にしてくれなかったのでござるか、と泣きたい気持ちだ。ネットの海の向こうのライバル達とリアルタイムで情報を交換しつつも、イワンは包囲網を完成しつつあった。
素振り購入の練習は済んでいる。後は時報を聞きながらリロードを押すのみ! 押すのみ! そして押すのみ! だ。
「あの、イワン君」
そのとき、携帯電話を手にしたキースが、どこかとの通話を終えて控えめにイワンに声をかける。
「スカイハイのフィギュア、……私も貰えるそうなんだけど、イワン君、いるかい? ……サインも入れるけど、……」
「本当でござるか! 嬉しいでござる!!」
ぱあっとイワンの顔が輝いたが、次の瞬間にはまたディスプレイに視線が戻る。今、プレゼントするって言ったんだけど、私からのサイン入りの一体だけじゃ駄目なのかい、とはとても聞ける雰囲気では無い。
キースとしては、恋人の関心を取り戻したかったのだが、まあ、自力で手に入れたいのだろう、と取り敢えず夕食の買い出しに行ってくる旨を告げて部屋を後にした。まあ、どうしても自分で手に入れるのだ、とあのイワンがキースの(というよりスカイハイの)為に頑張っているのだ。そうそう悪い気がするわけでも無い。
「……ビフテキとカツで、敵に勝つ、とかした方がいいんだろうか」
やはり、どこか天然でずれているキースは、結局座ったままで食べられるもの、と要求されて、ステーキサンドとカツサンドを持って差し入れに行くことになったのだった。
「かたじけないでござる、テキにカツでござるな! 拙者、これで頑張れるでござる!」
発売がなかなか始まらないらしく、焦れていたイワンもキースのサンドイッチで笑顔を見せてくれた。
その笑顔に背中を押されるように、キースがイワンの頬に軽く口付けながら、耳元で囁く。
「……頑張ってくれているのは嬉しい気もするけど、君はもう、私を手に入れているんだけど」
それじゃ駄目かい、と微笑んだ笑顔は、しかし綺麗なまでの微笑みでスルーされる。
「あ、そういう話じゃないのでござる。拙者本気なので。本気でスカイハイフィギュアを狙っているのでござれば」
邪魔はするな、と顔面に描いてあるのを見て、キースは戦略的撤退を果たした。これを邪魔したら、絶対に許してくれない気がする。
「……分身に、恋人を取られそうな私……とても切ない」
やっぱりスカイハイのフィギュアの発売を停止して貰えばよかったのか、としょんぼりしながらキッチンで一人サンドイッチを囓るキースは、フィギュアが届いた後に、夢中になったイワンがもっとつれなくなる未来をまだ知らなかった。
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後日。
キースから貰ったサイン入りのスカイハイはご本尊として神棚に、己が激戦の末手にした一体は持ち歩き用に、そしてイワンのスカイハイへの傾倒具合を知っているヘリペリデスファイナンスのHERO事業部の同僚からプレゼントされた一体を(断らなかったのかい? とキースが聞いたら、真剣に何故ですか、と聞き返された。キースの方が聞きたい)ロッカーに飾り、イワンはご満悦だった。
折紙サイクロンのブログにも、時々スカイハイフィギュアが登場しては、イワンと一緒に回転寿司に行っていたり、甘味処であんみつを食べていたりしている。
はっきり言おう。羨ましくて仕方が無い。
キースとしては、別に構って貰う時間が減ったわけでは無いのだが、対象がスカイハイのフィギュア、というのがどうしても面白くない。
まあ、キースは持ち歩くには少々サイズが大きすぎるのだが。
(私だって、イワン君の鞄に入って一緒に移動したい……スカジャンのポケットから見切れたい、そして見切れたい!)
ある日訪れたイワンの家で、イワンが帰宅するなり飾ってあるスカイハイのフィギュアに挨拶するのを見て、心底そう思ったキースは、ある日のパトロールの後、スカイハイの衣装のままで家主不在を確かめたイワンの自宅を訪れて、飾ってあるフィギュアの代わりにちょこなんと座っておいてみた。
「ただいまーでござっ……す、スカイハイさん!?」
「やあ、そしておかえりなさ〜い」
さあ、私の頭をいつもフィギュアにしているように撫でて! と全身で訴えかけてくる等身大動くスカイハイ生フィギュアを見て、流石のイワンも少しばかり反省をしたとか、しなかったとか。
ちなみに、折紙サイクロンのフィギュアが発売の際には、バーナビーから「フィギュアって色々な角度から覗いたり、パーツを外したりできるんですよね」と余計なことを聞いたキースが、一体でも折紙サイクロンを救うんだ、とそのまま同じような状態に陥ることを、イワンもまた、知らないのであった。
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