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"Das sind ja rechte Kindereien!"---------- E. T. A. Hoffmann "Der Sandmann"
綺麗な目をした女の子だったんだ、エナメルのような瞳だった、とキースは切り出した。
キースの前では、女子三人(約一名自己申告女子を含む)が食い入るように続きを待っている。
「毎日、いつ行っても、どんな時に行っても。彼女はそこで座っていた。いつだってただ黙って、私の話を聞いてくれていたんだ。……それなのに」
初めて、一方的に話かける以外のアプローチを試みようと思った。愛情を示す赤い薔薇をメインにした花束を買ったのは初めてだった。流石に真っ赤なのは照れ臭くて、ほんの少し白を入れてもらったが。
それを持って、彼女の座るベンチへ向かった。心は弾んでいた。こんなに胸がわくわくしたのは、ヒーローになれると決まった日以来初めての気がした。
彼女は居なかった。
名前も知らない、ただそこに行けば必ず会えていた彼女が初めて不在だった事に少なからずキースは動揺を覚えたが、根が楽観的なのが取り柄のキースだ、待っていれば来るだろう、と考えて待つ事にした。
しかし、愛犬のジョンが待ちくたびれてその場に眠り込んでしまうくらい待っても、彼女は現れなかった。その内に夜のパトロールの時間が来たので、キースは一縷の望みを託してベンチの上に花束を置き、スカイハイとしての役目を果たすべく立ち去った。
翌朝、出勤前に立ち寄ると、花束は少し草臥れて、置かれたままになっていた。キースは黙って、その花束を回収して立ち去った。
翌日も。
そのまた翌日も。
キースは毎日新しい花束を買い、ベンチで彼女を待って、その場に花束を置いてパトロールに出かけ、翌朝やって来てはそのままの花束を見つける、という日々を繰り返していた。
あれ程毎日いた筈の彼女は、気配すら見せる事が無かった。
女子組がキースの異変に気付いたのは、朝回収した花束を、捨てるのも躊躇われてトレーニングルームに飾っていたからである。
流石に、三日目にはおかしいと思われたようだ。パオリンとカリーナとネイサンと三人掛かり、というか殆どネイサンの奥襟を締め上げる技に耐えかねて、キースは洗いざらい今までの経緯を吐かされることになった。
まあ、問われれば隠すような事は何も無いのだが。
一部始終を聞き取った三人は暫し考え込んでいたが、やがてネイサンが重々しく口を開いた。
「それはね、スカイハイ。天使よ!」
「て、天使!?」
キースも度肝を抜かれた顔をしたが、残り二人もそうだった。
「ちょ、何言い出すのよファイアーエンブレム!」
「ちょっと黙らっしゃい小娘共」
ぴしゃりとパオリンとカリーナを封じると、ネイサンはつい、とキースの頬に手を伸ばした。
「スカイハイ、あんた、ジェイクに負けてからずっと、心の中がすっきりしなかったんじゃない? 成績、明らかに落してたわよね? でなきゃ、幾ら絶好調とはいえハンサムにあんなに易々と抜かれる筈がないわ」
もっと食い下がれた筈じゃないの、と真っ直ぐ見つめながら言われ、キースが僅かにびくっと身体を引きつらせた。まあねえ、とネイサンが続ける。
「いつまで引っ張るんだろうと思わないでも無かったけど、まあアタシ達ライバルだし、塩を送る事も無いわねって思ってたんだけど」
くすり、とネイサンが笑って、キースから手を離した。
「あんたったら日頃の行いがよっぽど良かったのね。神様が、あんたの心の迷いを吹き飛ばす為に天使を送り込んでくれたの。それがその女の子よ」
自信満々にネイサンは言い切った。
「ネイサン君、それじゃ、彼女は……もしや」
キースが目を見開いた。何かを悟ったようなキースに向い、残念だけれど、とネイサンが首を竦める。
「天使は役目を果たして空に帰ったのよ、スカイハイ。それに、天使は恋をしないわ」
元々、あんたのものになる運命の子じゃなかったのよ、とはっきり言われて、キースはそうか、と肩を落とした。パオリンとカリーナも顔を見合わせて、どうやらネイサンの案に乗る事にしたらしい。
「そうよスカイハイ、初恋は実らないものだっていうし!」
「そうだよ、天使じゃなくてちゃんと人間を恋人にしなきゃ駄目だよ!」
などと、口々に慰めの言葉を口にするので、キースも最後には満面とは言いかねるものの、随分復調した笑みを浮かべた。
「ありがとう、そしてありがとう。私はいい友人達を持った」
「うん、いつでもまた相談して!」
調子のいい事をいうパオリンの頭を軽くはたきつつ、カリーナが、でも、本当に大丈夫、と心配顔で訊いて来る。こんな年端も行かない少女達の心を痛めて、と思うと、キースはいい大人の自分が些か恥ずかしくなった。
「大丈夫だとも! 私は彼女に約束したんだ、必ずシュテルンビルトの平和を守ってみせる、ってね」
それが唯一の想い出だから、と胸に手を当てるキースに、やっぱりあんたもその子の眷属かしら、とネイサンが溜息を漏らした。
「んもう、まーたいー男に成長しちゃって。目移りしちゃうじゃなあい」
「……誰から」
「内緒よ」
さっくりとカリーナの絶対零度のツッコミを退けつつ、ネイサンはまあ、がんばんなさいとキースのお尻をぴしゃりと叩いた。
■ □ ■ □
その日の帰り、キースは流石に未練がましいと自分でも思いつつ、これで最後にするから、と花束を買い、件のベンチへ向かった。
ベンチは相変わらず無人で、キースは暫く座って待っていたが、やがて夜空の見回りの時間が来ると、花束を置いて立ち去った。
星空を飛びながら、キースはふと、彼女と最後に出会った日に遭遇した事件の事を思い出した。
暴走したアンドロイド、後からバーナビーの両親の研究に繋がるものが悪用されたのだと本人の口から皆に説明があった。ヒューマノイド型のものだったが、戦闘を目的に開発されたのか、捕獲など到底無理で、許可も出た事ではあるし、キースの能力をフルに使って、爆発させるしか出来なかった。
アンドロイドは、動き続ける以上、破壊しない限りは街を攻撃し続ける、と聞いたからだ。現に、現場の惨状は酷いものだった。
人間の都合で作られて、人間の害になると破壊されて。ただそれだけに生まれて来た、人形。
「……魂の無い人形だとしても、もっと違う生を受けていれば、きっと違っただろうに」
呟き、一瞬だけ人形の手を握った己の掌を見つめた。
人形の生を哀れには思うが、それでもスカイハイにはあの選択肢しか無かった。この街に災いを成すものは、ガーディアンとして取り除く必要がある。
無論、このシュテルンビルトの平和を守るには、自分のこの両手だけでは足りないだろう。しかし。
「私はもう、二度と私を諦めない。絶対に、だ!」
力強く誓い、スカイハイは軽快にターンしながら、夜空に浮かぶ月に向かって飛び続けた。
■ □ ■ □
翌朝。愛犬のジョンを連れたキースが公園を訪れると、ベンチの上から花束は消えていた。
「なん、だって……?」
驚いて周囲を見回し、探しながら少し走り回ってみたが、どこにも彼女の姿は見つけられなかった。公園をほぼ一周して息を切らせて戻って来ると、ベンチに座り、置き去りにされたキースの愛犬と遊んでいる人影があった。
近づくと、見知った人物であったので、目を見開く。
「……折紙、いや、イワン君」
思いがけない人物の登場に、キースが目を見開く。薄い金髪の青年は、お早うございますスカイハイ殿、貴殿も散歩ですか、とにっこり笑った。
「ああ、日課で……君は」
「拙者は、暇があると見切れのポイントを探す為に、シュテルンビルト中を歩き回っているでござる」
その途中で人待ち顔のジョン殿とお会いしたので、無聊をかこつお相手をしたまで、とイワンは照れ臭そうに笑った。
キースの愛犬は、何度も写真などで見せびらかした事もあり、ヒーロー仲間にはある程度馴染みがある。首輪に、鑑札と一緒にこっそりとスカイハイの名前入りの銀色のプレートをつけてあるのだ。その事も、仲間達は知っていた。
さらりと言われて、キースはそうか、と笑った。ヒーロースーツこそケレン味たっぷりだが、中身はどちらかと言えば奥手で引っ込み思案なイワンなら、その位の地道な努力は重ねていそうだ。
そう思っていると、なにやらもじもじしていたイワンが、思い切ったようにキースの名前を呼んだ。
「あの、ですね、スカイハイさん」
「キースでいいよ、イワン君。ここは屋外だし」
自分がうっかり最初に折紙と言ってしまった所為でイワンの言葉遣いが時代がかってしまったのを気にしてか、キースが苦笑しながら言った。
「じゃあ、失礼して、キースさん。ジョン君と遊んでいたら、声をかけられて。これ、とても綺麗な女の人から預かったんです。もうすぐここに来る金髪の男性……キースさんに渡してくれって」
真っ白い封筒を差し出され、キースは慌てて封筒を開き、中に入っていた白いカードを取り出した。
そこには、優しい筆跡で短い文章がしたためられていた。
『貴方の気持ちはとても嬉しかったけれど、私はもう、行かなくてはなりません。綺麗なお花をありがとう。素敵な気持ちもありがとう。とてもとても、嬉しかったです。私も貴方を尊敬しています』
キースはそれだけの文章のカードを一気に読むと、ぎゅっと胸に抱き込んで、そうか、とだけ呟いた。
カードの中の文章を何度も噛み締めるキースに、イワンが恐る恐る尋ねる。
「あの、あの女の人、もしかしてキースさんの恋人だったんですか」
キースは微笑んで首を横に振った。
「いや、違うんだイワン君。どうやら私はたった今、振られてしまったらしい」
「え、っ」
キースの言葉を聞いて、イワンが狼狽する。おろおろしながらキースに頭を下げた。
「ごっ、ごめんなさい、そうと知っていたら、引き止めたのに」
恐縮するイワンに、キースがいいよ、と手を振る。
「彼女が私に会わずに行くなら、それが答えだ。そして、私は今、とても清々しい気持ちなんだ」
困らせてすまないね、と言われてしまって、イワンはキースをとても正視できずに視線を逸らした。
「キースさん、の好きな人に、僕もご挨拶したかったです」
「うん、……今はせめて、彼女の旅路の無事を祈るよ」
いうと、キースは躊躇い無く彼女からのカードを細かく破り、空に向かって放り上げた。
「スカーイ、ハーイ!」
呟くと同時に青く光る瞳が呼び寄せた風が、キースに残された彼女の面影ごと、カードの欠片を空に舞い上げる。ああっ、とイワンが悲鳴のような声をあげた。
「き、キースさん! 破っちゃうなんて……!!」
キースは静かに微笑み、イワンを振り返った。
「いいんだ、もう、気持ちは届いたから。……どうか、シュテルンビルトの風になって、私を守って欲しい、これからも」
カードの破片に向けて囁き、上昇する風に舞うひとひらにそっと口づけると、キースは己の心の底に残った彼女への想い全てを、青空に吸い込ませてしまったのであった。
(私の思いは、常にこのどこまでも続く空の下にある)
それだけで、キースはまた、微笑む事が出来るのであった。
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なし崩しに犬の散歩に付き合った後、出勤するキースと別れ、一旦自宅へ戻って来たイワンは、玄関を入ってすぐの洗面所を開け、シンクに水を張って突っ込んである大輪の白い薔薇の花束を見て、ため息をついた。
「余計な事、しちゃったかな」
全ては、イワンが一人で仕組んだお芝居であった。
昨日の昼間、トレーニングルームで、三人娘(一人は以下略)とキースのやりとりを聞いてしまったのだ。
それが何となく心にかかって帰宅途中のキースをこっそり尾行すると、花屋で花束を買ったので、やはり彼女を待つ気なのだ、と思うと身体が衝動的に動き、出動するキースがいつものように置いて行った花束を、衝動的に持って帰って来てしまったのだ。
一晩悩んで、キース宛のカードを書き上げた。若い女性の筆跡程度なら、擬態の為に学んだ技術で難なくカバーできる。まして、キースは相手の名前すら知らないのだ。
それでも、キースにも、スカイハイが幾らヒーローだとしても、なんの希望も無いのでは、辛いのではないかと。
そう考えた末の一芝居だった。無論、騙した罪悪感はあるが、キースの笑顔の為ならイワンの罪悪感など些細なものだ。
愛情を示す赤い薔薇の花束を買い続けていたキースが、尊敬を意味する白い薔薇を買った事で、キース自身の心情にも変化があったのだろう。事態は呆気なく結末を迎えてしまった。
「これ、どうしようかな」
和風のイワンの部屋には違和感がある事この上ないが、飾るしかないだろう。イワンの為の花ではないが。
薔薇の甘ったるい方向にやや辟易しつつ、イワンは花瓶代わりの壷を引っ張り出しながら呟いた。
「でも、僕はどうしてこんなお芝居、する気になったんだろう」
スカイハイさんの落ち込んだ様子を見ていられなかったからだ、きっとそうだ、と思いつつ。イワンは、胸の奥深くに刺さった薔薇の棘が、ちくちくといつまでも彼の気持ちを刺し続けるのを感じていた。
「ほんとに、……何故なんでしょうね、キースさん」
その疑問の答えも痛みの答えも、あのどこまでも抜けるような青空色の男が知っているような気がして仕方が無かった。
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+++END
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