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「こんなとき、神様だったらどうするんだろう」
ーーーーーでも、僕は神様じゃない。
■ □ ■ □
撃った筈の弾は、ぎりぎり男の急所を外れていた。NEXTにだけ効く猛毒の弾丸。
イワンは撃ったその足でキースの元に走り寄り、男を抱えるとビルの屋上から飛んだ。間で何度か壁を蹴りつけてキースを抱えている所為で加速度の大きくなった落下の勢いを殺しつつ、地上を目指す。
虎徹がワイルドタイガーであったときに腕に仕込んでいたワイヤーが羨ましくて、同じものをヘリペリデスファイナンスのスタッフに仕込んで貰ったリストバンドから、ワイヤーを向かいのビルの鉄骨に向けて放ち、ブランコの要領で勢いを殺しながら向かいのビルに突っ込もうとすると、腕の中の男が少しだけ身じろぎをした。
「……スカーイ、」
小さな声と共に、二人の体を風が包み込む。ふわりと落下させられて着地しながら、イワンはワイヤーを回収して、床の上にキースを下ろした。
「スカイハイさん」
「イワン君、……早く逃げて。この辺りには、もうじきNEXT達の一斉攻撃が始まる」
キースに苦しい息の下で言われて、イワンは苦笑して首を振った。
「……こちらも、軍隊が出てくるそうです」
「では、戦場になるね。……巻き込まれたら、君は危険だ」
言いながら咳き込むようにするキースを、無言でイワンは抱え上げた。
「……イワン君、離して」
「イヤです」
「イワン……、私はもう、長くは」
もたない、と言いかけたキースの両頬をイワンの手が掴み、激しく口づけられる。キースは驚いて目を見開いて、イワンの舌が押し込んできたものを受け取って、戸惑いながらも嚥下した。
「……っ、ま、のは」
「さっきの神経断裂弾の、解毒剤です」
イワンは素っ気なく言うと、ちなみに、解毒剤の存在を知っているのは、開発者を除けば僕だけです、と呟いた。
軍部が開発した時に、当然ながら解毒剤もセットで開発されている。有用な能力のNEXTへの、脅迫の材料になるからだ。
研究者に擬態して軍の施設に潜入し、1セットだけ確保したこの弾丸を手にしたイワンは、後の研究資料も持ち出して破棄してしまっていた。
無論、ヒーローとしての行いの域は超えている。既に、所属会社も彼を守れなくなってきていた。
『折紙サイクロン。……いや、イワン・カレリン。申し訳ないが。ヘリペリデスファイナンスももう君を庇い切れない』
ある日、CEOに呼ばれ、この弾丸の開発のこと、研究所の場所、などを告げられた後に、口頭で即時解雇を言い渡された。そのときCEOから直接渡された折紙サイクロンのスーツと、小さな鞄だけがイワンの今の持ち物だった。
自分たちが返ってイワンの枷になっていると判断しての決断だったのだろう。
「い、わ」
開きかけるキースの口唇を、指先で押さえる。
「スカイハイさん、あなたにはここで死んで貰います。……NEXTの王、『風の魔術師スカイハイ』はもうどこにも居ない。僕が墜とした。大金星ですよ、万年最下位の、折紙サイクロンが仕留めるなんて」
言いながら、イワンはPDAの付いた自らの左の手首をキースの前に差し出す。
「キースさん、僕のPDAには、小型の爆弾が埋め込まれています。僕に何かあれば、……そして体から外れても爆発する。監視と牽制の為の装置です」
これが、シュテルンビルトに残るためのイワンの払った代償だった。
昔は、ヒーローの証だったのに、と寂しげに群青のラインの入ったそれを撫でる。
「……イワン」
指先でイワンのPDAに手を重ねるようにそっと触れたキースに、イワンが囁いた。
「爆破、させて下さい。あなたならできる」
「……!」
「折紙サイクロンも、一緒にここで死にます」
「イワン」
「ねえ、お願いします」
青年は金髪の男に向けて囁き、その後でもう一度口唇を重ねる。キースは、今度も拒まずに、ゆったりした長い口付けを受け入れる。
角度を変えて、吐息まで貪るようにして、口唇が分かたれたあと、とろんとした紫色の瞳のまま、イワンはキースに向けてゆっくりと告げた。
「もう、いいでしょう。あなただけが欲しくて、此所まで戦ってきたんです。もういい加減、あなたを僕に下さい」
「……イワン、君は」
イワンがそっとキースの胸元に頭を凭れさせる。
「スカイハイも折紙サイクロンもここで死にます。あなたにならそれができる。僕は、あなたの亡骸を誰にも渡したくなんか、ない」
青い瞳を大きく見開いていたキースが、暫くしてその目元をふと緩めた。
「そんなに死にたい? 折紙サイクロン」
「ええ、……どこまでも一緒です」
僕が憧れたスカイハイは、スカイハイのままで死んで下さい、とイワンが言ったので、キースは微笑んだ。
「……他でもない、君の。私がこの世で最も愛した君の願いならば」
囁きながら、キースも青年に顔を寄せる。口付けをしたままアンダースーツの上を這う手を、イワンが窘めた。
「だめ、ですよ……こんな」
「いいだろう? 死ぬ前に、もう一度君を抱きたいな」
ねえ、ダメ? と耳元で囁かれて、イワンが体を震わせた。
「後で、天国で幾らでも抱かせてあげますから……」
恥ずかしそうにイワンは囁き、キースの首筋にぎゅっと抱きつく。
「……よろしくお願いします」
「分かった、そして私にしっかり捕まっていて」
キースが青年の耳元に囁き、イワンの体を強く抱きしめながら、イワンが延ばした左腕のPDAに、自らの掌を重ねた。
「スカーイ、ハーイ!……」
凜とした声が響き、そのすぐ後に、廃ビルが爆発の轟音と共に砕けて、沈んでいく音が廃墟と化したシュテルンビルトに響き渡った。
ーーーーーそれが、キング・スカイハイの最期だった。
■ □ ■ □
抜けるような青空。
良い天気だな、と呟きながら、青年は抱えていた紙袋を持ち直して、家の扉を開けた。
「ただいま!」
「お帰り、イ……」
言いかけて、家人はしまった、という表情で名前を言い直す。
「お帰り、ジョン」
同時に、わん、と足下の犬が鳴いたので、ジョンと呼ばれた青年は苦笑した。
「まだ混乱してますね、ジョンは。やっぱり、僕のことはジョナサンでいいんじゃないでしょうか」
「……文句なら、君の所のCEOに言うべきだろうと私は思う」
近づいてきた男は微笑み、青年の手から重そうな紙袋を取り上げる。中身を覗いて、ふわりと微笑んだ。
「ああ、美味しそうだね、もうホワイトアスパラが出ているの?」
「好きですよね、キースさん……っと、フランク、さん」
はっと口元を押さえる青年に、金髪の男が楽しそうな表情になる。
「君も抜けないね」
微笑まれて、青年は苦笑した。
「仕方ないですよ、やっぱり家じゃ、呼び慣れた名前が出てしまう」
というより、この新たな身分証明書を用意してくれたイワンの元の雇用主は、絶対に確信犯で遊んでいたとしか思えない。古い刑事ドラマの見過ぎだろう。きちんと二枚用意してくれてあった身分証明書の名前を見た瞬間に目眩がしてしまった。
自分が、キースを、スカイハイを救うつもりだったことを分かってくれていたのは嬉しいが。……なぜわざわざ刑事ドラマの相棒の名前で用意してくれるのか。
感謝していいのやら、呆れるべきやら。いつも食えない表情を浮かべていた眼鏡の男を思い浮かべながら、イワンはキースに並んで小さな家の中を歩く。
「今夜は、このアスパラを茹でたのを前菜にしますね。オランデーズソースでいいですよね?」
「オランデーズも好きだけど、そのままでも良いくらいだよ。甘くして欲しいな」
アスパラを茹でるときの砂糖を多めに入れるのがキースの好みだったので、イワンははいはい、と言いながらキッチンへ向かう。
昔は、体調に気を配っているからと決まったものしか食べなかったキースだが、二人で暮らすようになってあれこれを聞いてみると、結構好みがあったり好き嫌いがあったりして、イワンとしては新たな一面を発見したようで嬉しくもあった。
金髪の男が嬉しそうに後を付いてきた。下拵えでも手伝ってくれるつもりなのだろう。
「でも、随分暖かくなってきましたね。少し暑いくらい」
「そうかな」
言いながら男が指を鳴らすと、ぱたんと窓が開いて風が吹き込んでくる。イワンがめっ、と金髪の男を睨んだ。
「あっ、キースさん、また無自覚にNEXTを使って!」
しかし、金髪の男は悪びれる素振りもない。
「いいじゃないか。君もそろそろ擬態を解いて欲しい、落ち着かないよ」
言われて、イワンはぽうっと体を光らせて普段の姿に戻る。真っ直ぐな黒髪は癖のあるプラチナブロンドに変わり、鳶色の瞳は透明感のある紫色に戻った。容貌も、中性的な整った顔になる。
ほっとしたように、キースがイワンの額に口付けを落とす。
「見慣れないね、ヘリペリデスファイナンスの社員の姿だと言ってた?」
「ええ、折紙サイクロンのメカニックの一人です」
言いながら、イワンはでも、ずっと擬態は疲れてきますね、と僅かに苦笑を浮かべる。
「在宅仕事にして、良かったですよ。他人に会うのは最小限にしたいし」
ヘリペリデスファイナンスからイワンが渡された新しい名義の口座には十分に預金があったが(退職金だとメッセージが添えられていた。ポセイドンラインからもひったくってきた、と付け加えられていたので、スカイハイと折紙サイクロン二人分らしい)、それだけに生活を頼るのも良くない、とイワンは滞在場所が変わる度に仕事を探しに行く。
キースも一緒に付いて来たがるのだが、どうもこの天然系元ヒーローを放し飼いにするのが怖くて、現在の所は自宅待機をお願いしている。
甘いただいまのキスを何度も貰いながら、イワンが冷蔵庫を開けるタイミングを計っていると、玄関の呼び鈴が押された。
「私が出るよ」
キースが、イワンを名残惜しそうに手放して歩いて行く。イワンは、熱を持った頬を押さえながら、野菜を仕舞い始めた。
あの街から逃げてきて、二人でずっと続けている逃避行は、甘い出来事ばかりが起こって、イワンの頬を緩ませる。
キスだけでは物足りない、とイワンはすっかり欲張りになっている身体を宥めながら、冷蔵庫の扉を開ける。
「……今夜も、かなあ」
どう考えてもズッキーニを手にして呟くべきことではない内容を呟きながら、イワンはいつの間にか一つだけになってしまった寝室に思いを馳せる。
昔、ヒーロー時代に暮らしていたような大きなベッドはないが、小さなベッドで体温を分け合うようにして過ごす夜も、とても楽しくて。
(なんか、幸せすぎて、落ち着かない)
今夜の食材だけを残して冷蔵庫を閉めて、アスパラの皮を剥こうと用意をしていると、ジョンが足下に纏わり付いてきた。キースが姿を消した後、イワンがずっと世話をしていたキースの愛犬は、ヘリペリデス代表の手でシュテルンビルトを脱出させられていた。
「どうしたの? ジョン」
ジョンが、イワンの服の裾をくわえてくいくいと引っ張る。キースが呼んでいるのだろうかと手を止めて、台所から出ようとした、そのとき。
「ーーーーーキース、さん?」
廊下の向こうからやや強めの風が吹いて、難しい顔をしたキースが帰って来た。眉間の皺に、イワンが表情を曇らせる。
「どうしました? キースさん」
キースは、ぽつりと一言だけ呟いた。
「……イワン君、嵐が来るよ」
「嵐?」
首をかしげるイワンに、キースが手にしていた封筒を見せる。差出人の名前は、「TIGER&BUNNY」……イワンの目が大きく見開かれた。
「こ、れ」
「……彼らも、動き始めたと言うことだ」
短く言うと、しかし、よく私たちの居場所を突き止めたね、とキースが言う。
「これは、共犯者がいると思うね。大きな金融会社や、交通機関系のトップのような」
どうだろう、と聞かれてイワンは苦笑した。クレジットカードやキャッシュカードの履歴で、イワン達の居場所はばれているだろう。それでも敢えて時々使っていたのは、安心させるため、だったのだが。
「さて、私たちの新しい戦いのために、今はまず腹ごしらえをしようか、イワン君」
キースはそう言うと、ぽん、とイワンの背中を叩いた。
「ーーーーーはい」
しっかりした表情で、イワンが頷く。その青年の耳元に、金髪の男は囁いた。
「ああ、でも……今夜は予定通り、デザートにはイワン君が欲しいな」
「……それは、こっちの、台詞、です」
全く、と困った顔をしながら、イワンは高揚する気分を抱えて、キースの後を追って、台所に入る前にその広い背中に抱きついた。
彼となら、どこまででも行ける、と今の自分なら言える自信があった。
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+++END
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