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空はその日もどこまでも突き抜けるように青かった。
廃墟の上になんとかよじ上って、イワンははあはあと荒い呼吸と共にその場に膝をつきながらも、全ての気力を振り絞って声を張り上げた。
「止まって下さい! スカイハイ……いや、キースさん!」
その声に、廃墟の上から街を見下ろしていた金髪の男がゆっくりと振り向いた。
振り向いた表情に、口元に刻まれた穏やかな笑みに、嘗てこの男と肩を並べて戦っていたときのことを思い出して、イワンの胸がきりきりと切なく締め付けられる。
「……やあ、折紙君」
言った後で、微かに笑う。折紙サイクロン……イワン・カレリンは、彼の記憶の中では常に眉を八の字にして泣きそうな顔をしている青年のイメージがあった。
今も、すっかり外見は大人の男になっているというのに、印象が変わっていない。相変わらず、曇り空のように泣き出してしまいそうなぎりぎりの顔をしている。
「なんだ、また泣いているのかい? ……君は相変わらず泣き虫だな」
懐かしさと微笑ましさに小さく笑ってしまう。青年が不愉快そうな表情になった。
「泣かせてるのは、誰だと思ってるんですかっ!」
震える膝を叱咤しながら立ち上がる。ここに来るまで着ていた折紙サイクロンのスーツは、幾たびの戦いを経て、修復不可能と判断して下に捨てて来た。
今のイワンはアンダースーツを着ているだけの、文字通り身体一つだ。
この身一つで嘗ての風の魔術師、そしてキングだった男と対峙せねばならないと思っただけで膝が笑いそうだった。
しかも、場所も圧倒的にイワンに分が悪い。今は見る影もなく破壊されているが、元は秀麗なビル群が立ち並んでいた嘗てのゴールドステージであるここでは、ビル風だけは未だにキースの元に集っている。
渦巻く風は、サイクロンの味方では無い。スカイハイの足下にひれ伏すものだ。
ごくりと唾を飲み込み、イワンは口を開いた。
「どうして、……とは、聞くだけ無駄ですか」
「そうだね」
キースは静かな声で答えた。イワンとの対話を拒否する気はなさそうだ。なので、イワンは続ける。
「あなたはキング・オブ・ヒーローだ。あなたをNEXTの王者に祭り上げて、人類とNEXTの戦いを引き起こした奴らを、同じNEXTとして僕は恨みます」
そう。
メディア王、アルバート・マーベリックの引き起こした事件により、NEXT危険因子説が再び火を噴いた。ヒーローと呼ばれていた彼らはそれぞれに己のできる贖罪の方法を、NEXTと普通の人々の共存共栄への道を模索していたが。
数年前に、マーベリックに洗脳されていたことが原因とは言え、彼の手駒であったことに責任を感じ、誰よりもNEXTと普通の人々との共存を願っていた、バーナビー・ブルックス・Jr.がNEXT排斥派の運動家によって狙撃され、彼と行動を共にしていた元・ワイルドタイガーである鏑木・T・虎徹と共に生死不明、行方不明になった。
それで、じっと堪え忍んでいたNEXT達の不満が一気に爆発した。
彼らが真っ先に取り込んだのは、バーナビーの前のキング・オブ・ヒーロー、そして今でも圧倒的な力を持つNEXT、「スカイハイ」であった。
スカイハイは急進派の求めに応じ、彼らの奉じる偶像として、その身を提供してしまった。……イワン達元ヒーローにとっては、青天の霹靂どころの騒ぎでは無かった。
バーナビー、ワイルドタイガーを欠き、スカイハイが裏切ったことにより、共存派は急激に求心力を失い、そして、動乱が始まった。
既に、ファイヤーエンブレムとロックバイソンが、ブルーローズやドラゴンキッドを国外へ脱出させている。
イワンも一緒に逃げるように言われたが、断った。
どうしても、決着をつけなければならない、と思った。
「折紙君……」
「バカですよ、あなたは! ……あいつらは、あなたを利用、して」
ぼろぼろとイワンの紫色の両目から新しい涙が零れ始めた。同時に、手にしていた大降りの銃を持ち上げて、キースに向けて構える。
しかし、銃口を向けられても、キースは微動だにしなかった。
「……逃げないんですか」
「どうして?」
男が首をかしげる。イワンは、手にしていた45口径の銃をしっかりと構え直した。
銃と弾丸は、擬態して軍部の対NEXT部隊から失敬してきたものだ。キース……スカイハイと戦うには、折紙サイクロンでは武器があまりに貧弱すぎる。
「この銃の弾丸は、対NEXT用に開発された、神経断裂弾です。これが当たればあなたでも即死だ」
その銃弾は開発されたばかりだ。イワンは、ヒーローだった時の所属会社の伝手で、情報を仕入れていた。
完成するのを待っていた。これなら、キースを殺すことができる。
「……撃てばいいよ」
「キースさん!」
「私の事をキース、と呼ぶのはもう君だけになってしまったね、折紙君」
「……」
イワンは黙っていた。キースの周りを、緩やかな風が渦巻く。
「ヒーローは皆去った。……私も、少々疲れたようだ。引き金を引くといい。スカイハイは君の獲物だよ、折紙サイクロン」
今、その名前で自分を呼ぶのは卑怯だ。イワンは涙で滲む視界を堪えながら、トリガーにかけている指の力を少しずつ強めた。
(あなたがイワンと呼んでくれたなら、僕がこの銃口を向けるのは自分自身だった)
けれど、彼が最期に自分に相対することを望むのがイワンでは無く折紙サイクロンならば。
(ならば、拙者は最期まで折紙サイクロンとしての己を全うする、だけでござる)
ふ、と風が止んだ。突然訪れた凪にイワンが戸惑っていると、キースが空を見上げながら、今日はいい天気だね、と言った。
「どこまでも、空高く。……限界などないと、思えそうだ」
「……あなたは、スカイハイだ。天空を統べる者の癖に、青空に憧れるんですか」
ああ、とキースがため息をついた。
「……そうだ、イワン君」
「……なんですか」
キースがとうとう、イワンのことを名前で呼んだ。その事に心が震え、膝が再び震えそうになる。
(イワン、……そう最後に呼ばれたの、は)
思い出しそうになって、慌てて首を振った。思い出してはいけない記憶だ。
「君に、」
既に素顔を隠そうともしていないNEXTの王者は、イワンに向き直って、にっこりと嘗てよく見たような笑顔を浮かべる。
廃墟と、立ち上る煙と、その向こうの抜けるような青空と、その笑顔のギャップは余りにも酷過ぎた。
イワンが、安全装置を震える指で外した。トリガーにかけた指に少しずつ力を込める。
「言い残した事がある」
「……」
イワンが、両手で構えている銃の揺れる照準を、ようやっとキースの心臓に合わせた。キースは逃げる気配も避ける気配もない。
もう一言、後一言でも何か言われたら、もしもあの声で、一緒においで、などと言われたら。
きっと意志の弱い自分はすぐに銃を下ろしてしまうだろうから、今のうちに、イワンがまだ折紙サイクロンでいられるうちに、撃ってしまわないと。
二人の間には、イワン、と彼の甘い声が何度も自分を呼んだ夜が、確かにあったのだから。……それなのに、キースは彼をおいていってしまったのだから。
(あなたを終わらせることがあなたの望みなら、それならば、僕は)
キースが、ゆっくりと手を上げて、イワンの方に伸ばした。掌の先に、しゅるしゅるとつむじ風が巻き始める。
はっとイワンは意識を拳銃に戻した。キースに風の障壁を作られてしまえば、銃弾の軌道が逸れてしまう。その前に、撃たなければ。
「私は、……君を、……” ”」
空の下に、銃声が響いた。がちゃり、と銃が下に落ち、イワンはそのまま走り出していた。
腕を伸ばし、崩れ落ちる身体を抱き留める。
「スカイハイ、……キースさんっ!! なんで、っ、どうして避けなかったんです! 風も呼べたのに、どうしてっ、今頃になって、そんなことだけ……!!」
錯乱したような叫びと、王殺しの大罪を犯した青年の慟哭だけが、廃墟となったビルの屋上に響いていた。
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+++END
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