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ひとつ、ふたつ、みっつ。
胸の中で数えて、アムロは徐に男の背後から声をかけた。
「あのさ、シャア…。」
金髪の男が振り返る。
この基地の中で男のことを「シャア」と呼ぶのは一人だけだったから、振り返るときにはもう
「なんだね、アムロ。」
と返事を返していた。呼ばれた相手も心得たもので、直ぐに次の言葉を繋ぐ。
「うん。…ちょっと、用事が。」
シャアが怪訝な顔をした。
「この間のテストプログラムなら稟議を通ったぞ?もう二、三ヶ所手直しをして、実戦にも応用するそうだ。」
「…うーん。」
「なんだ、違うのか?」
首を傾げる男に苦笑して、アムロはちょいちょい、と手招きをした。
「ちょっとこっちおいでよ、見せたいものがあるんだ。」
少し首を傾げ、彼以外にはクワトロ・バジーナと呼ばれる男はアムロの後に続いて歩き出した。
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「こっちだよ、こっち。」
アムロがシャアの腕を引っ張って連れて行ったのは、ちょっとという割に彼をエレカに押し込め、十分ほど運転した後車を出て暫く歩いた木陰。
物騒な二つ名がこの上なく似つかわしくない元・連邦軍の「白い悪魔」は、立ち止まって深呼吸をひとつ。
「ちょっとさ、目閉じてくんない?」
「それは…別に構わないが。」
クワトロ大尉が一年戦争以来のライバルであるこの白いパイロットに甘いことは周知の事実で、金髪の青年は言われるがままにあっさりとそのコバルトブルーの双眸を閉ざす。
不用心だよねぇ、と内心お前が抱く感想じゃないだろう、という思いを抱きながら、アムロはその腕を取った。
「そのまま、三歩歩いて…そう、こっち、こっち向いて立って。」
「…アムロ?」
流石にクワトロの声に不審の色が差す。けれども何とか言われるがままに歩き、アムロからの次の指示を待った。
「これでいいのか?」
「うん、もうちょっと目、閉じててね。」
シャアは目を閉じたまま耳を澄ました。何やらがさがさと音がするようだが。
疑いもせず存外素直なのは、どうやら青年の育ちの良さに起因するらしい。
しかもこの男は子供っぽいだけでなく結構喜怒哀楽も激しい。
喜びも悲しみも三倍。
なぜってあいつは三倍速の男だから?
そこまで考えて、アムロは誰も見ていないし聞いていないというのに真っ赤になって俯いてしまった。
阿呆か、俺は。胸の中だけで一人ボケツッコミをする。
「うっわ、馬鹿馬鹿しくて涙出そうだ…。」
それでも、そのくだらなさが愛しいんだから仕方がないじゃない?
へこみそうになる思考を無理矢理上向かせるあたり、彼はやはりエースパイロットだった。
くすりと何だかこの年上の男が可愛らしくなって微笑みを漏らし、アムロは満足げに取っていた腕を放した。
「さぁ、いいよ。目を開けて。」
言われて、シャアは素直に瞳を開けて、瞠目した。
「…アムロ。」
「スッゴイだろ?」
得意げに赤毛の青年が言い放つ。
先程までシャアが歩いてきた道からは大きな樹が邪魔になっていて見えなかったが、彼等が立っている場所は丁度丘陵になっていて、二人の目の前には地平線まで見渡せる平原が広がり、今まさに大きな夕日が沈まんとしているところだった。
コバルトブルーの瞳を赤く染め上げて何処か見惚れるように暫くその光景に見入っていたシャアが、金の髪の毛をうっすら宵闇の色に浸食されながら視線をアムロに戻す。
ありがとう、とその目が語っていることを感じて、アムロは小さく微笑んだ。
赤道に近いアフリカの沈んでゆく太陽は、空気が澄んでいるせいかアムロがこの地球上で見たどの夕日よりも雄大だ。そのことを知っているアムロは、このとっておきの場所にシャアを連れてきたかったのだ。
理由は漠然としたものに過ぎない。ただ、コロニー育ちの自分が初めてこの夕日を見たときの感動を誰と分かち合えるかと考えたときに、同じく宇宙生まれのこのかつては敵だった青年のことしか頭に浮かばなかったのは確実だ。
「あのさ、夕日が赤く燃えたら明日は晴れなんだって。」
唐突に話を切り出す。シャアが首を傾げるのが見えたが、構わずに続けた。
「そういう風にさ、天気も確定してないって言うか、コロニーじゃ全部人が決めていただろう?自然現象さえも、さ。俺、親父がそういう技術者だったから良く知ってるんだ。だけど、この地球じゃ人が決められるものなんて何一つなくて、で、自然に体を任せて生きていくって言うか、…上手く言えないんだけど、この地球上に長いこと閉じこめられて、自由なんか全然なくてさ。なのに初めて、自然とか空とか、星とか海とかさ、木とか花とか鳥とか動物とか、綺麗だなっていうか…凄いなって思ったんだ。」
伝わるだろうか、不安になって隣を見上げると、夜空と同じ色まで深くなった瞳が優しく促すので先を続ける。
「だから、あなたなら分かってくれるだろうと思った。この星の偉大さ。」
「アムロ。」
「地球が偉大だって事はみんな知っているし、言われ尽くされた事だけど、でも、俺達コロニー育ちの人間がさ、そういうのって実感できることってなかなかないじゃない。俺が閉じこめられていた屋敷のから見る夕日もそれなりに良かったけど、ここに来てまた改めて、なんて綺麗なんだろうって。」
一気に言い切って舌で唇を湿し、また話し始める。シャアに理解して貰いたいと言うよりは、自分自身の中で今まで燻っていたものが堰を切って言葉という形になって溢れ出してきたようだった。
だから、シャアも特に口も挟まずにアムロが言葉を紡ぐに任せる。
「俺さ、今まで何となく連邦に協力して、なし崩しに戦って、ニュータイプだって言われて。でも、ここに来てこの夕日を見て初めて、地球を守りたいって思った。勿論、コロニーと比べてどうこう言うんじゃないけど、それでもこの星は良いものも悪いものもみんな一緒に合わせて呑み込んで、それでも綺麗だと言えるそういう希有な存在だと思うんだ。」
俺はそういう希なものをもう一つ知っているけれど、とそちらは口にせず母なる水の星と同じ色のコバルトブルーの瞳を見上げる。清も濁も併せて呑み込んでなお澄んだままの視線がアムロをじっと見つめている。その輝きに引き込まれるように言葉を続けた。
「俺は、あなたの様には成れないけれど、それでも俺なりに納得する理由が欲しい。戦うための。宇宙にもう一度上がるための。」
シャアがそこでやっと表情を崩した。少し寂しげに微笑む。
「それは拒絶かね。」
違う、とアムロは首を振る。どうしてもシャアに誤解されたままなのだけは、嫌だった。
「…待っていてよ、シャア。俺が、あなたを追いかけるのを。」
シャアがその台詞に驚いたように繰り返す。
「追いかける?」
「あなたにはあなたなりの戦う理由があるんだろう。でも、俺には…なんにもなくて。」
酷く寂しげに微笑む。
「何にもないのが悔しいって、この戦いでのあなた達を見ていて本当に思った。今あなたに着いていけば、俺はまた同じ所に舞い戻るだろう。そんなのは、嫌だ。」
見返す鳶色の視線は強い。暫くそれを跳ね返すように集約されていた青い視線が、ふっと脇に逸らされた。
「…君がとびきり強情で頑固なのを忘れていたよ。」
理屈などどうでも良いとは思ってくれないのだものな、とシャアも苦笑する。その後で厳しい表情になり、口を開いた。
「コロニーは地球にはなり得ない。全てが人工物の紛い物だらけの中で、その中の人間だけは真実本当のものだ。アースノイドが特別で、スペースノイドが異端だなんて事は絶対にあり得ない。コロニーという人工の星は夜空で輝きはしないが、人類を革新させるマトリックスには十分に成り得るだろう。」
「…シャア。」
審判を下すような冷徹な口調。その告げる言葉の一つ一つに、アムロの心が怯えたように震える。
「君は地球を守りたいと思う、けれど、私は地球は人が護られるべき存在だと思う。護りたいなどと、それは人間のエゴだよ。己が住みやすい地球、住みやすい大地をアースノイド達は求め続け、結果争いが起こり星は荒廃した。アムロ、君の言う地球とはなんだね?」
「それは…。」
「偉大なる母なる星は、水であり風であり大地であり、その一番中心にあるのは炎だ。この星は生きている。人類は、地球の守護を失いつつあることを認めるべきだ。認めて、乞い平伏すべきなのだよ。どうかこの星の一員で居させてください、と。」
シャアも最早アムロに対して発している言葉ではない。
その表情も、クワトロ・バジーナではなくシャア・アズナブルでもなく。…コロニーの一公国を率いる指導者の顔が垣間見えた。
気圧される形で絶句していたアムロが、でも、と辛うじて言葉を続ける。
「じゃあ、誰も住まなくなったら地球はどうなるんだろう?」
「なに、どうもなりはしないさ。…この惑星は生きていると言っただろう?何故人間が居なくなれば地球は滅ぶと思うのか、それこそ私が人類に問い正したいくらいだ。」
新しい歴史が始まるだけだ、その主役が人間では最早無いかもしれないが、と肩をすくめながらシャアが呟く。
人間は地球でなくても生きていける。地球も人間が居なくても生きていける。お互い傷つけ合うだけではないその事実に、もう目を向けなければいけない時期だった。
「だけれど人類は語り合うことが出来る、伝えることが出来る。地球という故郷があったと、それは美しく雄大な存在であったと。…故郷は遠くにありて思うもの、そして悲しく歌うもの、とは誰の詩だったかな。」
既に夜空は星の天蓋で埋め尽くされている。
暗闇には殆ど沈んでしまう暖色の色彩の男は、孤独と寒さを覚えて緩く首を振った。
「俺は知らない。ごめん教養がなくって。」
空の星の光さえ跳ね返して輝く豪奢な髪を揺らし、金彩の青年は言う。
「なに、構いはしないさ。…帰るところにあるまじや、と続くのだ。我々はそろそろ、地球を返してやらねばなるまいよ。」
かえす、と口の中でオウム返しに繰り返し、思わずアムロが尋ねる。
「誰に、さ?」
「創造主とやらにだよ。使い古された表現を許されるのならば。」
そこまで言うと、初めてアムロに向かって微笑んで見せた。
「私も君も人類でさえも、その意志の前には絶対だ。予言してもいい、再び宇宙へ帰るときは来る、と。人がどこからやってきたのかは永遠の命題だが、やってきた以上は去ってゆくこともまた真理に違いない。人が帰るべき場所は宇宙だろう。人類は地球を失って宇宙を得る。…それで良いではないか。それ以上何を望む?」
言って暫く言葉を探すように口を噤んだが、すぐにまた再開する。今度は目の前の赤毛の男にだけ向けて。
「だがアムロ、君を宇宙へ誘うのはこの私だ。それだけは覚えていてくれ。いつでも構わない、宇宙へ…あの場所へ還る準備が出来たら、真っ先に私を呼べ。」
我が儘と言っていいほどのシャアの言い草に、アムロが苦笑した。
「そうだな、あなたが居なければそもそも宇宙になんて帰りはしないよ。あそこにはもう、あなたしか居ないんだから。」
「その時は、君のための乗り物としてガンダムを用意しよう。…Zは駄目だな、あれはカミーユのだから…ああ、そうか。君が自分のガンダムも無しに、宇宙に上がってきてくれる訳がないか。」
「どういう意味さ。」
それも結構真実かもね、と付け加えながらアムロはシャアの腕を取った。
その瞳に映り込む星々ごと、天空の色の双眸を見上げる。応えて、シャアも光を宿す大地の色の眼差しをじっと見つめた。
「…必ず、あなたを追って行く。例え星の彼方までもね。」
「待っている。あの、君と出会った宇宙で。」
二人の行く道が、地平線のように果てしなく天地のように永遠に交わらないものでも。
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―――Signs of a peaceful settlement are on we're horizon.
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END.
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