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(HAPPY BIRTHDAY Char AZNABLE.)
自然の中にどこからともなく出現する、「魔化魍」というあやかしを退治し、清めるために、いつの頃からか一握りの人間が人には非ざる異能を身につけ、人の住まう「里」を守るために魔化魍達と戦うようになった。人の姿を保ったまま、陰陽師や拝み屋などと呼ばれて悪しき存在を祓う者達も居たが、更に一部は人の姿さえ捨て去り、頭に「ツノ」を頂いて、人外のモノ、「鬼」として人の心を保ったまま、ヒトの住む「サト」からあやかし達の住む「ヤマ」に居を移して戦うようになっていった。
時には化け物達の仲間として迫害されることもあった異形のモノ達に助けられた人々は、彼等を守り助けるために、いつしか「猛士」という組織を作り、「鬼」に協力をして魔化魍達を退治する集団として特化し、古来より都を追われたヒトやモノ達の好む土地である、吉野に本部を置き、日本国内遍く処に組織を持ち、「里」、今では「都市」とでも呼んだ方がしっくり来るかもしれないが、そんな「ヒトの住まう場所」を守るために人々には気付かれないよう、日夜その務めに勤しみ続けている。
そして現在の「猛士」関東支部には、能力だけは群を抜いているものの、サポーターと呼ばれる助手も従えず、弟子も取らない孤高不恭の鬼が、居た。
鬼としての名を、「響鬼(ヒビキ)」と、いう。
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由緒ある「猛士」の関東支部は、東京は柴又にある、甘味所「たちばな」を世を忍ぶ仮の姿として設置されていた。
その地下にある鬼の使う武器や道具などの研究開発室のドアが開き、緩く癖の付いた金髪で長身の男が入って来る。男は、研究室の中央に据え付けられたデスクに座って研究図面を真剣な顔で覗き込んでいる青年に声をかけた。
「アムロ、ディスクアニマルの調子が良くないのだが、ちょっと見て貰えないだろうか」
「え?ディスクが?」
顔を上げた青年はどちらかというと童顔で大きな琥珀色の瞳に細ぶちの眼鏡をかけており、鳶色の癖の強い髪の毛を神経質そうに掻きあげながら部屋に入ってきた男をじろりと見た。
「どれ?アカネタカ?ルリオオカミ?」
「いつも連れている戦闘用のやつだよ、ほら、君がこの間新しく私用に作ってくれた、シロガネオオトラなのだが」
「ああ。貸して?」
言いながら手を出すアムロに、男は腰のホルダーから白銀に輝くディスクを取り外して手渡す。
「どんな風に調子が悪いのさ?」
「機動するのはいいのだがね、どうもステルスになるのを嫌がるんだ」
くすり、とアムロが微笑んで、手の中のディスクを唇に当てて、男を見上げた。
「嫌がる、ってのはなかなかいい表現だね、『ヒビキ』さん」
相変わらずディスクを大事にしてくれてありがとう、というその言葉に、男が肩をすくめる。
「わざわざ、コードネームで呼ぶこともあるまい?いつものように、シャアと呼んでくれればいい」
「この間さ、ブライトに小言言われたんだよ。鬼のことはちゃんとコードネームで呼ばなきゃ駄目だろう、って」
肩をすくめてくるりと椅子を回し、デスクのライトをつけてじっとディスクを透かして見る。シャアがその背後から一緒になってアムロの手元を覗き込んだ。
「どうかね?」
「うーん、…目立つ傷なんかはないな。分解しなきゃ駄目かも。明日まで預かっていい?」
「ああ、構わないよ。宜しく頼む。そのディスクは気に入っているのでね」
「ありがとう、開発者冥利に尽きるな、そう言ってもらえると」
にっこり微笑みながらディスクのライトを消し、アムロは改めてシャアに向き直ると、どうぞ座って、と自分の後ろの椅子を勧めた。
「今、お茶でも淹れるよ」
「ああ、構わないでくれたまえ。恐らく、もう暫くしたら出動になりそうだから」
シャアの言葉に、デスク側の机の上から大量の菓子の箱を抱えてシャアの前に差し出したアムロが眉を顰めた。
「また?最近、忙しいね」
「今年はちょっと異常だな。この間、特別遊撃班になった話はしただろう?秩父にヒョウスベが出たらしくてね」
「ああ、夏の奴の仲間か。…それじゃ、あなたに回るわけだ」
苦笑しながらアムロは菓子の箱の山をシャアの腕に預けるとデスクの引き出しを開け、中をがさごそと引っかき回す。デスク周りといい机の中といい乱雑なことこの上ないのだが、アムロにはこれはこれで何がどこにあるのか分かっているらしいから不思議なものだ、と思いつつ、シャアは困ったように手の中の多量の菓子箱を見下ろした。アムロはいわゆるジャンクフードの類が大好きで(特に甘いものが)、お菓子が切れると頭が動かない等と嘯いてはいつもこの研究室に大量の菓子類を溜め込んでいる。
「リスか何かのようだな」
「なにが?」
思わず呟いた独り言に反応があって、シャアはいや、べつに、と軽い作り笑いを浮かべてそれをやり過ごした。
「ふぅん…まぁ、いいけど。あ、シャア、はいこれ」
お菓子はその辺に置いていいから、と指示されてやれやれとばかりに手近な机の上に腕の中の菓子の箱を下ろしたシャアが、アムロが差し出したものを受け取る。それは、不思議な色に輝く一枚のディスクだった。
「…これは?」
「本当は、まだ実戦には出したことがないんだけどね。タマムシハクチョウ、っていうんだ。まだ一枚しか作っていないから、あなた専用にしても良いよ」
「しかし、飛翔系はもう、アカネタカとアサギワシを持っているが」
言いながら、シャアは目の前に七色に輝くディスクを翳した。円盤の中に浮かび上がる白鳥のフォルムに、何か言いようもない引き付けられるような力を感じ、思わず目を瞬かせる。
「どうしたの?」
「アムロ、このディスク、…本当に普通のディスクアニマルなのかね?」
「え?そりゃ、スペックは「赤い彗星」に併せて強化してあるけど、基本は普通のディスクの筈だけど」
首を傾げながら、アムロはシロガネオオトラとそいつとで、大体のシャアのお供は完成するんだけどね、と微笑む。望むでもない渾名を口にされてシャアは僅かに眉を顰めたが、黙って再びディスクに視線を戻した。アムロは調子よく話を続ける。
「烈火もあなた向けに大分カスタマイズしたし、やっぱ最強の鬼には最強の装備がなくっちゃね…。ああ、そう、今日、現場から帰ってきてからでも良いから、少し時間貰えないかな。試して貰いたい武器があるんだ」
「またか?アムロもよくやるな」
苦笑してハクチョウのディスクを持ち、シャアがありがとう、とアムロに軽く敬礼する。
「終わったら連絡を入れるよ。遅くなったら家の方に寄ることにさせてもらう」
「うん、頑張って」
ひらひらと手を振るアムロに、シャアが少し考えこんだ後で声をかける。
「なぁ、アムロ」
「なに?」
「…君は、その、やはりもう、「鬼」として復帰する気はないのかね」
「やだな、またその話?」
アムロは苦笑して、ぽんぽん、と左手で軽く右肩を叩いた。
「この体じゃ、音撃は無理だ。まして、管や弦ならまだし、俺はあなたと同じ太鼓だったんだぜ?」
「それは、そうだが…」
言い淀むシャアの前で、アムロははっきりと言いきる。
「昔馴染みのあなたが一番よく、知ってるだろう。俺がもう、鬼になんてなれないってこと。鬼として鍛えてもいないし、それに正直、開発局は俺に合ってる。まぁ、吉野の局長はちょっと口うるさいけど根はいい人だし」
「ウォン氏かね」
「そうそう。…まぁ、だから悪いけど、その話は聞かなかったことにする。頑張って行ってこいよ、シャア」
「分かった」
シャアはどこかまだ諦めきれないような表情を浮かべたが、やがてこの場での説得は諦めたのか頷くと研究室を後にする。扉が閉まるのを見届けると、アムロは表情から笑顔を消し、右肩を押さえたままで低く呟いた。
「それに、俺はもう、鬼になってはいけないんだよ、―――シャア。その資格はないんだ。皆を、ではなく、誰か一人を選んだ俺には」
その声は、壁を隔てたシャアの耳には、ついぞ届くことはなかった。
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しゅるり、とアムロが紐を解いた桐箱の中を覗き込んで、シャアは思わず息を飲んだ。
「これは、凄いな」
「あなた専用、って言っただろう?」
アムロが微笑みながら徐にシャアによく見えるように中に敷いた袱紗を解いて箱を回す。中には、周囲と中央の巴紋を黄金に塗られた音撃鼓が入っていた。
「一撃で、普通の音撃を百発打ち込んだくらいの効果があるから、いわば百式って感じかな。「音撃鼓・百式爆裂鼓」、ってことで」
「相変わらず名付けのセンスはイマイチのようだな、アムロ」
「うっわ、なんだよそれ!」
折角開発したのに、そんなこと言うなら返せ!と言うアムロから素早く音撃鼓を取り上げ、シャアがにっこりと笑う。
「勿論喜んで使わせて頂くとも。多少名前が妙だとて威力に違いはあるまい?君が作るものだからな」
「なんか、すげぇムカツク誉め言葉をありがとう」
「どういたしまして」
言いながら、シャアは黄金に輝く鼓を手に取った。そっと表面を指で撫で、嬉しそうに微笑む。そんなシャアの喜ぶ仕草を見つめていたアムロが、あのさ、と切り出した。
「ブライトに聞いたんだけど、あなた明日オフなんだって?それさ、最終調整、まだなんだ。良かったら、どこかで使ってみてくれないかな」
「どこか?…不知火さえ君が運転してくれるなら、私は構わないが。明日、レコアは出かけると言っていたぞ。」
シャアは免許を持っている癖に車での移動が嫌いで専ら小回りの利く専用のバイクで出動することが多いのだが、車で出動するときは、「たちばな」に務めていることになっている、「猛士」での役職は、鬼達のサポートを引き受ける「飛車」という役目であるレコア・ロンドという女性にドライバーを頼んでいた。アムロが右手の親指を唇に当てて爪を噛みながら少し考えて言う。
「そうだね、機材積むから車は欲しいかな。じゃあ、俺がドライバーは引き受けるよ。お休みに悪いとは思うんだけど、あなた最近、待機中でも全然時間とれないじゃない?」
「ああ、まぁ、特別遊撃班であちこち駆り出されているからな。太鼓の魔化魍以外も相手にしているし」
「だろ?それもあって、効率のいい新しい音撃鼓が欲しいかな、って思ってたんだけど。それに、俺自身があなたがそれを使っているところが見たいのもあるし」
「そういうことなら、喜んで」
いいか?とすまなそうに聞かれ、シャアは微笑んでアムロの申し出を快諾した。
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シャアは、上段に刀を構えるように、「烈火」の柄を握って目を閉じていた。―――否、額に二本の角を頂く現在の異形の姿は、「シャア・アズナブル」ではなく、「響鬼」のものであったが。その前では、数々の調査機材でちょっとした山が築かれており、無数のモニターとケーブルの間からアムロの真剣な顔が垣間見える。
やがて、シャアが握っている音撃棒の先から、ごうっと深紅の炎が燃え上がった。炎はやがて一本の棒のように収束していき、鋭い輝きを放つ直刀になる。ちゃきん、とその剣を構えたシャアは、裂帛の気合いと共に、目の前に立てられた鋼の棒を切り倒して見せた。鋼鉄の太い棒がまるで粘土のように簡単に切り倒されるのを見て、アムロが会心の笑みを浮かべる。
「はい、お疲れさま。これで烈火の最終調整も出来たし、終わりにしようか」
「そうだな」
音撃鼓のチューンナップに併せて、そのバチである烈火の方も多少の調整をしたので、軽いテストをしたりしているうちに、時刻は既に午後をすっかり回ってしまっていた。アムロが思ったより時間食ったな、とシャアに侘びる。顔だけ変身を解いたシャアは構わない、と手を振った。
「いや、別にオフだからといってすることもなかったし」
「相変わらず無趣味な奴だよ、あなたは」
アムロが苦笑しながら、クリップボードに挟んだ資料にペンでチェックを入れていく。手近の机の前でスポーツドリンクを飲んでいたシャアが、心外だとでも言うように眉を顰めた。
「君にだけは言われたくない」
「俺は趣味を仕事にしてるからいいの」
「まぁ、武器やディスクアニマルの研究と開発は君の天職のようだからな」
「そうそう。後、趣味の欄に「シャア・アズナブル」とも書いておいて」
「私は、君の改造の対象なのかね?」
軽くぼやいてみせた後で、シャアはさて、と声をかけて立ち上がる。
「私はテントで着替えてくるよ。そうしたら、片づけを手伝うから」
「ああ、うん」
行ってらっしゃい、と軽く手を振るアムロの指先が僅かに震えているのに、この時のシャアは全く気付くことはなかった。
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鬼への変身には、某かの自然の力を借りねばならない。例えば、「響鬼」ならばそれは炎の力であった。変身の度ごとにシャアの体は炎に包まれ、服は焼け落ちてしまう。こればかりは、幾ら鍛えたとしてもどうすることも出来ない事態でもあった。
テントの中で変身を完全に解除する。荷物の中から着替えを取りだしていると、背後でばさり、とテントの入り口が開く音がした。
「…アムロ?」
不審に思って振り返る。声もかけずに着替え中に無断で入ってくることなど、今までのアムロはしなかったはずなのだが。
「どうした、何か不都合なことでも、あったの…」
シャアの言葉は途中で途切れ、蒼い色彩を帯びる瞳が驚愕で大きく見開かれた。急にアムロに抱きつかれた所為で、そのまま押し倒されるようにテントの床に背中から倒れ込む。
「アムロ?」
「…シャア、…知りたいことがあるんだ」
耳元で囁かれ、シャアが掠れた声で呟く。
「…なに」
「あなたの身体の、その全てが知りたい。良い武器を作るには、その鬼のことを完全に知らなきゃ、分からないことがあるんだ」
だからあなたを俺にくれ、と告げられ、正気か、とシャアが呟いた。アムロは残念ながらね、と苦笑する。
「あなたの身体の放つ、響きが聞きたい。あなたの波動を身体で感じたいんだ」
「無理だ、アムロ…確かに君のことは嫌いではないが、私は男で、君も」
「男同士だって、肌を重ねる方法くらい、あるんだぜ?」
言いながらシャアが今まで見たことがないほど艶やかに微笑を浮かべたアムロの顔が、ゆっくりと傾いてきた。そのまま、茫然自失に近いシャアの薄い口唇に、自分の口唇を重ねる。
「…っ、」
シャアが焦ったようにアムロの身体を引き剥がすと、身体を起こそうとして、…失敗する。抑え込まれ、シャアは苛立たしげに声を挙げた。
「アムロ、腕を退かせ」
「イヤ、だね。忘れていないか、俺だって元は「鬼」だ」
それもあなたと拮抗するだけの力を持った、ね、と言われて、シャアは眉を顰めた。
アムロ・レイは、元は関東支部所属…ではなく、本部である吉野に所属する鬼で、その力は当代随一、いや、古今アムロほどの力を持つ「鬼」が輩出されたことがない、と謳われるほどの太鼓の手練れであった。当時既に関東支部で飛び抜けた才能を示していたシャアと二人、「西の白い悪魔アムロ・レイ、東の赤い彗星シャア・アズナブル」等と並び評されていた時代も、確かにあったのだ。
しかし、七年ほど前にあった「事件」の時に彼は右肩に深い貫通創を受け、医者に二度と鬼にはなれない、太鼓は叩けない身体だと宣告されていた。シャアはその「事件」の時に初めて噂に聞いていたアムロに巡り逢い、同じく傷を受けたが、こちらは額だったので、何と言うほどのことでもなかった。
それ、以来の付き合いだった。トレーナーやサポーターに転向することを良しとしなかったアムロが開発局に転属し、そちら方面でも飛び抜けた才能を示して、シャアの居る関東支部に、こちらの魔化魍のデータが取りたいと出向してきたのも。
組み敷かれた下から、シャアは苦し紛れに叫ぶ。彼はまだアムロを大切な友人、そして猛士の仲間の一員として捉えたかった。
「それでは、君は武器を作ってやる鬼とは誰とでも寝るのか?違うだろう?」
その言葉に、突然アムロがおかしそうに笑いだした。一通りヒステリックに笑った後、眦に涙まで滲ませて、シャアの頬を指先でなぞる。
「勿論さ。他の鬼なんて本当は、知った事じゃない。俺は、あなたさえ護れれば、それでいいんだ」
「アムロ、…君」
「じっとしていて。喜ばせてあげるから、さ」
呟くと、シャアの抵抗が止んだのを幸いに、アムロは肩から纏っていた白衣を滑り落としたのだった。
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「君、は」
耳元で囁かれた声に、アムロは気怠い身体を起こした。呆然としているシャアと一通り熱を分け合ったところで、二人ともまだ息を荒く弾ませている。シャアは、未だ自分の置かれている状況が信じ切れないように、首を振りながら呟いた。
「君とは、良い友人であったつもりだったのに」
「俺は、あなたを友達だとかただの仲間なんて、一度も考えたことはなかったよ」
アムロはぶっきらぼうな口調で短く言い切ると、シャアの胸の上にもたれ掛かるように頭を預けた。
「一回も、なかった。初めてあなたを見たときから」
その言葉に、シャアはふと、アムロと初めて出会ったときのことを思い出していた。
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あれは確か、晩春の吉野の山中でのことだった。依頼を受けて初めて吉野に来たものの、本部に辿り着けずに山の中で満開の桜の迷路に巻かれるようにして彷徨っていたシャアは、その時まだ、鬼であった特訓中のアムロに出会ったのだ。
仄かな燈火を頼りに真っ白な闇を抜けると、其処には篝火に照らし出された華奢な青年の姿があった。青年が、見慣れた形の太鼓のばちを手にしているのを目敏く見つけたシャアは、安心して声をかける。
『もしもし、君は吉野の里のものか』
その声に顔を上げた青年が、ハッとしたようにシャアの顔を見て息を飲んだ。
『…符丁を知っているってことは、同業者か?それとも、吉野の結界の中で道に迷ったただの旅人か。旅人なら、麓まで送り届けるが』
やはり同業者だったか、とシャアが安堵の溜息をつく。古来より、あやかしは同じ言葉を二度続けて発音できないという言い伝えがあり、それが転じて知らない相手には自分が妖ではないことを証明するために「もしもし」または「もうしもうし」と声をかけるというのが、「猛士」仲間での暗黙の決まりのようになっていた。
『いや、私も鬼だ。…吉野に辿り着けずに困っている、案内してはくれないか』
麓から山中までは割と楽に来たのだが、その先が、と言われてアムロが苦笑した。
『あなた、鬼の癖に、吉野の里への辿りつき方も知らなかったのか?』
『生憎と、来るのは初めてなんだ。意地悪なことを言わずに、教えて欲しい』
シャアが下手に出るようにして請うと、アムロはくすりと微笑んで、手にしていた音撃棒を腰のベルトに挟んだ。
『冗談だよ。あなたの先輩達は教えてくれなかったのか?酷いな。吉野には、強力な結界が張ってあってね。ルールがあるんだ。先に、行くことを告げておいて、その日に中から誰かに迎えに来て貰う。内部から招かれないと、外のモノは決して入れないようになっているんだよ』
『そうだったのか…いや、場所と指定刻限は言われたのだが、ここへ来る途中で魔化魍に遭遇して、現場を片付けてから来たら、すっかり約束に遅れてしまって…。連絡をつけようにも、道中公衆電話もなくて、とりあえず急いで来たら、この様だ』
苦笑する金髪の男に、青年が微笑んで手を伸ばす。
『それでは、俺が招き入れてあげよう。…ようこそ、「猛士」の里へ』
言った瞬間、ざぁっと桜が割れた気がして、シャアは思わず目を閉じた。そうして目を開くと、アムロの立っていた向こうに、今までは見ることも出来なかった道が、くっきりと浮かび上がっていたのだ。
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桜の創る白い闇の中にぽっかり浮かび上がった、金色の髪に青い瞳のあなたを見たとき、本当の鬼に出会ったと思った、とアムロは囁いた。
「あれは、恐らく俺にとっては運命だった。だって、そうでなければ結界の周囲で迷うあなたの姿が、中にいる俺と巡り会う筈がないんだもの」
「偶然だろう、私は鬼だし、普通の人間より吉野の結界には近付きやすい。おまけに、君はほぼ毎晩あそこでトレーニングに勤しんでいたはずだ。もしも何度あの日を繰り返しても、必ず私は君に会えた筈だよ」
「だから、「運命」だって言ってるんだよ。分からないかなぁ」
くすくすと笑いながら、アムロは顔をあげるとシャアの頤にもう一つ軽い口付けを落とした。
「いずれにしても、長年の想いが遂げられたんだ。満足だね」
「…アムロ、私はそんな、君に思われるほど大層な男ではないよ。知っているだろう、私のことは、君も、よく」
「ああ、良く知っているよ。知れば知るほど、あの日あなたが迷い込んだ桜の迷路みたいに迷っていく。…止められなかったんだ」
どこか夢見るようにうっとりと呟き、アムロはついと指先でシャアの胸元をなぞる。
「あれ以来、俺はもう鬼ではなくなった。俺は、あなただけが欲しくて、あなただけを護りたくなった」
「…それで、鬼に復帰しなかったのか」
硬い声で問いかけるシャアにアムロは苦笑して首を振り、あなたが気に病むような事はない、と続けた。
「いや、怪我が原因で鬼には二度となれなくなった、っていうのは本当のことさ。トレーナーやサポーターになる気がなかっただけでね」
「しかし、それなら、…言ってくれれば」
シャアの言葉に、アムロがおかしそうに笑い出した。
「どうやって?あなたのことが欲しいから、抱いてくれと男相手に頼むのか?」
「いや、…」
「しかも、あなたみたいな堅物の朴念仁に?そんなことをしてみろ、あなたは直ぐに「友人」である俺の目を覚まさせるために手を尽くすだろう。俺は、目を覚ましたい訳じゃない」
言われてしまえばシャアはもう、黙るしかなかった。確かにその通りだろうという自覚がシャア自身にもあった。アムロが含み笑いを続けながら言葉を続ける。
「哀しいもんだよな、男ってのは。刺激を受けりゃ勃つように出来てんだから。気にするなよ、悪い鬼にでも噛まれたと思え」
それを聞いて、深い溜息をついたシャアからの返事は遂になかった。
□■□■□■□■
帰りの車内は、重い沈黙が支配していた。
アムロは黙々と車を運転し、シャアはとっぷりと日が落ちた車窓の外をひたすら見つめている。どちらかが話を切り出したらそれだけで引火して爆発しそうな空気のまま、車は静かに「たちばな」の前に停められた。
「車庫に入れて、鍵を返したら俺はそのまま帰るよ」
アムロがぽつりと呟いた言葉に、シャアは漸く重い口を開いた。何を言って良いのか、どうしていいのか分からないくらい、シャアは混乱の極みにあった。
「アムロ、…私は」
「何も言うな。俺は、後悔なんて全然しちゃ、いない。むしろ良かったと思っている。いずれにしても、俺はもう限界だったよ」
じゃあ、さようなら。
一言だけ残すと少し離れた駐車場に入れるためにさっさと車を発進させてしまったアムロに、シャアは一度は諦めたように店の扉に手をかけたが。
そこで暫く躊躇して、もう一度、アムロの消えていった方向を振り返った。
夕闇の中を見つめて声にならない言葉を紡ぎ、シャアはそれでもどうすることも出来ずに、結局は「たちばな」の戸を開けて、中に入っていった。「ただいま」と告げる自分の声が、何処か空々しく耳に響いていた。
□■□■□■□■
「シャア…ヒビキ、ちょっと使いを頼まれて欲しいのですが」
ブライトに声をかけられて、待機中だったシャアは顔を上げた。
「それは別に構わないが、私が空けてもいいのかね?この時期、夏の魔化魍も沢山出ていることだし」
「まぁ、暫くは構わんでしょう。出動中の鬼も居ますし、この時期は全員太鼓も持っているでしょうから」
言いながら、ブライトは風呂敷で包まれた箱を取りだしてシャアの前に置く。
「これを、アムロの家まで届けてくれませんか」
「アムロの?」
その名前にシャアが僅かに眉を顰めたのにまでは、ブライトは気付いていないようであった。あれ以来、シャアはまともにアムロを顔を合わせていない。シャアもではあるが、アムロの方にも何となく彼を避けているような気配があった。
「そう、今日あいつ休みでしょう、家には居るみたいなんで、さっき俺が届けるって電話はしたんですが、急に担当している魔化魍のことでエマに呼ばれまして」
暫く、地下で昔の文献資料とTDBにベルトーチカと張り付きになると思うんですよ、とブライトが言い、風呂敷包みを軽く叩く。
「これは、…管のパーツかい?」
「正解です。エマの音撃管のものですが、調子が悪いらしくて、早急に修理を頼みたいんですよ。今は取り敢えずのスペアを持って出ているし、相手が夏の奴らしいですから、今日はいいけれど明日には欲しいとかで」
シャアが僅かに眉を顰める。
「夏の魔化魍なら、私が出てもいいが」
「いや、それが、この間エマはそいつにしてやられていまして、サポーターに助けられて帰ってきたとかで、かなり悔しがってどうしても再戦したいと」
苦笑しながらブライトが言うのに、シャアはさもありなん、と頷いてみせた。
「彼女のサポーターということは、ヘンケン君にかね。まぁ、エマらしい話だな。分かった、引き受けよう」
「宜しく頼みます」
ブライトに軽く手を挙げて敬礼し、シャアは包みを抱えてバイクに乗ると、「たちばな」を後にした。
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アムロの暮らしているアパートまでは、さほどの距離はなかった。仕事が続くと「たちばな」に殆ど泊まり込みのようになるため、そう遠くない部屋を探して住んでいるためだ。
バイクを駐車場に停めると、シャアは勝手知ったる玄関をくぐって階段を上がり、アムロの部屋の呼び鈴を押した。
取り敢えず返事がなかったので、ブライトはああ言っていたがもしや出かけたのだろうかとふと不安になっていると、扉の向こうでガタガタという派手な物音がして、足音が近付いてくる。普通にしていても大概の人間よりは聴力の優れたシャアの耳はそれを聞きつけ、そそっかしいアムロが何かひっくり返したのかと思わず口元に笑みが浮かぶ。
程なくガチャリと扉が開き、見慣れた鳶色の頭髪が姿を見せた。
「はい、お待たせしまし…」
「不用心だな、アムロ」
「シャア!!」
愕然とした表情のアムロが反射的にドアを閉める前にさっと腕でドアを止め、シャアが手にしていた包みをアムロの前に差し出す。
「ブライトから預かってきたよ。エマの音撃管のパーツだそうだ」
「ブライトが来るって言っていたのに」
「急に当のエマからサポートを頼まれたらしくてね。手の空いていた私が来ることになった。そう嫌わないでくれないか」
「別に…」
嫌った訳じゃ、と小さく呟いたアムロが、聞き取れないくらいの声で、嫌うならあなたの方だろう、と付け加える。
「分かった、じゃあ、預かるから、渡してくれ」
言いながら手を出したアムロと包みを暫く見比べていたシャアが、ふと意を決したように包みを引っ込めて、アムロに向けて微笑みかける。
「折角来たんだ、茶くらい出してくれないか。君のよく淹れてくれる薬草茶だかなんだかよく分からないアレが私は実は結構好きでね」
「…っ、ここには置いてないよ」
「では、白湯でもなんでも構わないよ」
「第一、あなた待機中じゃないのか?!」
「邪魔だから現場には来るなとエマに言い渡されてね」
言いながらふと部屋の中を見たシャアの視線が、不意に不審の色を帯びる。
「どうした?引っ越しでもするのか」
そこかしこに段ボール箱の山が出来ている背後を振り返って、アムロが些か焦ったような表情で首を振った。アムロの態度に青年が何か都合の悪い隠し事をしていることを感じ取ったシャアが、ふっと剣呑に目を細める。
「アムロ?」
「ええと、茶だったら、どこかに飲みに出てもいいだろ、今俺の部屋は散らかっているし」
言いながら逆に外に出てこようとするアムロの腕を掴み、青年がびくりと反応するのにも構わず、そのまま押し込むように一緒に部屋の中に入る。
「お、おい、シャア…!」
「私は現役の鬼だよ。いくら君が元鬼でも、腕力で敵うはずがないだろう?」
短く言い切ってシャアは素早く玄関の中に入ってしまう。ばたんとシャアの背後で閉まるドアの音を聞きながら、アムロは戻れない運命を悟って、諦めたように静かに目を閉じた。
□■□■□■□■
「あなたが言ってた茶ってこれか?」
「ああ、その通りだ、ありがとう」
辛うじて残してあったらしいリビングのテーブルに案内され、アムロからマグカップ入りの香りの強い茶を手渡されながら、シャアはものが片付けられて殺風景とも言える部屋の中を見回した。
湯気を顎に当てながら説明を求めるようにアムロの方を見ると、アムロは軽く溜息をついて口を開いた。
「転勤だよ。春先から、再三帰ってくるように吉野に言われ続けていてね。開発部もこの魔化魍の異常発生に、専門の対策チームを組みたいとかで…俺がそこのチーフになるようにという内々のお達しがあったんだ。ずっと断っていたんだが、…まぁ、もういい頃合いかな、と」
一応栄転だしね、と自分もマグカップを手にボソボソと呟き始めるアムロに、シャアが静かに声をかける。
「ブライトは?知っているのか」
「いや、まだだ。でも、ブライトの方にも吉野から俺を帰還させる要請は開発局長からずっと行っている筈だから、いずれはこんな事態もあるんじゃないかと思っているとは思う。俺の気持ち次第だ、って言われていたし」
言いながら、アムロはどういう表情を選んで良いのか困惑して、結局僅かに微笑みを浮かべた。
「…後任も決まってる。アストナージという男でね。腕も確かだし、根っからの技術屋だ。俺が推薦したんだ、信用してくれていい」
シャアが憮然とした表情のまま重い口を開いた。
「君ほど、私達のことを気にかけて親身になってくれる銀は居なかったと思うが。なんせ君は、元鬼だ」
「だから、さ。鬼から開発局に転向した人間は決して多くない。一個所にずっといるのも…ね」
聞き分けのない子供に言い聞かせるような言い方が気に食わず、シャアが硬い声音で尋ねた。
「それでは、君が、「たちばな」で居るときにとても楽しそうに仕事をしていたのも、君をこちらに留める要因には成り得なかった、ということか」
「そんなことはないよ、ここでの仕事は楽しかったし、鬼もみんないいやつばっかりだったし。でも、それとこれとは違うんだ、分かるだろう?」
あなただって、吉野から要請があればそれこそどこに行かされるか分かったもんじゃないんだからさ、と言われ、シャアはそれもそうだな、とだけ呟く。
「春先からいつかはこんなことになるんじゃないかって、準備もしていたし、後任が来てもなんの不都合もないと思うよ」
笑いながら言うアムロに、シャアはマグカップをテーブルの上に置きながら低い声でゆっくりと問うた。
「私に」
「うん?」
「私に抱かれたのも、『準備』の一環だったのか」
単刀直入に言いながら、じっとこちらを見つめてくる冴え冴えとした青い双眸にアムロは一瞬呼吸を止めたが、程なくして硬い声で短い返事をした。
「その、通りだよ」
「未練はなくなった、ということだな」
「言い方は悪いけど、まぁそうだな」
だから忘れろって、言っただろうと言われて、シャアは短い溜息を漏らすと、ひたりとアムロの琥珀の瞳を見据えた。
「私は、ずっと考えていたよ」
「…え」
「考えていた。君に言われたことを、君から向けられた気持ちについて、ずっと。今は気まずくても、きちんと私なりに答えを出して君に伝えるのが、私のすべきことだと思っていた」
アムロが胸を打たれたような表情で押し黙った後、震える声で生真面目だな、と呟いた。
「生憎と、器用な方ではないので。君はずっと、私のいい友人だった。私は、私なりに君が好きだったよ。なのに、君は今すぐからでもその事まで含めて私に君のことを忘れろと言う。その方が、私にはずっと難しい」
「だからといって、あなっ…、…あなた、俺が欲しいものは、この間嫌というほど分かっただろう?!無理だよ」
自分で言ってしまった後で、無理だ、ともう一度弱々しく繰り返したアムロに、シャアが軽い溜息をついた。
「当たり前だ、直ぐに解答を出せなどと無理な話だよ。君の方は七年越しだかなんだかしらないが、私にとっては寝耳に水だ、その場で勢いで答えて君まで失いたくなどない」
「だから…!!」
「そうだ、どうして、そんなに酷いことになる前に私に言ってくれなかったのかと…やはり私の答えはそこに戻ってしまうのだよ」
言いながら自分に向けられるシャアの責めるような眼差しに、アムロがその返事はこの間したはずだ、と俯きながら言った。
「ああ、聞いた。私が、君に信頼されていなかったという話なら」
「…違っ、」
「友人だと思っていなかったと聞いた、それならそれでいい。ただ、それでも…君の本当に真剣な気持ちなら、私は真摯に受け止めて、考える機会もあったのじゃないかと思う。そうして二人で出した答えが今度こそ君の気に入らないものだったとしても、だったら私にも君を失う事への諦めがつくんじゃないかと、そう考えていたよ。まぁ、それこそ空想の話だがね」
長々と続いた話を打ち切った後、後ひとつだけ聞いてもいいか、とシャアが尋ねる。
「恋でなくては、いけないのだな?」
「…なんだって?」
「君が私に求めるものは、必ず恋でなくてはいけないのか、ということだ」
アムロが虚をつかれたような表情で呆然とする。
「だって…、だって、そうじゃなきゃ、俺…、あなたの側に、いられない」
「どうして?」
「だって…無理だ」
無理だ、と繰り返すだけで首を振るアムロに、シャアが諦めたように再び溜息をついた。
「なら、吉野にでもどこにでも行くがいい。君自身が選んだ道だ、反対はしないよ」
途端、アムロがびくりと体を竦ませ、困ったような目でシャアを見上げた。行くと決めたのは自分だろうに、と苦笑の念を禁じ得ないで居つつも、シャアは腕を伸ばすと、そっとアムロの腕に触れた。それだけで再び体を固くするアムロに困った青年だ、とシャアが口を開く。
「ただ、君が君の道を往くのなら、私だって好きにさせて貰う。そのうち、自分なりの答えが出たら、君に伝えに行くことにするよ。その頃には、今度は君の方がそんなもの必要としてはいないかもしれないが」
言ってから、思い出したように続ける。
「いくら生理現象といえ、私は一度は君を抱いている、ということはまぁ、…好意に近いものはあるのだろうな」
愕然としたようにアムロが抗議の声を挙げた。
「な、なんなんだよ、それ…!あなた、自分のことなのに分からないのか?!」
「何度も言ったはずだ、私は不器用な人間だ。いきなり恋をしろと言われてもできないし、君と出会ってから今までの時間を消すこともできない。女ではないんだ、あの日あったことを蒸し返したりはしないが、それでもヤリ逃げされるのは余り嬉しい事じゃないな」
シャアの言った言葉に、アムロがカッとしたように食ってかかる。
「さっきから聞いてれば、あれもできないこれもできないって、じゃあ、あなたが出来ることはなにがあるんだよ!」
アムロのその言葉を待っていたように、シャアはさらりと静かに答えた。
「あるよ。…君の側にならいることができる」
今度こそ、アムロが驚愕半分、呆れ半分の顔で正気か、と呟いた。
「何を言い出すかと思えば。やっとこれで、思い残すことなく吉野に帰ることが出来るんだ、邪魔しないでくれ!!」
「邪魔なんかしていないよ。行きたいなら行け、と言っているじゃないか。なにも吉野に着いていこうという訳じゃないし」
「当然だろう、この魔化魍が異常発生している時期に、関東支部が『響鬼』を手放すもんか」
「まぁ、そうだが。それでも、君の側に居ることはできる。身体ではなく、心の話をしているんだよ、私は」
「馬鹿な、さっきは恋はできないと言った癖に!」
「恋だけが唯一の心を寄り添わせる行為ではないと思うが」
詭弁だ、出来もしないことをいうんじゃない、とアムロが吐き捨てた。
「だったら、軽々しく側に居るなんて言うな。―――やっと落ち着いたんだ、これ以上、俺のことを振り回さないでくれ」
むしろ、振り回されているのは私の方だと思うが、と心外そうに言って、シャアがアムロの顔をじっと見つめる。
「君が欲しいのは想い出の中の「私」だけなのか?だったら、あの時にも言ったとおり、私は君になど全く値しない人間なのだろう」
シャアの言ったことを聞いて、焦ったように、アムロが首を横に振った。
「ち、違う!」
「何が違う?友人としても認められなくて、ただ想い出で体だけを求められて、それももういらないと言われて、君こそ私にどうして欲しいんだ?」
「ど、どうって…」
意外なことを言われたように、アムロが言葉に詰まった。そのアムロに向けて、シャアが畳みかけるように言葉を重ねる。
「君には私を失う心構えが出来ているかもしれないが、私には、やっと鬼の仲間でもてた君という親友を失う覚悟がまだ、着いていないのだよ」
言いながら再び伸ばされた手に、アムロはじっと焦がれるような視線を送っていたが、その手が僅かに触れる前に、怯えたように後退る。
「やっぱり、無理だよ…無理矢理にでも俺が俺の想いを切り捨てないと、俺は、俺は絶対」
「なんだ、あの日はあんなに積極的だったのに、今日は随分弱気じゃないか」
シャアの口調に幾分からかうような響きが籠もったのに、憤然としてアムロが顔を上げる。
「あなた馬鹿か?!なんにも分かっちゃいないのは、あなたの方だろう!俺に未練を残させて、どうする気だ!」
「いいじゃないか。未練は欠片も残したくないんだろう?この際言ってみたまえよ、思っていることは、みんな」
さぁ、と促されて、アムロは戸惑ったが、何か言い返してやろうとして巧く言葉を見つけられず、二、三度シャアの顔を見上げては、俯き、唇を噛んで何かを堪えるような表情をする。シャアが、殊更優しい口調で、促すように声をかけた。
「さぁ、…アムロ?」
その声に後押しされるように、アムロがやっと口を開いて、震える声で呟いた。
「俺は、欲が深いんだ」
「分かっているよ」
「嘘だ、…キリがないんだ、一度でも、欠片でも手に入れられれば、後は想い出だけでも平気だと思った、だけど、違ってた」
益々餓えも渇きも酷くなるばかりなんだ、とぎゅっと握りしめた拳が戦慄いているのに気付いて、シャアがそっと指を伸ばして、その手に触れた。途端、感電でもしたようにびくりと身体を大きく震わせたアムロが、堪えきれないように一歩、二歩と前に踏み出し、溢れてくる激情をただ耐えてやり過ごそうとでもするかのようにぎゅっと目を閉じて、シャアの胸にこつんと額をつけて寄りかかる。
「…側に、いて」
「そして?」
「腕の中で、抱き締めて」
「それから?」
「…キスだって、したいし」
「他には?」
「……あなたに、抱かれたい。…離れたく、ないんだ」
「それで終わりかね?」
「まだある、あなたの全部を俺にくれ。心だって、身体だって、欠片も他の奴になんかやりたくないんだ」
切なげに言いながら、アムロは僅かに躊躇った後、シャアの服の胸の辺りをぎゅっと掴む。
「あなただけでいいんだ、欲しいのはそれだけの筈なんだが、ただ、俺には俺自身でも、制御がつかないほど凶暴な所があって、だからやっぱり、鬼であって鬼にはなれないんだろうけど―――それがあなたを傷つけるのも怖い。あなたが他の人間に微笑んだだけで相手を引き裂いてやりたくなることさえあるし」
「怖いな」
くすりと笑って、シャアは鳶色の癖のある頭髪にそっと手を伸ばし、優しく梳いてやる。
「君の鬼の時の名前は『天の邪鬼』ではなかった筈なんだがな」
「なんだよ、その、言い草…」
「そんな程度の願いで良いのなら、私は叶えてやれると言って居るんだ」
途端、今度こそ、アムロが弾かれたように顔を上げた。戸惑うその表情を覗き込みながら、シャアはにっこり微笑んで宣言する。
「それでは、未練もなくなったようだし、心おきなく吉野に転勤してくれればいいさ」
時々は会いに行く、と言われて、アムロが赤い顔のまま頬を膨らませた。
「…なぁ、あなた本当は俺のこと好きなんだろ?好きなら、好きだって言ってくれよ、意地悪なことせずに」
「だから、初めから君のことは好きだと言っている。…ただ、恋をしているのかと問われると、首を傾げるがね」
あくまで頑固にその部分は譲らないシャアに、生真面目っていうより融通が利かないんだな、よく分かった、と諦めたように溜息をついた。
「それならもう、それでもいいよ。―――じゃあ、キスは出来る?」
「できるとも」
「…俺のこと、抱ける?」
「……試してみるかい?」
囁きながら耳朶を軽く噛まれて、アムロの全身が総毛立った。だったら今すぐ試してくれと危うく言いそうになる気持ちには慌てて蓋をしながら、ぎゅっと益々強くシャアの服の胸元を握りしめる。
「―――決めた」
「どうした?」
「絶対に、その口で、俺が好きだって言わせてやる」
「言ったじゃないか」
「そうじゃなくて…!!ああ、もういい、俺の負けだよ、吉野になんか帰れるか、こんなフラフラしたの置いて」
「フラフラとは酷くないか」
「酷くない!俺が側で見張っていないと、すぐに誰かにかっ攫われそうじゃないか」
ぶつぶつ言いながら携帯電話を取り出すアムロに、シャアが僅かに苦笑しながら開発チームへの参加は構わないのかね、と尋ねた。
「栄転なのだろう?こんな所で私達の武器の修理で終わってしまう気かい?」
「当たり前だろう、あなたみたいな気難しい音撃鼓のチューニングの仕上げを要求してくる鬼のリクエストに、俺以外誰が応えられるっていうんだ」
そこまで言った後、電話番号を呼び出しかけて、ふと指を止めるとシャアの顔をあの日以来初めて、真っ直ぐに見つめる。
「俺が鬼として果たし得なかった事を、あなたが成し遂げてくれれば、俺はそれでも充分なのさ。言っただろう、俺の趣味は「響鬼」だって」
アストナージが引き継いでも絶対に口を出したくなるのは分かっているし、とやや照れ臭そうに言いながら、アムロは吉野に開発局になにやら一方的な電話をかけ始めた。電話口の向こうでウォン開発局長が怒鳴り散らすのを耳に指を突っ込みながら聞いて、ほっとしたように電話を切るアムロに向かい、薬草茶のマグカップから茶をすすっていたシャアが、まるで世間話でもするような口調で言った。
「ああ、そうだ、ところでアムロ」
「なに?」
「私はどうやら君に恋をしているというより…君のことを愛しているようなんだが、その事はもう、君に言っただろうか」
アムロの手から、携帯電話が滑り落ちた。
「なっ…」
「恋、というのはもっと盲目的に周囲が見えなくなるほどの熱情だろう。私が君に感じているものは、深いけれどもそういう熱さはない。だけれども、君のことならば大抵は受け止められる自信があるよ。それこそ、今度のことのように。それが不満ならば言って欲しい、君の方の気持ちを分かるように努力するから」
唖然としたように口をぱくぱくさせて次の言葉が言えなくなっているアムロに、腕時計を見たシャアは、ああ、もうこんな時間か、と言いながらアムロの肩を叩いてそれじゃあ、と暇を告げる。
「ブライトがそろそろ苛々するころだろうから、これで。一応待機中だからな。エマの音撃管の修理を宜しく頼む」
言った後、反射的にただ頷くだけのアムロに微笑んでみせて、シャアはアムロの部屋を後にした。後に一人茫然自失のまま取り残されたアムロが、はっと気付いたように呟く。
「しまった、逃がした…」
今度こそ、全て承知の上で合意で手を出して貰おうと思っていたのに。
言いながら部屋に堆く積み上がった段ボール箱の山をややうんざりしながら見て、今度はこれの荷ほどきか、責任の一端はあなたにもあるとか言いながらシャアにも手伝わせようか、と考えながら、アムロはほんの少し、微笑んでシャアの持ってきた音撃管の修理に掛かるべく、修理道具を探し始めた。
嬉しさが実感となって胸に押し寄せるには、もうあと僅かだけ、時間が必要なようであった。
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+++END
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