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―――HAPPY BIRTHDAY, Char AZNABLE!!
初速度からして、毎秒29.9792458万km位の速さはあったと思う。
その位の勢いですとん、と私の心の中に入ってきた流星。――墜とされてしまった哀れな私。
だけど。そんなこと、普段はおくびにも出すわけに行かないから、黙って、なにもかも一緒くたに、それでも鍵付きの宝石箱みたいにベルベットを貼った心の奥底に大事に大事に押し込めて。
だって、私と彼は男同士で―――長年の確執を乗り越えて、やっとこの部隊で轡を並べて戦えるようになったところで。
今は私は、元好敵手の気安さで隣にいるけれども、見るからに生来の潔癖性に思える彼にもしもこの邪な想いにちらりとでも気付かれたら?
――――決まっている、側になど、寄せ付けてもくれなくなるだろう、二度と。
そう、二度と。
そうなると、常から人の絶えない彼の周りに、すぐに私の場所など無くなってしまうだろうから。「ジオンの赤い彗星」ともあろう者が、まるで恋を覚え初めた小娘のように、ひた隠しに己の気持ちを押し殺し、気のおけない同僚として、有能な朋輩として彼と共に在ることを選んでいるのだ。
彼の信頼は、今までの私の立場と、彼との間に起こった諸般の事情からすると真に得難い存在で。―――差し違えるには貴重すぎる代物だ。
やっと同じ道を、平行線といえど等しい方向に進めるようになったときの、歓喜の気持ちは私以外の誰にも理解はし難いだろう。すれ違い続けた彼の視線が私を掛け値なく真っ直ぐに捕らえることの、その意味も。
感情が揺らめいてしまうから、彼の前ではスクリーングラスは外さない。
だから私は、ただ、彼のことを想うだけに留めているのだ。ひとつだけ、抑えきれない激情を昇華するための儀式のような、日課を続けて。
一人、自室に帰って周囲に誰もいなくなってから、初めてほっと吐息を漏らすように、低い声で、壁向こうの尊い存在に向かって祈りにも似た、言葉を一つ。
―――『君が好きだよ、アムロ。』
届いてはいけない言葉は、もうどれくらい私の部屋の床に堪っているだろうか。放置してあると埃のようにうっすらと溜まっていって、いつか彼の目にも見えてしまうかもしれない。
たゆたうように重く気怠い告白は、私の中の閉ざした世界から出さないようにしているのだけれど。
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「アムロ大尉、明日のブリーフィングだが…。」
ノックと同時に大抵鍵など掛かっていた例しのない部屋のドアを開け、アムロの私室に足を踏み入れた私は、その場で勢い失速した。
「…アムロ?」
青年は、それはそれは気持ちよさそうにベッドの端で爆睡していた。
私が入っていったことで僅かに意識が浮上したのか、ううん、と小さく呟いて寝返りをうちかけて。――バランスを崩してずるっと滑る。
「――っ、危ない!」
思わず私は手にした資料もその場に放り出して、宇宙を航行する艦内に、微弱とはいえ確かに存在する引力に引かれるがままベッドから落ちていこうとするアムロを受け止めようといっさんに駆け寄る。
―――どすん。
やや間抜けすぎる音を立てて、アムロはくるまっていた毛布ごと、なんとかギリギリその場に滑り込んだ私の腕の中に落下した。
とりあえず、頭を受け止められたことにホッとして(下半身は毛布の簑でくるまれているから心配はあるまい)、起きたかと腕の中に視線を落としたが。
「……おい?」
剛胆なのか鈍感なのか、アムロは睫毛をぴくぴくと震わせただけで、そのまま睡眠続行することに決めたようであった。アムロ、アムロ大尉、と呼んでみてもぴくりとも動く気配がない。―――ここの所、当直と敵の奇襲続きだった所為もあり、疲れていたのだろうが、それにしても。
「…おい、君はニュータイプだろうが?」―――鈍いな、全くもって。
苦笑気味に言うと、長時間は支えきれない腕は外して、アムロの頭をそっと自分の膝の上に導いた。…女性に比べれば相当に硬かろうが、この際文句はなしだろう。
リノリウムの床の上にそのまま降ろすのは可哀想でもあるし、なによりも珍しく目にすることが出来た無防備なアムロの寝姿を、もう暫く拝んでいたかった。最近、深刻な表情を浮かべ、眉間に皺を刻むことも多くなっていた年齢の割りに幼い表情が、あどけないとも言えそうな程温かく解けているのを眺めていると、こちらまで癒されてくるような気がする。
やれ、白い悪魔だ、ニュータイプの先駆けだ、と皆は君の表層ばかりを取り沙汰するが、本来の君は、こんなにも優しい存在なのにな、アムロ。
遠い春の日の日溜まりにも似た、柔らかなその印象は、私がアムロを特別に想っているから、も理由かもしれないが。
なんだか不意打ちで思いもかけないギフトを貰ってしまったような心持ちで、ほわんとした心を抱えたまま、アムロの寝顔に見入る。普段はかけたままのスクリーングラスもとっとと外してしまった。折角のアムロの姿を、もうこの先二度とお目に掛かることはまず無いだろうというものを見ているのに、色眼鏡越しでは勿体なさ過ぎる。
ギフトといえば。
ふとあることに思い立ち、私は右手の手袋を外し、そっと指をアムロの滑らかな頬に伸ばした。触れるか触れないかの場所で止め、小さく呟く。――どうせ、アムロには聞こえない。
「―――…今日は私の誕生日なのだがね。」
欲しいものなど、もうずっと前から一つきりしかないのだ。――君、が。
「君が、私が生まれた日を。…私がこの世に誕生したことを、君が赦して祝福してくれれば。―――それだけで。」
他の誰でも駄目なのだ。アムロ、君が…君が赦してくれなければ意味がない。鬼子とまで呼ばれ、忌まれた『私』という存在を。
所詮叶わぬ夢とは思いながら、それでも私は恐る恐るアムロの頬にそっと指で触れた。想像した通り少しひんやりした子供のように滑らかな肌はとても柔らかく、微かに感じる産毛の手触りが素のままの指の感触を楽しませた。
優しく、まろく、そして玻璃でも扱うように怖々と円を描くようについ、と悪戯に撫でて。…起こすのを恐れるように、吸い込まれるように感じられる名残惜しさを押し留めて無理矢理指を離す。―――僅かに、指先にちりっとした痺れが走った。まるで、感電したような。
痛みは感じなかったが、反射的に手を引く。
その時、まるで指が離れるのに追い縋るように、呼応してアムロの琥珀の瞳がぱちりと開いた。
文字通り、刻が凍る。―――心臓が、そのまま止まるのではないかと思うほど、大きくひとつばくん、と弾んだ。
「―――シャア。」アムロが私の名を呼び、二三度ぱちぱち、と瞬きしてから、状況を理解したようにじっと私の顔を見る。
居たたまれなくて、私は視線を逸らしてしまった。
アムロが起きたときのことなど、笑われそうだが何も考えては居なかった。ただ漠然と、その内に膝枕をベッドの上に取り残されたままの枕に差し替えて、私はお暇しなくては、位には思っていたのだが、どうやら読みが浅過ぎたようだ。
内心の動揺を悟られぬように押し黙る私に、相変わらず私の膝の上に仰向けに寝転んで上向いたままの青年が、ぽそりと呟く。
「いま、あなたが触ったから、分かっちゃった。―――あなた俺のこと好きなんでしょう。」
「…!!」弾かれたように顔を上げ、アムロの双眸に視線を戻す。
その、二つの瞳は。想定していた嫌悪や困惑を携えて居らず、ただひたひたと押し寄せてくるような、柔和でとろけそうな、それでいて奇妙に潤んだ熱を湛えて緩んでいた。
これは一体、と私が事態の推移を整理して理解するよりも早く、彼の口唇が言葉を紡ぐ。
「俺も、好き。」
言って、アムロは目元を僅かに赤く染め、腕を伸ばして私の首元に縋り付いてきた。
自分の身に何が起こっているか全く理解できず、塩の柱にでもなったように硬直する。―――いったい、なにが起こっているのだ、私の身に?!
耳元で、殆ど溜息のように言の葉を吐息に乗せて、アムロが呟く。
「―――嬉しい、あなたが俺と同じ気持ちになってくれて。」
言葉の合間に混じる、とろんと甘いアムロの波動。たぷん、と押し寄せては、私の足下を一気に崩して押し流そうとするかのような。
アムロ、それは。―――ここへ来て、三倍速が嘘のようだったさしも鈍い私も、やっとの事で状況を把握する。
「それは、私の台詞だ。……気付いて貰えて、本当に嬉しい。」
未だ、完全には信じられないが。…都合のいい白日夢ではないだろうか。己の頬を抓って引っ張ってみたい衝動と戦いつつ、そろそろと両手を伸ばして腕の中の、想像していたとおりに華奢な身体をおずおず抱きしめる私に、アムロがそのままの姿勢で問いかけてくる。
「そういえば、さっき誕生日だって、言った?」「…ああ。」
頷くと、アムロは腰に回った私の腕は解かないまま身体を起こし、私の足の間にぺたんと座り込んで、困ったように私の顔を覗き込んでくる。
「しまったな、知らなかったから何も用意して無かったよ。…なんか欲しいものある?」
今からでも用意する、と腰を浮かせようとするアムロを腕に力を入れて引き留め、私は首を振った。
「もう、奇跡を起こして貰ったからそれで十分だ。」
「―――奇跡?」首を傾げるアムロに、その通りと微笑む。
ほんの、十分前まで。私はまさか君に想いを告げることになるなどと夢想もしていなかったし、ましてやそれが通じるだなんて、通い合うだなんて夢にも思わなかったのに。…なのに。
「おかしいな、本当にこれは夢ではないのだろうか。―――腕の中に、君が居る。」
つい思ったそのままを口にすると、アムロが当たり前だろう、と少し膨れた。「失礼だぞ、信じろよ。」
「これは、失礼。」くすくすと笑ってしまうと、もう笑いが止まらなかった。アムロが途中で機嫌を損ねてそんなに笑うなよ、何が可笑しいんだ、と私の背中を抓り上げてきたが、それでも目尻に涙が溜まりそうな程の、笑いの発作は留まるところを知らなかった。
「ああもう、…好きにしろよ。一生分笑うといいさ。」
遂にはアムロにも呆れ果てたようにそう言われ、彼自身もくしゃりと嬉しそうに表情を崩してくれた。琥珀の瞳が細まって、柔らかい光を湛えてこちらを見る。
「―――いいさ、あなたが幸せなら。」
その言葉に、きっと今のアムロ以外が見たら百年の恋も冷めるであろう(実はアムロも冷めはしないか少々心配になって来てはいたのだが、どうしようもなかった)崩れきった表情はそのままに、私は誕生日に君に貰いたいものを決めたよ、と囁く。
「―――では、アムロ。…君の中の宇宙を見せてくれないか。」
「そんなものでいいの?」何を言われると思っていたのか僅かに身体を硬くしたアムロが、拍子抜けしたように肩の力を抜いた。
「ああ。」そんなもの、どころか。―――君自身の内面に手を触れさせて貰おうとしているのに。
「じゃあ、……遠慮なくどうぞ。」
アムロはそう言って微笑むと、私の肩に手をかけて、私の額に自分の額をこつん、と当てて瞳を閉じた。
その日、私が彼に見せて貰った世界ほど、素晴らしい贈り物を私は生まれてこの方手にしたことはない。
―――全てが白日の下に晒されて、アムロがまだ、私の隣にいるというこの、全き世界を。
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+++END.
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