「魂のいちばんおいしいところ」 |
アムロ・レイが度重なる総帥シャア・アズナブルの招聘に遂に応じてネオ・ジオンに身を投じたのは、宇宙世紀0093年に入ろうかどうか、という時期のことであった。 「よく来てくれたな、アムロ」 「あなたがあんまりしつっこいからね」 あなたの粘り勝ちだよ、どう考えても。 満面の笑みを浮かべるシャアを相手に照れたように素っ気ない口調で言い、それで、と続ける。 「俺はどうしたらいいのかな?連邦からは、軍務にさえ就かなければ穏便に収めてくれそうな話は聞いてきたんだけど?」 「その事ならば話は先方ときちんと着けておいたよ。無論、正式に大手を振ってこちらに来て貰うつもりだ」 シャアはさらりと流し、アムロの目の前に分厚い契約書の紙束を置く。 「目を通したまえ。これにサインをすれば、君は晴れてネオ・ジオンの一員となる」 「そしてあなたに魂を売り渡す、って訳だ」 軽口を叩きながらアムロは契約書を取り上げ、ぱらぱらと捲る事さえせずに最終ページを開ける。 そこには各組織の責任者のサインが既になされ、後はアムロの確認を待つのみとなっていた。 時代が遙かに行き過ぎて全て機械仕掛けと言っても過言ではない今日においても、最も効力を発揮するのはやはりアナログに肉筆であるということに一抹の苦笑めいたものを覚えながら、アムロは目の前の男に向かって手を差し出した。 「シャア、ペン貸して」 シャアが流石に呆れ気味の声を挙げる。 「内容も読まないのか?」 まぁ、心配しなくとも君にとって不利な条件など一切ないが、と言いながらシャアは手近にあった万年筆ではなく、デスクの上から執務用のペンを取り上げ、青年に差し出した。 万年筆はインクの変色があるので当然公式文書用としては認められない。 本当に律儀な男だよこの人はと内心おかしく思いながら、アムロは純銀製のペンを受け取った。 「使いたまえ」 「ありがとう」 ずしりと手に馴染む重さ。意識せずに加えられる筆圧の助けを借りて、何とか震えずに署名を終える。 ―――Amuro RAY. 要求された二個所か三個所に機械的に名前を書き入れる。 読んでしまうとまた揺れそうだったから、内容には一切目を瞑った。 シャアが保証するからにはあざとい内容などは無いだろうし、何人もの弁護士や法務事務所を入れた公式文書だ。 それに。よしんばこれが人身売買の契約書―――まぁ、似たようなものではあるが、だとしても。 身体も心も、目の前の男に与えてやると、もう決めてしまったのだから、今更、だ。 下に見えるシャア自身の「キャスバル・レム・ダイクン」のサインにくすぐったいものを感じつつ、アムロは全ての書類にサインを終えると、ペンを添えてシャアに契約書の束を差し出した。 「ほら」 「うん」 受け取って不備がないかぱらぱらと確認し、シャアは満面の微笑みを浮かべてアムロに向き直った。 内心がどうにも浮かれて浮き立っているのを誤魔化すように、多少芝居がかった大袈裟な仕草で、歓迎の意を表明する。 「ネオ・ジオンにようこそ、アムロ・レイ」 赤味がかった鳶色の癖毛の青年は照れたように小さく笑い、肩をすくめた。 「あーあ、ニュータイプがジオニズムに魂売り渡したら洒落になんないってのに」 軽くぼやいてみせ、でもね、と続ける。 「この身体と心はあなたの理想と信念にくれてやることにしたけど」 言いながら赤い総帥服を身に纏う男の側に寄り、その胸に両手を添えるように着いて、金彩に彩られた優雅な男の立ち姿を惚れ惚れと見上げる。 「俺の魂のいちばんおいしいところは、あなた自身に…贈るつもりだから」 受け取って?シャア、とはにかんだように告げられて、シャアは遂に自身の鉄壁に限りなく近いはずだった良識という名前の枷に別れを告げ、公務中の執務室内で華奢な青年の体躯を思い切り強く引き寄せて抱き締めたのだった。 |