夜の樹




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ボードのような光沢を放っていたスモークガラスの透明度が上がっていくのに従って、アムロの視界は広くなっていく。
総ガラス張りの壁面先にやがて現れたのは、大小のクレーターを刻み込まれた鈍色に輝く地表。
アムロが通された部屋からは緩やかに弧を描く月の地平線と暗い宇宙が遠くまで見渡せた。

「おい、シャア」

「別にスイートというわけではないから気にするな」

「気にするなって言ったって」

それなりの広さを持つ部屋はアムロだったら連れがいたとしても決して取らないような代物だ。調度品が年代物に見えるがそれも気のせいではないだろう。

「静かな場所が欲しかったのでね」

静かな場所なら他にもあるだろうと言おうとして思いとどまる。この男のことだ。それを言っても結局は自分のやりたいようにするのだろう。

「それより私は君が来てくれないのじゃないかとその方がひやひやしたよ。正直怖かった」

「──変なやつ」

アムロは小さく笑った。
ひんやりしていた空気がにわかに温まる。
アムロがここフォン・ブラウン市を訪れたのは設計に携わっていた駆動機器の試作品が完成したとの知らせを受けたからだった。今住んでいるコロニーの工業施設は十分とはいえず、ましてやアムロのような専門分野となると自らその場へ出掛けていくしかないのだ。
そして月にはシャアがいた。連絡したものか一瞬躊躇いを覚えたものの、後で知られて気まずくなるよりはとアムロは連絡する方を選んだのだった。その連絡によりシャアに指定されたのが、市郊外のこのホテルだった。

「それで?」

「ああ、君さえ良ければ少し早いが夕食はどうかな」

時計を見ると確かに夕食には早い時間だ。だが一件で終わらないだろうことを考えると出掛けても良い頃合だ。その一方でシャワーを浴びたいな──。アムロの脳裏で呟く声があった。







軽くシャワーを浴び、バスルームを出てみるとシャアはいなかった。
応接のテーブルに目を落とすとメモ用紙に「出掛けてくる」とだけ残されている。

(おい、街に繰り出すんじゃなかったのか)

メモを残していくのならせめていつ戻るくらい書いていけば良いのに。しかたなく濡れ髪にタオルを乗せてソファに座る。
ひとり所在無くそうしているといやでも視線は外に向かう。
月面と宇宙のコントラストは殺風景だが確かに眺望は素晴らしい。
もっともその眺望がもてはやされたのは宇宙開拓の黎明期だ。今の時代、目の前の景観に価値を見い出すのは宗教者か芸術家の類いくらいだろう。それだけ宇宙は今や身近な存在となっている。
ガラスの向こう側から無音の世界がひたひたと押し寄せる。
漆黒の外の世界よりむしろ室内の方ががらんどう然としていて、無音でないのがおかしいというように、タオルと髪の擦れ合う音が場違いにうるさい。

 一人で来る場所じゃないよな‥‥

出来る事なら二人以上。パーティーであればこんな殺風景な景色も余興に華を添えられるだろうか。
気が滅入りそうになりウインドウのリモコンスイッチをためしに入れてみる。
たちまち景観は入れ替わり、御丁寧に波の音まで響かせながら壁面一杯に地球のどこかの海岸が映し出された。遠くでは海鳥も鳴いている。寄せては返す波は思った以上にリアルだが、しかし飛沫がこちらに来ることはない。チャンネルを変えると別の風景が映し出された。砂漠、南の島、高原、山々の連なり、地球から見上げる星空もある。全てがリアルであると同時に作り物であった。
なんだかますます不毛な気がして結局アムロはスイッチを切ってしまった。
再び壁面いっぱいに宇宙が現れる。
おかしなもので一番気が滅入りそうな風景が最も落ち着く場所となった。

「‥‥‥‥‥」

人は闇を恐れるのに何故こうも目を逸らす事が出来ないのだろう‥‥。
理屈では測りしれない何かが人の心に潜んでいるとしか思えない。
吸い込まれそうな宇宙の暗黒にサイケデリックな幻象が狂い咲いた。



いつの間にかうとうとと、眠りにはまりかけていたらしい。
ロックの外れる音を遠くに聞いた。
夢とも現実ともつかない狭間に、起きなくてはと思うのだがソファの上の体はまだ夢見心地から抜け出せないでいた。

「‥‥眠ったのか‥‥」

語りかけているとも独り言とも取れるシャアの声。ようやく覚醒出来たのは、名前を呼ばれてからだった。

「悪い‥‥。寝てしまったらしい」

「疲れていたんだろう。すまない、起こさない方が良かったか」

「いや、今寝たら腹が減って夜中に目を覚ましそうだ」

「そうか」

時計を見ると十五分も経っていない。シャアを見ると急いで戻ってきたのか少し乱れた風体をしている。手にはさっきまで見かけなかった細長い包み。視線に気付いたのだろう。シャアが包みを持ち上げた。

「どうしたんだ」

「知り合いに前々から頼んでいたのがようやく手に入ったんだ。君と飲もうと思ってね」

地球産のワインだとシャアは言った。

「それより出ようじゃないか。タイミングを外すと市街地は混むからな。それに君は空腹のようだ」






二人はホテルを出ると市の中心部へと足を向けた。歩きながらチューブにするかタクシーにするか考え、結局タクシーを拾った。
入った店は落ち着いた内装で、照明が少し薄暗い。

「おい、今から酔っているんじゃないだろうな」

「酔ってなどいない。あぁ、アルコール以外になら酔っていると言ってもいいかもしれんな」

先程から気になっていた事を思いきってアムロはシャアに聞いてみた。
ワインが手に入ったと言っていた時もそうだったが、どうもシャアはいたく機嫌が良いらしいのだ。はぐらかされた感もあるが、アムロに答えた今の言葉からしてすでに浮ついている。日頃の落ち着きが華やいで見えるのも気分が高揚しているそのせいなのか。そんなシャアの姿がアムロにとっては落ち着かない。一人だけ置いていかれたようでそれもなんだか面白くない。
店内に流れる音楽と心地よい談笑のざわめき。観葉植物はちょうどよい二人の隠れみのだった。
ウェイターが離れた合間にアムロはシャアから掠めるようなキスを唇に受けた。久しぶりの、そして思いも掛けない仕業にぴくりと肩を震わせる。アムロの苦虫を噛み潰したような表情にシャアが笑った。
シャアのいささか密過ぎるスキンシップも、アムロのシャアに向ける非難の眼差しも気がつく者はいなかた。





食事の後は店を変えてアルコールを。
そう考えて市の中心部にまで足を運んだのだったが、どちらからも次の店に誘う言葉は出なかった。喧嘩をしたのでもない、言い争ったわけでもない、互いを意識した沈黙を保ったまま二人は帰りのタクシーを拾いホテルに戻った。

「アムロ」

部屋のドアを閉めると、アムロは応接のソファの上でシャアがのしかかってくるのを受け止めた。
二人分の重量にソファが深く沈みこむ。
衣擦れと二人の唇の重なる音だけがリアルな質感を持って室内に流れた。
リードするシャアの動きに性急さは見受けられない。しかしその奥に彼自身どうにも出来ない焔が重く鈍く点っているのを感じる。それは今始まった事ではないが今日はやけにそれを熱く感じる。

「──君はさっき笑ってくれたが、あれは私の本心だよ」

「?」

「私の誘いに来るも来ないも、選択肢は君の手にあった」

シャアの指先がアムロのこめかみを優しくなぞる。
瞳がこう言っているようだった。

 ここでなら抵抗出来ただろうに、抵抗‥‥しないのか───?

アムロはシャアから視線を逸らした。
シャアの背後の微かに明るい地表の向こうに永遠の夜がある。それを見ながら震える声で言葉を紡ぐ。

「‥‥今になって、それを言うのか」

抵抗がないわけないのだ。
自分は男を愛するようには身体も心も出来ていない。それを黙殺し、許しているのはひとえにそれがシャアだからだ。今までの自分達の経緯をこの男は、シャアはそれを忘れた事にしたいのか。

「そうではない」

「シャ‥‥ア‥」

シャアの指が体内に潜るのを微かに身を強ばらせながらアムロは耐えた。吐く息が甘くなる。

「君を手に入れたなどとは思っていない」

下肢から生まれる感覚に耐えられずアムロはシャアの首にしがみいた。

 ──だから、自分の拒絶が怖いだと?

「‥あっ‥‥はっ‥‥」

 ──馬鹿を言うなっ

そんな男がこんな真似をするものか。

「──くそっ」

アムロは毒づいた。
快楽に飲まれようとする身体に渾身の力を込め、上に乗るシャアを押し返す。シャアの瞳がそれだけの事で揺れるのにちりちりと怒りが湧いたが、文句を言えるほどの余裕はアムロにもなかった。普段なら苦もない動作がたまらなく辛い。
アムロはシャアを見下ろした。
理性の下の欲望を引きずり出すように強く刺すように見つめる。
身体に心が引きずられているのか、心が身体を引きずるのか。
互いが互を求めて昂っているのは嫌応なく身体が証明している。
質の悪い言葉遊びをしている暇などないのだ。

うっ‥‥っ」

アムロは震える身体を自らシャアに下ろしていった。









境目の曖昧な箇所から泡のような粒が生まれた。
月の地表にぽかりと浮いた小さな地球の出をアムロはぼんやりと見つめていた。

「どうしてこんな場所選んだんだ」

「傷心を慰めるには、良いだろう」

ふざけた男だ。拒絶が怖いとほざいた殊勝な男がどこにいるというのだ。
アムロは鼻を鳴らした。

「あんたの感情の波に振り回されるこっちの身にもなれよ」

自分を信じろとは言わないが、連絡を入れ、ここに来た自分の気持ちも考えて欲しい。

「あのワイン。ヤケ酒用だったのか」

「まさか。まあ君は価値を知らないからそう言えるのだろうな」

知るかっ、そんなもの。

「‥‥‥‥そんなに良い物なのか?」

「それなりには、な」

「ふうん」

「君への土産だ。私はまだしばらくは帰れないからな」

アムロは上体を起こした。隣のベッドの皺ひとつない白いシーツが目に痛い。どうやら隣は使わずに終わりそうだ。
アムロは膝を抱えるとその上に頭を乗せた。
こんな場所だからいけないのだ。
アムロが来たことが嬉しいのなら四の五の言わず素直に喜べば良いのだ。不安ばかりを見せずに。
ぎゅっと命の濃縮された小さな地球は、たったひとつのシャボンのようで見ていると寂しい。一人でいると思い出すから、揺れて心も迷いに出る。
二人して呼ばれたのだろうか。失ってきたものに。

「コロニー」

「え」

「‥‥早く、帰ってこいよ」

たとえそれがちっぽけなコロニーでも、優しく包む緑が恋しかった。
シャアの手が伸び、愛おしむようにアムロの髪を優しく撫でた。







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65000をカウントしました雨野とりせ様のリクエスト。
御希望は「揺れる」ということでいろんな揺れるを入れてみました。
いくつ、そしてどんな「揺れる」を見つけたかな?
って違うか(笑)
そして久しぶりの「同棲しているらしい」話の二人でした。
たまには外でということで。



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笹螺尚さんのサイトで、表65000HITを踏んだ・・・かな・・・?
というので頂いて参りました!!
もうお話を頂いて、この読後感が凄く好きで、何度も何度も読み返しました〜v
「揺れる」などという抽象的なリクエストをしましたのに、
ホントに何回も捻って手元に還ってきた気分です!!
揺らめく二人の関係と、流されるアムロと浮ついたシャア。
ああ、なんて素敵。
「帰ってこい」ですよ、「帰ってこい」!
笹螺さんの、どこかのコロニーで暮らしているらしい二人の話好きなんですが・・・
そのお話の二人ですよ〜v
しかもアムロが焦れるくらいシャアが煮え切らない話、好きなんです、私(笑)
笹螺さんのお話はいつも読む度にほぅ、と溜息をつかされるのですが、
そのお話を自分でリクエスト出来る日が来ようとは・・・(感涙)
笹螺さん、ありがとうございました!!

 

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