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《中編》
自分は、平和な暮らしなんかできないという思い込みか一種の強迫観念のようなものが、アムロにはずっとあった。
ホワイトベースに乗ることになるまでは平凡過ぎるほどに平凡な少年だった筈なのだが、その後にニュータイプの力に目覚め、戦後実験対象としてシャイアンに軟禁されるに至って、自分という人間は平凡な人並みの人生など望むべくもないものなのだという意識が芽生え、それは、シャイアンを抜け出した後で出会ったベルトーチカ・イルマという女性との幸福を徐々に蝕んで行った。
金髪の、いつまでも少女のような彼女との幸福な日々を手放した後の安堵感は、きっとアムロにしか分からないだろう。かかっていたカウンセラーにはあなたの幸福恐怖症は改善すべきだと言われたが、アムロは結局は掴みかけた幸福を自分から手放した。
だから、シャアとの奇妙な共同生活に飛び込んだのも、状況に流された一時的な物だと信じて疑っていなかった。少なくとも、アムロ自身は始まった第二の人生の入り口というか、その程度のものとしか捕らえてはいなかった。
「シャア……じゃない、エド、これでいいのか?」
「どれ。……ああ、綺麗に焼けるようになったな」
喫茶店に毛の生えた程度のダイナーを経営しているシャアの元で、アムロは彼と同じように名前を変えて住み着き、いつの間にか一緒に店に立つようになっていた。シャアの誉め言葉を受けて、アムロが胸を反らす。
「オムレツくらい、誰にだって焼けるさ」
アムロの得意げな言葉を聞いて、シャアが軽く吹き出す。
「そうかな? ここに来た当時の君と来たら」
「ああ、意地悪は言うなよ」
「毎日失敗した卵を二人で片付けるのが日課で、もう暫く卵なんか見たくないと」
「シャア!」
アムロは子供のようにぷっと膨れてみせ、シャアはそれを見てまた微笑んだ。
「冗談だよ、君は筋が良い。"Holy Trinity"も上手に使いこなせるようになった」
そのうちに私の代わりにキッチンに立って貰っても大丈夫そうだな、とにっこり笑って頭を撫でられ、子供扱いして、とアムロが今度は頬を染める。その後で、思いついたように顔を輝かせた。
「な、あれ作ってよ、バナナ焼いたの」
「バナナフォスターかね? 君は意外に甘い物が好きだな」
「いいじゃないか、今喰いたい!」
「全く、子供かね。太っても私は責任を取らないからな」
シャアが敵わないという風に肩をすくめ、ストーブ前のアムロと位置を交代した。嬉々として皿の用意をするアムロを見送って、苦笑しながらアムロのリクエストを作る準備にかかる。今のところ、二人の共同生活は思っていたよりも遙かに巧く行っているようであった。
■ □ ■ □
アムロは吐息のような溜め息をもらした。同時に、ベッドの中で寝返りを打つ。眠れない夜が続いていた。
突然ふらりとやって来た自分を隠遁していたシャアが受け入れたのにも驚いたが、もう一つ。
「覚悟は、してたんだけどな」
いや、むしろ期待と言うべきか。思わず目の前にかざした掌をしげしげと見つめる。この、モビルスーツを駆るしか脳のない手を殊更シャアは好きだと言っていた。
何度も、口付けられた。唇が、指が、髪の毛が、素肌が。余す所なく金の髪に、露わな体に触れた。
シャアと肌を重ねるのは心地よかった。今は、指の一本すら触れようとしてこないが。
―――はぁ。
何度目か分からない湿った吐息は甘く暗く闇に消えた。欲求不満と呼ぶには余りに甘い熾き火が、アムロの胸の内で燻りを続けていた。
シャアの元に留まるように言われたときに、「そういうこと」も想像しなかったと言えば嘘になる。事実、この家で過ごした初めての夜は、いつシャアがドアを開けてやって来るのではないかとどことなく神経が高ぶってよく眠れなかったものだ。
けれど、結果としてシャアはアムロの部屋を尋ねてくる事は一度もなく、だからといってアムロの方からもシャアを尋ねたことは一度もなかった。堂々と訪ねるにも躊躇いがあったのだ。
ただ、当然のように体の関係も復活すると思い込んでいた所があったので、少し肩すかしを食らっただけで。
―――まぁ、元々男同士であんなことになっていたのが異常だったんだし。
そう結論付けると、アムロはさっさと頭を切り換えようとした。彼は、意外かもしれないが恋人を切らしたことがなかった。取り立ててそういう欲求が強い方だとは思っていなかったが、いつまでも独り寝の夜が続くのは流石に健全な二十代の男性としては耐え難いものがあった。
「……恋人でも、作るか」
闇の中で一人誰に聞かれているというのでもないのにぼやき、がり、と親指の爪を噛む。はっきりしない金髪の男が悪いのだと、シャアを責めそうになる自分自身をアムロは持て余しつつあった。彼は決して、恋人などではなかったというのに。
■ □ ■ □
シャアの店で働いているアルバイトの少女をアムロがデートに誘ったのは、それから程なくしてのことだった。
飲んだ勢いというよりは半ばは確信犯で彼女が一人で住んでいるという安アパートに案内され、シングルベッドとテレビの他にろくな家具もないような部屋で性急に抱き合おうとする。
「あんた、女の方が好きだったんだね。エドとわけありそうに暮らしてるから、てっきりゲイなのかと思ってた」
くつくつとおかしそうに笑いながらそう言った少女に、アムロは苦笑してみせた。突然押し掛けていって共同生活を始め、しかも今では店の手伝いまでしている位だ。端から見ればゲイだと誤解されても決しておかしくはない上に、確かに嘗てはそういう関係でもあったのだ。だから、アムロはイエスともノーとも言わなかった。
「試してみる?」
「ええ、あんたにその度胸があったらね」
挑戦的な視線でベッドの中に誘われ、アムロはベッドの上に腰掛ける少女をスプリングの貧弱な安っぽいベッドの上に組み敷いて、シャツを脱ぎ捨てた。クスクスと女が脚の下で笑っている。媚びるような上目遣いは嘗ての不自由な日々にただ性欲の処理をするためだけに与えられた女達の目に似ていて僅かに不快だったが、恋人にするのではないのだし、と思い直すように女の服の中に手を入れた。
髪の毛に顔を近づけるとドラッグストアで売っているような安っぽい香水の合成のきつい臭いが鼻を衝き、アムロは顔を顰めると、まず電灯を消せば良かったと内心で己に対して悪態を吐いた。
■ □ ■ □
荒々しく裏口のドアが開く音を聞いて、翌日の仕込みをしていたシャアは顔を上げてそちらの方を向いた。戸口には、非常に不機嫌そうな顔をした青年が仁王立ちになってシャアを睨んでいた。シャアは暫くどうしようか考えた後で鍋の火を止め、布巾で手を拭ってからアムロの方に近寄りながら口を開く。
「君はアンナとデートではなかったのか? 今夜は遅くなると言っていただろう」
「気が変わったんだ」
苛立たしげな口調でそれだけを言うと、アムロは着ていたジャケットを床に放り出し、シャアを睨み付けた。
「なぁ、あんた、俺を抱けよ」
「……何?」
挑むような視線で睨み据えられて、シャアは思わず驚いた顔になった。アムロが舌打ちをしながら続ける。
「なんだ? 宗旨替えでもしたのか。もう男は抱けないか? だったら、俺があなたを一晩買うよ。金ならあるんだ。退職金だけどな。一晩幾らなら俺に買われる?」
「アムロ、突然何を言い出すのかは分からないが……」
「突然じゃない!!」
言うと、アムロはジーンズの尻のポケットの中から財布をとりだして、シャアの目の前の床に叩き付けた。
「そこから好きなだけ持って行け、こんな片田舎の、ダイナーの店主には過ぎた金だろう」
「落ち着きたまえ、一体何があったというのだ?」
「うるさい、理由なんか聞かなくていい!」
喚きながら続けて着ていたシャツに手をかけて床に脱ぎ捨て始めたアムロの姿に、シャアが大仰な溜息をついた。
「こんな所でかね。余りにも色気がないな。商売女でも時と場所くらいは選ばせて貰えると思うが」
「よく言う。本当はこういうの、好きなんだろう? 俺が泣いたり喚いたりするのが好きだったじゃないか、あなた。変態の癖にさ、今更本性を繕うなよ」
ふんとアムロは鼻先でせせら笑い、近付くとシャアの着ているコックコートの前に手をかけた。一つ二つボタンを外し、それでも動こうとしない男に焦れたような視線を向ける。
「脱いじまえよ。仕事着が汚れるぜ?」
「だったら止したまえ。本当に、なにがあったというのだね、アムロ」
「うるさ、い、……いいから、黙って、抱け」
吐き捨てるように言いながらむしゃぶりついてくる青年の肩に手を置いて顔を近づけ、シャアは僅かに顔を顰めた。
「酒臭いぞ。安物の香水の匂いもする」
「そりゃ、アンナの部屋からここに来たから」
平然とした表情で言い放つと、アムロは挑むような視線で男を見上げた。
「口直し、させろよ」
にい、と笑って、アムロは背伸びをすると男の薄い口唇に自分の口唇をつけた。直ぐに割り込んでくる舌先の苦いアルコールの味にシャアが眉を顰める。アムロは頓着せずに男に身体を押し付けて唇をいいように貪ると、調理台に手を突いたシャアの膝を跨ぐようにして男に迫る。
「後味が悪くてさ、気持ち悪いんだよ、ホントに」
顔を離した後で顔を顰めながらそう呟き、脱いだシャツでぐいとシャアの口を拭うと、アムロから移ったらしい口紅がべっとりとシャツに付着する。その毒々しい色を見て、シャアが溜息を着いた。
「悪趣味だな」
「お裾分けだよ。勃たない男に興味はないとさ」
「……ほう?」
シャアが低い声で呟いた。シャアの脚に擦りつけられているアムロのものは既に硬く反応を示しているように思える。なので、敢えて低い声で青年に尋ねた。
「不能なのかね、知らなかったな」
「俺だって知らなかったんだけどさ、相手を選ぶだなんてことは」
忌々しげにあの女じゃなかったら勃ってたかもしれないのにな、と呟くと、アムロはシャアのジーンズに手をかけ、そこで男の腕に更なる行動を阻まれた。腹立たしげに顔を上げると、戸惑ったような青い双眸とぶつかる。
「何するんだよ!」
「落ち着きたまえ。何があったのかは知らないが、自暴自棄は良くない」
「そんなヌケヌケと聖人君子みたいなことよくも言えたものだ。俺の身体なんて何もかも知ってやがる癖に」
わざと蓮っ葉な口調で言い捨てると、アムロはそうだろう?とシャアの胸元をぞろりと指先で撫で上げた。そのまま、濡れたような熱い声でシャアの耳元に囁く。
「あんなに俺のことアツくしておいて」
しかし、金髪の男はアムロの挑発になど乗らないという風に静かに笑うだけだった。
「私にはもう何もない。君を惹き付けておけるようなものはなにも。君はどこにでも行けるだろう。私になど拘らずに」
ぱちぱちとアムロが何度か瞳を瞬かせる。瞬時にはシャアの言葉の意味が理解できなかった為だ。理解して、それでも戸惑った。今のが、シャアの言葉だろうか。あの、何事にも過剰なほど自信に溢れているように見えたシャア・アズナブルの?
「あんたの言葉とも思えないな。いつからそんな無欲な男になった?」
思わず問い質すと、シャアはこれにも静かに頭を振るだけで、苛立たしさだけが募ったアムロは、体の熱など忘れたようにシャアに詰め寄る。シャアはと言えば、ただ静かにアムロを見つめているだけだった。
「……あんたは、それで平気なのか? 俺が誰の元に去ろうとも」
「平気だよ、私は、君が与えてくれたこの痛みさえあれば、生きていけるのだから」
「……正気か?」
「正気だとも。君が例え私になど一片の気持ちも寄せてくれなくとも、だ」
視線を合わせてはっきりと言いきられ、アムロはぐっと言葉に詰まった。こんな展開など、想像もしていなかったのだ。頭の中のどこかでは、楽観的にもシャアは自分の方から迫れば結局は抱くだろう、と思っていたのだ。腹立ち紛れに憎まれ口を叩き付ける。
「大した禁欲生活だな。坊主になれるんじゃないか」
「そうかな。生憎欲しいものは分かっているのだ。……手が届かないことを知っているだけで」
「それが、らしくないと言ってるんだ」
「君は、私とはただの遊び、だったのだろう?」
「そんな女みたいな拗ね方、よせよ」
吐き捨てるように言うと、アムロは男の胸倉を掴んだ。言ってみろ、と男を挑発する。
「何が欲しいんだ?」
「……アムロ?」
「見返りか? 復讐でもしたいのか? 俺の愛情なんてそんな不確かなもので、目の前にある全てを棒に振るつもりなのか、貴様という男は!」
癇癪を起こしたアムロは、どんと男の胸を突き飛ばすと、嘲るような表情をしてフンと鼻先で男を嗤う。
「呆れたロマンティストだったって訳だ。貴様みたいな男を追いかけ回していたかと思うと、情けなくて泣けそうだ」
そこまで言われても、シャアはただ首を振るだけだった。
「君など失って久しい存在の筈なのに、何故だろう、もう一度失うと思っただけで苦しくなる」
呟くように言うと、青い瞳を初めて真っ直ぐに上げて、アムロを見た。
「これ以上、ファントム・ペインなど増やしたくはない。私こそ、君に言いたいくらいだ。何故今頃になって、私に其程固執するのか、と」
問い詰めるように言われて、アムロは肩をすくめた。
「気が変わったんだよ」
「冗談を言うな、そういう仲にさえならなければ、君とはお互いに尊敬をしあって生きていけると思うのだよ」
だから、と言いかけた男の腹に、いきなり繰り出されたアムロのストレートが命中した。
「ばっかやろ、人を同じ舞台に引っ張り上げて、自分はさっさと引っ込むつもりなのか?」
「……っ、」
不意をつかれてまともにボディーブローを喰らったシャアが一瞬息を詰まらせ、それでも体勢を立て直してアムロからの第二撃に備える。しかし、アムロの方はそれ以上シャアに何かする興味は失せてしまったようで、止めた、と呟いて身体を起こした。
「以外とつまらない人間だったな、あなた。精々この場所にへばりついて暮らせばいい、俺はもう降りる」
「なんだと?」
「尊敬? 笑わせるな、俺はあなたに敬意なんか欲しちゃいない。なんで俺がここに残ったか、あなたは分かっているのか? いつでも俺の好きなときに、あなたを殺せるってことが気に入ったからだ」
シャアはそれを聞いて、思わず青年の胸倉を掴み上げていた。
「アムロ、君は……」
「こういうのが、俺達には似合いなんじゃないのか、違うのか?」
「こんなことを望んだわけではない、私は……!」
しかしシャアはやはり今度もそこで言葉を切ってアムロから手を離した。アムロの表情に、今度こそはっきり失望の色が浮かぶ。
「つまり俺は、無駄な時間を過ごした、ってことだな」
「そうだ」
「そうか。……」
今度こそはっきりと大きく息を吐くと、アムロは真っ直ぐに顔を上げて、シャアに向かって宣言した。
「俺は明日、ここを出る」
それに対してのシャアからアムロへの返事はなく、アムロは無言のままの男に背を向けて自室へと帰っていった。腸が煮えくりかえって、吐き気が一層酷くなっていた。
どうしてこんなに腹立たしいかはもうとっくに分かっている。アムロ・レイはたった今、終生のライバルを永遠に失ってしまったのだ。
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+++To be Continued.
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