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"When one is in love, one always begins by deceiving oneself, and one always ends by deceiving others. That is what the world calls a romance."
愛とは自分自身を欺くことにより始まり、愛するものを欺くことにより終る。それがロマンスというものなのさ。
Oscar Wilde "The Picture of Dorian Gray"
《前編》
It's gonna be a long night
And I know I'm gonna lose this fight
I'm lost in your arms baby
Lost in your arms
The Corrs "Long Night"
何時からこんな逢瀬を重ねるようになったのだろう、と金髪の男は溜息をついた。グリプス戦役の後、過去の未練は全て断ち切った筈であったのに、偶然の再会が再び男をアムロ・レイという存在に結びつけてしまった。
しかも、それまでよりもより一層、深いものとして。
同じベッドの向こうでは、先程まで腕の中であれ程の狂態を見せていたはずの青年がさっさと服を身につけ、帰り支度を始めている。溜息と共に、シャアは腕を伸ばして青年の細い腰を抱いた。背中越しに触れる体温に、青年が物憂げに振り返る。
「…なんだ?」
「つれないな、君はいつも」
囁くように告げられた言葉に、赤みがかった鳶色の髪の青年は髪の毛と同色の眉を顰めた。
「つれないのはあなたの方だろう? とっとと何処へでも消えちまえよ」
ふん、とご丁寧に鼻まで鳴らす青年に、つい数時間前にシャアは別れを告げたばかりの筈であった。
男には大義があり、その為にこの青年を手放すことは不可避の事態だったのだ。それでも、シャアはそれなりにこの別れに傷ついていた。
「アムロ」
これが最後だから、とふとシャアは今まで思っても決して恐ろしくて青年に告げられなかった言葉を言ってみようと思った。
もしかしたら、これが最初で最後かもしれないから。気紛れに紛らわせて、本心を告げてしまおうと。
「あいして、いるよ」
初めてだった。……嘗て心を寄せた、ララァにもこの言葉を告げたことは無かったように記憶している。
しかし、アムロはただ、煩げに眉を顰めた。
「ばかなこと、言うなよ」
「ばかなこと、だって?」
予想外の反応に、シャアは眉を顰める。喜ばれると思って告げた台詞ではなかったし、アムロの反応によっては冗談だと一笑に伏してしまうつもりではあった。けれど、しかし。
「あなたと俺との関係は、遊びで寝ていた以上でも以下でもないだろう。めんどくさいだけじゃないか、そういうの」
重いのはスキじゃないんだ、とあっさりと言ってのけられて、男の方にも意地のようなものが産まれる。
「アムロ、では―――もし、私が君の前に立ちはだかることになったら、どうする?」
アムロは暫くその琥珀の視線でじいと金髪の男を眺め、その後で静かに言った。
「どうも」
「どうも、だと?」
青年の返事を聞いてシャアは眉を顰めたが、アムロは興味もなさそうに続けただけだった。
「俺の真ん前に戦場で来たなら仕方がないけど。別に、俺じゃなくても誰かがあんたを殺すだろう」
アムロはあっさりと言い捨てると、それじゃあ、と青いジャケットを羽織って部屋を出ていってしまった。シャアはその背中を暫く見送っていたが、やがてゆっくりと身体を起こし、床に落ちた服を拾い上げる。
優位なのは、彼を抱いているのは自分の方である、筈だった。
まるで己が捨てられた女になったような気分がして、金髪の男は軽く舌打ちをした。
ずきりと胸が痛む。その鈍い痛みを無視して、シャアもその部屋から足早に立ち去ることにした。
■ □ ■ □
「総帥、そろそろお時間ですのでお支度をお願いいたします」
顔の見えない部下の声に、シャアは軽く頷いた。赤の華麗な軍服を纏い、白い手袋をはめ、これから用意される舞台へと備える。頭の中で演説の内容を何度も反芻していると、不意にドアがノックされ、再び別の部下が顔を出す。
「総帥、会場の入場が巧く行っていないようなので、少し時間がずれるようです。またお知らせいたします」
それだけを告げて慌てた様子で再び出ていった部下は、赤みがかった鳶色の髪をした青年だった。シャアはその青年の髪の色に一瞬目を奪われ、返事をすることも忘れる。
同じような色をした髪の毛の、一人の青年のことを思いだしたので。
「……」
名前を呼ぼうとして、その名前への想いは断ち切ったはずだと未練がましい己を内心で叱咤する。
なくしたはずの心が痛い。
なくしたはずの想いが、まだ胸の内を責め苛む。
「…っ」
シャアはぐっと胸の辺りを掴み、痛みに耐える仕草をする。そのまま、ゆるゆると視線を上げた。
―――この扉の向こうにある会場には、ネオ・ジオンの支持者が集まっている。
歓声と眩い光、スポットライト、荘厳な音楽、ざわめき。そんなものがドア一枚隔てただけのシャアにもびりびりと空気を震わせるように伝わってくる。些か鈍いとはいえ、シャアもニュータイプと呼ばれる人種の端くれだ。
シャアは立ち止まり、扉を凝視し、のろのろと周囲を見回した。
急に、世界の全てが色を失って、何もかもがグレースケールの、二次元のぺらぺらの世界のように。
見えた。
―――アムロ。
その名前だけが、彼の心の中に赤く仄かに灯っていたが、それももう、消えてしまいそうだった。
―――そういえば、私は一体、なんのために戦おうとしていたのだ?
人類のため、地球をこれ以上汚染させないため、スペースノイド達の理想のために。そんなことが上っ面に張り付けられた飾りでしかないことは、そろそろシャア自身にも分かり始めていた。シャアはただ、自分自身のためにこの戦いを起こそうとしていたのだ。
(そして私は、父ジオンの元に召される、筈であったのだ)
誰よりも苛烈に自分の罪を裁いてくれるであろう、白銀の流星に討たれて。
(それも、今となっては叶わぬ夢、か)
ふと、思った。アクシズを落とした後、自分は一体どうすればいいのだろう。アムロは出てくるのか。出てくるだろう。出て来るには違いないが、それはもう、連邦の一兵卒としてのただのアムロ・レイという個体であって。シャアだけを殺しにやってくるわけでは、ない。
それでも戦場においては自分と対峙するのは彼しか居ないだろうという自負は依然シャアにはあったが、それもどことなく虚しい、未練がましい考え方であるような気がしてならない。
空虚に痛む胸を白い手袋をした手で抑える。確かに自分は道化だ。
(この身体も心も、最早空蝉の存在に過ぎない)
彼を想う心の残骸か燃え滓のような、ファントム・ペインだけを残して。
シャアは、何かの衝動に駆られたように華麗な深紅のネオ・ジオンの総帥服の上着を脱ぎ捨てた。
もう後一瞬でもこんな場所に居るのは耐えられなかった。アムロが待って居るから、と思ったから耐えて来られたのだ。
この扉の向こうにも、その遙か先に続く道の何処にもアムロが居ないのなら、そんなものはもう、自分にとってはなんの意味も価値もなかった。
全ての我慢も執着も、果たすべき責務も義務も義理も、ここまで、だった。
(私にはもう、なにも―――ない)
オーバーフローする思いのまま、シャアは空蝉の衣を残し、独りその場を立ち去った。
奇しくもそれは、キャスバル・レム・ダイクンことシャア・アズナブルの、ネオ・ジオン総帥就任前夜のことであった。
■ □ ■ □
アムロ・レイは、閑散としたコロニーの空港に降り立った。目的は何もないが、取り敢えず手頃な宿を探して、この土地で一ヶ月ばかりの「休暇」を消費する予定になっていた。そもそも、このコロニーに来ることだって、WEB上の旅行社のサイトの、並んでいた中の下から何番目、という適当な決め方をしたのだ。
久々に貰った休暇、というよりもネオ・ジオンの脅威が去った今、アムロにはそろそろ軍上層部からの肩叩きが感じられるようになっていた。一年戦争の英雄として、ニュータイプの先駆けとして、タレントにならないか、もしくは政治にでも出てみないか、という勧誘が引きも切らないロンデニオンを離れられるのなら、どこでも良かった。ついでに言うなら人が居ない方がより望ましい。
(要は、戦争、っていう現場から俺を追い払いたいんだろう)
既にシャイアンでアムロのニュータイプとしてのあらかたの生体データは取り尽くした。ならば、次はガンダムから遠ざけるのが安全だろうと考えるのが政治家のやり口というものだ。
上司でもあり、先輩でも、兄代わりでもあるブライト・ノア大佐が同じように名誉職を与えられ、現場を遠ざけられようとしているのを聞いたのを機に、アムロは真剣に自身の退役をも考え始めていた。その為にも、一人きりになってこの先の身の振り方を考えたかった。日本にいるフラウ・コバヤシの元に行くことも考えたが、やっと落ち着いている彼女の人生をこれ以上掻き回すことは、アムロにはどうしても憚られた。
長期滞在できるようなホテルを探してチェックインする前に、丁度昼食時でもあるし、空港のスタンドで食べるのも味気ないから何処かで食事をしようと思ったアムロは、タクシー乗り場で屯していた運転手達に話しかけ、この付近にどこか良い店はないのかい、と尋ねた。
「なんにもない街だからねぇ。あんた、地球から来たのかい?」
男の一人がアムロの身なりを見て言い、アムロはいいや、月からだ、と肩をすくめた。
「ルナリアンか。観光…でもないよな、この街には大した施設もないし」
「学生なんだ。丁度休みでね、金がないから一番安かったチケットを買ったんだ」
アムロは適当なことを言って誤魔化した。見る人間が身のこなしを見れば当然軍人だと分かるだろうが、自分の外見が幼く見えるのは百も承知だ。しかも、休暇中なのでデニムの上下というラフすぎる出で立ちでもある。タクシーの運転手達は成る程なと笑い、うち一人が良い店を教えてやるぜ、と言った。
「安くて美味くて腹一杯喰えるといや、バトンルージュの通り沿いにある、エドの店が一番だな」
「エドの店?」
アムロが聞き返すと、他の男達もそれがいいと相槌を打つ。
「兄ちゃん、タクシーに乗る金はどうせないんだろう? そこのバス停から出てる三番路線のバスに乗って、アカディアってとこで降りるんだ。その停留所から歩いてすぐさ。その辺のヤツを捕まえて、エドの店はどこだって聞けばいい。すぐ分かるから」
アムロに一番初めに話しかけてきた男も、そうだそうだと口を出す。
「エドも流れ者だったが、一年くらい前に店を開いて、安くて美味いってんで、今じゃこの辺一番の人気の店だ。混んでるかもしれないが、味は保証するぜ」
「ありがとう」
アムロは笑って気のいい田舎の男達に礼を言い、言われたとおりのバスに乗り込んだ。
■ □ ■ □
タクシーの運転手達の言っていた店はすぐに見つかった。綺麗に手入れはされているが古びた印象は拭えない店の建物のドアを開けて中に入ると、丁度昼時の喧噪は過ぎていたらしいが、まだ店の中には沢山の客が残っていた。
アムロが開いている席を探して、カウンターに腰を下ろすと、すぐにジーンズのホットパンツを履いた褐色の肌の若いウェイトレスが注文を取りに来る。
「注文は?」
ぞんざいな口の利き方に、嘗て自分が居た地球のシャイアン基地周辺の店のことを思い出しながら苦笑したアムロがチキンバスケットとコークを注文すると、ウェイトレスの少女は奥のキッチンに声をかけた。
「エド!チキンバスケットもう一つ追加! あと、チーズバーガーも」
奥から快活な声が返ってくる。
「分かったがね、アンナ。エドではなく、マス、と呼びたまえと言っているだろう? ちゃんと『ミスター』もつけて」
「了解、”ご主人様(ミスター)”」
ふてくされたように言う少女がどん、とアムロの前にコークの瓶を置いたが、アムロはそれどころではなかった。弾かれたようにがたっと席を立ち上がり、カウンターの低い扉を潜り抜けて、奥のキッチンへと踏み込む。
「どうした、アン……」
てっきりウェイトレスの少女だと思ったらしい中の男が言いながら振り向きかけて、ぴたりと言葉を途切れさせた。その様子を見て、相手が誰だか確信したアムロの手がわなわなと震える。思いも、望みもしていなかった人間との、幾度目になるか分からない、偶然の邂逅だった。
「あ、あんた、シ……」
「私の名前はエドワウ・マスという。この辺の人々はエドと呼んでくれるがね」
アムロが完全に名前を呼び終える前に、男の方がそれを遮った。不承不承アムロがエド、と名前を呼ぶと、白いコックコートの裾からジーンズを覗かせた男は、今は取り込み中だから、座っていてくれないかとアムロに向けて微笑んだ。
「君の注文はチキンバスケットだったか?」
やがて、店内が閑散としてきた頃になって、カウンターの中から皿を持って金髪の男が出てきた。アムロの前には既に山盛りのフレンチフライの皿が置かれていたが、それには手を着けないまま、アムロはじっと金髪の男を視線で追っていた。微笑みかけてくる男に、遂にアムロが切れたように噛み付く。
「こんなところで、何をしている」
「何をって……見れば分かるだろう」
嘯くように言いながら、シャアはアルバイトらしい店員の少女に帰っていいと手振りで告げる。
「そんなことを聞いているんじゃない!」
カッとして、アムロはテーブルをどん、と叩いた。金髪の男が驚いたように目を見開くのを腹立たしい気持ちで眺めながら、アムロは席を蹴立てて立ち上がらんばかりに身を乗り出して言い募る。
「突然消えて、居なくなって、何をしているかと思ったらこんな所でのうのうと暮らしているのか、貴様」
「おかしなことを言うものだ。私が姿を消した方が、君達にとっては都合が良かったのではないのかね」
「減らず口を! 俺達ロンド・ベルが、どれだけ血眼になって貴様を捜したか……!」
アムロの言葉を半ばまで聞いたところで、シャアは立ち上がり、既に無人になった店の表にクローズの札を出しに行った。
「まぁ、見つかるはずがないだろうな。ネオ・ジオンの方が私を捜していたくらいだろうから」
「ほざけ、逃げ出したのか?シャア・アズナブル。あんた自身の責任から」
アムロの痛烈な文句とぎらぎらとした視線を正面から受け止め、シャアは静かに「そうだ」とだけ言った。
「なぜ、……貴様ほどの男が、どうして」
言葉にならないアムロの震える拳を見つめていたシャアは、不意に顔を上げて、まぁ座らないかと促した。
「腹が減っていては話し合いもできないだろう」
「……あんたの作ったものなんか」
言いかけたが、微笑みの中に譲らないものを滲ませたシャアの表情にこれは長期戦になるとでも判断したのか、アムロは腰を下ろして山盛りのフライドチキンに手を出した。
食べ始めると空腹だったことを思い出したのか、自然に食べる早さが上がる。中に混じっていた魚のフライに馴染みがなくて、アムロは隣の男に聞いた。
「これ、魚?」
「キャットフィッシュだよ、この辺りではよく食べる魚だ」
「ふぅん」
それだけ言うとまた大人しく食事に戻ったアムロに、シャアはふと尋ねてみた。
「何をしに来たかは知らないが、私を追ってきた訳ではなさそうだな。これからどうするつもりだ?」
「別に。休暇なんだ。一月くらいかな。手頃な宿でも探して、泊まるつもりだよ」
アムロは素っ気なく言うと、コークの瓶から直接中身を飲んだ。あらかた食べ終わるとナプキンで手を拭いて、ふう、と満足したような溜息をつく。敢えて感想などは尋ねずに、シャアはならば、と青年に提案を切り出した。
「私が去った理由、それが聞きたいのなら……どうせなら君、私の所に泊まるかい?」
「あんたの所に?」
アムロは丸い瞳を大きく見開いて、男を見た。シャアは軽く頷き、食事と寝室は保証するよ、と続ける。
「……少し考えさせてくれ」
この町ももう少し見て回りたいし、とアムロは素っ気なくそう返事をしたが、頭の中では理屈抜きでの計算が既に動き始めていた。
そして一ヶ月後、地球連邦軍本部に向けて、アムロ・レイ連邦軍大尉の辞職票が提出され、直接の上官であるブライト・ノア大佐によって受理されることになった。
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+++To be Continued.
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