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この胸にあなただけ満ちてること 伝えられず
今宵またこの森を 月に濡れて 歩くけれど…
月の光よ、愛しき人へ
愛を一条 届けてください…
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「…That little girl has really taken a shine to you.」
クワトロが苦々しく呟いた言葉を、カミーユは殆ど聞いていなかった。
*:*:*:*
「…少し、歩かないか?」
誘い出すクワトロが少々疎ましく思えたのも事実だが、カミーユは黙って頷くと部屋を後にした。
「どこまで行くんですか?」
暫くは黙々と先を歩くクワトロに従っていたカミーユだが、流石に一言も発せずに歩き続ける男の背中に不安になったのだろう、微かに苛立ったものも声音に含ませて呼びかける。しかし、男はそれには答えなかった。代わりに中天を指で指し示す。
「…カミーユ君、見たまえ。月だ。…満月だよ。」
言われてカミーユは指先を追うように空を見上げた。…そこには確かに、地球で見るにしては大きめの満月が掛かっていた。
しかし。
「月がどうしたんですか。…満月なら地球で見るより宇宙の方がずっと綺麗です。」
カミーユは反論する。けぶったような輪郭を崩した月は、宇宙での神々しい輝きを知るカミーユには物足りないものだった。クワトロが苦笑する。
「そうだな、君には若い月の方が相応しい。…地球上の月などより。」
「そういう言い方、どうかと思います。月なんてどこから見ても同じじゃないですか。」
「それは違うな。」
こんな所まで連れ出して何が言いたいんだ、と全身で訴えかけるカミーユに謎掛けのようなことばかりを言いながらクワトロは先へ歩く。引き返してやろうかと思ったが、カミーユはもう少しだけ男の気まぐれに付き合うことにした。
*:*:*:*
やがて二人は開けた場所に出る。月が真正面に見える丘で、クワトロはゆっくりとスクリーングラスを外して満月を見上げた。
「カミーユ君、見えるか?…月が、泣いている。」
言葉よりも。青い月光を全身に受け、顕されたクワトロの深く蒼い瞳が金を含んで輝き出すのを見て、カミーユは息を呑む。
サファイアだサファイアだとファを初めとする少女達がクワトロの整った容貌と絵に描いたような金髪碧眼を見て騒いでいたものだが。
…なにがサファイアだよ。…俺は知ってるよ、あれはね、ラピスラズリって呼ぶんだよ。微かにさ、金色が混じっているだろう?
そんな言葉の後アムロはあのとき何を自分に向かって言っていたのだろう。切れ切れにしか思い出せない。
―――あの男はね。びっくりするぐらい…この地上には多分もう存在しない、純粋で綺麗な生き物なんだよ。
今度のダカールの作戦を聞いたカミーユが議会に乗り込ませる人選に微かな不安を見せたとき、窘めるように苦笑したアムロが最後にふと付け足した台詞だった。
―――俺も君も、もうそういう相手に巡り会ってる。…シャアはジョーカーなんだ。引き寄せられちゃあ、いけないよ。
…フォウ。
彼女の存在も、蒼かったか。名前が思念になって弾けた。…聞こえたのだろう、クワトロがやっと薄い唇を開く。
「あの少女は君を想って居ただろう?…私もアムロも、君を止めることなど出来ないとは分かっていても手を出さずにいることは出来なかった。」
止めようなどと思うこと自体が不遜で傲慢だったのかもしれないが、目の前で同じ道を辿るのを黙っては見ていられなかった。
それは謝罪でも懺悔でもなかったが、言葉はすとんとカミーユの胸に落ちる。同じ痛みを共有して、起こる感情の共鳴にカミーユは俯いた。
「……いえ。」
出会えて良かった、と言えるほど時間は経過しておらず、この傷は癒えないとカミーユは知っていた。生涯ものの生傷を抱えようとする少年に、同じ血を流す男は手を出さずには居られなかったのだろう。黙って居るには男もまた若かったし、抱えた痛みもリアルすぎるものだった。
この人の全身が赤いのは、血に染まっているからだ、とカミーユは何となく理解した。
他人の血ではなく、自分自身の心の内から流れ出して止まることのない血液の奔流がクワトロを赤く染め上げている。だからこの人は赤を身に纏うのだろうな、と。
―――それでなきゃ、こんなに。地球みたいに綺麗な蒼い瞳をしている人が、赤い訳がないんだ。
「アムロは白鳥だと言った。…君にとってフォウ・ムラサメはなんだった?」
「…大尉?」
問いとも独り言ともつかない言葉を残し、クワトロはまたスクリーングラスをかけ直して口元をほんの少し歪める。
「…すまない、戯れ言だ。」
それきりクワトロは口を開かなかったので、彼が何か自分の知らない過去に思いを巡らせているのだと悟ったカミーユは黙って並んで月を見上げていた。
初めはちっとも綺麗だと思えなかった月光が、染み出して滲むような涙の雫と言われてしまうと切なく見えてくる。クワトロ大尉の言葉には不思議な力がある、とカミーユは苦笑した。
説得力と言うのではない。自分やアムロのようなニュータイプが人を言葉無しにそのまま受け容れる受信機なら、クワトロは恐らく全く真逆の性質を持っている。人に己を伝えて、染め上げて。
「大尉は、僕やアムロさんの所には来られません。」
それは、全く突然に口を衝いて出た言葉だった。言われたクワトロもぎょっとして振り向いたが、言ったカミーユ自身も相当に驚いた。
「大尉はまだ、こちら側に来てはいけません。」
言葉は、ごく自然に紡がれる。カミーユの唇を通して、他人の意志に突き動かされるように。
「………………ララァ?!」
ぎょっとしたように蒼白で震える声を落としたクワトロが呟いた名前も、自分の向こう側に誰を見たのかも、カミーユには分からなかった。
けれど、目の前の尊大な男もまた、今の自分と同じような経験をしてそれを引きずって重石として体内に抱えたままであることは何となく理解した。初めは慰めようとしてカミーユを連れ出しただろうに、その為に己の中の傷と正面から向き合うことになって、また痛みと傷口から溢れる鮮血で全身を赤く染めることになるのだろうに。
シャアはジョーカーだ、とアムロは言った。最強の札を手に握らされて途方に暮れる孤高不恭の生き物。誰に対しても膝を屈せず、仁と人の為にのみその高貴な血を捧げる人身御供の血筋。
そう、救世主ではなく人身御供なのだ、彼の存在は。
最後はきっと、貴方は人類全てのために血の涙を流すことになるのでしょうから。
―――せめて、この地上に月が流して落とす涙が少しでも貴方を洗い流してくれればいいですね。
カミーユは困ったように微笑み、クワトロは呆然と月光の下の青い少年を見つめる。
―――刻が、完全に静止した。
*:*:*:*
夢から覚めたようにカミーユは我に返った。止まった時間が再び動き出すのを規則正しい鼓動の音で確かめる。
クワトロも気付いたのだろう、ふいと僅かに視線を逸らして、再び月を見上げる。
カミーユは口を開いた。答えなんかは手に入れられはしなかったが、伝えるための言葉は見つけた。
「そうですね、僕にとって…フォウは。」
―――月のような女の子でした。
儚くて、満ち欠けをして。不思議な精神の波を僕に与えて…日に当たることなく、消えていきました。
聞いて、クワトロは静かに頷く。
「…そうか。」
「はい。」
言わされたのだという自覚はあったが。それでいいのではないかとカミーユは苦笑した。
今宵の所は答えは出たのだ、二人共に。
それが明日になれば、いや夜明けにはもう移ろうものであっても構わないと思う。
少なくとも、微かな癒しは確かに受け取ることが出来たのだから。クワトロが意図したものではないにしても、だ。この男でさえ何年経っても答えを手に入れられず、悩み迷い苦しんでいるのだ。傷を負ったばかりの自分が崩壊していくのは、まだまだこれからだ。
そう、カミーユにしてもアムロにしてもクワトロにしても、中途半端に生を受けた自身を肯定して理解してくれる唯一無二の存在を失った自分達はもう壊れていくしかないのだと思う。
この世の業火に身を焼かれ、それでも。崩れ落ちて灰になった自分自身の先に。炎の中から何度も繰り返し甦る永遠の命を持った鳥の名前は何と言ったか。…あの鳥の色彩も、赤くはなかったか。
―――いつか、これが『救い』に変わる日も来るだろう。
クワトロがカミーユを促し、踵を返す。
「…帰るか。」
「はい。」
後を着いて歩き出す前に、カミーユは一瞬だけ中天を振り返った。
月光は、泣いているかの如く鋭い透明な光で、カミーユの胸の中身を照らそうと言うよりは抉り出そうと。
いいや。
泣いているのは月じゃなくて、僕だ。
一筋だけの涙は、月以外の誰にも見とがめられることはなく、重力に引かれて大地に吸い込まれていった。
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+++END.
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