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「アムロさん、風が出てきましたからもう中に入ってはどうですか?」
家の中から青い髪の青年に呼ばれて、アムロと呼ばれた男は振り向いて頭を振った。
「アムロさん、冷えますから…」 「カミーユは先に寝ていてもいいよ」
素っ気なく呟いて、男はまた薄い黄金の揺りかごのような下弦の月に視線を戻した。カミーユはふぅと息をつき、家の中に戻って毛布を持ってくる。 「では、せめてこれを」 「ありがとう」 儚いような消え入る微笑に思わず渡した毛布ごと何処に往ってしまうつもりですかと腕に抱き寄せて聞きたい衝動を堪え、カミーユは弱々しく微笑する。
「いいえ、アムロさん」
俺は貴方の為ならなんでもしますから。
そちらの言葉は、宵闇に紛れて消えて、何処にもなくなってしまった。
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カミーユ・ビダンがアムロ・レイを引き取ったのは、「シャアの叛乱」の直後からの事だった。 あの事件で地球に落下したνガンダムとサザビーの赤い脱出ポッドを真っ先に発見したのはシャアの妹でもあるセイラ・マスの出していた捜索隊で―――このことから、如何に残った人々、特に連邦軍が英雄である筈のアムロ・レイ大尉を軽んじていたかが分かるというものであるが―――全身に大怪我を負ったアムロはそのまま、軍の公式見解の『行方不明』をいいことにセイラの手元に留められ、同じくセイラの元で一緒になって彼等を捜していたカミーユ・ビダンが、医学生だったという事もあって行きがかり上彼の面倒を見ることになっていた。
そして今、彼等はアムロの怪我の回復を気遣って、セイラの所有する温暖な気候の地中海湾岸に位置する屋敷で暮らし始めていた。
アムロと一緒に地球に墜ちたもう一人の男は―――発見したときには既に鬼籍の人間となっていた。
怪我は随分良くなったものの、未だ抜け殻のようなアムロを家のガラス窓の中からカミーユは気遣わしげな視線で伺う。 その肩に、そっと優しい手が置かれた。 青年が振り向き、苦笑めいた微笑みで名前を呼ぶ。 「ファ」 「妬けるような目で見ているのね」 少しだけ淋しそうに、それでも顔には微笑みを浮かべてファは手に持っていたマグカップをカミーユに差し出す。 「はい、いくらこの辺りが夜でも温かいと言っても、あなたまで風邪をひいてしまうわ」 「サンキュ」 「あの人には?持っていく?」 殆ど食事をしていないのでしょう、と月光と闇に消え入りそうな背中を見つめながらファが尋ねたが、カミーユは首を振った。 「アムロさんがああしているときは、俺達は近づけないよ」 「そうね」 言った後で、ファはそれじゃあ、私は先に休ませて貰うわね、と言った。 「カミーユはどうせ、もう少しここに居るんでしょう?」 青年がその言葉に頷くと、正直なのも時と場合よ、とファが苦笑する。
「じゃ…」 「あ、ファ!」 カミーユがそこで彼女を呼び止め、立ち止まった背中に向かってゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺が正気をなくしていたとき、ずっと側に着いていてくれたのはファだった。俺は今もその事を忘れていないし、ファの事はこの世で誰より掛け替えのない人だと思っている」 「……」
少女は、何も言わない。けれどその背中に向かってカミーユは続ける。
「けれど、今のあの人には俺が必要なんだ。ニュータイプとして、側にいるだけであの人を分かってあげられる、俺みたいな人間が。丁度、俺がジュドーに助けて貰ったみたいに。ひどい我が儘だとは思うけれど、俺はあの人を助けてあげたい、あの人を癒してあげたいんだ。だから……―――」
そこで失速して失われた言葉を、少女は拾い上げることも補完する事もなかった。ただゆっくりと振り向いて、慈母の様に微笑む。
「おやすみなさい」 「ああ」 「あたしが此処にいて―――ごめんなさい。でも、あたしもそこまで出来た女じゃないの」 「…十分だよ」
今度こそ小さく手を振ってドアの向こうに消えた少女を視線で見送り、カミーユの視線はまた屋外に佇むアムロに戻った。
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ざざぁ、と風が吹く。
アムロの背後では、庭に埋まったアーモンドの木が、丁度真っ白にも見える薄桃の花を満開に咲かせている所だった。
その花が、アムロがそろそろと、重力を感じさせない人間のように足音も立てない軽やかさで歩くのに従って、一斉に花を散らす。
―――花に連れて行かれる。
どうしてそう思ったのかは分からないが、次の瞬間カミーユは窓を開けて大声で男の名前を叫んだ。 男が、すいと青い瞳を巡らせて視線をカミーユの方に向け、ふっと、失望した表情を作る。 それが自分では駄目だという宣告に思えて、カミーユは思わず幾千も幾万ものアーモンドの花が舞い散る庭に、窓を開けて飛び降りていた。
そのまま男に駆け寄り、今度こそは衝動に逆らわずにその身体を掻き抱く。 腕の中の身体がぞっとするほど細くなっているのに、カミーユはそのまま泣き出すかと思うほどの頼りなさを感じて叫んでいた。
「どうして、っ…!なんで…!!」 「カミーユ」 「なんで、そんなにあの人のことが」 「見てご覧、綺麗な月だね」
ふわりと笑い、天頂を指差す。
「ほんとうにきれいなんだ。キラキラして、金色で。あの人みたいなんだ」 「あの人は貴方を置いていってしまったじゃないですか、それに、あの人が貴方を呼ぶはずがありません!!」
その言葉に不協和音でも聞こえたように顔を顰め、アムロは首を振る。しかし、カミーユは諦めなかった。
「少なくとも、貴方の求めているあの人はもう居ない、居ないんです」
貴方が消してしまったじゃないですか、その手で、その存在を否定して。そう言ってしまいそうなのを我慢して、カミーユはアムロの腕を掴んで首を振り続ける。 ふっと、カミーユの頭に手が置かれ、ゆるゆると、聞き分けのない子をあやすように頭が撫でられる。撫でながら瞳だけは相変わらず天上の月を焦がれるように見上げ、切ないほどの金色の光が瞳の中で反射して煌めいていた。
「そうだね、シャアは死んだ」 「はい」 「俺が殺しちゃった」 「そうです」
カミーユはいつの間にか嗚咽している自分に気がついた。この人はなんて可哀想な人なんだろう。なんて哀れな人達だろう。相手に生きていて欲しかったことにも気付いていなかっただなんて。
「だからもう、アムロさん、良いじゃないですか。許してあげてください、あの人のことを」 「どうして、俺が?」
男がカミーユの青い髪に落ちかかるアーモンドの花弁を避けながら、困ったように言葉を落とす。カミーユは今度こそ、躊躇わずにその顔を見上げ、青い瞳を真っ直ぐに見上げ、言葉を紡いだ。
「もう、貴方は自分が誰であるか知るべきだ。そうじゃないですか、『大尉』……クワトロ大尉っ」
問われた先の男は、先程までの『アムロ・レイ』は、困ったように首を傾げる。吹き上げる風に、さらさらと月光に負けない黄金の光が舞い散った。 アーモンドの花からは、噎せ返るような甘い匂いが漂っている。青酸の臭いに似てる、とカミーユは顔を顰めた。 色濃い、甘い死に人を誘うような香り。 豪奢な金髪が乱れるのを気にしながら、そんなカミーユに男は聞き分けのない子供をあやすように言う。
「…『シャア』なら、もういないよ?」 「知ってます」 「生きろって、俺に言った」 「分かってます!だから、貴方が生き残った」
カミーユがぐいと乱暴に瞼に溢れてくる涙を拭き取って顔を上げる。
「宇宙から生きて生還できたのはアムロ・レイ大尉ただ一人だった、そうでなければならなかった」
ふわりと、『アムロ』が笑う。その笑顔は嘗て知る男のものではなく、確かにカミーユも何度も目にしたことのある『アムロ・レイ』特有の聖母かなにかのような柔らかい微笑みで、―――青年は唇を噛んだ。
「カミーユは優しいけど、それでも、ごめんね。俺は、シャアにもう一度だけでも、会いたいな」 「………あ」
ぐっと拳を握り、男の身体から自分を離して、カミーユは低い声で同意した。 この人が狂ってしまったのか、それとも嘗ては『シャア・アズナブル』だった器の中に本当にアムロと呼ばれていた男の魂が宿ってしまったのかは、カミーユには分からない。けれども。
「そうですね、『アムロさん』。俺も、もういちどあの人に、会いたいです」
その言葉は、もう一度ざざぁと大きく吹いた風と舞い散るアーモンドの花びらに巻き込まれて、男の耳までは届かなかったけれど。
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+++END
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