Memories Of You





序章【少年期】

 こらっ、という怒声と共に一斉に子供が逃げ出す足音がする。
「まぁーた貴様らか! ニール、ライル!」
 ここまでおいで、という少年の声と共に、石畳の床を一斉に走る革靴の音がする。その後を追いかけて、白衣の初老の男性が拳を振り上げて走り出てきた。
「待て! 待てと言ってるだろう!」
「待てって言われて待つバカがいるかよー!」
 べえ、と少年の片方が舌を出した。全く憎たらしいことこの上ない話である。
「ったく、ディランディ兄弟はどうにかならんのか!」
 授業中、鳶色の髪の双子の座っている席の方でなにやらこそこそやっていると思ったら、次の瞬間教壇の頭上から雨粒が降ってきて、すわ雨漏りか、と思って天井を見上げると署名付きの悪戯成功のカードを発見したところである。
「今度は何があったんです? イアン先生」
 そこに、ひょいと監督生のラッセが教室を覗き込んだ。
「どうやら、一定時間経つと水に変わる化学物質を天井に塗ってあったらしいんだがな。頭がいいのに勉学の方面に全く発揮されていないというか、使う気がないと言おうか・・・・・・」
 ため息を吐いたイアンに、苦笑しながらラッセが言う。
「ま、ディランディ番をさっき向こうで見かけましたから、ゲンコツ喰らって帰ってくるでしょ」
 聞いたイアンが眉を上げる。多少なりと溜飲が下がった気分だ。
「ああ、エーカーか」
 ならいい、と頷いた後で、イアンはところで、とラッセを向き直る。
「エイフマン教授から聞いたが、そのエーカーの奴、変わった進路を選んだようだな」
 この学校にしては珍しいと言うべきか、とイアンが呟く。
「変わった進路、ですか」
 ラッセが困ったような顔をする。
「ニールの奴、ひょっとしたら着いていくとか言うんじゃないですか、なんせエーカー先輩にぞっこんですから、あいつ」
 そりゃ本当か、とイアンが呆れた顔をした。
「懐いてるとは聞いていたが、そりゃもう猛獣使いの領域だな」
「ですね。全く、エーカー先輩が卒業したらどうしたらいいやら」
 そんな会話を交わしつつ、双子の駆け去った方向を見やる教師と監督生は、揃って小さくため息を吐いた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 後で、部屋で待ち合わせな、と目配せで合図をしていい加減なところでライルと分かれ、ニールはお気に入りの昼寝場所へと足を向けていた。
 その途中、廊下の柱の陰からにゅっと伸びてきた足に行く手を阻まれる。
「捕まえたぞ、ニール」
 同時に着ていたジャケットの襟首を掴まれて、ニールは文字通りぎょっとして振り返った。
「えっ、グラハム、なんで?」
 なんで、と言われた金髪の少年が深いため息を零す。毎回毎回、よく飽きもせずに同じような悪戯ができるものだ。
「なんで、じゃないだろう。監督生として君を捕まえて来いと言われたんだ」
 ニール達の住む寮の監督生の一人であるグラハム・エーカーは、最上級生でもあり、最優等の学生でもあるという話だった。
 黙っているだけで女生徒達が騒ぐその容姿は金髪碧眼にして容姿端麗、更に成績優秀頭脳明晰、運動神経も抜群で機転も利くという、正に絵に描いたような優等生だ。
 それだけなら嫌味にも思えるだろうが、性格は朗らかで気さくで、どちらかと言えば実直な方で、慕ってくる男子学生も沢山いるというのだから、非の打ち所がない。残念な所と言えば言動が少々時代がかっているというところ位だが、そこがまた可愛い、と言われるのだから手の付けようがないともいう。
 そのグラハムは、なぜかニールの扱いに人一倍長けており、ニールの方も最初は警戒していたものの、今ではすっかり懐いてしまっていて、ニールが悪さをしたときには必ずグラハムが呼ばれるようになっていた。
「またイアン先生の授業で悪さをしたのか? 全く、君もう上級生と呼ばれる年だろうに・・・・・・」
 呆れたように少年に言われて、ニールは口を尖らせた。
「だって、退屈だったんだ、仕方ねえだろ」
 先生の授業がもっと面白かったら俺だって、と言ってニールはぷいとそっぽを向いてしまう。
「退屈って・・・・・・」
 呆れたようにため息を吐いたグラハムが、ところで、と話題を変えた。監督生は下級生の懲罰権を持ってはいるが、ニールに多少の罰則を与えたところで堪えないのなど目に見えている。
 それに、確かにニールとライルの兄弟は、この学校のカリキュラムなど早々に終わらせてしまってスキップしてもおかしくない程の頭脳は持っているのだ。グラハムがディランディ番などと言われるのも、先生達にその事を根気よく説明して、渋い顔ながらあの兄弟のことは気長に見守るとお墨付きを貰って来ているからでもあった。
「良いところで出会えたんだ。ニール、君に頼みがある」
 グラハムは、少年にそう話を切り出した。
「なんだ?」
 グラハムが自分に頼みとは珍しい、と瞬きをするニールに、グラハムはうむ、と言って切り出した。
「実は、今度の歓迎会で、監督生代表として、新入生の為にお菓子を買ってくることになったのだがね」
 言われ、ニールはぽんと合点がいったように手を叩いた。
「ああ、俺の時も歓迎会で配ってくれたあれか!」
 その後暫く、そのお菓子は食べ盛りの自分たちの腹を満たしてくれたような気がする。思い出して頬を緩めていると、グラハムが多少困ったような顔で続けた。
「そうなのだが、・・・・・・その、私はそういうものに詳しくなくて。・・・・・・ニール、買い出しに着いて来てくれないだろうか」
 思いがけない誘いに、ニールは思わず大きく瞬きをした。
「えっ、俺が?」
「外出許可は頼んでおく、・・・・・・荷物持ち名義で、隣町の菓子屋まで行くのだが、お茶でも御馳走するから」
「・・・・・・そうだな」
 なんだそれ、デートみたいじゃねえか。
 脳裏に浮かんだそんな考えを打ち消しつつ、ニールはグラハムの言うその「今回の悪戯の罰則」とやらを喜んで受け入れることにした。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 まだ夏の名残が残っている景色の中、ニールは上機嫌で街までの道をグラハムと連れだって歩いていた。
 基本的に寄宿舎からの外出は定められた日以外は認められていないので、こんなイレギュラーは本当に嬉しい。また、買いものだというので、特別に制服を脱いで良いと言われたのも、ニールの気分を上向かせる一因になっていた。
 街に着いて、どこに入っていいか分からないような顔をしているグラハムの手を取り、こっちに安くていい店があるんだぜ、とニールが得意そうに言う。
 以前に、弟のライルと、この街の店は一通り冷やかし倒して荒らした経験があった。
「そうか、君は物知りだな、ニール」
 感心したように言われて、ニールは笑って何を買う? と金髪の少年に尋ねる。
「ニールのお勧めは何だろうか」
 逆に尋ねられて、取り取りの菓子が並ぶ棚を見ながらニールは答えた。
「えーと、ジェファー・ケーキだろ、ジャミー・ドジャーズだろ、ジェリーベリーと、あとは俺はティムタムも好きだな。あ、チップスも欲しい!」
 それとそれと、と留まる様子のないニールに、些か当てられたようにグラハムが待ってくれたまえ、と遮る。
「・・・・・・それはなんだ、呪文か?」
「なんでだよ!」
 普通のお菓子だろ、とニールに言われて、グラハムは困った顔をした。
「そうなのか、私は本当に詳しくなくて・・・・・・」
 グラハムにも苦手なものがあるんだな、とニールは笑った。
「そうかな、私など知らないことだらけだよ」
「ま、今回は俺が教えてやるよ。予算と人数教えてくれよ」
 そしてグラハムから予算などを聞き出したニールは、店の中をあっちへ行きこっちへ行きして、最終は店主と交渉し、当初の予定よりも沢山の量を、予算内で手に入れられるように話を纏めてしまった。
 鮮やかな交渉術を見ていたグラハムが、店を出てから思わずと言った風に拍手をする。
「君には商売人の才能があるようだな、ニール」
「ねえよそんなの。ライルの真似っこだって。あいつ、こーゆーの巧くてさ」
 言いつつも満更でもなかったニールは、それよりお茶を奢ってくれるんだろ、とグラハムを促す。
「ケーキとサンドイッチくらい付けてくれよな」
「分かった分かった」
 仕方がないな、と苦笑するグラハムに、ニールは笑ってみせた後で、でも、と続ける。
「グラハムってお菓子嫌いなのか? 好きなお菓子とかねえの?」
 大概の子供は気に入りの菓子の一つくらい持っているものだが。大した思い入れがあって聞いたわけではなかったが、グラハムは珍しくかなり困った顔をした。
「変だろうか」
 うーん、とニールは首を傾げる。
「変でもねえけど」
「それじゃあ、ニール、君は何が一番好きだ?」
 逆に聞かれて、ニールは考え込んでしまった。一つになど絞りきれない。今日買ったものには入っていないが、子猫の模様の入っているチョコレートや、少しべとべとするターキッシュ・ディライトなども嫌いではないし。
「何だろう、売ってる中じゃ、チョコレートかなあ・・・・・・」
 無難な答えを返しながら、あ、でも、とふと思い出したように付け加える。
「母さんが焼いてくれるポテトケーキが一番好きだな、焼きたてにバターをたっぷりつけて喰うと、すげえ旨いんだ」
 食べたいなあ、と呟いたのは、腹が減っていた所為だったが。それを聞いたグラハムは、何故か益々困った顔になった。
「・・・・・・それは、確かに非常に美味に聞こえるな」
「だろ? グラハムもさ、一度うちに遊びに来いよ、歓迎するから!」
 な、とニールに言われて、グラハムはそうだな、と微笑み、先程までの困ったような顔を消し去ると、ではサンドイッチとケーキをご馳走させていただく、と言ってニールを伴って歩き出した。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 大量の菓子を抱えて帰ってきたニールは、その日の首尾を部屋に帰って早速双子の弟に報告する。
「で、グラハムのやつ、全然お菓子とか詳しくなくてさ、あいつでも知らない事ってあるんだなって思って、俺が教えてやってさ・・・・・・」
 兄の熱の入った話にも、弟は誠意のない相槌を打つだけだ。
「はいはい」
 しかし、聴衆の不熱心さにも関わらず、ニールの熱弁は留まるところを知らなかった。
「連れてってくれた店のケーキが結構美味しくて、グラハムが俺に自分の分も半分くれて」
 ケーキ、という単語だけで胸焼けしそうなライルが呟く。
「・・・・・・へえ」
 どう考えても初めてのデートにはしゃぐ女子だろうと顔を顰めつつ聞いていたライルは、ニールの話のある部分を聞いてふと兄を遮った。
「それでさ、俺、グラハムに母さんのポテトケーキ食べに来いって言ったんだ」
 話はそこに至り、ライルが顔を上げる。
「・・・・・・兄さん」
 それまで黙ってニールの話を聞いていたライルが、何故か深くため息をつく。
「何だよ?」
 きょとんとしているからには、ニールは何も知らないのだろう。ちょっと信じられない話ではあるが。
「何だよ、じゃねえよ、兄さんさ、あんだけグラハムグラハム言ってあいつの後付いて歩いてるのに、まさか知らねえの?」
 ライルの言葉に、ニールは首を傾げる。ああ、もしかしてグラハム・エーカーの方は分かっててわざと言っていないのかもな、とライルは思ったが、だったらちゃんと言ってやるのが兄弟の優しさだろうと思い直す。
「ーーー何を」
 果たして、兄はただ不思議そうな顔をしていた。ライルができるだけ平坦な口調で話を切り出す。
「・・・・・・グラハム、孤児院から来てる、奨学生なんだってよ」
 えっ、と呟いてニールは硬直した。
「なん・・・・・・だって?」
 だから、菓子の種類だって沢山は知らなかったのかもしれないよな、とライルは続けた。ニールの顔色が見る見る内に青ざめていく。
「そんな、じゃあ、・・・・・・母さんの話、とか」
 うーん、そこは難しいけど、とライルが頭を掻く。
「でもま、ちょっとばかし、無神経だったかもなあ・・・・・・」
 その台詞を聞いて、ニールが混乱したように制服のネクタイの胸元を握った。
「俺、そんな話、全然聞いてない・・・・・・なんでライル、お前は知ってるんだよ!」
 兄に問い詰められて、ライルは困った顔になった。
「なんで、って言ってもなあ・・・・・・」
 それは、ニールが盲目的にグラハムの後を着いて回っていて、彼に関する噂話などは一切耳に入れていない所為だ、とはライルも言えなかった。
「ライル、俺、どうしよう」
 狼狽えたような様子でニールが弟に尋ねてくる。ライルは頭をがりがりと掻いて、俯いてしまった兄に向かって言い放った。
「どうしようも何も、グラハムだってわざわざ言う事じゃねえって思ってたんだろ。だったら兄さんが気にすることはないんじゃねえかな」
 しかし、ニールの表情は晴れない。
「だけど・・・・・・」
 あーもう、兄さんはしょうがねえな、とライルは手を伸ばして、妙なところで弱気な兄の癖毛の頭をかき回す。
「なんかあったら俺が! ちゃんと兄さん注意してやっから、気にせず普段通りにしてろ!」
 な、と念を押すとニールはこっくり頷く。
「・・・・・・おう」
 少しばかり釈然としない顔をしつつも、ニールは弟の言うことにこっくりと頷いてみせた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




二章【雲が行くなら】

 それから暫く、ニールはグラハムのことを意識して観察するようにしてみたのだが、やはり常と変わったところは見られなかったように感じられた。
 まあ、グラハムの方は最初から最後まで同じ態度で居てくれているのだから、当たり前と言ってしまえばその通りだが。
 それでも、その事にほんの少しだけ寂しさを感じるのは、ニールが欲張りなせいなのだろうかと、少年は少しだけそんな御しがたい自分にため息をつきたい気分になった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 そんなある日、なあ、と声を潜めて色っぽい話を切り出したのは、寮の同じ部屋の男子生徒達だった。ちなみに、数人で集まって、勇気ある一人が街で手に入れてきたエッチな本の回し読みをしている最中のことであった。ニールとライルも声を掛けられ、興味がない訳ではないので嬉々として参加はしていた。
「なあ、お前ら、セックスってしたことあるか?」
 当然、全員が黙ってしまう。ないとも言いたくないし、さりとて嘘もつけない、そんな空気だ。
「・・・・・・つーか、なんで急にそんなこと聞くんだ?」
 逆にライルが呆れたような口調で話を切り出した。聞いたその少年が、それがさ、と声を潜める。
「最高学年に、誰が頼んでもヤラせてくれる先輩が居るんだって」
「えっ、女?」
 聞いたのは、ルームメイトの一人だった。
「当たり前だろ、男でどうするんだよ」
 呆れたような声が別の少年からかけられる。
「あ、そうか」
「それともお前なんなのゲイなの」
「ちっげえよ! うちの妹がそういう本一杯持ってたけど」
「マジかよ、キモっ!」
「いやでも結構エロかったぜ、今度借りてくるわ」
 そんな話をして、誰から聞いたのだという話になり、一度でいいから自分たちもそのお姉様に手ほどきをお願いしたいものだ、とため息をついて話は終わるかに思ったんだが。
「な、ニール。グラハム・エーカーって恋人いるのか?」
「え? ・・・・・・さ、さあ・・・・・・」
 唐突に聞かれて、ニールは目をぱちくりさせた。グラハムって絶対童貞じゃねえよな、という話でひとしきり盛り上がる。
「あんだけハンサムなんだから、今居なくても過去には絶対いただろ。お前も女の扱い方教えて貰えよ、勉強だけじゃなくてさ」
 そんな話の後、男子達はもっと具体的に、あんなことやこんなことをしてほしい、という話に移り変わっていったのだが。
 ライルが呆れたように肩を竦める。
「しょーもねえ、グラハムは監督生じゃねえか。先生の手先がそんな悪いことしないっての。なあ、兄さん」
「ああ、そうだな・・・・・・」
 弟に相槌を打ちながら、ニールは内心で冷や汗をかいていた。
(だって俺、セックスしたこと、・・・・・・いや、あれってカウントされるのか?)
 分からない。男同士で身体を繋げるのは、果たしてセックスの内にカウントされるのだろうか。まあ、到底聞ける雰囲気ではないが。・・・・・・つまり、ニールは経験がある。今前で少年達が言っているようなことはどれもこれも大概経験済みだ。むしろ、もうちょっと先のこともしたりされたりしたこともある。
 誰が相手ってそれはもうあの金髪の、ライルに先生の手先と言われたばかりの監督生だ。
 最初がどうしてそういう関係になったのかは、多少記憶が曖昧だ。というか思い出したくない、恥ずかしいから。
 けれど、なんとなく、自分がこういうことをする相手はグラハムなのだろうなという自覚もあったし、だったら早過ぎるも遅過ぎるもなかった。いずれ許すのなら、今許しても同じか、と思った気がする。
 そんな風に求められるままに身体を拓いて、従順にグラハムに馴染んでいった身体は、繰り返される逢瀬の度に、蕩ける甘い快楽を覚えて帰ってくる。
 表面上べったりだった二人の関係は、その間を変化させたところで、周囲にはそれほど分からなかったのかもしれない。
 現に、双子であるライルがまだ気付いていない。グラハムも痕を付けたりするようなへまは絶対にしなかった。
 ニールが代わりに貰うのは、ただ甘くて優しいキスだけだ。
(ーーーそういや、しばらくしてねえなあ)
 最近、グラハムが忙しかったので余計に、である。ニールは表面上だけ年相応の猥談に混じりながら、グラハムの触れて来る指先のことばかり思い出して居た。
 思い出すと、触れて貰いたくて仕方がない、けれど。
(グラハム、忙しそうだしなあ)
 まあ、自分は恋人ではないのだから図々しいことは言えないが。グラハムを困らせたいとは思っていない。
 自分たちの関係が何処か歪だとは自覚のないまま、ニールは手元の無修正のグラビアを見て、小さくため息を落とした。
 金髪碧眼の美女にこちらを見てウィンクされても、肉感的な美女を組み敷く、という想像からは遠いところにいる気がした。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 一番最初にグラハムとそういう仲になった、その場所だけは覚えている。人気も無くなって、二人だけで居残りして、ニールが勉強を見て貰っていた、夕暮れの図書館だった。
 なかなか問題が解けないニールに業を煮やしたグラハムが、出来なければキスをするぞと脅してきた。しかし、ニールは意地を張ってその脅しを受け止めてしまったのだ。
 そもそも、問題を解く気を無くしてしまったのは、その少し前に、キスをしたことがあるかないかで少々押し問答をしたせいだ。口ぶりからしてグラハムはどうやら経験済みらしく、ニールは盛大に臍を曲げてしまっていた。
「ニール、機嫌を直して宿題を進めたまえ、このままでは仕上がらない。提出は明日だぞ」
 そんなにキスがされたいのか、と聞かれてニールはきゅっと眉を顰めた。売り言葉に買い言葉、咄嗟に負けん気が頭を擡げる。
「すればいいじゃねえか、ケーケン豊富なんだから、教えてくれよ、あんたが」
 つんと顔を背けた瞬間、頬に掌が触れて強引にグラハムの方を向かされる。ニールの視界全部に、見慣れた金髪とやや色を増した緑柱石の瞳が飛び込んできた。
「・・・・・・なん、だっ」
 驚いた次の瞬間、ニールの口唇は金髪の少年によって塞がれてしまっていた。
「・・・・・・!?」
 暫く呆然として青い瞳を見開いていたニールが、やがて事態を悟ってさああっと顔を赤くする。
「ーーーっ、や、・・・・・・ん、」
 逃れようとするのだけれど、グラハムの腕が意外に強くて逃れられない。そのうちに、口唇を割ってグラハムの舌が咥内に入って来た。ぬるりとした感触が気持ち悪い、と思った筈なのに、何故かニールはグラハムに蹂躙されるがまま、応えるように口唇を開く。嬉々として、グラハムの舌はニールのそれを絡め取ってきた。やめろ、と力一杯押し返しているはずなのに、びくともしない。日頃意識しない力の差にニールは震えた。
「・・・・・・っ、ニール」
 少し口唇を離して耳元で囁かれ、その低い熱を持った声を聞いた瞬間、ニールの身体がぞわっ、と今まで感じたことのない感覚に包まれた。
「ふ、ぁ、グラハム、」
 まるで請われたかのように思わず名前を呼ぶと、嬉しそうに翠の瞳が細められる。そのまま、グラハムの手が、ニールの首元のネクタイを緩めた。
 息苦しさが、少しだけ軽くなる。そのままするっと引き抜かれるネクタイに、ごくりとニールの喉が鳴った。
「グラ、ハム・・・・・・」
 ちゅ、ともう一度口唇が重なり、翠の瞳が間違いない熱で煌めきながらニールを欲しがるように見つめてくる。
「確かに、キスは初めてではないかもしれないが、・・・・・・ここから先は全て初めてだ。・・・・・・どうする?」
 欲しいというのならば売約済みにしておく、と耳元で囁かれ、ニールはくすぐったさで身を潜める。そのまま首筋に口唇で触れられて、ニールは欲しがられている、と感じて、身体が甘い期待に疼くのを感じた。
 そっと伏せた目を上げると、相変わらずの秀麗な面がにっこりと微笑んでニールを見つめてくれる。・・・・・・が、その表情は今までニールに向けてきてくれた、ただ優しいだけのものとは違っている気がした。どこが、とは言えないが。
(ーーーグラハムが、俺だけのものに)
 そんなことは言われていないのだが、気付けばふらふらとニールは頷いてしまっていた。
「俺に、・・・・・・ちょうだい、あんたのはじめて、ぜんぶ」
 掠れるような声で与えられたニールの了承に、どこかホッとしたようにグラハムが息を吐き出し、嬉しそうに笑う。
「承知した、私を全て、君に捧げよう」
 最後はやや掠れ気味になったニールの言葉を受け止めて、グラハムはニールにキスを繰り返しながら、ゆっくりとシャツのボタンに手を掛けた。
 大きな図書館の机の下に潜り込むようにして、キスをしながら床に座り込む。グラハムが着ていたジャケットを脱いで床に広げ、その上にニールの身体を押し倒した。
「・・・・・・誰かに見つかったら、どうする気だよ」
 戸惑いを含ませながら、ニールがこの期に及んで尋ねる。
「そうだな、・・・・・・鍵の掛かる奥の倉庫にするか?」
 どこか浮かれたような声でそんな事を言いながらニールにキスを繰り返すグラハムの顔を見上げて、ニールは首を振った。
「ーーーいいや、ここで、いい」
 立ち上がったら、そのまま逃げ出してしまいそうだった。嫌なのではなく、恥ずかしくて。目を閉じてキスに集中していると、グラハムの手がボタンを外したシャツを脱がせていくのを感じる。
「あ、・・・・・・っ、」
 その指先が震えているのを感じ取って、ニールはグラハムが初めてだ、と言った言葉に嘘はなかったと安堵の息を漏らす。
「・・・・・・な、グラハム、」
 安心したことで少しだけ余裕が生まれて、ニールは少年の名前を呼んだ。
「なんだ?」
 ニールの胸元に口付けていた少年が、少し緩慢な仕草で顔を上げる。欲に煌めく瞳に、ニールの胸が跳ねた。
「俺、男だけど。・・・・・・いいのかよ」
 こういうことは、女の子とするものだ、とばかり思って居たのだが、グラハムは違うのだろうか。そう思って尋ねた問いに、グラハムは少しだけ考えて、そうだな、と答えた。
「私とて女性と経験するものだと信じて疑っていなかったと思うよ。・・・・・・君に出会うまでは」
 君だけがどうしても欲しい、と一気に告げられ、ニールは混乱したようにグラハム、と少年の名前を飛ぶ。
「それ、って」
 どういうこと、と聞こうとしたニールの身体がびくっと跳ねる。グラハムの手が下肢に潜り込んできた所為だ。
「や、・・・・・・っ、どこ、」
 碌に自分でも触れたことのない場所に潜り込んでくる手を感じて、ニールは怯えたように身体を竦ませた。流石に、自慰をしたこともないとは言わないが、ライルは早熟な方でガールフレンドが居たりもしたが、ニールはどちらかと言えば奥手な方だった。まして、四六時中人が一緒の寮生活で、そういうことを考えている時間はあまりないし、それ程オープンな性格でもない。
「どういうことをするのかは、君だって知っているのだろう?」
 逆にグラハムに尋ねられて、ニールは赤くなりながらも頷いた。しかし、それはあくまで一般的に言う男女の間のことだ。
「ど、どっちも男だったら、どうすんだよ」
「それは・・・・・・」
 グラハムは一瞬言葉に詰まって、分かった、と息を吐いた。
「そうだな、・・・・・・私も焦りすぎていた」
 今日は、と呟きながら自らも着ていた服を脱ぐ。上半身にかなり筋肉が乗っているのを見て、ニールはごくりと唾を飲み込んだ。その、青年期直前の身体に抱き締められて、素肌が触れ合う他人の体温に気恥ずかしさも感じつつ心が躍る。
「グラハム、・・・・・・俺、どうすればいい?」
 触れるグラハムの身体は熱く、そして素肌が気持ちいい。吐息を零しながらニールがおずおずと尋ねる。
「私に素直に身体を預けて欲しい、・・・・・・ニール、私は」
 君が欲しい、という言葉を囁かれて、ニールはひたすらこくこくと頷くだけで答えた。それで、精一杯だった。
「ーーーありがとう」
 嬉しい、とても、と少しだけ照れたように微笑んだグラハムをぼうっとして見上げていたら、再び自分のものにグラハムが触れてきてニールは軽い悲鳴を上げた。
「あ、うあ、」
「君も、感じてくれているようで嬉しいよ、ニール」
 グラハムの硬くなったものが自分のものに触れるのを感じて、ニールは今度こそどうしていいか分からなくなってグラハムの身体に縋り付いた。喘ぐ声が、甘い呼吸が、段々に激しさを増していく。そういえば離れることなど少しも考えなかった、ということに気付いたのは、二人一緒にグラハムの掌の中に熱を弾けさせたその後だった。
「こ、・・・・・・れで、おわり?」
 吐き出した後の身体の熱さに、涙目になりながらニールが掠れる声で尋ねると、グラハムは赤く染まった目元に柔らかく口付けてくれる。そのまま口唇が重ねられ、今度は深いキスでもニールはもう逃げることはなかった。
「まさか。・・・・・・しかし、そうだな、この先は、私がもう少し預かっておこう」
 準備ができたら貰わせて頂く、と囁かれて、夢見心地のまま、ニールはただ頷いてしまっていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 慣れない行為に疲れて、暫く、グラハムにもたれ掛かって眠って居たようだった。ぱちぱちと瞬きをしながら目を覚ますと、ゆったりと頭を撫でていてくれた手が止まる。
「起きたか、ニール」
 囁かれて、ニールは目元を擦りながら顔を上げる。
「えっ、グラハム、・・・・・・俺、いつの間に寝てた?」
 気持ちよくて、グラハムに抱き締められたままうとうとしそうになったことだけは覚えているのだが。焦るニールに、金髪の少年は小さく笑う。
「かなりぐっすりと」
「嘘だ・・・・・・」
 焦って服を見たが、きちんと制服のネクタイまで締められている。思わずグラハムを見上げると、少し照れたように笑ってニールの額にキスを落としてきた。
「身体は平気か?」
「あ、うん、それは・・・・・・」
 大丈夫、と返事をしながら、ニールも色々な事思い出して一気に頬を赤くする。腰の辺りが少しだるい感じはするが、別に気持ち悪くはない。思いながら見上げているとグラハムの顔が近づいてきたので、反射的に目を閉じた。・・・・・・既に、キスくらいには何の抵抗も覚えなくなってしまった。口唇の表面を、するりと舌が撫でていく。ざらりとした感触にどきっとした。
ーーーグラハムの舌、動物に舐められてるみたいだ。
 そして、ニールはものの見事に頭から喰われてしまった獲物のようだった。
「腹が減っただろう、そろそろ夕食だ。行くぞ」
 言いながら立ち上がるグラハムに腕を引かれながら、ニールは口を開いていた。
「うん、・・・・・・あのさ、グラハム」
 自分たちは、これで恋人同士になったのだろうか。それとも、セックスをしただけなのだろうか。そんな疑問がふと、ニールの頭の中に浮かぶ。
「なんだ?」
 振り返るグラハムに、ニールは少し言い淀みながら尋ねる。夢の中で、ニールはグラハムとすっかり恋人同士になっていた。抱かれて、素肌を合わせて、キスを繰り返して、好きだと何度も言われて、俺も好きだと返していた気がする。
「俺、変な寝言、とか、言ってなかった?」
 まさか、これで恋人同士になったのか、などとは恥ずかし過ぎて聞けなかった。だったら、告白して付き合って、という段階がものの見事に抜け落ちてしまっている。
(俺、いいんだけどな、グラハムなら・・・・・・)
 きっと、夢はニールの願望そのものなのだろう。口走っていたら恥ずかしくて死ねそうだと思いながら恐る恐る尋ねたが、グラハムは別になにも、と言っただけだった。
「寝顔は、変だったな」
「な、なんだよそれ、ひどい!」
 もっと言い方があるだろう、と言って机の上を片付けようとして、ニールは明日提出期限の宿題の存在を思い出す。
「あ、レポート・・・・・・」
 やばい、と思いながら中身を覗き込むと、そこには丁寧な筆跡で書き上げられたレポートがあった。
「えっ、・・・・・・これ、まさか」
 思わずグラハムを見ると、ちゃんと書き写したまえよ、と言い添えながら、グラハムがニールの頭を撫でてくれる。
「今回だけだからな、次はない」
 今日の所は私の所為でもあるから、と呟いたグラハムも、少し照れているようであった。頬がほんのりと赤い。
「・・・・・・うん!」
 ありがと、グラハム。そう言いながら、ニールは自分の方から手を伸ばし、グラハムの手を握ってみたのだった。
 ああ、俺やっぱり、こいつが好きだな。
 そう改めて噛みしめた感情を、繋いだ手の先に伝えることは、できそうになかったけれど。



☆ ★ ☆ ★ ☆




三章【天まで届け】

 庭で座り込んで他愛のないことを話し合っているうちに、キスがしたいな、と思った。そんな気持ちのままグラハムを見つめていたら、気付いたらしい少年に、人気の無い用具入れに誘われる。
 中に入り込んで扉を閉め、口唇を重ねた。
 当然、キスだけでは終わらなかった。互いの身体に触れ合っている内に、今やグラハムに触れられる快感を覚えている身体は容易く熱が上がってしまう。
「あんた、どうしてこういう場所にこんな詳しいんだか」
 請われるまま、従順に服を脱がされながらもニールが呆れたように言うと、グラハムは少しだけ困ったような顔をした。
「君と・・・・・・二人で逢いたいと・・・・・・」
 それ以上のことは言われなかったが、グラハムがニールとの逢い引きのために人に見られない場所を見廻りしながらチェックしているのだと考えただけで少し嬉しくなって、ニールは口角を上げたが、口ではわざと意地の悪い事を言ってみる。
「俺以外とは逢ってねえだろな、こんな風に」
 グラハムが正直に眉を顰める。
「まさか。君だけに決まっている」
 そうでなければ、とグラハムは指先で躊躇うように自分の胸に付いた監督生のバッジに触れ、ニールは二、三度瞬きをした。
(ーーーあ、そうか)
 不品行は退学、という言葉が一瞬ニールの脳裏を過ぎる。が、すぐにグラハムは微笑んで真剣な表情を打ち消してしまった。
「さて、ニール。お喋りはここまでだ」
 どうして、グラハムは誰かに見つかったらそれまで積み上げてきたものがおじゃんになってしまいそうなニールとの逢い引きを続けているのか。
「ん、・・・・・・」
 口唇を深く重ねられ、身体をまさぐられながら、ニールは瞳を閉じ、脳内に沸き上がりそうになった後ろ向きな想像を必死で振り払うことに務めたのだった。
(俺は、恋人? それとも、こういうことに興味があって、俺が側に居て、あんたが好きだったから、都合が良かっただけ?)
 後者なら、タイミングの問題だった。ニールの恋心は、こうなってから益々はっきり自覚できるようになったが、引き返せないくらいに大きく育ってしまっている。グラハムがただニールで好奇心を満たしているだけであっても、構わないとすら思ってしまうのだ。どうしようもなかった。
 いつものように互いの熱を吐き出してしまうと、後始末を付けたグラハムは、荒い呼吸を落ち着けるニールを抱き寄せて身なりを整えてやりながら、そういえば、と思い出したように言った。
「ニール、来年は君を監督生に推すからな」
 急に告げられた台詞の内容に、ニールは目を見開く。
「えっ!? なんだよ、それ!」
 ぎょっとするニールに、グラハムは眉を顰めながら続けた。
「君も来年はもう五年生だろう? そろそろ自分の責任を果たすべき年頃だ。忘れもしない、私が監督生に選ばれたのも五年生の時だった」
 妥当な所だろうと言われ、ニールがうん? と首を傾げる。
「違うだろ」
 それには、すかさずニールが訂正を入れた。グラハムとの初めての邂逅の時、彼はもう監督生だと言われてもおかしくない貫禄を漂わせていた。追いかけっこでは誰にも捕まったことがなかったニールとライルを、グラハム・スペシャルと皆が呼ぶようになった抜群の運動神経でとっ捕まえて雷を落としてくれたあの日のことを忘れるわけがない。
「何がだ?」
 しかし、グラハムが首を傾げたのでニールは思い出させようと、グラハムのネクタイを無意識に結んでやりながら言った。
「四年生の後半には、あんた監督生だったじゃねえか。・・・・・・最年少でバッジ貰ったって、みんなが噂してたぜ」
 言われて、自分はニールのネクタイを締めてやっていたグラハムは、よく覚えているな、とニールの額を軽く突く。
「・・・・・・それはだな、君と弟君の扱いに長けていたからだろう。ディランディ番だと言って渡されたぞ」
「んだよ、それ」
 それなら、選ばれたのは俺とライルのお陰だって感謝しろよ、と一頻り憎まれ口を叩いた後、ニールはぽふっとグラハムの胸の中に倒れ込んだ。
「どうした? 急に」
 ニールからこんな風に甘えてくることは珍しい。グラハムが優しくその背中に腕を回してくる。ごろごろと猫のようにグラハムの腕に甘えながら、ニールは照れを誤魔化すように呟く。
「あーあ、でもあんたも卒業だっけ、今年で」
 口にしてしまうと、知っている事なのに、きゅんと胸が切なく締め付けられる気がした。
「ーーーそうだな」
 それ自身は動かしようもない事実なのでグラハムは素直に相槌を打つ。ニールはその次の言葉を少し躊躇っていたが、やがて思い切ったように続けた。
「卒業したら、あんた、どうするんだ?」
 実は、将来のことを聞くのは初めてだった。グラハムの進路で自分の将来を決めよう等とまでは思っていないが、知っておきたかった。その問いに対して、金髪の少年はさらりとニールが思ってもみなかった答えを返す。
「私かい? 私は、卒業したらそのまま空軍の士官学校に進学する予定になっている」
「ええっ!?」
 ニールは愕然とした。驚いているニールに、実は、とグラハムが話を切り出した。
「私は元々、この学校に入るときも、空軍からの奨学金を受けて学校に通っていた身分だ。当然というより、他に進路は選べない」
 そういえば、ライルからは、グラハムは孤児だと聞いていた。ニールは恐る恐る切り出す。
「空軍からの、奨学金って・・・・・・」
 君には言っていなかったか、とグラハムは呟いた。続いて、ニールが今まで気になっても与えて貰えていなかった情報を口にする。
「私は、何を隠そう孤児でね。・・・・・・孤児院から進学するには、他に手立てがなかった。私は昔から空を飛ぶのに憧れていて、どうせならパイロットを目指したかったから、空軍の奨学金を受けた」
 それでこの学校に来られたのだ、と言いながらニールを抱き締める力を強めたことに、当のニールは気付かなかった。
「パイロット、に、なんのか・・・・・・」
 そういえば、グラハムの夢というのも初めて聞いた気がする。ニールは、自分がグラハムと居るとき、自分の話ばかり聞いて貰っていたことに、今更ながら気付いた。惚れた相手だと気付くのも遅すぎたが、これで恋人になりたいなどと、言うのも烏滸がましい気がする。情けなさに俯きかけたニールの頭を、グラハムが撫でてくれる。
「そんな顔をするな、寂しがってくれるのは嬉しいが」
「・・・・・・あんた、軍人になっちまうのか」
 やや掠れた声の少年の問いに、グラハムはしっかりと頷いた。
「ーーーああ」
 覆せない強固な意志をそこに感じ、ニールは暫くもごもごと口の中で言い淀んだ後、小さな声で続ける。
「でも、それって・・・・・・なんかあったら戦いに行くって事だろ」
「その通りだ」
 こちらも即答で、ニールは俯いてしまう。
「そんな・・・・・・の」
 もしもあんたが死んじまったら、という言葉を流石にニールは呑み込んだ。いくら何でもそこまで言ってしまえば、余りに自己中心的に過ぎると思ったからだ。
(俺はただ、グラハムを失いたくない、だけなのに)
 グラハムは、そんなニールの戸惑いを正確に受け止めてくれたようだった。頬に優しく手が触れ、上向かされてゆっくりと口唇が重ねられる。ニールは目を閉じて、そのキスに酔いしれた。いつもより長い口付けの後で、グラハムは君が私のことを案じてくれて本当に嬉しい、と嬉しそうに微笑んだ。
「いいのだよ、ニール。だって私は君を護ることが出来る」
「ーーー・・・・・・!」
 俯きがちだったニールが弾かれたように顔を上げた。そのニールの口唇に、もう一度、今度は振れるだけのキスが降りる。
「君が平和に暮らすこの国を護るための軍人になるのだ、私に些かの迷いも揺らぎもない。だから、君は安心して楽しい学生生活を送ってくれればいい」
 それが私の幸せだ、と言われてニールは口唇を噛んだ。ニール自身は裕福とまでは言わないまでもそこそこの家庭の出身である。このまま上の学校に進学し、漠然と社会人になるとは思っていたが、軍人は視野には入っていなかった。
 そもそも、今現在ニール達が通っているのは、国内屈指のエリート校である。当然、監督生のグラハムは、一流の大学に進学すると何の疑いもなく思い込んでいた。優秀なグラハムと同じ学校に行くには、どの位勉強すれば足りるか、などと思って居た平和ボケした自分の頭を殴ってやりたかった。
「グラハム・・・・・・」
 しかし、流石にこの時点のニールには、グラハムに続いて軍へ入るという選択肢はない。
 そろそろ戻ろうか、と立ち上がって用具入れを出るグラハムの後ろ姿を見ながら、ニールはその背中に抱きついて、俺とこのまま、ここにずっと居てくれれば良いのに、と言いたい衝動に駆られている自分にひどい戸惑いを感じていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 やがて、最上級生達のそれぞれの進路が決まり、卒業する日が近づいて来た。
 暫く前から、卒業生達の参加する最後のブロムが話題になっていたが、やはり一番は、最優等で卒業するグラハム・エーカーが誰と踊るかということであった。本人は相変わらず何も気にしていない風であるので、代わりにいつも側に居るニールが女生徒達から探りをいれられることになっていた。
「そんなこと言われても、俺だってグラハムが誰を誘うかなんて聞いてねえよ」
 言われる度にそんな答えを返していたニールだったが、女生徒達の追求は日に日に厳しさを増し、とうとうグラハムに直接聞きに行かされることになってしまった。気が進まないまま、重い足取りでニールはグラハムの金髪を探す。
 相手は、いつも一人で本を読んでいることの多い、気に入りの木陰にいたので、直ぐに見つけることが出来た。
「おや、ニール」
 相手もニールを直ぐに見つけてくれる。
「グラハム、・・・・・・」
 こちらへおいでと手招きされ、ニールは普段より幾分重い足取りで近づいて、前にぺたんと座り込んだ。
 いつものように隣に来ないことにやや不審を感じつつ、グラハムが微笑んで少年の手を取る。
「どうした? 浮かない顔だ」
「・・・・・・うん」
 グラハムに隠し事はできない。あのさ、とニールは動かない舌を無理矢理引き剥がしながら言葉を紡いだ。
「グラハム、・・・・・・卒業式前のブロム、誰、誘うんだ?」
 金髪の少年は、ただ驚いて目を瞬かせる。
「・・・・・・ブロム?」
 グラハムが首を傾げる。全く思考の中に入って居てしまったらしい気配だ。
「そう。・・・・・・そういや、あんた去年も一昨年も出てなかったな」
 思い出した。参加資格ができるのは四年生以上で、去年はニールも参加資格はなかったのだが、今年からは出ても良いのだ。
 思い返せばグラハムは、去年も一昨年も、ブロムには顔を見せていないのではないだろうか、とニールは思った。
 そして、それはどうしてだろう、と考えて、ブロムの夜、グラハムは大概ニールと一緒に居てくれたからではないか、ということに思い当たる。出なくていいのか、興味がない、または相手が居ない、という会話を交わした覚えがある。確かに。
 グラハムは今年も別に、とだけ言って、話題を変えてきた。
「君だって今年から参加できるだろう? 誰かを誘うのかい?」
 尋ねられて、ニールは狼狽えてしまった。本当は、と目の前で微笑んでいる金髪の少年を見る。目を見た瞬間、分かってしまった。
 ニールとしては、本当はグラハムと行きたい。行けなければ、二人だけで過ごしたい。そんなこと、できる訳がないけれど。
「お、俺は・・・・・・俺は、クリスと行くんだ」
 なので、咄嗟にそんなことを口走ってしまった。グラハムの笑顔が、さっと硬くなる。
「クリス? ・・・・・・ああ、君の一級下の彼女か」
 流石に、監督生は同じ寮の学生のことをよく知っていた。咎めるように言われて、ニールは後に引けず、更にもごもごと続ける。
「うん、・・・・・・可愛いだろ、クリス」
 ニールのその言葉に、グラハムが眉を寄せる。
「ーーー可愛い?」
 声の奥に潜んだ剣呑さを、このときニールは聞き逃した。
「う、うん」
 無論、嘘だった。クリスとはこの間用があって少し一緒に行動したのだが、その時に、来年はボーイフレンドが自分を誘ってくれたらいいのに、という話をしたが、それだけだ。
 女子は低学年でも上級生の誘いさえあればブロムへの参加は許可されるので、あり得ない話ではないが。それにしたって、咄嗟の言い訳とはいえ、嘘をついてしまったことが心苦しくて俯いたままで居ると、グラハムが低い声でそうか、と言うのが聞こえた。
「・・・・・・では、私も君の邪魔にならないように、誰か誘う女性を考えよう」
「え、ええっ!?」
 ぎょっとして顔を上げたニールに、グラハムはどこか硬い態度のままでだってそうじゃないか、と続ける。
「盛装を借りてくるのが少し面倒で今年も出なくてもいいか、と思っていたのだが、・・・・・・君が可愛らしいガールフレンドと出るというのなら、」
 そこで言葉を切り、グラハムは立ち上がった。
「相手が決まったら、また教える」
 それだけ素っ気なく言い置いて立ち去ってしまったグラハムの背中を呆然と見つめながら、ニールは少しずつ顔から血の気が引くのを感じた。
「俺・・・・・・グラハム、・・・・・・誰か、相手、探すっ、て、・・・・・・」
 それは、ニールの知らない誰かと踊るということだろうか。・・・・・・それは、いやだ。絶対に嫌だった。
 嫌だ、と思うのに、それを言葉にも形にもできないまま、ニールはただ呆然と座り込んで、消えていくグラハムの後ろ姿を見送っていただけだったのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 ねえ聞いて、と一つ学年が上の、スキップで卒業するのではと噂のある有名な才媛、リーサ・クジョウがポニーテールの髪の毛を揺らしながら嬉しそうにラッセの所に走ってきた。
「どうした、クジョウ」
 授業中にまた悪戯をしたライルとニールを捕まえてお説教中だったラッセが、同級生の少女の方を振り返る。
「ふふ、私ね、グラハム・エーカーをブロムに誘うことになっちゃった。多分オーケーしてくれる筈よ?」
 絶対目立つわよね、ドレスどうしようかな、と楽しそうに言う少女に、ラッセがマジか、と愕然とした声を上げる。
「お前な、俺はお前を当てにしてたんだぞ!?」
 言われても、リーサは取り合う気もなさそうだった。
「知らないわよ、そんなこと。先着順よ」
 つんと顔を背けられ、ラッセは弱り切った顔になった。
「おいおい、そりゃねえよ・・・・・・」
 今更、誰かなんて探せねえよ、とぼやくラッセの前で、ライルは隣の双子の兄が真っ青な顔になっていることに気付く。
「おい、兄さん、どうした?」
「グラハム・・・・・・相手が決まった、ん、だ」
 ぼそっと呟いた兄の言葉に、ライルはああ、と呟いて頭を掻いた。全く、分かり易い兄さんだと思う。
「良かったじゃねえか、兄さんがブロムまでべったりだったら、グラハムだって誰も誘えねえだろ? 最近そういや、兄さん一緒にいないな」
 とうとうグラハム離れしたのか、と軽口を叩きかけたライルは、兄の顔を二度見して、さっと顔色を変えた。
「ラッセ、痴話喧嘩始めるなら俺と兄さんはもういいな?」
 やや張り詰めた声で自分たちを捕獲していた監督生を呼ぶ。
「えっ、ちょっと待ておい、ライル、ニール、話はまだ・・・・・・」
 リーサを前にしたまま弱った顔をしているラッセを置いて、ライルはニールの手を引っ張ると早足で歩き出した。
「兄さん!」
 人気のない建物の外れまで来ると、ライルはニールの顔を覗き込む。その後でひどい顔してんな、と笑ってやると、うるせえ、とべそっかきな表情が返してきた。
「そんな顔すんなよ、哀しいのは分かったからさ、兄さんに泣かれると、俺も胸がきゅっ、てすんの、知ってんだろ?」
 こればかりは双子なのだから仕方がないと諦めているライルに言われて、ニールは鼻をすすった。
「・・・・・・しって、る」
 うう、と泣くのを堪えたままその場に蹲ってしまうニールの隣にため息をついて座り込みながら、ライルがぽんぽんと分身の頭を叩いた。これはもう、間違いねえなあ、と思う。
「なあ、兄さん。兄さん、あいつが好きなんじゃねえの?」
 問うと、間髪入れず即答が帰って来た。
「すき、だけど、だけど、そんなこと、思っちゃ駄目だ」
「ーーーなんで」
 兄の後ろ向きさに、流石に驚いて問いかける。兄が同性に恋をしたのは意外だったが、グラハムのことは良く知っているし、何よりもニールの気持ちの本気度合いはなによりもライルが分かっているつもりだった。
「だって、俺、・・・・・・」
 俺、とニールが鼻の頭を真っ赤にして口唇を噛む。
「あああ、兄さん、泣くなって!」
 兄の泣きべそが伝染して自分まで鼻の奥がつんとしてきたライルが、慌ててニールの背中を撫でてやる。
「う、ううー・・・・・・」
 必死で堪えるニールに、ライルはため息をつくばかりだった。
「泣くほど好きなら、ちゃんと本人にそうやって言えばいいのに」
「いやだ」
 ぷるぷるとニールは首を振った。
「・・・・・・頑固だなぁ、兄さんは」
 っせえ、と可愛くない口を返してくる双子の兄の意地っ張りぶりにため息をつきながら、ライルはでもさ、と続ける。
「ブロムまで、あんま時間ねえだろ」
 黙ったまま俯いて口唇を噛む兄に、なんでこんな所で気持ちを抑える必要がある、とライルが一生懸命説得に掛かる。グラハムは、多分ニールの事が好きだ。自分たちに対する態度を見ていれば、それなりにぴんと来るものはあった。
「兄さん、ブロムにまだ誰も誘ってねえだろ? だったら、同性だっていいんじゃねえのか?」
 そこで、辛うじて話を聞いていたニールが口を開いた。
「おまえ、だって」
 誰も居ないじゃないか、えらそうに、というニールの言葉を、ライルがあっさりと遮ってしまう。
「俺? 俺はアニューと行くぜ」
「・・・・・・ハァ!?」
 ライルの答えを聞いて、がばっとニールが顔を上げる。
「おま、いつの間に」
 ガールフレンドなんか作ってたんだ、とニールは殆ど喘ぐように言った。
「俺はチャンスは逃さないんだって。兄さんと違って指くわえて見てるだけとかそういうことはねえの」
 ふふん、と胸を張ったライルが、だから、と言って兄の涙目を覗き込む。
 ちなみに、ライルの方も涙目なのは双子ならではのご愛敬だ。
「兄さんさあ、ぐずぐずしてっと、グラハム卒業しちまうぞ。そしたら、もう追いかけらんねえだろ、あいつ軍に入っちまうらしいんだって、言ってたじゃねえか、兄さん」
 違うか、と言われてニールはううん、と首を振る。だったら、とライルは続けた。
「そこまで付いてはいかないって言ってただろ。じゃあ、このままお別れで、兄さんほんとにいいのか?」
 言いながら、ライルは自分も気分がひたひたと哀しくなってくるのを感じる。
「・・・・・・ほらみろ、嫌なんじゃ、ねえか」
「ーーーだって」
「だって、じゃねえだろ? バカな兄さんだな、俺まで泣かすな」
 ぐずぐずとライルまで鼻をすすり始めるのを見て、とうとうニールの涙腺が決壊する。
「やだ・・・・・・」
「うん」
「グラハムが他の奴と踊るのなんか、やだよ、ぉ、ライルぅ・・・・・・」
「だーかーらー、俺に、言うな、ってぇ・・・・・・」
 べそべそとぐずりながら抱き合って泣く双子の少年はなかなかにシュールな光景であったが、本人達にそんなことを構っている余裕などない。
 結局、その夜までにライルはなんとかニールを説得することに成功し、兄を夜の廊下に送り出したのであった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




四章【さよならにさよなら】

 監督生であり、最上級生でもあるグラハムは、寮の中に個室を持っていた。消灯前の見回りと点呼を終え、部屋に戻ると、ホッとして上着を脱ぐ。
「ーーー遅かったな」
 その時、突然ベッドの方から声が聞こえてきて、グラハムは文字通りぎょっとして振り返ることになった。そこには、鳶色の髪のよく見知った少年が、もそもそと芋虫のようにグラハムのベッドシーツから這い出してきて頭を出す。
「ニール? 何故、こんな所に、というよりも、もう消灯時間はとっくに過ぎて・・・・・・」
「知ってるよ、点呼はちゃんとできてる」
 だから探しには来られない、と言われてグラハムは眉を顰めた。
「できているって・・・・・・まさか、あれはライルの方か!」
 点呼の時気付かなかった、と呻くグラハムに、ニールは笑った。
「俺たちの本気の入れ替わりは、一瞬なら親にだってわかんねえんだ。気付かなかっただろ?」
 呆気に取られるグラハムの前で、ニールは表情を少しだけ切なそうなものに改める。
「・・・・・・今夜だけは、って頼んだんだ」
 ニールは小さな声で言い、ベッドから這い出ると、グラハムの目の前でシャツの胸元からネクタイを解いて抜いた。
「な、グラハム。お願いだ、今夜、だけでもいいんだ。俺を・・・・・・あんたのちゃんとした恋人にしてくれ」
 グラハムは思わず息を吸い込んだ。まさか、ニールの方から求められるとは夢にも思っていなかった。
「ニール、君は、私の」
 言いかけた言葉をニールの指が遮る。
「ブロムの時に、クジョウがあんたを誘うって言ってた。・・・・・・分かってるよ、俺は男だからあんたとは踊れない。でも嫌なんだ、あんたが誰かと一緒にいるの」
 聞いていたグラハムは思った。リーサ・クジョウなら、恐らくグラハムの数級上の友人である、今は大学生のビリー・カタギリに頼まれて、パートナーが誰もいないという事態を避けてやってくれという話で自分に声を掛けようとしていた筈だ。彼女とはなんでもないのだ、とグラハムは少年に説明しようと思ったが、ニールの思い詰めた顔を見ると、何も言えなくなってしまった。
「ニール・・・・・・」
 ニールはほろ苦い笑顔を浮かべて俯く。暫く前から、グラハムが本当の意味で自分とセックスをしている訳ではない、ということには気付いていた。
 ゲイじゃないのか、と揶揄されていた同級生が、男性同士のそういう本を、妹から借りたと持ってきたのが原因だ。悪いとは思ったが、悪友達が取り上げて大騒ぎして中身を読んでいる時に、ニールだけは真剣に内容を読み込んでしまった。
(女じゃねえからって、身体繋げられない訳じゃねえんだ)
 愛し合いたいと願えば、抱かれることも抱くこともできるのだと。それだから、もしかしてグラハムは自分に本気ではないのではないか、という疑問も持っていた。
 まあ、確かにあんなところにあんなものをどうこうというのは正直にニールの想像の範疇街だったが。
 でも、グラハムが知らないはずがないのだ。初めての時、これで終わりか、と尋ねたら、困ったような顔をしていた。
(グラハムは、まだ先があるって、分かってた)
 でも、ニールとはそういうことはしたくないと思ったから、しなかったのだろう。・・・・・・それが、ニールの出した結論だった。
「分かってる、男同士でこんなのねえよな、でも俺、・・・・・・俺はあんたが、ずっとずっと・・・・・・好きで、どうしても好きで。あんな風に触って貰えるようになって、ちょっとでもあんたが俺で気持ちよくなって、好きになって貰えれば、って・・・・・・」
 そのニールの告白にも似た言葉を、待ちたまえ、とグラハムが遮った。流石に、声が上擦ってしまっている。
「彼女は、いいのか」
 言われた言葉が、ニールには意味が分からない。
「ーーー彼女?」
 何のことだ、とニールが首を傾げる。グラハムが多少苛立ったように尋ねた。
「クリス嬢、だ。ブロムに誘うと言っていただろう」
 ああ、とニールは思い出したように言った。
「・・・・・・クリス・・・・・・は、友達だよ。大体あいつ、同じクラスにリヒティってボーイフレンドがいる」
「なんだと?」
 聞いたグラハムが眉を顰めるのを見て、ニールは思わず俯いてしまった。
「・・・・・・白状すると、少しでもあんたが俺に興味もってくれたらいいなって、思って、た」
 こんな狡い俺の事なんか、あんたは好きにならないと思うけど、とニールは俯いたまま続ける。
「でも、俺なんかの身体に、あんたが随分、興味もってくれたから、だから俺・・・・・・」
 俺のはじめてはあんただって、あんたも俺にくれるって、言ったじゃないか、グラハム。
「約束、したじゃねえか・・・・・・。破るのかよ」
 蚊の鳴くような声で囁いた台詞は、途中で強引に引き寄せられ、乱暴に重ねられた口唇に奪い去られてしまった。
「ん、・・・・・・グラハム、・・・・・・あ、っ」
 甘い声で鳴くニールを散々に舌で蹂躙し、腕の中にきつく抱き締め、グラハムが囁くように言う。
「何故、私が君のことを好きにならないと思った」
「・・・・・・え?」
 ぱしり、と鳶色の睫を瞬かせてニールが少年を見上げる。
「私こそ、・・・・・・君の気持ちが見えなくて、繋ぎ止めるために君に手を出した。・・・・・・卑怯な男だ」
 噛みしめるような言葉が漏れて、ぐ、と抱き締める腕に力がこもる。ニールは驚いてグラハムを見上げた。
「ーーーグラハム」
「不安にさせてすまない、真っ向から言えば良かった。ニール、君を愛している、と」
「あ、い」
 唐突に言われた言葉が呑み込みきれなくて、ただ目を瞬いていると、グラハムが少し笑って、ぎゅっとニールをもう一度抱き締め直してくれる。
「こう言えば分かるかい? ーーーニール、私の本当の恋人になってくれ」
 かき抱くようにされながら耳元で懇願されて、ニールはつい、青い瞳から涙をぽろっとこぼした。
「・・・・・・なんだ、俺、てっきり」
「ニール?」
 名前を呼ばれ、ニールはぽろぽろと涙をこぼし続ける。
「てっきり、・・・・・・俺のこと、俺があんまり喧しく追いかけてるから、相手にしてくれてるんだって・・・・・・」
「そんな訳がない!」
 ぱしりと打つように響いてきた否定の言葉に背中を押されるように、ニールの方もグラハムの背中に腕を回した。
「グラハム、ぅ・・・・・・」
「君は私よりも随分年下だから、・・・・・・傷つけてしまうのが、怖かっただけだ。私は、君が欲しい、もうずっと前から」
 もう何も言うな、というように深く口唇が絡められて、ベッドの中に背中越し鎮められる。シャツのボタンを外す指が震え、最後の一つは力が余ったのか、グラハムが引き千切ってしまった。
「すまない、・・・・・・私は我慢弱い」
「いや、そんなことねえだろ」
 今まで、ニールの身体にあれ程触れておきながら、結局最後まで至っていないことを思い出したニールが苦笑する。
 グラハムが、本当に口で言うほど我慢弱ければ、ニールの身体はとっくに奪い去られていたはずだった。・・・・・・だからこそ、不安だったのだとも言えるが。
「あんたが卒業しても、俺があんたを覚えてられるように、寂しくないように、ちゃんと恋人にして欲しい、グラハム」
「無論だ。・・・・・・ああ、そして」
 グラハムが自分も服を脱ぎながらニールに向かって挑戦的に微笑む。
「今回限りでなど、終わらせはしない。決して、想い出になどさせないからな、ニール」
 その顔を見て、ニールはかあっと自分の頬が一気に熱を持って赤くなるのを感じた。どうして、と思う間もなく、ニールの服を全て暴いたグラハムが、自分も素肌のままで性急に肌を合わせてくる。熱いものが身体に当たって、ニールは期待と不安で大きく身を震わせた。
「グラハム、・・・・・・してくれんの、かよ」
「無論だとも。私は我慢弱く、そしてしつこい性格だ。・・・・・・だが、決して後悔はさせない」
「よく言うぜ」
 全身に口づけを贈られ、硬くなったものをさんざんに愛撫され、立てた膝に何度も口づけを贈られて、ニールは心臓を停まるのではないかと思うほど弾ませながらも、ゆっくりと身体の力を抜いた。グラハムを受け入れる、心の準備が整ったのだ。
 膝にかけていた手でそれを感じ取ったグラハムが、ゆるゆるとニールの脚を広げて、その間に身体を割り込ませる。
「ニール、・・・・・・楽にして」
 流石に、後孔に指を這わされたときは軽いパニックを起こしそうになったが、それも深いキスを繰り返される間になんとか落ち着いた。原理はなんとなく分かっていたが、実際にされるとなると、混乱が先に立ってしまう。指先が慎重に胎内に潜り込んで来たときは、グラハムの指だと思っても、違和感でうっすらと冷や汗が浮いた。
「うっ、・・・・・・く、」
 シーツを握りしめ、頭を振って痛みを逃そうとするが、どうしても本来快楽を得る場所ではないそこは、生理的な拒否感を示してしまう。
「ニール、辛いか・・・・・・?」
 グラハムが怯みそうになる気配を感じて、ニールは涙を溜めた目を開け、金髪の少年を睨み付けた。
「や、やめんなよ、絶対やるんだから、な」
「ニール、しかし」
 困ったように名前を呼ばれ、ニールは目の前の少年を今更怖じ気づくな、とばかりに睨み付けた。
「しかしじゃねえ、男に二言はねえんだよ、俺は今夜、あんたと恋人同士になりに、来、」
 そこまでで、グラハムが視線を強いものに戻し、ニールの口唇に深く口付けて、舌を絡めてきた。
 前を手で撫でられ、擦られて、ニールが甘い声を漏らす。
「ん、う、」
 グラハムが熱っぽく囁く。
「ニール、君が好きだ。・・・・・・愛していると言っても過言ではない、君を私のものにできたこの僥倖を、私は一生忘れないと誓うよ」
 荒い呼吸をしつつ、グラハムはそう呟き、ニールの中を犯す指を増やす。その度に強張る身体を宥めながら、ニールは違う、と首を振った。
「俺があんたの、・・・・・・だけじゃない、あんたが、俺の、ものに」
 なるんだ、と言ったニールを抱き締めて、グラハムは指を引き抜いて、自身をそこに押し当てた。
「辛いとは、思うが」
「いい、いいんだ。・・・・・・グラハム、その、」
 ひと思いに止めを刺してくれ、というのもなにかおかしい気がして、ニールはそこで口を噤んだ。
 全身の熱を高められた気持ちよさはあるが、それと後孔を弄られるのとは全く別の話というか、そこに何か刺激が与えられる度に、すうっと脳内が冷めていくのだ。
 それでも、愛されたいと思う。抱いて欲しいと言える。だからきっと、この気持ちは本当だ。
「ニール、大きく息をすって・・・・・・」
 グラハムが頬を撫でながらそう囁いてきたので、ニールは言われるままに大きく息を吸い込む。
「ーーーそう、そのまま」
 呼吸を止めたタイミングで、グラハムのものの先端が、ぐっと力を持って押し入ろうとしてくるのを感じた。流石に、指とは比較にならない大きさだ。
「あ、・・・・・・は、」
 息を吐き出しながら、ニールはぎゅっと目を瞑って、縋るものを探した。辿り着いたグラハムの腕を掴み、痛みの余り恨みの爪を立ててしまう。それも、グラハムは仔猫の爪程度の痛痒しか感じていないようであった。
「はいって、いるぞ、ニール」
 感じるかい、と言われて、ニールは目を閉じたまま首を振った。
「グラハム、グラハム、・・・・・・おれ、・・・・・・!」
 痛いなどというものではない。それでも、嫌だとも抜いてくれともニールは言わなかった。ひたすらに口唇を噛みしめて耐え抜こうとする。
 一番奥まで自身を収めると、グラハムが入ったぞ、と呟いたので、ニールはそこでやっと忘れていた呼吸を再開した。
「ーーーはいった、の、か?」
 確かにグラハムの張り出した所が通り過ぎるまでは痛みを感じたが、中に入ってしまうと違和感は酷いものの、痛みの頂点は超えてしまったようだ。
「好きだ、・・・・・・ニール」
 グラハムの方は、余程嬉しかったのか、ニールの体中にキスの雨を降らせてくる。それが嬉しくて、ニールはそっと膝を寄せて、グラハムの身体を確かめてみた。
(グラハムが、俺の中に、ちゃんと、いる)
 両足の間、あらぬ所をグラハムが浸食し、しっかりと存在を刻みつけている。ああ俺、グラハムの恋人になったんだ、と思った途端に、陶酔感を伴った高揚が押し寄せてきた。
「グラハム、俺だって、・・・・・・大好き、だ」
 動いていいぜ、と微笑むと、ニールの額に浮いていた脂汗を拭ったグラハムが、一生大切にする、と囁きながら入ったものをゆっくり引いて、また押し入って来た。
「あ、・・・・・・あっ!」
 悲鳴のような声を上げ、ニールは少年に縋り付いた。
「ニール、・・・・・・ニールっ!」
 切羽詰まったグラハムの顔を見上げているだけで、ニールは下腹に熱が集まってくるような気がして、はあ、と大きく息を吐いた。グラハムの身体は、ニールよりも筋肉が乗って、しなやかに青年に脱皮しようとしている。大人とも言い切れないその身体に例えようもない欲望を感じた気がして、ニールは困惑しながらもグラハムが欲しい、と思った。
「・・・・・・っ、く、」
 ニールの胎内が、どうやらグラハムを締め付けてしまったらしい。直ぐに、切羽詰まったような顔になったグラハムが、イく、と小さな声で呟く。
「いいぜ、・・・・・・グラハム、俺のなかで」
 出して、と促すように囁くと、グラハムが緑色の双眸に切ないような、熱い光を宿すのが見えた。
 愛している、という言葉が頭の中で弾けたような気がした。
 あ、俺今、・・・・・・もう一回、こいつに落ちた、とニールが思った瞬間、どくんという鼓動がニールの胸にまで伝わった気がして、思わず目を閉じる。びくりと脚の間のグラハムの身体が跳ねたのを感じて、ニールは驚いて声を上げた。
「あ、・・・・・・あっ!」
 胎内で、グラハムのものの先端から弾けたものがどろりと中を濡らして行くのを感じる。小刻みに腰を震わせて大きく息を吐いたグラハムは、そのままニールの身体を抱き締めるようにもう一度奥まで押し入って来た後、ゆっくりと自身を引き抜いていった。
「・・・・・・っ、ん、」
 抜けるときも、違和感はあった。それでも、放出して多少は柔らかさを取り戻したものは、入って来たときよりも素直に抜け落ちていく。
(ーーーまた、離れちまう)
 それがなんだか寂しいような気がして、ニールは思わずグラハムの首筋に縋り付いた。
「な、グラハム、・・・・・・もちょっと、側にいてくれよ」
「ああ、・・・・・・」
 ニールの喪失感に気付いたのか、何度もグラハムがニールの髪の毛にキスを落としてくれる。好きだ、という言葉が振ってきているようで、ニールは口唇にも、と深いキスを強請った。
「ん、・・・・・・」
 グラハムが汗ばんだ身体を擦り寄せながら、ニールの結局硬くはならなかったものを撫でて申し訳なさそうに呟く。
「先にイカせてあげれば良かったな・・・・・・」
 すまなかった、と囁かれて、ニールは苦笑して首を振った。
「や、・・・・・・いいよ、だって初めては痛くて気持ちよくなんねえって聞いたし・・・・・・」
 だから、と言うニールに、グラハムが眉を顰める。そういえば、男同士のセックスの知識を、どこで仕入れて来たというのか。
 思い返せば、グラハムが教えたこと以外は何も知らなかったはずなのに、随分と詳しくなっていたし、積極的ですらあった。
「誰に?」
 場合によっては、という嫉妬混じりのグラハムの言葉の響きに、愛されたばかりで浮かれているニールは気付いていなかった。
「ええっと、ライルが持ってたエロ本に書いてあった!」
「・・・・・・」
 多少微妙な表情はしたものの、グラハムはそれ以上の追求をすることはしなかった。ライルは後で問い詰めておこう、と内心で小さく決意を固める。
「な、・・・・・・グラハム」
 後始末をしようと身体を起こしかけると、ニールがグラハムの腕を取って呼びかけてきた。
「なんだね?」
 首を傾げる金髪の少年に、ニールが少し照れたような表情で、あのさ、と切り出す。
「今日は初めてだったから、その、・・・・・・だけど。・・・・・・俺が気持ちよくなれるまで、ちゃんと付き合ってくれよ?」
 それくらいは恋人として当然の責任だよな、と続けようとしたニールの言葉は、勢いよく抱き締められた腕の中に消えることになってしまったのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




終章【メモリーズ・オブ・ユー】

 そして、二年の日が過ぎた。
 ただいま、と声を掛けて、ニールが家の扉を開ける。帰り道、外はすっかりクリスマスと新年の飾り付けで煌めいていた。
「おー、おかえり兄さん、グラハム来てんぜ」
「えっ!?」
 奥からのライルの声を聞いて、ニールは手にしていた鞄とコートをその辺に放り出し、リビングへと急いだ。そこでは、金髪の青年がライルの向かい側に座ってコーヒーカップを手にしている。
「グラハム、なんで・・・・・・」
 唖然としているニールに、グラハムが微笑みかける。
「急に休みが取れたので、君たちの顔でも見ようと思って。クリスマス休みだから、きっと家に居るだろうと思って電話をしたら、ライルが出て」
 その後の言葉は、ライルが引き取る。
「兄さん外出中だけど、すぐ帰ってくるだろうから、お茶飲みに来いよって誘ったんだ」
 母親お手製らしいビスケットを暢気に囓っている弟と恋人に、ニールはがっくりと肩を落とす。
「グラハムが来るって分かってたら、本屋になんか寄らなかったのに・・・・・・」
 今日発売の新刊欲しさに、浮かれて家を走り出てしまった自分が嫌になる。その本は、優先度が上の存在が来てしまったので、可哀想に鞄と一緒に玄関に放り出したままだ。
「まあいいじゃねえか。あ、コーヒーは自分で入れろよな」
 セルフサービスな、と言われてニールはグラハムに奪われていた視線を弟に戻した。
「いちいち指図すんな、分かってる!」
 噛みつくように言って、ニールはマグカップに入れて来たコーヒーを手に、迷わずグラハムの隣に座った。金髪の青年がニールに向けて微笑みかけて来てくれる。ああ、すっげえハンサムになったなあ、とニールは一瞬見惚れてしまい、赤くなって俯いた。
「二人とも監督生になったのだと聞いて、素晴らしいなと言っていた所だったのだよ」
 グラハムは気付かずにそう話を続け、ライルは兄の乙女のような態度に呆れたように首を振る。
「そうだぜ、もうやんちゃなディランディじゃねえよな、兄さん」
 ライルの言葉に、ニールはまあな、と言って微笑んだ。ライルが更に言いつけ口を続ける。
「そういやさ、新しい下級生に、手の掛かるのがいんだよ。ハプティズム兄弟っつってな、双子で、兄のアレルヤってやつはいいんだけど、ハレルヤって双子がまあ、すっげえ悪いんだ」
 そのぼやきを聞いて、グラハムは深々と頷いた。
「少しは君達にも、私の苦労が分かったようだな、重畳」
 えー、とライルが口を尖らせる。
「どういう意味だよ!」
 ライルとグラハムの会話を笑いながら聞いていたニールだったが、ビスケットを口にした瞬間にライルが言った言葉に文字通り喉を詰まらせた。
「そうだ、今年のブロムの相手争奪戦はまあ、凄かったんだぜー? 兄さんすげえモテモテでさー、監督生だし、最上級生だろ?」
 そりゃもう相手が決まるまで押すな押すなの大騒ぎで、と言われてニールは慌てて弟を制止した。
「ら、ライル!」
「んだよ、ブロム誰と踊ろうか、って悩んでたじゃん」
 にっこりと悪気のない顔でライルは言い放ったが、確実に悪意の塊だ。隣に座っているグラハムの周囲の気温が今、二度くらい確実に下がった。
「・・・・・・ほう?」
 低い声で相槌を打たれ、ニールは背中に冷や汗を流す。
「ら、ライル、それなら、お、お前だって」
 へっ、とライルが自慢そうに胸を張る。
「俺は、ずうっとアニュー一筋だったからそんなお誘いはありませんでした。とうとう最上級生までフリーだった兄さんと一緒にしないで欲しいね」
 お前ぇ、どんな嫌がらせだ、とライルの台詞を聞いたニールは内心で絶叫する。俺とグラハムが恋人同士として付き合ってるのは知ってるだろうに、何を白々しい、と心の中で怒鳴りつけたが、ライルはどこ吹く風だ。手元のコーヒーを飲み干し、ちらりと時計に目をやった。
「あ、もうこんな時間。俺さ、アニューとデートする約束してんだ。今夜遅くなるから。あ、あと、父さんと母さんはエイミー連れて街までオペラ見に行ったってさ」
「へぇ!?」
 驚いたニールに、ライルはにやっと笑う。
「チケットをさ、急に貰ったんだって。もしかしたら帰らないかもしれないから、戸締まり宜しくだとよ。じゃあ兄さん、グラハム、積もる話でもゆっくり楽しんで」
 俺は消える、と手を振って立ち上がったライルを待て、と追おうとしたニールの肩が背後から掴まれる。
「気を付けてな、ライル。良いクリスマスを」
 グラハムが恐ろしい微笑みと共に弟分を送りだした。ライルも非常にいい笑顔で答える。
「良いクリスマスを! グラハムと、ついでに兄さんも」
 俺はおまけか、というニールの内心の絶叫は言葉にならなかった。ライルが部屋を出た瞬間、グラハムの笑顔が凍り付く。
「・・・・・・ニール、釈明があるのならば聞こうか」
 ライルは自分たちが付き合っているということを知っている、という事実をグラハムには言っていない。なんとなくタイミングを逃してしまっている所為だ。だから、ライルは面白がってあんな冗談を仕掛けてくるのだが、最早心臓に悪いなどというレベルではない。グラハムは結構嫉妬深いのだ。
「い、いや俺、別に浮気なんかしてねえよ!」
 強引に振り向かされ、ニールが焦って弁解を始める。
「では、さっきライルが言っていたのはなんだ」
「じょ、冗談だよ、あいつが大袈裟なんだって、全部恋人居るから、って断ってるって!」
 それは本当だ。ただ、告白される数が多いのも本当だったが。ニールの口調でそれを悟ったグラハムの眉が剣呑に上がる。
「ほう?」
 わたわたと慌てつつもニールが説明を続ける。
「ブロムだって、ほら、前に話しただろ、短期で留学してきたマリナ・イスマイール姫! あの人のエスコート頼まれてさ、丁度いい、かなー、って姫様と・・・・・・」
 行くことに、と言いかけ、グラハムの眉が益々上がるのを見てニールの口調が失速した。
「丁度いいとは、何が、だね」
 釣り合いが取れていると言うことか、と続けるグラハムに、ニールがまさか、と否定する。
「・・・・・・恋人、の、代わり・・・・・・だって、あんた来られないじゃん」
 本当なら、俺だってあんたと、ととうとう拗ねたように口唇を尖らせてしまったニールの額に、軽い口付けが降りる。
「ニール」
 むずかるように、グラハムの年下の恋人は首を振った。もう、見た目はいい青年になっているのに、中身はグラハムの前では相変わらず子供っぽいままだ。
「っせえ、こんなキスで誤魔化されねえぞ。クリスマスは、仕事で逢えないかも、とか言ってた癖に、押しかけて来やがって、俺はちょっと怒ってんだからな、ばかやろう」
 それでも、尖らせた口を何度か柔らかいキスで覆われるうちに、ニールの口角が密やかに上がる。そっと手を置いた胸の感触に、ぱしりと瞬きをした。
「なんか、胸とかすげえ硬くなってんな。これ筋肉?」
 久しく触れていない身体をぺたぺたと無遠慮に触る。
「ああ、身体は軍人の資本だから」
 へえ、と呟いて、結構力を込めて掌で押してみるが、ニールの力ではびくともしない。
「パイロットって凄いんだな」
 そうか、こんなに鍛えているのか、と思ったニールは、今からこの身体が自分だけを抱き締めてくれることを想像して、僅かに頬を緩める。
「まだ、ひよっこだがね」
 さて、積もる話をしようではないか、と耳元で囁かれて、ニールは笑いながら立ち上がった。
「そうだな、・・・・・・俺の部屋、温めてくるから、ちょっと待ってて」
 ベッドが朝起きたままで恥ずかしい、とは流石に言えず、期待で耳だけを赤く染めながら部屋を出る。
 まさか、ここまで来ておいて、話をするだけで帰るなどとは言わないだろう。ライルも両親達も遅くなると言っていた、愛を確かめ合う時間は十分にあるはずだ。
 久々に身体を重ねることができるかもと思うと、期待で体温が上がっていくのがはっきりと分かってしまう。
(って、俺、浮かれてるよな。仕方ねえか、グラハムに抱かれるの、気持ちいいし、大好きだし・・・・・・)
 初めて抱かれたときのぎこちなさを脱し、随分と恋人の愛撫に慣れた身体は、既に期待で疼き始めている。ニールの部屋でするのも、実は初めてではない。
 グラハムが泊まりに来るときは、ニールの部屋に一緒に泊まるのが恒例になっているからだ。
 堅物のグラハムは、最初は家族と暮らす家でニールに色事を仕掛けることをかなり渋っていたが、ニールに口説き倒されてとうとう留守中にニールの部屋で抱き合ってしまい、その後くらいからかなりニールに対する態度が改まっている。
 弟などに言わせると、いつ結婚を申し込んできてもおかしくない態度だ、ということになるらしい。ちなみに、ニールの方に異存はない。
(グラハムも俺もまだ学生だし、早すぎる気もするけど。でも、いつかは一緒に暮らせたらいいな)
 そんな甘ったるい事を考えて、ニールは口元を緩ませる。
 今のベッドはただでさえシングルで狭いのに、グラハムが泊まりに来ると、彼に懐いているライルまで時々一緒に寝ようとはしゃいで潜り込んで来てしまうため、グラハムは狭いベッドで胸にニールを抱き、背中にライルを張り付かせて起きることもあって、ニールとしてはとても落ち着かない。
 恋人の安らげる腕の中に収まって朝を迎え、寝ぼけたままキスを交わそうと思ったら、背後からそっくりの顔がおはよー、と顔を出してくるのだ。とてもとても心臓に悪い。
 まあ、いつもではないことだけが救いだが。
 それに、グラハムも一回目から後は、警戒しているのか遠慮しているのか、ニールがベッドに潜り込んでごそごそ腕の中で落ち着き場所を探している間に、悪戯を仕掛けられないようにと、さっさと目を閉じて寝てしまう。
(まあ、今日はそんな真似させねえけど)
 ちゃんと、恋人同士らしい行為をして貰うつもりだけれども。
 考えるだけで口元に笑みが浮かんでくる。
 そんなニールが、脱ぎっぱなしの上着と鞄を回収し、玄関のドアを閉めて、軽やかに階段を駆け上がる足音を聞きながら、グラハムはゆっくりと、手にしていたコーヒーを飲み干した。
 左右を見回すと、今ではすっかり慣れてしまったディランディ家のリビングの様子が目に入ってくる。
(このような場所に、私は一生縁がないと思っていたのだが)
 人生は全く不思議なものだと思う。ニールと抱き合って、積もる話をして、と考えただけで心が躍った。
 お待たせ、とはにかんだように笑いながらニールが部屋に戻ってくるのも、もう間もなくのことである。


おしまい!




☆ ★ ☆ ★ ☆




Memories Of You

Memories Of You




☆ ★ ☆ ★ ☆





番外編【チャイルド・デイズ・メモリー】

 軍事系の雑誌を買うようになったのは、絶対に恋人の影響だ。その情報部分に出ている記事を見て、ニールは転がっていたベッドから文字通り跳び上がった。
「基地の一般公開!?」
 グラハムが今現在いる、内陸部の空軍基地での開催とのこと、しかも現在は絶賛夏休み中だ。恋人が空軍士官学校の学生のニールとしては、これは是非見に行くべきイベントだ、と思わざるを得なかった。
 しかし、恋人も言ってくれればいいのに水くさい、と思う。
「遠いから、かな」
 そう、グラハムが卒業してから初めての夏休み、ニールとしてはやっと恋人と甘い時間が過ごせるに違いないと、この夏休みをそれはもう心待ちにしていたのだ。そして、夏休みの予定を尋ねる手紙を送ったら、それはそれは申し訳なさそうな様子で、実は学費を全額負担してもらっている空軍の奨学生なので、この夏休みは他の空軍基地に手伝いに行かされるのだと言ってきた。
『えっ、マジかよ・・・・・・?』
 余りのことに思いあまって、どうにか連絡を付けた電話口の向こうで、グラハムは珍しく弱り切った様子だった。
『すまない、後半で少しくらいは自由になる時間も貰えるはずなのだが、その、私が孤児院出身なのは皆に知れ渡っていて・・・・・・』
 どこで過ごすのだ、家に来ないか、などという誘いが引きも切らないのだという。
『なんだよ、それ・・・・・・』
 だったらさっさとディランディ家に来てくれてもいいのではないかと思う。一度、まだ恋人同士になる前に招いた時以来、両親とも、特に母親がグラハムを気に入っていて、エーカー君は今年も泊まりに来ないの、あんたちゃんと誘ったの、ニール、等と言うくらいだ。グラハムの方は、自分が孤児だと言うことを気にしてか、長い滞在は渋りがちだったが、ニールとしては、今年は恋人同士になって初めての長期休暇ということで、夏休みの最初から最後まで一緒に過ごして欲しいくらいだったというのに。
 恋人が人気者だというのは嬉しいことなのだろうが。
 腹立ち紛れに電話を切って、俺って、ほんとは結構焼き餅妬くタイプだったんだな、とニールは前と違って滅多に会えなくなったグラハムに素っ気ない態度を取ってしまったことを悔やんだ。
 その後、グラハムから手紙が来て、遠くの空軍基地での滞在が決まったこと、ニールの家には夏休みの後半に訪れようと思って居ること、などが綴られていた。直ぐに地図で確かめ、殆ど大陸横断であることにニールは肩を落としていたのだ。
 改めて記事を熟読すると、手に入れるのが遅かったせいもあり、開催はもう三日後に迫っていた。頑張れば列車を乗り継いで行けないこともない、とニールは腹の中で算段をした。飛行機に乗るようなお金は持っていないので、ニールの小遣いを総動員させても、列車を乗り継ぐのが精一杯である。
「明日くらいに出れば・・・・・・」
 行って帰って、一週間くらいだろうか。たまには、グラハムにだって自分が会いたいのだと言うことを知らせたい。
 そう思ったニールは、雑誌を握ってリビングに降りていった。
 結果、兄さん一人じゃ危ないだろ、と同行を申し出てくれた双子の弟をお供に、ニールは溜めていた小遣いをはたき、グラハムに逢うための小さな冒険に出発することになったのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 ニールが意気揚々と弟と一緒に、恋人のいる空軍基地を目指して大陸を横断する列車に乗った、その頃。
 グラハム・エーカーは、世間一般でいうところの大ピンチの状態に立たされていた。・・・・・・筈であった。
 グラハムを壁際に追い詰めた男が、卑猥な笑みを浮かべる。
「お嬢ちゃん、壁の方を向いてズボンを下ろしてケツを出しな」
 優しくしてやるからよ、と言われてグラハムは眉を顰めた。
「冗談ではない、断固辞退する。男に犯される趣味はない」
 男を犯す方の経験をしたことはあることには、綺麗に口を噤みつつグラハムは言った。
「そう、つれないこと言うなよ。お前、男の方が好きだろう。見たら分かるぜ、お前みたいな綺麗なガキは大概ゲイだよな」
 なあ、と言いながら男は無骨な手を伸ばし、グラハムの頬に触れようとする。グラハムはため息をつき、その手を振り払った。
「辞退する、と言った」
「生憎だが、お嬢ちゃんに選択肢はねえんだよ。そんな挑発するような格好で男の前ちょろちょろしてよ」
 グラハムは眉を顰めた。身につけているのは、軍服の作業用のパンツと、上はタンクトップ一枚だが、南に位置するこの基地はとにかく暑いので、演習中は皆似たり寄ったりの格好だ。
「言いがかりだな」
 さて、どうするかとグラハムは冷静に目の前の男の態度を見極めようとした。多分、格闘技の腕はグラハムの方が数段上だ。すぐにそう見極めると、男がにやにやと笑いを顔に貼り付けたまま囲い込んでいる腕の枠の中で、いきなり身を屈める。
「うおっ?」
 男が慌てているのに後ろに引かず、重心だけずらした後で勢いを付けて男の方に飛び込み、足の甲を踏みつける。足の甲は人体急所の一つだった。思い切り体重と勢いを掛けて踏んでやったので、男が俯くと同時に、肩を押さえて顎を蹴り上げる。
 ぐあ、という呻き声を上げて男はその場に倒れ込んだ。蹴ってその身体を上向きにし、グラハムは男の鎖骨に踵を乗せる。
「手を出す相手を間違えたようだな」
 そのまま、ぐっと体重を掛けると相手は呻いた。こんな基本的な体術で倒せるとは、拍子抜けにも程がある。ストリートファイト慣れしているグラハムは、呆れたように眉を上げた。
「二度と私に不埒な真似はしないと誓いたまえ。私は我慢弱い。早く誓わないと鎖骨をへし折って、貴様が気に入りの美人に二度と手を出せないようにしてやる」
 どうせいつもこんなことばかりしているのだろう、と低めた声で凄むと、男が誓う、誓うから離せ、と呻いた。新兵を毒牙に掛けるとは軍人の風上にも置けない、とグラハムが鼻を鳴らす。
「言っておくが、私は正当防衛を主張する。何度でも相手になってやるから、破廉恥な真似は止すのだな」
「分かった分かった、おお、怖ぇえ美人だな」
 グラハムに蹴られた顎を押さえながら男が大袈裟に言うのに、肩を竦めて立ち去ろうとしたグラハムが、ふと思い立ったように足を止めて振り返った。
 丁度良い、と再びグラハムの足が自分の方を向いたので、男がびくっとして金髪の美青年を見上げる。
「な、なんだよ」
 たいしたことではない、とグラハムは口元を少しだけ上げた。
「・・・・・・貴様に、聞きたいことがある」
 底知れない笑顔に竦み上がった男がこくこくと何度も頷くのを確認して、グラハムはその前に屈み込んだ。
「男を、抱いたことはあるか?」
 教えて貰いたい事がある、とどこか艶やかに微笑むグラハムの顔を見つつ、男は背筋に盛大に冷や汗をかきながら、俺で分かることだったら何でも聞いて下さい、サー、とだけ答えていた。
「ならば問いたい、男を抱いて絶頂に導くコツ、というのは何かあるのか」
 大真面目だった。初めて身体を繋げた時以来、数回に渡ってニールを抱いたが、最初の愛撫こそ喜んで受け止めてくれるものの、いざ身体を繋げるとニールは痛がるばかりで、グラハムには気付かせないように隠そうとはするが、絶頂に導いてやれたことはない。実際、去年のクリスマスに久しぶりに逢えたときは、再会の喜びが先に立って、気遣うことも出来ずに泣かせてしまった。
 毎日のように逢っていた頃とは違い、ニールの些細な変化を観察できる立場ではないのだ。夏休みの後半、ニールの家を尋ねるまでに、ある程度の知識は仕入れておきたかった。
 しかしながら軍に属して単独行動もままならない身としては、ある意味この男の接触は渡りに船とも言える。
「なんだ、お前さんタチの方だったのか、それなら俺が」
「何を馬鹿なことを、私はただ、知識を欲しているだけだ!」
 性懲りなく起き上がろうとする男を再び靴底で制しながら、グラハムは剣呑な笑みを浮かべる。
「さあ、吐きたまえ。私は我慢弱いと言った筈だ」
 その後、神妙に前立腺の刺激の仕方やローションや潤滑剤、コンドームの使用説明など、几帳面に頷いて男の話に聞き入っていたグラハムが、何故か男にすっかり気に入られ、お前の大事にしている可愛い恋人を見てみたいと付きまとわれるようになったのは、グラハムの計算外の出来事であった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 ここか、とバスを降りたニールは大きな厳つい門を見上げた。長い列車の旅だった。寝台車を乗り継いで、やっとという感じである。道中はなかなか楽しかったものの、この基地の中でグラハムを見つけ出さなければならない。
 隣で駅前のスタンドで買い食いしたチリドッグの包み紙を丸めて放り投げるライルを行儀が悪いと窘め、ニールはごくりと唾を飲み込んで基地の中へ足を踏み込んだ。
「これが、グラハムのいるとこ・・・・・・」
 小さく呟いて、ぐるりと周囲を見回す。戦闘機の曲芸飛行があるというので人気らしいイベントは、既に沢山の人でごった返していた。ライルは所々にある食べ物などの美味しそうな匂いのするスタンドに目を奪われている。
 さっきチリドックを食べたばかりなのは、既に脳内から消えているらしい。まだまだ色気より食い気の弟の姿に、ニールは少しだけ頬を緩めた。
「はぐれるなよ、ライル」
「兄さんこそ」
 声を掛け合いながら連れだって歩いていると、どうやら倉庫のような所に迷い込んでしまったらしい。グラハムはきっと新入りだし、裏方で働いているだろうと見当を付けたのが裏目に出てしまったようだ。
「おい、坊主達、ここで何をしている!」
 その時、誰何の声を掛けられて、ニールとライルは文字通り竦み上がった。なんのかんので箱入りの寄宿舎育ちの二人は、粗野な軍人などにあまり免疫はない。・・・・・・いや、この時点で双子は気付かなかったが、男は正規の軍人にも見えなかった。
「あ、あの、俺たち、人を探してるんです」
 グラハム・エーカー、というんですが、ここに研修で来ている士官学校の学生で、とニールが慌てて続けたのを聞いていた男が、ニールとライルの顔を一通り眺め回して、にやりと笑った。
「ーーーいいぜ、着いてきな。探してやるよ」
 にやりと笑う男にどこか信じ切れないものを感じて、ニールはライルを振り返る。ライルも蒼い顔で左右に首を振った。
「い、いいです、受付とかで、探してもらいます、から」
 しかし、男は下卑た笑顔で近付いてくる。
「そうつれないこと言うなよ、可愛い子ちゃん達。お兄さんが楽しい場所に連れて行ってやろうと言ってるんだ」
 身なりをある程度整えているニール達は、いい家の子供に見えたらしい。昨日までは小汚い格好だったのに。
(グラハムに逢えるかも、って思ったから、ちゃんとした格好で来たのに、やばいのに目を付けられた・・・・・・)
 ライルだけでも逃がしてやらなければと左右に目をやる。
「兄さん、逃げよう」
 ライルが背後から囁いて来た。ニールも頷く。
「せえ、のっ!」
 声を掛けて、二人はばらばらに走り出した。
「待て、ガキが、このっ・・・・・・!」
 男は一瞬の躊躇の後、ニールの後を追ってきた。ライルを逃がすために、ニールが一瞬だけ速度を緩めていたからだ。走る速さを上げながら、ニールは初見の基地の中を必死で走り回る。イベントで沢山の人が来ているにも関わらず、丁度始まった曲芸飛行のお陰で、逃げているニールに注意を払ってくれる人は誰も居なかった。
「ちょこまかと・・・・・・!」
 走り込んだ通路の先が行き止まりで、思わず立ち止まったニールの後から、男が角を曲がってくる。こうなれば、やり合って隙を見付けるしかない。
(グラハムに逢うまで、俺は逃げなきゃ)
 そう決意したニールに男が手を伸ばしてくる。頭上を、曲芸飛行の一機が飛んでいくのが視界に入った。思わず、視線で追ってしまう。薄暗い通路の向こうは抜けるような青空だ。あの、横切った戦闘機に、いずれグラハムも乗るのだろう。
(俺は、それを地上で見守るって、決めたんだ)
 だから、と目の前を睨み付けたニールの耳に、通路に入ってきた人影が厳しい声を上げるのが飛び込んできた。
「何をしている、ここは民間人立ち入り禁止区画だ!」
 その、声を。
 聞いた瞬間、ニールは全身に歓喜が満ちあふれるのを感じながら、逆光ではっきり見えない声の主の名前を呼んだ。
「ーーーグラハム!」
「・・・・・・ニール?」
 まさか、どうしてここに、と驚いた顔をしたグラハムの耳に、ニールの次の言葉が届く。
「助けて、グラハム!」
 聞いた瞬間にはもう、身体が動いていた。走って、こちらに向きを変えて突っ込んできた男を軽やかに跳び箱の要領で飛び越えると、身軽く着地してニールの身体を引き寄せる。
「ニール、本当に君なのか」
「グラハム、後ろ!」
 怒った男が掴み掛かってくるのを、ニールを背後に庇ったまま、グラハムは身を屈め、男の着ていた服の奥襟を掴んで勢いのまま、華麗に投げ飛ばした。背負い投げられた男は、仰向けにひっくり返って目を回している。
「今のうちだ、逃げるぞ、ニール」
 すげえ、グラハムめっちゃつええ、とニールが丸く目を見開く。ふう、と息を吐く横顔が、今までになく精悍に思えた。
「お、おう」
 グラハムに手を引かれて通路から出たニールは、警備係の当番兵を引っ張ってきたライルと、丁度顔を合わせることになったのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 お前達は、と怒りの形相で仁王立ちになったグラハムの前で、頭に一発ずつ拳骨を喰らわされたニールとライルが、痛い、とべそをかきながら座らされている。
「私が見付けなかったらどうなっていたと思ってるんだ! 来るなら来ると言ってくれれば、ちゃんと出迎えて案内したのに!」
「だって、驚かせたくてさ」
 少しだけ口を尖らせて言うと、緑柱石の瞳にぎらりと睨まれて、慌ててニールは首を竦めた。
「まあまあ、エーカー君、君を慕ってきてくれた弟分達らしいじゃないか。軍のことを知って貰う為にも、楽しんで帰って貰いなさい。君はここに来てから休みも取っていないだろう? 今日は彼等とゆっくりしてくればいい」
 グラハムの世話をしている教育係の壮年の男は穏やかな話の分かる人間で、事情を聞いて、逆にそう言ってグラハムを解き放ってくれた。申し訳なさそうな顔をしながらも、グラハムは宿舎に戻って私服に着替えてニール達の所に帰ってくる。
「積もる話もあるだろう、外泊届けを出しておきなさい」
 そうアドバイスされたので、きちんと外泊の届けも出してきている。まだ少し怯えながらも、待っていた間に曲芸飛行を見ていたニール達の所に戻り、もう怒っていないと告げてこの後の予定を聞くと、何も決まっていないのだと言った。
「そうか・・・・・・曲芸飛行は見たのか?」
「見た! 凄かった!」
 途端に昂奮してあれこれ語るニールとライルはやはり年相応の少年の表情で、グラハムは苦笑しながら、自分も街に出てはいかないのであまり詳しくは知らないのだ、と言った。
「帰りの列車は取れているのか?」
「あ、うん、明日のお昼のを買ってあるぜ」
 だから今日はどこか宿を探して、と説明をしかけたニールの服を、ちょいちょいとライルが引っ張った。
「兄さん、俺、今日は別のホテルに部屋取るわ」
「・・・・・・ライル」
 耳打ちされたニールが、驚いて弟を見る。ライルは、にっと笑ってちらりとグラハムに視線を送った。
「このままデートに誘ってきたらどうだ?」
「・・・・・・いや、でも」
 弟を一人にするのは、と躊躇いを見せるニールに、ライルが俺だって、二人の邪魔するために着いて来たんじゃねえんだから、と苦笑する。
「兄さん宅急便としちゃ、渡すもんはちゃんと渡しておかねえと」
「な、なにが宅急便だよ!」
 ばか、と焦るニールに、じゃあさ、とライルが提案する。
「昼飯奢ってくれよ。そんで、どっかのスタンドで観光案内買って、お互いに泊まるとこだけ決めようぜ。そしたら、その後はフリーって事で」
 どうよ、という妥協案に、ニールは頬を染めて頷いた。
「う、・・・・・・うん」
 いいかも、と思っているのは明白だ。
「頼むから、俺と同じ顔でそんな乙女チックな表情すんの止めてくんねえかな・・・・・・」
 胸焼けする、とぼやいたライルがニールの腕を引っ張ってグラハムに事情を説明する。案の定、グラハムもニールと同じ顔をした。この辺り、監督生気質が抜けきっていない。
「ライルを一人にするのは・・・・・・」
「だーいじょうぶだって。俺もう十六だぜ、そんな過保護にしなくていいよ。あんたは兄さんだけ見てくれりゃ」
 明日の正午に駅で集合な、それまでお二人でごゆっくり、と言われて、グラハムとニールは同時に頬を染めた。
「ライル!」
「赤くなんなよ兄さん、同じ顔なのに気持ち悪ぃ。さ、飯喰おうぜ飯。グラハムの奢りだよな!」
 レストランをさっさと探し始めるライルを呆れたように見送っていると、グラハムが後ろからそっとニールの肩に触れる。
「ニール、・・・・・・言うのが遅くなったが、来てくれて嬉しい」
「あ、ああ、うん」
 ニールはまだ赤い顔をぱたぱたと扇ぎながら振り返った。シャツとジーンズの上からフライトジャケットを羽織ったグラハムは、少年期の甘さが些か削げた顔立ちになっていて、街を歩く少女達がいちいち振り返っては顔を見ていく。それに気付いたニールは、そっとグラハムのフライトジャケットの袖を引いた。
「ーーーなあ、外泊取ってくれよ」
 今夜、と囁くように言われて、グラハムは驚いた顔になった。
「ニール」
 抱かれたい、という積極的な誘いが恥ずかしく、ニールは顔を赤くしたが、言った言葉を撤回する気にはなれなかった。
「な、俺泊まってく、だからさぁ・・・・・・」
 それ以上は言葉に出来なかった。グラハムが、どんどん遠い存在に思えてきて、落ち着かない。口唇を噛みしめて俯きそうになるニールの頭を、金髪の青年がそっと撫でてくれた。
「ーーー外泊届けは、出してから来たよ」
「えっ、マジでか」
 がばっとニールが顔を上げる。ああ、とグラハムは微笑んだ。
「ついでに、明日も休暇を申請してある。君をちゃんと列車に乗せるまで、心が休まりそうにないからな」
 憎まれ口に混ぜているが、ニールの事をきちんと気遣ってくれているのは明白で、ニールは少しだけホッとして胸を撫で下ろした。明日の昼まで、グラハムを独占できるのだ。
「なあ、兄さん、バーベキューとクレオール料理とだったら、どっちがいい?」
 なので、甘い空気を全く無視するように弟が割り込んで来たときも、大して気にはならなかった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 満腹の腹とガイドブックを手に意気揚々とライルが去った後、グラハムはニールを連れて、駅の近くにあるそこそこのホテルに宿を借りるべく電話をして、ニールを連れて歩き出した。
(グラハム、またハンサムになった、な)
 相変わらずグラハムの容姿は注目を集め、隣を歩いていたニールは気が気ではなく、さりとてどうしていいか分からず、とりあえずグラハムの腕を取って自分の身体を寄せる。
 ホテルのフロントと話してチェックインをしようとしていたグラハムは、少年の態度に驚いたようだった。
「ニール?」
 名前を呼ぶと、きゅ、と少年がグラハムの腕に抱きついた力を強くする。一体どうしたのだろうと思いながら、グラハムはチェックインの手続きを続行した。名前を書きながら少し迷って、ニールの名字を書くのは控える。
「あらあら、可愛い弟さんね」
 その時、後ろからそんな声が掛かった。ぴくりとニールの身体が震え、グラハムの手が止まる。
「お兄さんが大好きなのね」
 微笑ましい、と言っているのはチェックインを待っているらしいカップルの、初老の婦人だった。部屋の鍵を受け取ってカウンターから離れるときに、ニールが小さな声で弟じゃねえし、と呟いたのが聞こえる。完全にご機嫌を損ねてしまったようだ。
(私だって、君の兄だと思われるのは不本意なのだがね)
 グラハムは、天を仰いでため息をついた。
 ご機嫌を直して貰うまでには、どうやらまだ暫くの時間が必要なように思われた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 部屋は、簡素なツインルームだった。ダブルベッドじゃねえのかよ、というニールの呟きは聞こえなかったことにする。
 さしも剛胆なグラハムといえども、男二人でダブルベッドの部屋を取る勇気はない。鍵を開け、部屋に入る。この先の行動にお互いの確認など要らなかった。ニールの荷物も少なかったので、備え付けの棚の上に投げ出すと、まずは強くお互いを抱き締めた。
 性急に口付けを交わし、蹌踉めくようにしながらそのまま一番近いベッドまで辿り着き、抱き合ったまま縺れ込む。
「ニール、・・・・・・逢いたかった」
 フライトジャケットを脱ぎ落としながらグラハムが囁いてくるのに、ニールは俺も、と喘ぎながら答えた。ニールの服を丁寧に脱がせてやりながら、グラハムが首筋をゆっくりと舐め上げ、合間にキスを落とす。ん、あ、と甘い悲鳴が押さえつけた身体からグラハムの耳に届く。それだけでも、脊髄が融けそうなくらい感じてしまった。
(仕方もない、半年ぶりに抱く身体だ)
 愛しい恋人と、半年に一回しか逢えないような生活がこれからも続くと思うと絶望で目が眩みそうだが、それでも、グラハムには叶えたい夢があった。
ーーー空を、手に入れたい。
 家族の愛情に恵まれなかった少年が焦がれたのはそれで、グラハムは今のところ、その夢を手に入れるすぐ側まで来ている。
 それなのに、迷いそうになるのだから不思議だった。
 そんなグラハムの逡巡を感じ取ったのか、快楽に荒く弾んだ呼吸の下で、ニールが問いかけてきた。
「どうして、俺だったんだ」
 その問いかけに対する答えは既に持ち合わせていた。
「ーーー一目惚れだよ」
 即答したが、ニールはその答えがお気に召さなかったようだった。怒ったような顔で言い返してくる。
「嘘だ、そんな訳ねえだろ!」
「何故、嘘になるのかね」
 つい、グラハムの方がそう聞き返してしまった。
「だって、あんたとの出会いっていったら」
 呟いて、思い出したらしいニールは黙りこくってしまった。それを良いことに、中断していた愛撫を再開する。脱がされた裸の胸と腹に口づけを受けながら、ニールが、俺みたいな生意気なガキを、それも同じようなのが二人もいて、俺に惚れてくれるとか、意味わかんねえ、と半ば喘ぐようにしながら呟いた。
「必然だな」
「偶然、の間違いじゃねえのか」
 それは違う、とグラハムは言い切った。
「私が心奪われたのは君だ、最初から分かっていた」
 グラハムのその言葉を噛みしめたニールが、そういえば、と思い至ったように呟く。
「あんた、俺とライルを最初っから絶対見分けていたな」
 ああ、と確信に満ちてグラハムは頷いた。
「当然だ、私の目に輝いて見えるのが君、もう一人がライルだったからな」
「かが・・・・・・」
 聞いたニールは頬を染めた。そのニールの顔に、グラハムが口唇を寄せる。
「好きだ、ニール。どうしてだろうな、初めて見たときから、どうしようもなく君に惹かれている。まさか、こんな風に君が応えてくれるなどと思ったこともなかったから、幸せ過ぎてどうにかなってしまいそうだと、今でも時々思うよ」
 囁きながら、グラハムの指が、舌が、ニールの身体と理性を陥落させるべく忙しなく蠢いている。ニールはただ甘い声を上げながら、あんただけじゃない、と囁いた。
「ばか、・・・・・・俺だって、好きだった、って」
 言ってしまうとその言葉の正しさに打ちのめされてしまいそうになる。そうだな、とニールはやっと表情を緩めた。
「そうだ、俺はあんたが好きだよ。それだけ知っててくれてたらいい、って思ってたのに、贅沢になっちまった。あんたが、俺だけ見ててくれなきゃ、嫌だとか・・・・・・」
 恥ずかしいよ、と困ったように言うニールの硬くなったものを、グラハムがいきなり口に含んだ。
「ーーーっ!」
 急な刺激に、ニールの腰が跳ねる。
「そんな可愛らしいことを言われてしまえば、私は君が不安に思わないように勤めさせて頂くしかなくなる。ニール、遠慮などすることはない、私で良ければ根を上げるまで我が儘を言ってみるがいい。最も、全て受け止めてみせる、と誓うとも!」
 そんな前向きじゃなくていい、とニールは答えたかったが、グラハムが自分のフライトジャケットのポケットから取り出した小さなローションの瓶に目を奪われてそれどころではなかった。
「グラハム、それ、は?」
 ああ、とグラハムは呟き、手の熱で温まったそれを指に絡めて、ニールの後孔に伸ばした。
「潤滑剤だ、君の負担も楽になる」
「ん、あ、・・・・・・あっ」
 なんでそんなものが、とニールの脳内に、一瞬だけ点滅信号が輝く。しかし。
「あ、ああー、っ」
 直ぐに、潜り込んで来た指が動くのに、それどころではなくなってしまった。いつもよりずっとスムーズに、指は慎ましく閉じたままだったニールの胎内に潜り込み、開かせ、ぐねぐねと動く。そのうちに、指先がニールの中にある快楽の種を探り当て、ニールは思わず思い切り身体を跳ねさせた。
「あ、・・・・・・アッ!?」
 なんだこれ、と思う間もなく、グラハムの指先が、見つけた場所を更に確かめるように目的を持って器用に動き始める。その度に腰を疼かせ、生まれる鮮烈な快感に泣くような声を上げながら、ニールは今までにない感覚に戸惑っていた。
(なんだこれ、気持ちいいけど、なんか、なんかっ・・・・・・!)
 こんなに気持ちが良いのは、もしかして自分の身体がグラハムに慣れてきたからか、と思いつつ、ニールは与えられる快感に従順に従うべく身体の力を抜いた。散々にニールを鳴かせて喘がせて、一旦指を引いたグラハムが、身体を起こして同じくジャケットのポケットからホイルの包みを取り出す。
 涙目でぐったりとそれを見ていたニールが目を見開く。実物は見たことはあれど、使うのは初めてだった。
(あれ、コンドーム・・・・・・?)
 ニールは涙目で、胎内にグラハムの指を含まされた感触を残したまま呆然とした。グラハムが、自分を抱くつもりで色々準備してきたのだったりしたら、掛け値なしに嬉しい。だけれども。
(なんか、・・・・・・えっ、グラハム、いつの間に、男抱くのに、そんな詳しくなったん、だろ)
 乱れるニールの意識になど気付かず、グラハムは包みを口で噛むようにして破って、自分のものに押し当てた。ゆっくりと被せていく間、ニールは放り出すことになってしまうが、それはそれでいいのだろうかと思っていると、背中から腰に、そろそろと腹ばいで近づいてきた少年に抱きつかれた。
 びくっとして振り返ると、ニールがグラハムの手元をじっと見つめている。見られているとなると羞恥を覚えて、グラハムはさっさと作業を終えて少年の方に向き直った。
「なんか、グラハム、そーゆーの、どこで覚えて来たんだよ・・・・・・」
 妙に慣れててむかつくんだけど、と嫉妬を露わにされて、グラハムは最初瞬きをして、次いで笑い出した。
「ニール、君は本当に愛らしい」
 ふい、と頬を紅潮させたニールが視線を逸らせる。
「う、るせ」
 なんだよ、俺だけあんたに振り回されて、と口唇を尖らせるニールに、振り回してくれているのはどちらかね、と囁きながらグラハムが腰に絡まっていた腕を解かせ、ベッドにもう一度沈める。
「それでは、ニール。明日の朝まで君を離すつもりはないから、そのつもりで」
 辛くなったら言いたまえ、最も久々の君に溺れていて、止めてやれる自信もあまりないが、と最後まで口数の多かったグラハムを、もう黙れとキスで言葉を封じ、ニールは膝先でグラハムの腰を突いて催促した。
「こいよ、・・・・・・待ってたのは、俺もなんだぜ?」
 グラハムは笑みを浮かべ、ニールの足を開かせる。
「それでは、ご期待にお応えして」
「ばーか」
 くすり、と微笑むニールが目を伏せるのに惹かれるように口づけを与え、グラハムはニールの中心に己のものを押し当てた。最初に、一番大きな所が入り込むまではきついのは変わらないが、その後、ニールはグラハムの与えてくる刺激に、思わず大きく目を見開くことになる。
「ーーーえっ、あ、アァッ!」
 ここか、とグラハムは呟き、先程指先で探り当てた、ニールの感じる場所を己のもので擦った。その度にニールの身体が跳ねる。
「なに、えっ、・・・・・・何、これ、」
 恐ろしいほどの快感が込み上げてくるのに、ニールは焦りすら覚えてグラハムの肩にしがみついた。
「グラハム、俺、へんだ、なんか・・・・・・」
 身体があつい、とグラハムが中を擦る度に生み出される感覚に戸惑うニールの青い目が潤む目元に何度も口づけを贈りつつ、グラハムはニールの前に手を伸ばした。そこは、後ろへの刺激で熱を持ち、硬い芯を持ち始めている。自分で感じてくれているのが嬉しくて、グラハムは口角を持ち上げた。
「変ではないさ、気持ちいい、のだろう?」
 そう囁いて腰を突き上げると、甘い悲鳴が上がってニールの身体が若魚のように跳ねる。やだ、なんか、とニールは戸惑ったように言い、グラハムの身体に益々強く縋り付いた。
「グラハム、俺、おかしい」
 少しだけグラハムが笑う。
「おかしくもない。その感覚を追い続けていたまえ」
 今日は、一緒に、と囁かれて、ニールはまだ困惑を覚えながらも大きく頷いた。直ぐに、グラハムのものがニールの感じる場所を責め立てに掛かってくる。
 や、あっ、と身も世もなく悶えて嘆きながら、ニールはそれでも、グラハムと一緒に身体の熱を高めようと、怯えて逃げそうになる身体を必死で持ちこたえさせていた。ピンと足が突っ張り、かき抱いた背中には爪を立てて縋り付く。そのうちに、グラハムの方が耐えきれなくなってきたらしく、探るようだった動きを激しいものに変えてきた。
「ーーーあ、あッ、グラハム、グラハムっ、・・・・・・!」
 ニールはもう、翻弄されるがままだ。突き上げられる度に身体が跳ね、感じる場所を責め立てられ、込み上げてくる感覚に踊らされるように目の前が白く焼け付いていく。
 こんなものを教えられたら、もう二度とグラハム以外と肌を合わせられないのではないかとさえ思う。
(それで、・・・・・・良いんだけどさ、俺は)
 グラハムしか欲しくない、グラハムだけに溺れていたい。甘い願いを胸の奥底に仕舞い込み、ニールは身体から力を抜く。
 直ぐに、ニールと一緒に己を高めることに夢中になっているグラハムの動きが、絶頂を迎える直前の切羽詰まった余裕のないものに変わる。
「ん、あ、あ、・・・・・・、あ、っ、あつい、グラハム、」
 ニールもその度に自分の中を抉る硬いものが感じる場所を突いていくので、胎の内側に熱い感触が溜まっていくのを感じて、溺れそうな熱を逃がすために首を振る。しかし、散らすことはできない。どうしよう、と狼狽えながら、そっと目を開いてグラハムの顔を見上げる。
(あ、ーーー)
 緑柱石の目を細め、荒い呼吸をしながら食い入るように自分を見下ろしてくるグラハムと視線が合う。ニールの熱に潤んだ瞳を認めて、グラハムがふと表情を嬉しそうに緩ませた。途端、ニールは自分の中に込み上げた愛しいという感情が制御できず、銜え込んだグラハムを思い切り締め上げてしまう。
「ーーーっ、」
 いきなりの刺激に、グラハムは狼狽えた顔をしつつ、ニールを思い切り抱え込んで、耳元でイく、と呟いた。
「あ、・・・・・・、グラハム」
 いいぜ、といつものように言おうとしたのに、ニール自身が身体を蝕む甘い熱に浮かされて、呼吸すらできない。あ、あ、と甘い声で喘ぎ、グラハムの背中に縋り付く。
 そのまま、無茶苦茶に突き上げられて、胎内にグラハムの精が放たれたと思った瞬間、ニールの意識も真っ白に焼き付いてしまった。びくびくと身体が跳ね、前から白いものが飛び散る。
 身体がひくひくと引き攣り、ニールはどこか呆然としながら、グラハムが強く自分を抱き締めてくるのを受け止めていた。
「おれ、ーーーもしかして」
 イッた? 呆然と見上げていると、こちらを見下ろしているグラハムの表情が、蕩けそうなくらい優しいものになっていることに気付いた。
「・・・・・・グラハム」
 気持ちよかった、と言おうとしたのに、先に思い切り抱き締められてしまって、それどころではなく呼吸を詰まらせる。
「ニール、・・・・・・とても、嬉しい」
 愛の言葉を山ほど降り注がれながらそのままずるずると二回戦目になだれ込まれて、何が何だか分からないまま、ニールは未経験だった熱に振り回され、ただグラハムに縋り付くことしか出来なくなってしまっていたのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 終わった後の余韻を二人で分け合いながら、狭いベッドの中で寄り添い合う。二人きりしかいないのに、声を潜めてしまうのは、たゆたう穏やかな空気を壊したくないが為だった。
 たまに視線が合うと、口唇が近づく。手が伸びて、どちらかの肌に触れていたくなる。
 ニールは自分の顔が既にどうしようもなく緩んでしまっていることを知っていたが、グラハムの方を見るとそんなニールの事を嬉しくて、愛おしくて仕方が無いというような顔で見てくれるので、ふわふわと浮き上がるような気分のまま、自分を包んでくれる優しい腕の中から抜け出すことが出来ずにいた。
「そういや、ライルがさ」
 ふと思い立って弟の名前を口にする。すでに時刻はすっかり夜になってしまっているようで、窓の外は暗いが、なんだかんだで要領の良い弟はちゃんと宿を見つけられたのかと思う。
「うん」
 グラハムは短く相槌を打ってくれた。そのグラハムの胸に頭を乗せたまま、ニールは囁くように言う。
「あんたとその、初めて恋人になった、次の日、なんか世界中がきらきらしてたって聞いて。なんつうか、俺そんな幸せだったんだなってすげえ照れ臭くなっちまってさ」
 ちなみに、グラハムに初めて身体を拓かれた時の痛みも伝わっていないか弟の尻を凝視してしまったことは内緒だ。流石にそんなことはなくて、些かどころではなくホッとしたが。
 ついでに慣れないことをしたので熱を出して寝込んでしまい、真っ青になって医務室に来たグラハムに、嬉しすぎて身体がびっくりしたんだ、と一生懸命言い訳することになった。
(だって、ほんとに驚いたし、俺も)
 その後、卒業式の直前に、グラハムの秘密の場所だという、星が見える屋上のよくまあこんな所を見付けてきたものだというスペースで、グラハムが持ち込んでいた使い古した毛布を寝床に、満天の星空の下で、グラハムの身体をこれ以上あるかと思うくらい深く教え込まれた。
 二度目の行為である、まだ違和感も痛みも残っていたものの、雰囲気に押し流されたこともあって、組み敷かれた身体の下で、身も世もなく悶えて喘いでいたことは覚えている。
(グラハムは、何度も謝ってたけど)
 卒業式に続く夏休みは、実家がないグラハムは士官学校の寮にそのまま入ってしまうということで、碌々逢えないまま、新しい学年が始まってしまうことになる。それを知って、卒業生が出て行ったその日、グラハムが恋しくて秘密の場所で一人べそべそ泣いていたら、どうせこんな事だろうと思った、と忍び込んできたグラハムに最後にもう一度抱かれたのは、今となっては素敵な想い出になっているが。
 どちらにしても、今までのグラハムとの行為は、どこか緊張感を孕んでいて、ニールは痛みを我慢して、その先にやっと、自分の身体でグラハムが感じてくれるという充足感だけで満足して終わるようなところがあった。
(それが、・・・・・・困っちまったな)
 今回、とうとうグラハムとの行為はニールに今まで感じたことがないような快楽を与えてくれた。それは、初めて身体を重ねたときに、自分も気持ちよくなれるまで頑張って教えてくれとは言ったが、グラハムはこんなことまで優秀だったらしい。
(なんか勿体ないな、もうちょっと、知らないままでも・・・・・・ああでも、すっげえ気持ちよかった・・・・・・)
 二人でどちらもが相手を気持ちよくしようとする今までの手探りの行為は、圧倒的にニールが与える側だったので、なんだか落ち着かなくてむず痒い。グラハムにこんなに気持ちよくされてしまったら、ニールはこの先どうなってしまうのだろうと少しだけ不安になってしまったりもする。男に抱かれて達する快感を、とうとう知ってしまったことでもあるし。
「あーあ、どうしようかな」
 甘いとしか言いようのない悩みで漏らしたため息にも、グラハムは律儀に反応してくれる。
「どうした?」
 ニールは何の気なしに答えた。
「ーーー俺、もう、あんたなしじゃいられないかもしんねえ」
 さてどうしたものか、と鼻の頭に皺を寄せながら真剣に考え込むと、グラハムは珍しく言葉に詰まり、さっと顔を赤くした。
「? どうした?」
 不思議に思って金髪の青年の顔を覗き込むと、グラハムは珍しく困ったような怒ったような表情をしてニールを睨む。
「ニール、君は・・・・・・私をどうしたいのかね」
 全く、とぼやきながら、グラハムの手が再びニールの身体に妖しい意図を持って伸びてくる。流石に、ニールは慌てた。体力的には問題はないかもしれないが、なんというか、刺激が強過ぎた。精神的にはかなり一杯一杯だ。
「ま、待てグラハム、そんな、・・・・・・や、っ」
 君が悪い、とグラハムはニールの胸元に口唇を落としながらため息を吐いた。
「ただでさえ、溺れて君なしではいられないのは私の方だというのに、煽るようなことばかり口にして・・・・・・!」
「待て、俺は、そんな、つもりじゃ、あぅ、っ」
 心情を素直に告げただけで、決してグラハムを煽るような意図はなかったのだと伝えたかったのに、ニールの主張はどうやら全く聞き入れて貰えるような気配はなかった。
 閉ざされた部屋の中で爛れた甘い時間を過ごす二人の休暇の一日は、まだ暫くは終わりそうには思えなかった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 結局、抱き合ってお互いを確かめ合う行為はインターバルを挟みつつ深更まで続き、ろくろく睡眠も食事も取らないまま朝を迎えて、二人で照れながら近くのダイナーで朝食を取って、のんびり支度を調えて駅までやって来ることになった。
 ライルはまだ来ておらず、駅舎で二人座って話し込んでいると、時間ぎりぎりに、お待たせ、となぜだかお土産の山と、見送りだという可愛い女子を複数名連れて、ライルが戻ってくる。
 一瞬呆気に取られたニールが、お前、アニューに言いつけるぞ、この浮気者、と低い声で呟いたのは言うまでもない。
 グラハムは、ホームまで見送りに着いて来てくれた。ライルにくっついてきた女子達が、ニールと、グラハムにも興味を示したため、ニールが慌てて改札に引っ張り込んだのだともいう。
「じゃあ、またな。休みになったら家に来いよ、絶対。俺、楽しみに待ってるかんな!」
 ぎゅっと手を握りながら言うと、グラハムは快活に笑いながらニールの頭を優しく撫でてくれた。
「分かった分かった、休暇になり次第必ず寄せて頂く」
 ほんとだぞ、と念を押され、苦笑したグラハムは、双子のそれぞれの頬に約束だ、とキスを落とした。ライルが満足したようにじゃあ俺、席取ってくると列車の中に消えたその後で、グラハムは手を伸ばしてもう片方を引き寄せ、ニールの方は口唇も素早く掠め取る。
「・・・・・・っ」
 びっくりして硬直していると、そっと、頬を撫でられる。
「約束、だ」
 口元を抑えるニールに、グラハムは微笑みかけ、一瞬だけ軽く抱き締める。愛していると囁かれた気がして、列車に向けて押し出されながら、ニールはずっと視線だけでグラハムを追いかけていた。双子の弟は、早くも空気を読んで、馬に蹴られる前に逃げ去ってしまっている。
「グラハム・・・・・・」
「ニール、直ぐに会える」
 扉が閉まって、列車が動き出した。ニールは列車の扉に貼り付き、ホームで立ち尽くしたまま小さくなっていく金髪の青年の立ち姿を、ずっと眺め続けていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 その後、義理があるから、ともの凄く嫌そうな顔をしつつ恋人との夜が上手くいったことを件の男に報せたグラハムが、ならば更なる実地訓練を自分と積もうと言われて、思わずその場でもう一度男を叩きのめすのは、よくある後日談なのであった。

 夏休みはまだ、始まったばかりである。






☆ ★ ☆ ★ ☆







番外編2【ナーサリー・ライムズ】

 初めての時は、無我夢中だった。
 だから正直、そんなにはっきりと行為の全体を覚えてはいない。
 ただ、部分部分が妙にクローズアップされてニールの記憶には残っていて、たとえばグラハムの細められた熱を持った視線だとか、身体の中に他人が入ってくるというのがどういうことか分かってしまったとか、案外最中は相手の顔をじっと見ているものだとか、目を閉じるのが勿体ないとか、キスがしたいという気持ちは伝わるんだと知ってしまったとか、そんな端切れが沢山ニールの中には溜まっていた。
 そして、断片がフラッシュバックのように、ふとしたときにニールの中に思い起こされて、その度にニールは甘い身体の疼きを持て余すことになる。
 しかし、グラハムは卒業間際で忙しく、ニールと会う時間は以前より格段に減っている。卒業試験は全て優秀な成績でクリアしたらしいが、監督生だけに、他の生徒達の面倒も見て回っているようで、下級生のニールだけに構っている余裕がないらしかった。
 たまに図書館で自習していると、閉館間際に駆け込んできて、キスとハグだけ与え合って、そのまままた出て行く、ということが何度も続いて、ニールは自分の中にある熱に、戸惑いを禁じ得なかった。
 前は、もう少し我慢が効いていたと思っていたのに。触れ合いが深くなるほど、欲が深くなるなどと正直計算違いも甚だしい。
(どうすんだよ俺、グラハムはもうじき卒業しちまうんだぞ・・・・・・)
 そんなことを考えながら、ニールは今日もグラハムの姿を思い浮かべて、寝苦しい夜を過ごしていた。
 気持ちが良いからきっと皆何回でもしたくなるのだろうな、とぼんやりと思って居たのに、あんなに痛くて苦しかったことをもう一回して欲しくなるなどとは、想像もしていなかった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 理数系の授業も成績は良かったが、どちらかといえば文学の方が好きなニールは、そちらの方の授業を沢山選択していた。弟のライルはむしろ理数畑で、御神酒徳利の双子とはいえ、ずっと一緒に行動している訳ではない。
 その日も、ニールは一人で渡り廊下を教科書を抱えて歩いていた。ブックバンドで縛った本をぶんぶん振り回し、きょろきょろ余所見をしながらである。ライルと次にする悪戯のネタを考えていたのだが、案の定前から来た人影には気付かないままであった。
「・・・・・・ル、ニール!」
「へっ?」
 やっと呼びかけが耳に届いたので顔を上げると、グラハムが呆れたような顔で自分を見ている。ニールは慌てて振り回していた教科書を腕に抱え直した。
「ぐ、グラハム、驚いたじゃねえか・・・・・・」
「何回呼んだと思ってる! 全く、どんな悪戯を考えていたのか白状してみたまえ!」
 考えていたことを言い当てられ、ニールは焦った。
「い、いや、そんなことはねえよ? 次の授業の内容をだな、頭の中で予習・・・・・・」
 調子のいいことを、とグラハムが眉を上げる。
「ほう? では、あちらの窓にポケットの爆竹をどうやって仕掛けようとしたのか言ってみたまえ」
「えっ、なんでそんなこと、分か・・・・・・」
 言いかけて慌てて口を押さえたが、グラハムはやれやれ、とため息を吐いただけだった。
「エイフマン教授の鼓膜をもっと労ってやってはくれないか」
 言いながら、グラハムはそれはともかく、と話題を変えた。
「ニール、明日の夜だが・・・・・・満月の観測をしないか」
「満月ぅ?」
 ニールが明らかにうんざりした顔になった。
「天文のレポートを書くのだと言っていただろう」
「ああ、そりゃ・・・・・・」
 そういえば、暫く前の授業で出されて、なんでこんなもの、と思った覚えがある。グラハムはどうしてそんなことまで知っているのだろうと思いつつ、ニールは首を振った。
「いいって。どうせ満月なんか見たって、そんでレポートの成績が上がる訳じゃねえしさ、適当に本でも漁って、なんか書くよ」
 だから気にするな、とニールは言ったのだが、何故かグラハムは困った顔で首を振る。
「ニール、君は・・・・・・時々、いや、相当・・・・・・」
 言いかけては端切れ悪く口籠もる。
「なんだよ?」
 グラハムはなにが言いたいのだろうとぽかんとするニールに、金髪の少年は諦めたような顔で耳元に顔を近づける。
「では、こう言い換えればいいかい?」
 びくっ、とニールの身体が竦んだのを抑え付けるように肩に手を置き、グラハムは言葉を続ける。
「明日の夜、君を攫いに行くから、そのつもりで」
「! ! !」
 一体これはなんの冗談、と真っ赤な顔で口をはくはくさせるニールをその場に残し、グラハムは用事があるから、と早足で立ち去ってしまった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 グラハムに攫う、などという甘ったるい予告をされてしまってから、ニールは正直翌日まで使い物にならなかった。
 考えては駄目だ駄目だと思いつつ、先般の夜のことが脳内に浮かび、あんなこともこんなことも、その先にあるもっと凄いことまでも、もしかしたらして貰えるかもしれないという期待が膨らんで、ニールの胸をときめかせる。
「兄さん・・・・・・グラハムとなんかあった?」
 とうとう弟にそう聞かれ、ニールは文字通り跳び上がった。
「い、いいいい、いや?」
 この間、朝まで一緒に過ごしたことは知られているが、流石に一線を踏み越えたことまではばれていないつもりのニールとしては、盛大に冷や汗をかくしかない。ライルはそんな兄の様子に苦笑を浮かべた。
「まあ、バレッバレだけどいいや。グラハムさー、卒業したら、その休みはもう士官学校の寮に入っちまうらしいぜ」
「え、ええっ? 何でお前そんなこと・・・・・・」
 兄が真顔で聞いてくるのに、弟は笑顔で答える。
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 良い笑顔の弟に、ニールは思わず拳を握りしめる。
「てめぇ・・・・・・!」
 しかし、ライルは気に止めた風もなかった。
「グラハムはちゃんと支払いしてくれんだぜー、俺は身内にも甘くはねえかんな」
 ふふん、とふんぞり返る弟に、ニールはレポートの件の内通者が誰だったのかを察し、がっくりと肩を落とした。
「お前・・・・・・グラハムから金取ってんのかよ・・・・・・」
 それを聞いたライルは、いいや、と首を振る。
「お支払いは身体で頂戴しております」
「えっ!?」
 聞き捨てならない台詞にニールががばっと顔を上げると、兄さん過剰反応だぜ、とライルがにやにや笑う。
「こないだ、ちょっと人体実験に付き合って貰ったりとか、重いもの持ち人足とかさ、後は課題教えて貰ってたり」
ーーーもしかして、俺のグラハムとの逢瀬の時間を一番奪ってるのはお前か、ライル。
 ニールは心の中で怨嗟の声を上げそうになりつつ、黙って弟に、夕食に着いて来たデザートのプティングを譲ってやることにしたのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 グラハムに言われたとおり、寮の部屋を抜け出し、指定された通路で待っていると、時間通りに金髪の少年が姿を現した。
「待たせてしまったな」
「い、いいや、今・・・・・・来たとこ」
 本当は半時間前に来ていたのに、初めてのデートの時の女の子のようなことを言ってしまったのが恥ずかしくて、返事をしながらもニールは思わず俯いてしまった。そのニールの手を、グラハムが伸ばした手で握る。
「え? グラハム?」
 手を繋いだまま歩き出す金髪の少年に、ニールは焦った声を上げてしまう。グラハムは少し振り返るとにっこり微笑んだ。
「さあ、着いてきたまえ。私のとっておきの場所に招待しよう」
 言われるまま暗い廊下を連れだって歩き、足下も覚束ないような古い階段を上がったり降りたりして、ニールが導かれたのは、今ではもう使っていない建物の屋上であった。
 埃っぽいドアを蹴るようにして開けたグラハムが、おいで、とニールの手を引いて屋上に連れ出す。照明などはなかったが、満月の所為で辺りはかなり明るく見えた。
「すっげえ・・・・・・月だな」
 見慣れているようでも、実は月だけなどと意識して見上げたことのなかったニールは感嘆の声をあげた。グラハムがそうだろう、と嬉しそうに言う。
「私は、空を見上げるのが好きでね。嫌なことがあったりすると、よくここに来て空を見上げていた」
 ふぅん、と感心したように言うニールは、満月よりも隣のグラハムにより意識を奪われていた。金色の髪が、月光できらきらと煌めいて、本当に綺麗だった。
 自分の鳶色の髪の毛がなんだか平凡でつまらないものに思えて、ニールは空いている方の手でそっと前髪を引っ張る。そのニールの肩に、グラハムの手が回された。
「ここは、今日は満月であまり見えないが、星も素晴らしいんだ」
 囁くように耳元で言いながら、背中を押されて、ニールは屋上の真ん中に向けて歩き出した。
「星? 俺、北斗七星とオリオンくらいしか分かんねえけど」
 言いながら見上げると、確かに普段窓から等では見えないような等級の星々までもが視界に飛び込んでくる。こりゃすげえな、と風情をそれ程介さないニールもため息を零す。
「そうだろう? さあ、毛布を用意してある、屋根で寝そべって見上げる夜空は殊の外素晴らしいぞ」
 言いながらグラハムが指差した先には、どうやら部屋から持ち出して来たらしい毛布が一枚だけ畳んで置いてあった。
 ニールは少しだけ毛布を見て戸惑う。確かに、まだ夜は肌寒い気候ではあるが、我慢できない程ではない。そう思ったニールは、首を振って毛布をグラハムに譲ろうとした。
「いや、いいよいいよ、俺別に寒くねえよ」
 あんたが使えばいいじゃないか、と言われてグラハムは多少困ったような顔をした。
「ここは屋上だし、夜風はまだ冷たい。こんな所に薄着で居させて、君が身体を壊してはいけない。それに、夜空は仰向けになった方が綺麗だと思うが」
 首を上に痛いくらいに曲げていたニールは、確かに、と頷いて仰向きすぎて痛くなってきた首を軽く叩きながら笑ってみせた。
「うん、そうだな。こうやって見上げてるだけでも、すげえ・・・・・・グラハム?」
 はあ、と隣から聞こえてきた小さなため息に、ニールは思わずそちらを振り返ってしまった。グラハムはやや困ったような、そして何かを言いたそうな表情で、ニールの青い瞳をつくづくと眺める。
「ニール、ーーーいや、わざとではないと知ってはいるが・・・・・・。君はその、時々、とても鈍感だな!」
 グラハムのその言葉に、ニールは思わずぽかんとしてしまった。
「鈍感?」
 完全に分かっていないニールの態度に、グラハムは肩を落とす。
「いや、いい。君を相手に、遠回しに伝えようとした私がそもそも間違っていた」
 グラハムは首を振ると、ニールの肩に回していた手をぐっと力強く引き寄せ、抱き締めた。ひゃああ、とニールが間抜けな悲鳴を上げる。
「ぐ、グラハム!?」
 焦りながら名前を呼ぶと、ちゅうと首筋に食いつかれて思わず目を瞑ってしまう。びくんと震える身体を抱き締める腕に力を込めて、グラハムは君に頼みたいことがある、とニールの耳元で囁く。
「君と、ついこの間抱き合って気持ちを確かめて、恋人同士になった、ところなのに・・・・・・もう、君が欲しい」
「ーーーグラハム」
 恋人の名を呼ぶ。ひゅう、と呼吸をした喉が鳴った。
「欲が深いことだと嗤ってくれても構わない。月や星などただの口実だ、私はただ、君をこうして抱き締めたくて、二人きりになりたくて、呼び出したに過ぎないのだよ」
 熱い声で告げられた内容に、ニールは身体が震えるのを感じた。
「そ、・・・・・・おれ、俺、も」
 俺も同じ気持ちだった、と言いたいのに、喉の奥に言葉が引っかかる。時に伝えたいことを素直に告げられない自分に、ニールは苛立って胸を掻き毟りたくなった。
「構わないか?」
 顔を寄せられ、口唇が触れそうな距離でそんな事を聞かれて、ニールは反則だと言いたくなった。誰が断れるというのだ。
「す、好きにしたら、いいじゃねえか」
 なので、それだけ言ってふいとそっぽを向いた。
「大体、あんたが俺に許可取るの、お、おかしいだろ、その、こ、恋人じゃねえか、俺たち」
 あんたが欲しいって思ってくれたら、俺は、構わないぜ、とだんだん小さくなる声で言い切ったニールの身体が、そのままふわりと抱き上げられる。
「う、わぁ!」
 きゅっとグラハムの首筋に咄嗟に抱きついたが、これはもしや、世に言うお姫様だっこというやつではなかろうか、とニールは思っておろおろとグラハムの顔を見る。
「あ、あの、グラハム?」
「さあ、・・・・・・私の大切な姫君、こちらへ。天蓋付きの絹の褥とは、残念ながらいかないが・・・・・・」
 それでも、畳んであった毛布の上に下ろされると、緊張で表情が妙な具合に引き攣ってしまう。
「ニール、腕を解いて貰わないと抱き締められないが・・・・・・」
 力の限り首筋にしがみつく少年の背中を叩いて促すと、ニールはうん、と小さい声で言いながらやっと腕の力を抜いた。
 ころん、と毛布の上に仰向けに転がされ、無防備なまま見上げていると、その上にグラハムが覆い被さってくる。顔が近付いて来るのに応えるように目を閉じると、口唇に口唇が触れて、深いキスが与えられた。
「・・・・・・ん、・・・・・・ニール」
 滅多に聞けないような甘い声で名前を呼びながら咥内を舌でまさぐられ、ニールは自分も必死で応えながら口を開けた。深いキスを繰り返し、含み切れなかった唾液が頬を伝ったのを指先で拭ってやりながら、身体を起こしたグラハムがニールの服に手を掛ける。着ているのは制服のシャツからネクタイを抜いただけだったので、ボタンを一つずつ外され、合間にキスを贈られる。
 従順に服を脱がされながら、ニールはグラハムの肩越しに見える夜空を眺めて、改めて月光に輝く金色の、緩く巻いた髪の毛に触れてみたいと思った。
(グラハム、お月さんよりキラキラしてる・・・・・・)
 手を伸ばして、指先で一房引っ張ると、嬉しそうにその掌を捕らえられて口付けが落とされる。外気に肌が触れてひやりとしたが、ニールの意識は既に寒さを鈍くしか感じられないほど沸騰しかかっていた。グラハムにも脱いで欲しくて服を引っ張ると、心得たように上半身を脱ぎ捨て、ニールの身体を抱き締めてくる。
(ーーー綺麗、だよなあ)
 月下のグラハムの身体も、髪の毛と同じように乳白色に輝いていた。ニールが見惚れていると、グラハムの口唇が首筋を辿り、胸元に触れてきた。
「ん、・・・・・・う」
 胸を指でまさぐられ、舌で舐められて、ニールはくすぐったさが勝っているとはいえ、甘い喘ぎを上げ、グラハムの頭を抱え込もうとする。その手をかいくぐり、グラハムはニールの下半身の衣服も暴きに掛かった。
「グラハム、・・・・・・」
 不安を滲ませた声が、掠れて耳元に届く。そのニールの腹の辺りを落ち着かせるように撫でてやって、グラハムはニールの緩く勃ち上がりかけたものを掌で包んだ。ん、とニールが声を詰まらせ、きゅっと身を竦ませる。
「怖くはない、私に身体を預けて・・・・・・」
 できるだけ落ち着いた声音で囁きながら、グラハムは掌に握り込んだものを緩く扱き、徐々に硬さが増してきたところで、身を沈めて口の中に含んだ。
「あ、・・・・・・っ!」
 ぎゅう、と目を瞑ったニールが、思わずグラハムの金髪の中に手を突っ込んで、きつく引っ張ってしまう。グラハムは痛みになど頓着せずに、みるみるうちに硬くなったものに舌を這わせ、口唇で刺激を与え、大きく育て上げていく。戸惑ったように、ニールがグラハムの髪の毛を掴んでいた手を肩に乗せて身体を押しのけるようにした。
「グラハム、あんま、いっぱい、したら・・・・・・だめ、だ」
 なんか俺、と言いかけたニールが、そこで息を詰まらせた。
「ーーーっ、や、」
 軽く歯を立ててニールの先端から滲み出たものをすすり、グラハムは羞恥で身悶えるニールを押さえつけるようにしながら、ニールが今まで経験したこともないような濃厚な口淫を施し、過ぎた快楽を与えられたニールはといえば、鳶色の髪を振り乱しながら涙目でやめろ、だめだ、と繰り返した。
 グラハムが少しだけ口を離し、楽しそうに尋ねてくる。その口唇が卑猥に自分の溢れさせたもので濡れているのを見て、ニールは真っ赤になって視線を彷徨わせる。
「だめ? こんなに気持ち良さそうにしているのに、駄目なのか?」
 ならば止めても構わない? と先を突きながら問われて、ニールは思わず青い目に涙を溜めてグラハムを睨んだ。
「グラハム、意地悪だぞ」
 真っ赤な顔で少し口唇を尖らせるニールはとても蠱惑的で、グラハムは早く身体を繋げてしまいたい、という欲望がむくむくと沸き上がるのを感じた。
「すまない、君のその可愛らしい反応を見ると、つい・・・・・・」
 グラハムは苦笑して詫び、再びニールのものを高める行為に没頭する。今度こそ、ニールがどんなに懇願しても離してくれず、ニールは背筋を這い上がる射精感に怯え、グラハムの名前をひたすら呼び続けた。
「や、やだ、だめ、あ、あぁ、・・・・・・」
 嫌だ駄目だと言いながら顔を覆い、ニールはとうとう、グラハムの口の中で己のものを弾けさせてしまった。
「ーーーっつ!」
 ひくひくと腰が震え、最後の一滴まで舐め取られて、ニールは大きく息を吐いて毛布の上にぐったりと倒れ込んだ。荒く呼吸を繰り返していると、うっすらと汗を掻いたその胸元にグラハムが優しくキスを落としながら、腕を巻き付けて抱き寄せてくる。
「気持ち良かったかい?」
 まだ達した余韻で触れられる度に身体を震わせるニールを抱き寄せて、グラハムが尋ねてくる。ニールは返事の代わりに頷き、グラハムの胸に顔を寄せた。
「よかった、・・・・・・」
 それ以上何も言えなくてもごもごと次に言うべき言葉を探していると、緩やかに身体を離したグラハムが、そうか、と言いながらニールの脚を開かせようとしてくる。
(ああ、また、あれをされるんだな)
 初めての時の、ただひたすら熱くて苦しかった時間のことを思い出し、ニールは身体がくっと強張るのを感じたが、それでも、グラハムを身体の中に迎え入れることは嫌では無く、待ち遠しいような気さえするのが不思議だった。
「ニール、力を抜いて」
 身体の奥に伸びてくる指を迎え入れるために一生懸命力を抜こうと自分に言い聞かせているのが見るだけで分かるニールに侘びのキスを落としながら、グラハムはニールの中に指を潜り込ませた。緊張感と微かな痛みにニールの顔が引き攣る。
「グラハム、・・・・・・」
 喉元まで出かかった、待って、という言葉を、ニールは無理矢理もう一度飲み下した。ニールの顔と言わず身体と言わずキスを贈りながら、グラハムが身体の中に含ませる指の数を増やそうとしてくる。胎内に感じる指の感触に違和感を覚えつつも、ニールは深く浅く呼吸を繰り返して、グラハムが与えてくれる感覚だけを追うことにした。
(ちゃんと、覚えとかなくちゃ、これが、グラハムの指、で)
 はあ、と大きく息を吐き、月光で煌めく金色の向こうに広がる星空を眺める。最奥にグラハムのものが宛がわれたときは、流石にどこに北斗七星があるのかを探して必死に気を逸らせていた。
「ーーーく、・・・・・・あっ」
 グラハムのものが入って来たときには、呼吸が止まりそうになった。これが気持ち良くなる日が来るのはいつだろうと思いながら、ぎゅうぎゅう自分を抱き締めてくるグラハムの背中に爪を立てて縋り付く。ニールの中に自身を含ませて、暫くじっとしていたグラハムが、動いてもいいだろうかと囁いて来た。
「だから、いちいち、聞く、な」
 どうにか呼吸が楽な体勢を探ろうともぞもぞしていたニールが涙目のままそう返事をすると、グラハムは少しだけ笑って、ニールの前に手を伸ばしてくる。
「今度は、先にイカせられた」
 ニールのものはまだ力を失っているが、グラハムとしては初めての時に熱を吐き出させてやれなかったことを気にしていたらしい。そんなこと、とニールは首を振った。
「俺は、あんたが気持ちいいなら、それで・・・・・・も、すげえ、いいのに」
 なにがいいのかと問われれば心が、としか言いようがないのが苦しいところだが、ニールはそれでも思ったままを告げた。肌寒いはずの外の気温など気にならないくらいに上がったお互いの体温に酔ったかのように、ニールがグラハムの胸に顔を寄せる。
「グラハム、俺でたくさん、気持ち良くなって」
 君は、とグラハムが短く呟き、組み敷いたニールの腰に腕を回すと、そのまま一気に抱え上げた。
「ーーーうわ、あっ!」
 奥深くまで一気に貫かれる形になったニールが慌てた声を上げるのに、グラハムは君が煽ってくれるから、と切羽詰まった声を出す。
「どうされているのが一番楽だろうか、君が望むように君を抱きたい。抱え上げてもいい、乗り上げてくれてもいい」
 後ろからが楽かもしれないが、それだと君の顔が見えない、と荒い呼吸の下で尋ねてくるグラハムに、圧迫感に押しつぶされそうになりながら、そんな余裕ねえくせに、とニールは苦笑した。
「体勢なんてどうでもいい、それより、ゆっくりしてくれ」
「ニール」
 耳元で囁かれ、抱きつかれてグラハムは息を呑んだ。
「これで、暫く抱き合えないかも、しれねえし。・・・・・・だから、俺にたくさん、あんたの感触を、教えて、ほしい」
 そこまで何とか告げたところで、ニールは間近にあるグラハムの瞳の色が変わるのを見た。
 中でまるで黄金色の何かが弾けたように色を深めたグラハムの瞳が、真っ直ぐにニールを射貫いて来る。
「ーーー君は」
 グラハムが浮かされたような熱を持った低い声で言った。
「うん?」
 翡翠の双眸にうっとりと酔いしれていたニールは、グラハムの口調に潜んだ剣呑さにまだ気付かないまま首を傾げた。既に痛みにはある程度慣れて、身体の中に感じる大きな違和感はあるものの、グラハムの与えてくれるそれを覚えておきたい、と意識を向けるだけの余裕は芽生えてきている。
「君は、ーーー私を、どこまで、・・・・・・っ!」
 ぐっと拳を握りしめながら、グラハムは辛うじてそれだけを吐き出し、ニールの身体をぐっと持ち上げて身体を起こす。膝の上に抱え上げられる形になったニールは、うわ、と涙を零しながら悲鳴を上げた。
「ぐ、グラハム、グラハム、ふか、い!」
 膝の上に抱え上げられる形で繋がって、揺さぶられるニールは、グラハムの首筋に抱きつき、零れそうになる悲鳴を堪えるために晒された首に噛みついた。それでも、グラハムは痛みすら気にならないようで、ニールの腰を抱き寄せ、荒々しく揺さぶり上げる。
「ニール、愛している、・・・・・・君が好きだ、ニール」
 何度もそう囁かれたが、正直ニールはそれどころではなかった。グラハムにしがみついているのが一杯一杯で、感じさせられる熱だけを追う。それでも、グラハムのこんな激しさを知らなかった頃にはもう戻りたくなかった。
 好き、なのだろうと思った。
(グラハム、俺の、・・・・・・)
 あんたは、おれの、と言いかけたところで、先の台詞を汲み取ったグラハムが当たり前だ、と続けて、動きを更に激しくした。絶頂が近付いているのだろう、ニールは首を振り、潤む目から溢れる涙を堪えられなくなりながら、ただグラハムの名前を呼ぶ。グラハムの肩の向こうに見えた星を、もうこの先一生忘れないだろうと思いながら。
 自らを追い上げた果てにニールの中にグラハムが熱を弾けさせたときには、少年はぐったりして、呼吸さえままならないような状態になってしまっていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 水が、欲しいな、と掠れた喉を押さえながらニールは思っていた。グラハムは抱き寄せたニールの背中を撫でながら、無理をさせた、と気遣ってくる。
「申し訳ない、私としては、そんなに激しくするつもりはなかったのだが、その、夢中で」
 君に溺れて、と言い訳なのか惚気なのか分からない事を口にするグラハムに、ニールはちょっとだけ笑って顎に口づけた。
「いい、んだ。おれも、嬉しかった」
 まだ喉に絡む声でそう告げて、言い難さに喉を押さえると、グラハムが感極まったようにぎゅっとニールの身体を抱き締めてきた。今度は抱き返してやれる心の余裕があったはずなのに、情けないことに腕が上がらない。代わりに、寄せられた胸に自分の頬を犬猫のように擦りつけた。
 結局、今夜も私だけで、一緒にはいけなかった、とため息のようにグラハムが零す。
「まだ、経験が足りないようだ・・・・・・」
 はは、とニールが苦笑気味ながらも笑いながらグラハムの胸を額で押す。
「いいじゃねえか。俺もあんたも初めてなんだし・・・・・・。一緒に気持ち良くなるんだろ?」
 焦らなくても、と言いかけて、そういえば暫く抱き合えなくなるんだっけ、と考えたニールが鼻の頭に皺を寄せていると、グラハムがゆっくりとニールの額に口付けを落としてきた。
「そうだな。まずは、君に私を熟知して貰う事から始めなければ、いけないのだろうな」
 それが余りにも楽しそうな顔で言われたので、ニールも釣られてにっこりと微笑んだのだが。
「ーーー待てよ、熟知?」
「習熟、でも構わないが」
 そんな不穏な事を言いながら下腹部に伸びてくる手を、ニールが慌てて避けようと身体を捩る。
「い、一緒だろそれ! おい、待て、俺まだ、いろんなもんが回復してね、え、って!」
 逃げ切れず、がっしり腰に回った腕をぺしぺし叩いてみるが、全く堪える気配はない。グラハムは、秀麗な顔ににっこりと笑顔を浮かべた。
「大丈夫だ、問題ない」
「それは俺が言う台詞だ、っつーの!」
 話を聞け、と喚くニールが完全に喘いで声を嗄らしてしまうのは、それから暫く後のことで。
 ぐったりと毛布の中に沈み込んだニールが結局満月も星空も碌々見上げることが出来ないまま、グラハムの金髪の煌めきだけを記憶に残して眠り込んでしまったのも、仕方がないといえば仕方がないことであった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 その翌日、早速この場所に来て、グラハムの匂いのする毛布を抱き締めてべそをかいていたら、忍び込んできたグラハムに抱き締められて、星空の下のレッスンを繰り返すことになるとは、今のニールはまだ想像もしていない出来事であった。




>>>>>HAPPY END !!






Memories Of You












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