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恋は、『落ちるもの』。そんなことは手垢が付くほど使い古された表現だし、分かっているつもりだった。
それでも僕は、落ちてしまった。
この、恋に。
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その日もアクシズは晴天だった。とはいえ、天気も人工管理の行き届いた人工の街では、天候がいきなり変化したりすることは皆無に等しいのだが。
その年中麗らかな気候の昼下がり、アムロ・レイは一人、上官を捜して町中の公園を彷徨い歩いていた。
気候はすっかり春めいていて、平日の公園内にも人影は結構多い。道の左右には、薄紅色の花を咲かせる木がまさに満開に近い様子で並んでいた。シャア大佐に聞いたら、サクラと言うのだと言っていた。アーモンドの木に少し似ていると言えば、そんなものだなと笑っていたが。最も、この木は自生ではなく、接ぎ木をしないと生えないのだと教えてくれたが。コロニーにはぴったりだろう?と。
「た・い・さー?シャア大佐ー?…ったく、あの人ったらちょっと僕が目を離すとすぐサボろうとするんだから。どこに行ったんだろう」
とはいえ、ここアクシズの要人でもあるシャアの名前をあまり大声で連呼する訳にもいかず、アムロはキョロキョロと左右に視線を送りながら、家族連れやカップルがのんびりと午後のひとときを過ごす公園内をひたすら歩き回っていた。
昔は連邦軍のパイロット、それも秘密兵器『ガンダム』のパイロットだったアムロが、一年戦争の最後に怪我をしてすんでの所をシャアに救われ、そのまま身元不明の少年兵としてアクシズにくっついてきてからもう、数カ月が経つ。搭乗していたホワイトベースの仲間達や生き別れたままの家族のことを思って切なくなる日もたまにはあるのはあるのだが、只今現在のアムロの心情としては、ホームシックになってかかってる暇なんかあるかバカヤロウ、といった所である。
アムロを助けてくれたシャア・アズナブルは、「ジオンの赤い彗星」と謳われる敵軍の勇将だった。というかきっぱりはっきりアムロの戦場での宿命のライバルだった。だけれども、淡い尊敬さえ抱きかけていたその「ジオンの赤い彗星」が、こんな奇想天外で一癖も二癖もある愉快な性格をしていたなんて、連邦軍では誰も教えてくれなかった。当たり前だけど。嘗て乗艦していたホワイトベースも癖のある人間揃いで乗った当初は自分の繊細な神経(アムロ主観)が一体ここでどれだけ保つのかと不安になったものだが、こうなってみるとあのタフな雑草根性を養ってくれた日々(アムロ主観)はなかなかに貴重だった気がする。少なくとも、ここにはいきなりぶん殴る上官も居ないし(アムロ主観)、ガンダムをかっぱらって逃げる我が儘気まま勝手放題な現地調達の少年兵も居ない(それはお前のことだ!:ホワイトベース艦長ブライト・ノア談)。
そんなこんなでガンダムに搭乗して以来流転どころか流れに流され巻き込まれっ放しのアムロの人生は、ここに来て遂に極まった感がある。なんせアクシズの皆様と来たら、英雄シャア・アズナブルのお墨付きがあったとはいえ元連邦兵のアムロの素性などろくろく確かめもせず(追求されてもそれはそれで困ったのだけれど)、あっさりシャアの麾下に配属してしまった。いや、ひょっとしたら扱いに困りそうな人間は扱いに困っている人間の所にやっとけとか火種は一所にまとめとけとかそういう類の配置だったのかもしれないが。それはそれとしてそんなんだから戦争にも負けるんだバーローとかちょっぴり毒突きたくなったアムロである。
お陰様でシャア付きの見習い兵といえば聞こえは良いが、実際は小間使いというか、いやむしろお目付役だろう、これ、という多忙な日々を過ごすアムロは、ホームシックのホの字も考える暇もないほど上官に振り回される日々が続いているのである。但し、そろそろ五月病には罹ってしまうかもしれないが。
かといって、シャアは扱いにくい上官ではない。我が儘は言わないし、暴力は振るわないし、無茶は言っても無理な注文はつけない。独特の人を食った物言いはするものの、物事の道理の分からない人ではないし、頭もいい。ついでに顔も。なのに何がアムロを悩ませているかというと、シャアは『難しい』のだ。頭の回転が速すぎ、切れすぎるのに何故だかそれを全部は表に見せないし、かといって手抜きをしているわけでもない。この人の合格点と地雷原が何処にあるのか、外からはさっぱり読めない、だから難しい。表面上は「こいつ馬鹿だ」と思っていてもそれで態度を変える人間ではないので、気がつくと見放されていたりする。それがなかなか怖いと言えば怖い。一旦見限られたらそれはそれでもうお仕舞いだし。シャアは甘い人間ではない。
今のところ、アムロは上手くやっているようでもある。良く気がつくアムロのことをシャアは重宝しているが、もしアムロが何か致命的なミスを一回でもしたら、さらりと切り捨てられそうである。―――そうなんだよな、とアムロは思った。シャア大佐は、執着ということをしない人なのだ。いらない、と思ったら、捨ててしまう。未練はそこに残っていない。
なので、アムロにとっての上官の評価は、『シャア大佐は変な人』等という非常に微妙なものになってしまう。
例えば。
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バレンタインデーにチョコレートをしつこくねだられたので(住んでいた地域の風習を教えたのが拙かった)、当日やけくそで大きく「義理」と書いたチョコレートを贈ったらば、この上官はどうやらその生意気さがいたくお気に召したらしく、その後ことある事に
「あのときは『義理』チョコをありがとう、大事にお茶の時間に頂かせて貰ったよ、君の気持ちとやらを。なぁに、恥ずかしがる事はないだろう?『義理』なんだから」
などとネタにして人をイジメ倒して居たのだけれど、更にそれから一ヶ月経って、ホワイトデー等という格好の復讐の口実を手に入れてリベンジに何か企んでいたらしく、ある日突然ホワイトデーにシフトが勝手に移動されて休日扱いにされているのを見て、アムロが深刻な眩暈を起こしてしまったのは言うまでもない。
「シャア大佐、なんか、ホワイトデーが休日になってるみたいなんですけど、考え過ぎか、気のせいですか?」
「ここの所疲れているようだから、特例だよ。粋な計らいというやつだな」
「粋な計らいはいいですから、書類の決裁下さい」
「…つれないな。上官を大事にしない部下は出世しないぞ」
「あなたの下に着いた時点で栄達は諦めてます。いいからさっさとサインしてください!」
「君は、カモに契約を迫る悪徳エステ業者かね?」
「なんと思ってくださっても良いです。じゃ、その日はお休み貰えるんですよね?」
「ああ、そして実に奇遇だが私も休みでね」
「聞いてません」
「ボーナスの査定が楽しみだな?」
「上官横暴!」
「横暴結構。権力も行使しないで大佐なんて馬鹿馬鹿しくてやっていられるかという話だよ」
「ホワイトデーなんて製菓業界の陰謀のために設定された日ですよ?」
「君は高潔だな。私は生憎俗人な上にエピキュリアンでね。楽しいことが大好きなのさ」
そんな風に言って、アムロを困らせるかと思えば楽しみにしているとこの上なく優しく笑う。
そのくせ、結局ホワイトデー当日には常日頃自分の身の上を気にしてかあまり出歩かないアムロを連れて、ショッピングや食事に連れ出すのだからぐうの音も出ない。シャアはとにかく知識が多いので会話をしていても楽しいし、アムロの小難しいモビルスーツ談義にも飽かず付き合ってくれる。この人は『大人』なんだ、と思い知らされる瞬間だ。その度に、アムロは何故かちょっぴり悔しくなってしまうのだけれども。
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そんなことをつらつら考えながら流離っていたら、公園の外れまで来てしまった。
めっきり人影も少なくなったので、アムロは諦めて来た道を帰ろうとする。今日は天気もいいし、こちらからシャアの気配がしたのでこの公園に居るのじゃないかと思ったのだが、さしものアムロの特製シャア・レーダー(あまりにシャアの発見率が高いので周囲にこう名付けられた。アムロ自身はこんな名前は真っ平ゴメンだと思っているが、それを言い始めるとニュータイプだということがばれそうなので今のところ不本意に甘んじている)も、今日はその感覚を鈍らせているらしい。
普段なら、シャアから感じられる気配はキンキラに光る黄金の糸かガイド・ビーコン並にアムロを彼の元に誘導してくれるのだけれど。
そんな風に思っていると、目の前を舞い散るサクラの花弁(サクラは潔く散るのがまた良いのだとシャアは教えてくれた。変なの、とアムロは思った)に混じって、正にきらきらと輝く金色の糸が掠めていった気がした。
「居た!」
ぱっと一瞬でシャアだと判断したアムロは、金色の気配を辿ってそちらに走り出す。がさがさとあまり手入れの行き届いていない低木を潜り抜け、その先の木陰に見慣れた黄金の輝きを発見して、アムロは心底ホッとした。
「シャア大佐」
呼びかけたが、返答はない。どうしたものかと思いつつ頭に葉っぱや小枝をくっつけながら茂みを抜けてその側に歩み寄る。―――と、彼の上官は一本の咲き誇るサクラの木陰に仰向けに寝転がって、ものの見事に爆睡していた。
「シャア大佐ー?うわ、ほんとに眠り込んじゃってるよ、この人」
思わずその側に膝をついてしげしげと寝顔を覗き込み、それでも目覚めない上官にアムロは呆れたような諦めたような感想を零した。まぁ、ここの所は厄介な問題が次から次へと出来して自宅代わりの官舎にすらなかなか帰り着けないほど忙しい日々が続いていた。他人の気配に聡いシャアは、他人が居るところでは落ち着いて眠れないので簡易の仮眠室などではとても熟睡できないというし、仮眠を取りに逃亡を計ったのだろうが。そこまで考えて、アムロは以前にシャアと交わした会話を思いだした。他人の気配があると眠れないと公言して憚らないシャアだが、現在アムロとは狭い官舎で同室なのである。シャアの階級からすると個室待遇は当然のことなので、アムロは遠慮したいところなのだが、そうすると今度誰と元連邦の、しかもガンダムのパイロットという経歴持ちのアムロと一緒にするか、という問題が出てくる(当然だがペーペーのアムロは個室など望める身分ではない)ので、シャアの配慮はアムロにしてみれば非常に有り難い。有り難いのだが。
非常に有り難いのだが、「だって私達は他人じゃないから平気だろう、アムロ」等と人前で言わないで欲しい。頼むから。
もうなんだか、思い出すだけでがっくりしてしまう。言いたいことは分かるんだけど。言い方ってものがあるだろう、もう少し。
とどのつまり、この人の気遣いのポイントというのは他人と百八十度ずれている上に複雑骨折しているのだ。シャアが言わなければあんな台詞もそれなりに微笑ましく聞こえたのかもしれないが、なんていうか、シャアが言っただけでとんでもなくイヤラシイ。途轍もなくイヤラシイ。勿論アムロは何処に出されても恥ずかしくないほどキヨラカな身体だが(というのもなんだか情けない気もしないではないが)、お陰様で女の子達はちっとも相手にしてくれない。(最も、妙な人気はあるようだが。なんなんだシャア大佐のお稚児さんて。)それどころか、シャア大佐のファンの女の子達には敵視されている始末である。アムロだってお年頃だし彼女の一人も欲しいのに、一向に艶めいた話題が出ないのはこの男が原因に違いない。
それに、もう一つ。思わずアムロは呟いてしまう。
「しかし、見れば見るほどつくづくお綺麗だよなー」
シャアは普段は外さないスクリーングラスを外して眠っていたので、その秀麗な容貌が全開になっていた。顔の上にもはらはらとサクラの花弁が散っている。あの真っ赤でド派手な軍服にも。勿論、一緒に暮らしているアムロはこの顔を毎日見ている訳で、それだけで元々の面食いに益々拍車が掛かったような気がする。最近ではテレビを見てもアイドルグラビアを見ても、これならシャアの方が綺麗だよなぁとしか思わなくなってしまっていて、アムロの審美眼の基準は多分下手なコンテストよりずっと厳しくなっているに違いない。昔、ホワイトベースに乗っていた頃も毎日この人の妹君(そういえば、セイラさん元気かなぁ、とアムロはそこでふと初恋の女性達の事を思いだした。思えばあの頃がアムロの人生最大のモテ期だった気もする)のお美しいご尊顔にハイエツしていたのだ。そりゃ、基準値も狂うか破壊されるというものだろう。
あんまりよくシャアが眠っているので起こす気を削がれたアムロは、その隣に腰を下ろした。木漏れ日が差し込んで、程良く温かくて気持ちがいい。コロニーの気候は大体一定に保たれているので変化は少ないが、その分穏やかな優しさはある。
ちいさく一つ欠伸をして、一緒になって寝てやろうかなとも考えた。シャアが激務だということは、当然側にひっついているアムロにだって負担はのし掛かっている。その時、不意に。人工の天体の中では有り得ないくらい悪戯な強めの風が吹き、アムロは思わず埃が入らないように一瞬目を閉じて、そして隣の人間が起きなかったかと、そちらを振り向いた。
それが、いけなかった。
シャアは起きなかった。代わりに、緩くうねった柔らかい金糸の髪の毛が、風に煽られて黄金の滝のように舞い上がって落ちていく所だった。さらさらという擬音まで響きそうなそれに目を奪われていると、青年は口元だけで何かを呟いた。
耳にする気は無かったのに、うっかりその響いてきた小さな言葉を聞いた(後から思えば、ニュータイプとしての回路が開いていたから聞こえたのかもしれないけれど、そんなことは今となっては些細な問題だ)アムロは、振り向いてシャアを見つめた。
空白の瞬間、というのがある。『魔が差す』のは大抵こんな時で、魂が一瞬空虚になった隙に、狙ったように望みも想像もしていなかった何かに、心ごと全部を持って行かれてしまうのだ。―――もっと後になってからそんなことも思えたが、その時は。
ただ、その時は。
もう、木漏れ日を弾いて輝く深い金の煌めきとか、長くて重そうなのに整った睫毛とか、すっと通った鼻筋とかその下に本当は隠されていてアムロだけが警戒することなく閲覧を許されている深い深い紺碧の瞳とか、一見物静かそうに見えて実は辛辣な散弾銃並の言の葉を放ってくる薄い唇とか、その唇の上にまさに乗っている一枚のサクラの薄紅い花弁などが。許容量を超えた情報の塊となって、一気にアムロの中に押し寄せてきて。
「―――っ!!」
愕然としたアムロは、咄嗟に目を閉じて送られてきた巨大な情報を辛うじてシャットアウトしたのだけれど。その時には、既にそう大きくもない脳内メモリにはオーバーフローの赤いランプが点灯してしまっていた。瞼の裏に、どんな優秀なカメラでも敵わないほどの鮮明さで先程の映像が巻き戻し再生される。繰り返し、繰り返し。リプレイ機能どころか、シャアの所だけ拡大したようにくっきりと大写しで。こんなもの何回も見せられたらたまらない、と逃避するようにぱっと目を開けた。
そうしたら。
「大丈夫か?アムロ」
ばっちりと、やばいやばいと思っていたディープブルーの視線とかち合ってしまった。どうにもこうにも、やっぱりさっきの風でシャアの浅くはなかったらしい睡眠も覚めてしまったらしい。
「探しに来たのか?まぁ、結構フケていたからな、仕方ない。しかしよくここが分かったな」
放心状態のアムロを余所に、目が覚めたシャアはぺらぺらと喋り出した。ああ、もう、黙っていて欲しいのに、とアムロは他人事のように思う。黙っててよ、困るじゃないか。その声も、深みがあって低くて甘いその声も、―――。
「アムロ?」
シャアが心配そうにアムロの顔を覗き込んできた。身を揺らすと、上に降り積もっていたサクラの花弁がふわふわと舞い散る。シャア自身の服から、髪から。二人の間にも、そうこう言っているうちに沢山の花弁が降り注いでいて、シャアはくすりと小さく笑う。ああ、くそ、なんで笑うんだよ、とアムロは内心舌打ちしたくなった。そんな風に微笑むなよ。
長い優美な指が伸びてくる。硬直したままのアムロの赤味の差した鳶色の癖の強い髪から、ゆっくりと花弁を摘み上げる。
「君までサクラの洗礼を受けてしまったな」
言いながら、アムロから視線を逸らしてサクラの花弁を愛おしそうに眺めて―――アムロは急に、そのサクラの花弁をシャアの手から取り上げて握り潰したい凶暴な衝動に駆られた。ああ、見るな、見ないでください、そんな花なんて。そんな花より僕を。
―――僕を、見て。
「アムロ?」
あまりにだんまりを決め込むアムロに不審を抱いたのだろう、まさにそのタイミングでシャアが視線を上げた。蒼い双眸がアムロを捉え、驚いたように見開かれる。
「アムロ、君…!体調でも崩したのか、顔が真っ赤じゃないか」
「…え」
初めてアムロは気の抜けた声を出した。真っ赤?熱?体調は多少寝不足なだけで、頗る快調だったはずだが。まだ若いんだし。なんてったって十代だし。同時に夢見心地だった白日夢のような感覚からも一気に抜け、どっと現実が押し寄せてくる。
「…あ」
アムロは呟いた。間抜けな言葉だとは思ったが、他に何を言えというのだ、こんな妙な気分の時に。次にやや八つ当たり気味に、サクラの花の所為にした。そうだ、あんな風に儚げにひらひらと眠っているシャアの上に散っているからいけなかったんだ。だからうっかり綺麗だなんて、そう、こんな美しいもの今まで見たことがないとかそんな変なことを思ってしまったのだ。寝ているシャアがお伽噺の花の中で王子を待つお姫様か何かのように見えて、そうして、あの唇に、今アムロの名前を紡いでいる唇に薄いピンク色の花弁が乗っていたりしたから、だから。
開いて、一度軽く閉じて、また薄く開く。ア、ム、ロ、と音声どころか字幕スーパーも完備されて脳内で完全にリプレイされる映像。眠りながら、夢の中で僕の名前を呼んだりするから。
「おい、本当に大丈夫か?アムロ」
大丈夫じゃないです。そんなにアムロアムロって連発しないでください、一回ごとになんか、心音が大きくなって、心なしか心拍数も早くなって―――
やばい。
アムロは本当になんだか泣きそうになってしまった。
なにがシャア・レーダーだ。赤い彗星探知機だ。分かっていたことじゃないか。自分が、例え宇宙にいても戦場でバラバラにはぐれても、この人のことだけは見分けられることなんて。
こういうときは、もっとこう、天使が打ち鳴らす祝福の鐘の音が鳴り響いて、世界が瞬時に薔薇色に変化するものなんじゃないんですか、神様。想像していたのと全く違いますけど。なんでこんな、ただひたすら鼻の奥がツンとしてきて、泣きたいような、笑いたいような。この世の中に、ただもうこの人だけしか居なくなって限りなく心細くて淋しくなるような。幸せなんかじゃ、ちっとも。
ちっとも幸せなんかじゃなくて、心の奥の高炉に突如燃料を放り込まれたみたいに急激に燃え上がって、多分耳まで今では赤くなっていて。
もしかして、これはヘン、なんじゃなくて。
変になったのじゃなくて、恋をしたんじゃないだろうか。
あなたが僕の夢なんかみなければ、僕はあなたを好きになったりなんかしなかったのに、なんてひどいこと。
無言の抗議を込めて睨み付けても、ニュータイプと呼ぶには些か鈍い上官は、青い瞳をぱちくりさせて一体なんだというのだね、と言うことしか出来なかった様だった。心の奥底、鼓膜には遙か遠くにしか聞こえない場所で、試合開始のゴングの音が鳴り響くのが聞こえる。とりあえず、何もかもが始まったばかりだ。安易に気付かれたら、敬遠されるに違いない。シャアは難しい人間だから。
「大丈夫です。よくこんな所でぐうすか寝ていられたなと呆れたんですよ」
負けず嫌いだけはシャアに勝るとも劣らないアムロは、憎まれ口を叩きながらギリギリの脳細胞の中で真剣に作戦を練りながら、仕事に帰りますよ、と上官を急き立てた。
さぁ、どうやってこっちを向かせようか。
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+++END
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