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どうしてこんなところに。
その言葉は、ほぼ同時に互いの口から放たれたに等しかった。
「そういえば、アウドムラはホンコンシティに来ていると誰かが言っていたな」
先に気を取り直したのは金髪の男の方だった。それで女の方も我に返る。
「そうよ。それにあなたは宇宙にいるんじゃなかったのかしら、クワトロ・バジーナ大尉」
「そうだな、私は宇宙にいることになっている。だから、ここで君に姿を見られたことがアウドムラのメンバーに知れると知れると非常に拙くてね」
他言無用で願おう、と言った男は見慣れた赤い軍服姿ではなく涼しげな色のスーツ姿で、普段の大きな特徴であるスクリーングラスをかけていない素通しの青い目に、何故か居たたまれなくなった女は視線を逸らしながら棘のある声で男に問うた。
「どうしてここにいるの」
女の質問を男は鼻先で軽く笑い飛ばした。
「君に報告する必要があるのか? エゥーゴはカラバと何もかも同調して動いている訳ではない」
「老商会ならアムロと行ったわよ。二度手間じゃないかしら」
「詮索は止めて頂こう、ベルトーチカさん」
言いながらクワトロは眼鏡をかけたままの視線で無遠慮に彼女の全身の服装を上から下まで検分し、呆れたような表情を作った。
「随分と浮かれた格好をしている。アムロ大尉と、もしやデート気取りかね、お嬢さん」
「違うわ、そんなんじゃない!」
本音を言い当てられたようで、カッとなったベルトーチカは男にそう言い返した。
「違うのかね? ホンコンシティは決して治安のいい街ではない。そんな挑発的な格好で出歩くなど、自分からこっちを見てくれと言っているようなものだぞ」
クワトロの揶揄するような口調に、体型のはっきりと分かるチャイナドレスの裾を僅かに気にしながら、それでも気丈にベルトーチカは言い返した。
「あら、そうかしら。私がどんな服を着ていても、誰にも迷惑はかけていないはずだわ」
「君はね。アムロ大尉の方はどうかな」
「アムロは私のナイトですから」
精一杯の虚勢を込めて言い放った台詞は、男の失笑を買っただけに過ぎなかった。
「ナイト、ね。……ならば今すぐここに何故駆け付けてこない?」
「あら、何か危険なことでもあるのかしら、姿を見られたくないクワトロ大尉」
気の強い女だ、と内心でクワトロは舌打ちをしたくなった。アムロは一体彼女のどこが良くて側に置いているのだろうと思わないでもないが、まぁ恋愛は個人の自由の分野であるし、なによりも口さえ閉じていればベルトーチカ・イルマは確かに間違いなく美人の部類に入る種類の女性でもあった。
「危険……はないだろうな。表通りまで私がエスコートをさせて貰えれば、の話だが」
実際に、二人が立ち話をしているのはホンコンシティの中でも治安の特に悪い一角で、悪目立ちするベルトーチカの姿を見かけたクワトロが隠密行動中にも関わらず彼女に声をかけたのはまさに彼なりの騎士道精神の発露でもあったのだが、その事は敢えて言うべき事でもないので黙っていた。代わりに、こちらに来たまえ、と言いながら踵を返す。
「表通りに出たならば直ぐにアウドムラなりアムロ大尉なりに連絡を取ることだ。女性の一人歩きに適した場所ではない」
「私に指図しないで頂戴、私に命令をしていいのはアムロだけよ」
腹を立てたようなベルトーチカの口調に、クワトロは一瞬本当に彼女をこの場に置き去りにして去ろうかと考えたが、先程からあまり風体の良くない男達がベルトーチカに目を付けていることに気付いていた為、ややきつめの口調で再び彼女に着いてくるよう促した。
「別に、私は君がここで暴漢に襲われようと売り飛ばされようと知ったことではないが、知っていて見殺しにしたのではアムロ大尉に申し訳が立たないからな。君にそういう趣味があるのならば話は別だが、そういった嗜好ならばせめて私と別れてから楽しんで貰おう。来るんだ、ベルトーチカさん」
言葉の端々に侮蔑を漂わせたクワトロの口調にベルトーチカは柳眉を吊り上げたが、その頃になると流石に彼女も周囲の雰囲気に気付いたのか、やや悔しげにクワトロの隣に並んで歩き出した。
暫く並んで歩いていたが、やがてクワトロが彼女の耳元に低い声で囁きを落とす。
「次の角を曲がったら走るぞ」
「え?」
「やはり長居し過ぎたようだ。……尾けられている。狙いは君だろう、行くぞ」
「ちょっ……!!」
言うなり、角を曲がってすぐにベルトーチカの腕を掴んで走り出した金髪の男に彼女は束の間抗議の声を挙げたが、間髪入れずに背後で上がった怒声に、躊躇いを捨てて一緒に走り出す。
クワトロは暫く曲がりくねった路地を勝手知ったる人間のように走り回っていたが、やがて乱立する打ち捨てられたような建物の一つに飛び込むと、ベルトーチカを背に庇って物音を立てないように手振りをした。
「恐らくはもう振り切ったと思うが、暫くここでやり過ごしてから表通りに抜けよう。もうここまで来たらすぐそこがアウドムラになる」
「……随分と裏通りにお詳しいのね、クワトロ大尉」
「君の大好きなアムロ大尉とは、潜ってきた修羅場の数が違うさ」
言外に自分なら女連れで先程のような場所は歩かないしベルトーチカからも目を離さないと言われ、ベルトーチカはアムロを擁護しようと口を開いた。
「仕方がないわ、アムロは未だ半分眠っているようなものですもの」
「成る程、眠ったまま戦場を渡り歩くとは、随分お目出度くなったものだ、アムロ大尉も」
「なんですって!?」
アムロへの侮辱は許さないとばかりに何か言い返そうとしたベルトーチカの青い双眸に、同じように深く澄んだ青い瞳が冴え冴えとした鋭い光を湛えて突き刺すような視線を送る。
「……と、言われるのはアムロ大尉だということだ。以後気を付けて身を慎むのだな、ベルトーチカさん」
「アムロのお尻を叩いているのが私なの。他の人の指図は受けないと言ったはずよ」
「成る程、では起こったことは全て自分自身で責任を取るということか。なかなか殊勝な心がけだ」
流石に腹立たしげに言い放ったクワトロが、ベルトーチカの手首を掴んでどん、とやや手荒に女の体を廃屋の壁に押しつけた。目の前に見える眼鏡越しの冷たい視線に僅かに身を震わせながら、ベルトーチカがきっときつい表情で顔を上げる。
「何のつもりかしら、クワトロ大尉」
「君はどうやら多少痛い思いをしないと現実を理解できないようだと思ったまでだ」
言いながら掴んだ手にぎゅっと力が込められるのに思わず悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪え、ベルトーチカは何をする気なの、と重ねて男に問うた。クワトロがふん、と軽蔑したようにせせら笑い、ゆっくりとベルトーチカに顔を近づける。
目前に迫った顔の、ぎらりとした獣じみたものを滲ませる秀麗ともいえる造形の顔に、ベルトーチカは息を飲み、勢いに飲まれるものかと内心で己を激しく叱咤した。背筋を冷たいものが伝い、体が本能的な怯えで震えそうになるのを必死で堰き止めて、男に悟られないようにする。自分はただ狼に喰われるだけの哀れな兎などでは、断じてないのだ。
しかし、彼女のそんな努力など消し飛んでしまいそうな男臭い笑みを浮かべ、クワトロが甘いとも呼べる低いトーンの声で彼女の耳元に囁く。
「分かっているだろう、君は女で、私は男だ」
「最低の理屈ね。だからあなたからは平和なインテリジェンスを感じられないんだわ」
「ああ、そうだ。しかし、……だからこそ逆らいがたいのだとは思わないかね」
囁くと、男の手が女の華奢な顎を掴んで無理矢理に仰向かせる。目など閉じてやるものかと力では決して敵わない相手を最大限の侮蔑を込めて睨み付けると、クワトロは興を削がれたように彼女を捕らえた腕を放した。
「……残念だが、タイムリミットだ。アムロ大尉の声がする」
「え?」
クワトロの声に、何か一言でも罵詈雑言を投げつけてやろうと身構えていたベルトーチカは虚を突かれたように大きく瞬きをした。クワトロが今度はやや丁重に彼女に触れて体を引き起こし、ぽん、と軽く背中の埃を払ってやる。
無論ベルトーチカにはアムロの声など聞こえず、戸惑ったように再び表情を消した金髪の男の顔を見上げた。クワトロは先程までの雄の本能が剥き出しになったような雰囲気を完全に消し去り、先に立って歩き出そうとする。
「もうワンブロック先をこちらに向かって歩いてきている。こちらから呼びかければ私の気配を捉えるだろうから、私はこれで失礼させて頂くよ。心配せずとも、君が表通りに出るまではここで見ているから、安心して行きたまえ」
さぁ、と背中を押され、ベルトーチカは戸惑った表情を浮かべながら歩き出した。すると、確かに自分達が居る路地を抜けた先の開けた道を、見慣れた鳶色の癖毛の青年が歩いているのを見つける。アムロの方はまだ彼女に気付いては居ないようで、きょろきょろと何かを捜すように周囲を見回しながら歩いている。こちらから呼びかければすぐに彼女を見つけるだろう。
歩き出したベルトーチカの背中を暫く見ていたクワトロは、すぐにアムロに見つからないように再び廃屋に身を隠した。ニュータイプであるアムロにこちらの気配を悟られないようにしていてもベルトーチカの様子くらいは窺えるだろうから、と身を潜めようとしたクワトロは、だから突然服の裾を引かれても、その人物の気配に俄には気付けなかった。
驚いて振り返り、信じがたいものを見たように目を見開く。
「どうして戻ってきた、ベルトーチカ・イルマ」
「気が変わったの。アウドムラまで送って下さらない、クワトロ大尉」
言われ、クワトロは何を酔狂な、と眉を顰めた。
「いいのか、アムロが呼んでいるぞ。君を探している」
金髪の男の台詞に、ベルトーチカは首を横に振る。アムロとこの男の間にあるはっきりとした絆が、今の彼女にはとても妬ましく思えて仕方がなかった。
「……聞こえない、私はニュータイプじゃないもの」
「そうか」
「それに、私、あなたのことをもっと知っておかなければならない」
「ほう?」
突然の女の発言に流石にクワトロが眉を顰め、何のつもりだとでもいうような不審気な顔つきで見下ろしてくるのを挑戦的な笑顔で受け止め、ベルトーチカは僅かに首を傾げて、クワトロに向けて言い放った。
「だって、あなたはいずれ必ず、アムロの前に立ちはだかる人ですもの」
まるで自らが戦いを挑むような口調で宣戦布告を叩き付けてきた女にクワトロは僅かに口元に微笑みを浮かべる。
「面白い。それでは、君のアムロ大尉が勝てる相手かどうか、試してみるといい」
「望む、ところよ」
「言って置くが、もう引き返せるなどと思わない方がいいぞ」
「あら、それはどちらの台詞かしら」
言いながら引かれた腕に今度こそ彼女は逆らおうとせず、やがて二つの影は迷路のような廃墟の立ち並ぶ打ち捨てられた市街の中に消えていった。
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