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10: 「おかえり」をあなたに
ほんとうに降ってきたとしか思えない。
いや、文字通り降ってきた。
鳶色の髪の、意識のない少年を抱えて、グラハムは文字通り途方に暮れていた。
「私は一体どうすればいいんだ……」
教えてくれ、ガンダムと言わなかったのは上出来であった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
ガンダムエクシアとの激しい戦闘の末、大破したカスタム・フラッグで宇宙空間を漂っていたグラハムは、死を覚悟していた。
いや、むしろ死んでしまっても良かった。さんざん無茶な加重を掛けられた身体は傷つき、視界は既にレッドアウトを引き起こしている。
右半身は、もう完全に動かない。
深紅に染まった視界に、光が近付いてくる。……ああ、迎えなのか、と思った。
「ハワード、……ダリル」
先に逝ってしまた部下達の名前を呟きながら腕を伸ばし、グラハムはゆっくりとその精神を光に預けた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
次に目覚めたのは、治療カプセルの中だった。意識が戻ったことに気付いたのだろう、医局のスタッフらしい白衣の人物が、目覚められましたか、と話しかけてきた。
「上級大尉殿は一ヶ月以上意識を失っておられたのです、まずはゆっくりと深呼吸をお願いします」
言われたとおりにしながら、ここは、と問うと、軍のカリフォルニアにある医療施設ですという返事が返ってきた。
「そうか……」
呟いただけで目を閉じると、モニターでグラハムの脈の状態などを見ていた医者が軽い調子で続けた。
「しかし、上級大尉殿は流石です、あの状況でまだ人命救助を行うとは……」
「人命救助?」
一体なんのことだ、と翠の瞳が疑問を浮かべる。
「ああ、……そういえばまだ、上級大尉の意識が覚醒したことは連絡していないですね、おい、カタギリ顧問に連絡を頼む」
医者が、側に控えたスタッフにそう声をかけた。グラハムが重ねて質問をする。
「人命救助というのは」
「少年です。……お怪我は酷いものでしたから、多少の記憶の混濁は仕方がありませんな」
しばし考え込んだが、どうしてもグラハムの記憶には、ガンダムとエンカウントした後の記憶が消えてしまっているようであった。
完全に消えているというよりは、思い出そうとすると薄ぼんやりと霧がかかったようになるので、そのうちに戻るだろうと諦めて目を閉じる。その内に、医者のきたきた、という声が耳に届いた。
「巻き込まれた民間の船から漂流してきたんでしょうが、上級大尉に回収して貰えたのは幸運でしたよ」
ラッキーボーイですな、と言う医者の声に被さる様に扉の開く音がした。同時に、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
「グラハムが目を覚ましたって!?」
「やあ、カタギリ」
眼を開けながら言うと、榛色の長髪に眼鏡の技術顧問は目を潤ませて駆け寄ってきた。
「グラハム……! 君なら絶対生き返るって思ってた!」
「元から死んでない」
縁起でもないことを言うな、とスーパードライに感激の対面を流されて、ビリーは些かつまらなそうな顔をしながらいいもんね、と言った。
「どうせ僕からの祝いの言葉じゃ喜んでくれないだろうと思ってたし、助っ人は呼んであるんだ」
「助っ人?」
「うん、そう。……入っておいで、ほらほら、遠慮しなくていいから」
ビリーが背後に声をかける。グラハムが不思議に思って視線を移すと、ビリーの背後からローティーンと思しい少年がおずおずと顔を出した。
グラハムと目線が合うと、はにかんだように微笑む。
「あの……怪我、どうですか」
正直、どう対応していいのかすら分からなかったので、さしものグラハムも戸惑ったような返答を返す。
「あ、……ああ、随分いい」
鳶色の緩やかに巻いた髪の毛と、深い青色の瞳を持つ少年は、グラハムのその言葉を聞いて胸を撫で下ろした。
「よかった。……お兄ちゃん、僕を助けてくれてありがとう!」
「……なんと!」
一体どういうことだ、と首を捻るグラハムに、ビリーが助け船を出した。
「君が助けてあげたっていう男の子だよ。その様子じゃ、思い出せないみたいだけど」
「俺、……あ、僕、お兄ちゃんのモビルスーツの中に、一緒に居たんだって」
少年がしおらしい態度でビリーの言葉を肯定する。どうやらなかなかやんちゃそうな、勝ち気な青い瞳の輝きが印象的だった。
「君さ、戦場の中心からは随分流されてたんだよ。まあ、助かったのはその所為もあるんだけどね。そこで見つけたみたいでさ、最後の力で回収したみたいなんだ。救難信号、この子のために出したんだろう?」
「……だったの、かも、しれないな」
グラハムは返事を濁した。確かに、一人きりなら死に場所を探して、救難信号など出しはしなかったかもしれない。
「モビルスーツのコックピットに居たから、僕も生きていられたんだって」
それで助かったんだ、とキラキラした瞳でグラハムを見上げながら言う少年に、グラハムは思わず問うていた。
「少年、……君の名前は?」
「ニール・ディランディ」
少年は即答した。
「年は幾つだい?」
「十四歳!」
少年が元気よく答える。ローティーンだろうという見込みは間違っていなかった訳だ。グラハムは相好を崩した。元々、孤児院育ちのグラハムは己で思うより年下への面倒見は良い方だ。
「申し訳ないが、私は少々記憶が途切れてしまっているようだ。君は一体どこから戦場に迷い込んでしまったのだね?」
グラハムの問いかけに、少年が顔を曇らせた。
「わからない……」
呟くと、くしゃりと表情を崩した少年に代わって、横から医師が助け船を出した。
「それが、ここ暫くの事は、何も覚えていないらしいんです。コックピット内で彼は宇宙服を着ていなかったので、軽い酸素欠乏症の後遺症かもしれません」
「そうか……」
ふう、とグラハムは息を吐いた。一気に十歳も老けてしまったようだ。……そんな疲れた横顔をじっと心配そうに見ている少年の視線に、何故か人の気配に鋭いはずのグラハムは気付くこともできないでいた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
約二週間で体組織はあらかた元に戻り、凄絶なリハビリ生活は受諾したものの、美容整形系の治療は拒絶したグラハムは、友人のビリー・カタギリの紹介で、経済特区トーキョーの郊外にある禅寺に身を寄せていた。
ガンダムとの手痛い敗北を経て、一度、自分の人生を見つめ直す必要があると思ったのだ。
座禅を組んで己を見つめ返す時間はとても新鮮な体験であった。
滝に打たれて精神の統一をするのだと聞いて、白装束に着替えて寒の滝壺に踏み込む。考えるべき、いや、断ち切るべき迷いは、山のようにあった。
(……私はどうすればいい。ガンダムと、どう向き合えば)
そんなことを考えならが足を水につけてぼんやりしていた所為で、背後からの気配に気付くのが送れた。
「グラハム兄ちゃん! 死んじゃ駄目だ!」
「……う、わ!?」
咄嗟に踏ん張って受け止めた……つもりが、一緒になって落ちてしまった。軍人としてはかなり情けない事態だ。しかも、滝壺はかなり冷たい。
「……ニール」
唸るような声を上げて突然の闖入者を睨むが、少年は悪びれない笑顔でにっこりと微笑んだだけだった。
「グラハム兄ちゃん、来ちゃった!」
グラハムは濡れた金髪を掻き上げながら白装束の腹の上で跳ねる少年に苦笑した。
「来ちゃった、ではないだろう。身体はもういいのかね」
「うん! 滝にジュスイしてジサツコウイだって聞いたから、止めに来たんだぜ!」
「……誰から」
「ビリー兄ちゃんから!」
あいつ、とグラハムはニールに聞こえないように小さく毒づいた。にやにやしながら向こうから歩いてくる長身の男に気付いた所為だ。榛色の長い髪を結わえた長身の男が、人の悪い笑みと共に近づいてくる。グラハムと視線が合うと、吹き出す一歩手前の表情になった。
「やあ、グラハム。入水自殺は止めたのかな?」
「只の水垢離だろうが! 覚えておけよ」
一緒になってずぶ濡れのニールをひょいと抱き上げて地面に立たせると、グラハムも髪の毛を振って水分を飛ばす。
「一緒に来たまえ、風邪を引く」
「……うん」
くちん、と小さくくしゃみをするニールに、それ見たことかと苦笑しつつ、グラハムは少年の手を引いて歩き出した。
「カタギリ、君には後で話があるぞ」
「どうぞ、着替えたら聞いてあげるよ」
ひらひらと手を振るビリーを横目で睨みつつ、グラハムは素足に草履を履いてぺたぺたと歩き出した。
「ユニオンから来たのか?」
ビリーの家に預けて置いたはずなのに、と思いつつグラハムが訪ねると、うん、とニールは頷いた。
「カタギリの兄ちゃんがグラハム兄ちゃんの所に行くっていうから、連れてきて貰ったんだ!」
元気よく言った後で、不意に不安そうな顔をする。
「……迷惑、だった?」
「いや」
グラハムは言い、寺の庫裏で借りた手拭いで少年の癖毛を拭いてやる。濡れるとぺたりとしている鳶色の癖毛としゅんとした姿は、雨に打たれた子犬を思わせた。
「しかし、私は留守がちな男だからね、カタギリの所に居るのがいいかなと思ったんだ」
グラハムの言い訳めいた言葉を聞き、カタギリの兄ちゃんは嫌いじゃないけど、とニールは小さい声で呟いた。
「……俺、グラハム兄ちゃんと一緒がいい」
グラハムは思わず絶句した。なぜこの少年にこんなに懐かれたのかは分からないが、少年の方は正しくインプリンティング済みのカルガモの仔の如く、一心にグラハムを慕ってくれている。
そんな二人の様子を、遅れて入ってきていたビリーがにやにやしながら見ていた。
「べったりだね」
「やかましい」
奥で浴室をお借りして、シャワーを浴びて着替えておいで、と言いつけられて、グラハム兄ちゃんも後から来てよ、と言われている親友に、ビリーは言った。
「軍じゃすっかり、グラハム・エーカー上級大尉の隠し子って話だよ」
「……幾つの時の子だというのだね、馬鹿馬鹿しい」
ビリーに渡された荷物の中からニールの分と自分の分とで着替えを二人分てきぱき用意しつつ、グラハムはぼやいた。
「なんかねえ、僕も仕事があるから、基地に連れてったりしてたんだけど、面白がって子守を買って出てくれた人たちが騒いでてね。射撃の腕が凄いんだって。学校を出たら直ぐに欲しいって言ってる部隊もあるよ?」
「犬の子では無い、そう簡単にやったり取ったりできるものか!」
きっぱりと言い捨てて、グラハムはそれで、とビリーの顔を見た。
「彼の少年の、ニールの身元は分かったのか」
「あー、うん」
ビリーは鞄の中から取りだしたチップを渡し、グラハムは自分の端末にその中身を読み込ませる。
「ニール・ディランディという名前の人間は世界に何人も居るけどね、……あんまりしっくりくる結果はなかったな」
はいよ、とビリーが見せてくれたリストを見るが、同年代の少年にはあまりぴんと来る人物は居なかった。
「家族が居なかったらどうするの、引き取るの?」
どうだろうな、とグラハムは呟いた。
「いや、……私は戦いにその身を委ねるべき運命だ」
「だけど、グラハム。君にだって家族は居ないでしょう?」
「……」
ビリーの指摘に、グラハムが押し黙る。ビリーはなおも言葉を続けた。
「施設に預ける? 昔の君がそうだったみたいに」
「棘のある物言いだな」
じろりと碧眼に睨まれて、ビリーはにっこりと微笑んでそれを受け止めた。
「君にこんなことを言うのは、僕くらいだよ、感謝したら?」
「お節介な男だ」
はあ、とため息を吐き出すグラハムが、その時一件のデータに目を留めてビリーを呼んだ。
「おい、カタギリ。彼は、……どうだ」
「はいはい?」
ビリーが指差されたカードのデータを大きく呼び出す。そして、内容を口に出して読み上げた。
「ニール・ディランディ、AEU領アイルランド、ブルーアイ、ブルネット……確かに外見的には一致するけど、でも、生年が合わないよ。これだと今年は二十五歳になっていないとおかしい」
ビリーの指摘に、改めてデータを見直したグラハムも肩を落とす。
「そうか、……そうだな」
そこで、あ、とビリーが声を上げた。
「あ、旅券データがある。家族の分だけど。ライル・ディランディ……兄弟かな?」
写真見られるけど、見てみる? とビリーに言われ、グラハムは頷いた。
「ここまで来たら宜しく頼む」
はいよ、と受け取ったビリーが端末を操作する。
「本職じゃあないんだけどね、こーゆーの」
ぱっと画面に鳶色の髪の毛で青い瞳の青年が映し出された。ビリーも言葉を失ったが、グラハムも息を呑む。
「ビンゴ! これは……血縁だね」
画面に浮かんだ青年は、明らかに今のニールの十年後、と言ってもいいような青年の姿だった。
「当たりだな」
「どうするの? ニール君を連れて行くの?」
「無論だ、身内が見つかったのなら」
ニールの着替えを持ったまま素っ気なく言い放って浴室へと去って行ったグラハムの背中を視線だけで追い、やせ我慢しちゃって、と呟いて、ビリーはため息をついたのだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
風呂桶に漬かる習慣がないせいでカラスの行水状態だったニールを日本式の広い浴場で捕獲して湯船に放り込んで温まらせ、真新しいシャツに着替えさせてこざっぱりさせたニールの髪の毛を乾かしてやりながら、グラハムは話を切り出した。
乾くとふわふわと巻く髪の毛は、少年の性格通り元気がいい。
元より、上手く説明できるなどと思っては居ない。単刀直入に切り出すだけだ。
「君の、身内らしき人が見つかった。確認が取れ次第、ご家族の元に連れて行く」
「身内?」
きょとん、としたニールが眼を瞬かせた。
「ライル・ディランディ、という。知っているかね」
確認したプロフィールでは、AEUの大きな商社に勤務しているようだった。独身か既婚かは知らないが、ニール一人くらいを引き取って養育する経済力はあるだろう。なければ、自分が後見人として援助してもいいとグラハムは本気で思っていた。
ライル、とニールが呟き、暫く記憶の中を探るように腕組みをして、はっと思いついたように顔を上げた。
「ライル? ……あ! 思い出した、グラハム兄ちゃん、ライルは俺の弟だよ!」
ニールの発言に、グラハムは一瞬沈黙して、その後で聞き返していた。
「おとう、と?」
「うん」
「しかし、ライル・ディランディは……」
もう大人だ、と言おうとしたグラハムの言葉を、ニールの自信に溢れた言葉が遮る。
「絶対間違わないよ、俺たち、双子だもん」
「双子?」
「そう!」
それを聞いて、最初に目に付いていた、ニール・ディランディという青年のデータがグラハムの脳内で渦巻いた。
(まさか、目の前のこの少年が本当ならば24歳……25歳の青年だというのか?)
精神だけが退行するというのなら聞いたことがあるが、肉体的にというと殆ど聞かないというよりも皆無というか、奇跡の領域だ。
もしか、先の戦場の爆発の衝撃でワームホールに巻き込まれてしまったのか。
そこで、ふっとニールが曇った表情になる。
「でも、ライルは……あんまり俺のこと好きじゃなかったから、会いたくないっていうかもしれない」
弟に会えるのかな、駄目でもちゃんと教えてくれよな、俺別にショックは受けないからと気丈に言う少年に、グラハムはもうかけるべき言葉が浮かばないままだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
ひとしきりはしゃいだ挙げ句くたびれて眠ってしまったニールを与えられた部屋に寝かしつけてきたグラハムがビリーを探すと、男はラップトップを立ち上げて、なにやら真剣な顔をしてディスプレイを覗き込んでいた。金髪の男が姿を見せると、ちょっと来て、と真剣な顔で言ってくる。
「グラハム、いいところに! あのね、あの後ニール・ディランディについても調べてみたんだけど。彼なかなか凄い経歴でね」
「凄い?」
「……職業狙撃手だね。あやふやに消されてるけど、もしかしたら、外人部隊にもいたんじゃないかな」
グラハムは言葉を失った。狙撃手、という言葉に思い当たる節はある。ニールは射撃のセンスがいいと当のビリーが言っていなかったか。
「それに、……あの、ソレスタルビーイングとの戦いの前後の、全ての船籍の乗船名簿を当たってみたんだけど」
見て、と言われて、グラハムは端末の検索結果をビリーが操作するままに視線を走らせる。
「ニール・ディランディという名前の男が乗っていた宇宙船はない?」
ていうかねえ、とビリーが呟いた。
「うん。前後半年で検索かけたけどねえ。……あのねえ、ニール・ディランディっていう男、そもそもアイルランドを出てない筈なんだ」
「……なんと」
暫く、二人の間に言いようのない沈黙が落ちる。今回も、先に口を開いたのはビリーの方だった。
「ね、……グラハム。これ以上調べる?」
「?」
「つまり、……パンドラの箱を開けちゃうか、ってことさ」
奥歯に物の挟まったような物言いに、直情的なグラハムが眉を顰めた。
「パンドラの箱だと? カタギリ、持って回った言い方は……」
言いづらいんだよ、とビリーが何とも言いがたい表情でゆっくりと口を開く。
「あの戦場で、身元が分からないような人間が属してる組織、あったっけ」
殆どが正規軍ばかりだったよね、と言われてグラハムは頷いた。一部には傭兵組織も居たようだが、それだって戦闘に参加してきている限り、雇用している側の方である程度は把握できている。
「……まさか」
そこで、グラハムもビリーの言いたいことに気付いたようだった。
「あったよねえ、一つだけ。……天使を名乗る、全てが謎のヴェールに包まれた所が」
ソレスタルビーイング、とグラハムは音にせずに口唇だけで呟く。
「ビリー、君はまさか、ニールが」
「射撃タイプの機体、あったよね。……」
ガンダムに、とは言わなかった。グラハムが、何かを言いかけて口を噤む。次に口を開いたのも、またもビリーの方だった。
「だから! パンドラの箱を開けるか、って聞いているんだ」
「……」
さしものグラハムも完全に押し黙った。
「開けた底には希望くらい残ってるかもしれないけど。……でも、ねえ。それって、一体誰が幸せになれるの?」
グラハムは、部屋の布団の中でぐっすり眠って居るだろう少年のことを思い、……呟いた。
「奇跡というものが、……彼の犯した咎を神様とやらが裁いた結果がああなのだとしたら、我々が口を挟める事などではないな」
「そうだね、僕たちは所詮、只の人間だ」
「……ガンダム、か」
グラハムの脳裏に、一度だけ干戈を交えた深い緑色の機体が鮮やかに浮かび上がる。……グラハムが出した結論は、一つだった。
(彼がガンダムであったのだというのなら、……私はもう少し、その存在の深淵に触れてみたい)
このデータは見なかったことにしてくれ、というグラハムの申し出を、ビリーは快く請け負ってくれたのであった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
部屋に戻ると、ニールは既に目を覚ましていた。グラハムの顔を見て、嬉しそうに声をかけてくる。
「おかえり、グラハム兄ちゃん」
「……ああ、」
グラハムは酷く眩しいものでも見たように目を細め、まるで初めて口にする言葉のように返事を紡いだ。
「ただいま」
それを聞いた瞬間に嬉しそうに笑った少年は、立て板に水と喋り始めた。
「待ってたんだぜ、あのさ、さっきお寺のオボーサンって人が、ユウゲノゼンが整いましたからって、多分晩飯……グラハム兄ちゃん?」
自分は不審そうにニールに顔を覗き込まれるまで、ずいぶんと穴が空くほどまじまじとニールの顔を見つめていたのだろうと思う。
ふっと、少年の顔が曇るのを見て、はたとグラハムは我に返った。
「……いいよ、分かってるんだ。……ライル、俺には会いたくないって言ったんだろ?」
「……ニール」
「あのさ、あの後、寝てるときに思い出したんだ。……俺の両親、あと妹が居たんだけど、みんな、一緒に出かけた先で、事故で死んじまったんだ」
ニールは、目撃した自爆テロのことは口にしなかった。軍人であるグラハムが聞けば、心を痛めるだろうと幼いなりに思ったからであった。
「だから、……俺、孤児ってやつで、……なんで宇宙に居たのかはまだ思い出せないけど、多分、施設かなんかにやられてる途中だったんじゃないかって思う」
どう考えても、それ以外に説明が付かなかった。宇宙移民はまだ始まったばかりだが、働きに出されたのかとそんなことも想像していた。
「だから、……だからさ、グラハム兄ちゃん……」
言わなければ、と思った。俺のことは気にしないで、どこかに預けてでもくれれば、それで十分だから、今までの分だけでも感謝してもしきれないくらいだから、と。
言おうとしたはず、だったのに。
グラハムが、新緑の色の瞳を不意に緩めて、ニールの顔を覗き込んできた。
「子供が、あまり背伸びをするものではない」
「……っ」
指先で頬にぼろぼろ零れる少年の涙を拭ってやると、必死ですすり上げて涙を止めようとしている。グラハムと視線を合わせると、まるで見るなとでも言うように青い瞳が厳しい色合いになった。
(誇り高いな、君は。ニール)
ごしごしと両手で涙を拭い、真っ直ぐ立とうとしている少年を見て、グラハムは一種の畏敬の念に打たれた。
グラハム自身も出自は孤児だったが、初めから肉親の情を知らないのと、知っていて喪ったのとはその重さが違う。
ニールを手元に留め置きたいと思ったのは、正にこの瞬間が決定打だった。
決めてしまえば言い訳はどうあれ、一緒に居て心地良かったのは否定できない。
「まずは落ち着きたまえ、ニール。一緒に夕食を食べながら、この後のことを話し合おうではないか。……その、私は軍人の一人暮らしで、君の里親としては幾分行き届かないかもしれないのだがね」
そう告げてやると、ニールは一瞬驚いた顔をして、すぐに掠れる声でほんとう、グラハム兄ちゃん、と聞いてきた。
「ああ、私は嘘はつかない」
絶対にだ、と胸を張って言ってやると、少年が感極まったように胸の中に飛び込んできたので、今度は蹌踉めかずに受け止めてやる。
「俺、……俺、そうなったらいいなって、思ってた」
「……そうか」
今度こそ、ガンダムに捕まってしまったなと天を仰ぐグラハムの内心など知らぬげに、ニールはごしごしと涙を拭うと、早く飯を食いに行こうぜ、とグラハムを嬉しそうに促したのだった。
夕食後、ビリーに依頼して、伝手を頼って少年の新しい戸籍をユニオン籍で用意させる。心当たりのある「知り合い」やらと連絡を取る作業をしながら、ビリーが軽い口調で金髪の親友をからかった。
「凄いね、しかし君は。戦場に出て行って、墜ちた天使を拾ってくるんだから」
正にフォーリンエンジェル、と呟いた親友の頭をグラハムは軽く小突き、さて自分とのニールの新しい共同生活について、どういう風に始めればいいのだろうかということに頭を悩ませたのだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
その後、十年ほど経ってから、弟のつもりで育ててきたニールにさんざん翻弄されてほだされた挙げ句に恋人としてつきあい始め、光源氏だねえミスター・ブシドーとビリーに散々からかいのネタにされる未来を、この時のグラハムはまだ知らない。
>>>END.
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