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08: 近くにいるよりもずっと
本当の名前、というものがあることすら、しっくりとは来ていなかった。
ティエリア・アーデは、生まれたときからティエリア・アーデという存在だったので。
ティエリアは一人きりになってしまったプトレマイオスの船室の中で、自分を抱きかかえながら呟いて居た。
刹那・F・セイエイとアレルヤ・ハプティズムはMIA、ロックオン・ストラトスはKIA……眠る前に見た端末情報の中の、無機質に単純化された符号のそれに、ティエリアの胸は押さえきれないくらいにざわめく。
どんなに信じたくないと、刻を止めて欲しいと願っても、現実は無情に事実にタイムスタンプを押していく。
ロックオン・ストラトスは戦死、遺体は回収されず、僅かな手の周りの遺品は遺族があれば送られる、という風に。
ヴェーダは既にその先の情報の処理に入っている。遺族はAEUに弟が一人、それで身内は終わりだ。後は死亡通知と、遺品の送付だけ。
ソレスタルビーイングに居たことなど、ましてガンダムマイスターであったことなど当然伝えられないので、送られる死亡証明書では、従事していた仕事途中の事故という風に片付けられることになっていた。
彼は大抵、戦場カメラマンだと名乗っていたそうなので、戦闘に巻き込まれての死亡、その辺りで落ち着くだろう。
どうしようかと考えて、データを改竄してユニオンの軍属カメラマンの中に名前を潜り込ませた。これで戦死扱いになれば、幾らか遺族にも恩給が出る。
それでお仕舞いだ。ロックオン・ストラトスが闘ってきた記録は抹消されて、ソレスタルビーイングの仲間達の記憶でしか残らない。
ただし、ニール・ディランディという名前は復活する。誰か知らない他人の経歴と共に。
Killed in action、……あの壮絶な最期は、それだけで言い尽くすことはできないのに。
「もしもあなたが、ずっと側に居てくれたら、僕は変われましたか、ニール・ディランディ」
目の前には、すぐに幻想の「彼」が現れる。ヴェーダが拾い上げてきた、彼についての記憶体が見せるものだとしても、ティエリアはそれに縋りたかった。
(そいつはどうかな)
俺の存在なんか、大したことはないと微笑む男に、ティエリアはつい恨み言を口にする。
「そうですね、あなたの心は、僕にはなかった」
忍ぶように幻想のロックオンが笑った。……幻まで思い通りにならないなんて、とティエリアは悔しく思う。
(心っていうのはな、想いがある全ての人間の所に残るものなんだ)
狡い答え方だと思ったが、ロックオンらしいとも思った。ティエリアが真実ねだれば、ロックオンはなんだって与えてくれただろう。
思い出しただけで、涙が零れそうだった。
もっと早く、そうすれば良かった。
いつだったか、珍しく機嫌が悪かったロックオンについて、刹那が呆れたように、料理のことで恋人と喧嘩したんだそうだと言っていたことがあった。
戦争根絶の大義の最中になんたる不謹慎、とその時は散々に腹を立てたが、今なら少し違って見られそうだった。
そんな、手料理が上手だとか下手だとか、そんな些細なことで怒ったり笑ったり泣いたり。……それこそが、人間の幸福なのだと。
ささやかな日常こそが、命を賭しても護るべきものであるのだと。
だからこそ、ニール・ディランディはあれ程に家族の敵討ちに拘り、最期まで戦い抜いて死んでいったのだと。
愛情というものは、自分も傷つけかねない諸刃の剣だ。……そんなものを振るうのは愚か者のすることだとばかり思って居た。
ふとそこで思った。ニールの恋人は、彼の死を知らないのではないだろうか。想いも断ち切れず、いつまでも待ち続けることになるのでは。
そんなことを考えてしまった自分は、既にかなり人間くさくなってしまっている。ティエリアは知らず苦笑を浮かべた。
「……僕にも」
ひっそり呟いた紫紺の髪のイノベイドに、ロックオンが首を傾げた。
(?)
「僕にも、あなたの心を分けて貰えますか、ニール……いいえ、ロックオン・ストラトス」
もう遅いかもしれないけれど、僕だって、あなたのことをもっと好きになりたかった。言うと、ロックオンはそれはそれは嬉しそうに笑う。
(いいぜ、勿論だ!)
きらきらとした笑顔が緑色の宝石のような欠片に変わった気がして、ティエリアは焦って瞳を開けた。
「……あ、……夢、だったのか」
夢を見るなど、まるで人間じゃないか。どうかしている。思って首を振り、起き上がろうとしてティエリアは目を見開いた。
「……地球」
視界に飛び込んできたのは、ニールの心の欠片のような、瞳を映した青い青い水の星だった。
くすり、とティエリアの口角が笑みの形に上がる。
「そうですか、これがあなたが残してくれた、心というものなんですね、ニール・ディランディ」
立ち上がって、手をモニターの彼方の青い星に添えた。蒼の中に散る豊かな緑、そして謎めいた雲の白。あの星は、正しくロックオン・ストラトスそのものだった。
想いは、決して一方通行にはならない。そうしたいという強い意思と、ほんの少しの覚悟さえあれば。
相手の存在が感じられれば、想うことはできる。……そうしてその心は、覚えている限りは、消えることはないのだ。
ロックオン・ストラトスがその身をもって教えてくれたことだ。
「ならば僕は、護ります。一人きりでも、何があろうと、この星を。人を愛した、人に愛された、あなたの心を」
あなたが心を残したいと思った相手がいるだろう、あの星を。イオリア・シュヘンベルグが予言した、来るべき対話の時まで、必ず。
僕は人間になる、そしてこの星を好きになる。そう呟いて、ティエリアは一人、愛を叫び出しそうな口唇を噛みしめたのだった。
>>>END.
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