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04: 共有する空
「エーカー中尉殿!」
呼ばれて振り返ったグラハムの右手を、隣の鳶色の髪の毛の男性がさっと離した。グラハムが文句を言うより先に、ニールは更に一歩男から距離を取る。
「あっ、……と失礼、休暇中でしたか」
普段よりややラフな服装を見た士官学校の制服を着た少年が焦る。
「なに、構わんさ。君は?」
「はい! あの、卒業生から、オーバーフラッグズの隊長が出たと聞いて、……あの」
対ガンダムに編成されたオーバーフラッグズは、今やユニオンの誇る花形部隊だ。知らないものは居ない。グラハムは鷹揚に微笑んだ。
「君も空に来たいのか?」
「はい!」
そうか、と嬉しそうにグラハムは笑った。
「それは重畳。トップガンへの道は平坦なものではない。それでもオーバーフラッグズは、君の入隊を心待ちにしている」
「はっ!」
「励めよ」
「はっ!!」
びしっと敬礼を決める少年に敬礼を返し、求められるまま握手をしてやると、感激に打ち震える少年を残してグラハムはニールの肩を叩いた。
「待たせた」
「いや、……あんた本当に英雄なんだな」
それだけ、ガンダムは世の中に憎まれているということか。心持ち暗くなったニールの雰囲気には気付かず、グラハムは微笑む。
「それでも、君の前ではただ一人の男で、君の恋人だ、ニール」
「分かってるよ、……っていうか!」
再び繋ごうと伸ばされる手から、ニールは意識的に逃げた。
「いいのか、上級大尉殿」
ニールが正しい階級を呼んでやる。今日はそもそも、グラハムの昇進祝いのディナーを食べに行く約束をしていたのだ。
その前にたまたまニールが早く着けたので、なんとなくデートをしていたに過ぎない。
戦場で出会えばこれ以上ない強敵になるのに、ということは知っていたが、ニールは己の中のダブルスタンダードで悩むことは暫く前に放棄していた。
つまり、……好きなのだ。どうしようもないくらいに、この金髪の男のことが。
それを仕方ないと割り切れるくらいにはニールは大人だった。
しかし、それとこれとはまた別だ。
「構わないさ」
グラハムがしぶとく手を繋ごうとするのに、ニールはいや、だめだろ、と止める。
「恋人が男だって知られたら……碌な事にならないだろ」
「どうして」
きょとんとする顔がどこかあどけないように思えて、ニールは急に心臓がくっと苦しくなるのを覚えた。
グラハムは、時々世慣れたニールには眩しいくらいに純粋に思えることがある。……勿論、そうではないことも知っている。
今の場所に彼が致るまでに舐めてきた辛酸のことだって幾らかは聞かされている。それでも、グラハムはニールにしたら信じられない程に綺麗だった。
「だってあんたその、金髪だし、顔だって綺麗だし、……その」
歯切れの悪いニールの言葉に、ふっとグラハムが眉を曇らせる。口調がやや剣呑なものに切り替わった。
「……君は、もしかして私がそういう意味で狙われることを心配しているのか?」
「し、仕方ないだろ!?」
セクハラ三昧されていたりしたら、誰が嫌だってニールが嫌だ。
流石に上級大尉殿にパワハラはないと思うが、何があってもおかしくないのが軍隊だ、という偏見をニールは持って居る。
男性だけとは限らない、肉食系美女の上官が、ハンサムなグラハムに目を付けることだってあるかもしれないのだ。
なんといっても彼が所属するのは天下のユニオン空軍だ、少人数で気心も知れているソレスタルビーイングとは圧倒的に周囲の人数が違う。
「そうではないことを最も知っている、君が?」
言われた瞬間、ベッドの中での探求心の旺盛さとしつこさを思い出して、ニールは赤くなった。
「だから、に、決まってる……」
自力で逃げられるだろうと知っていても、それとこの謂われのない不安はまた別のことなのだ。
信頼しているとかしていないの話ではなく、グラハムがそういう状況に置かれるかもしれないと考えるだけで、ニールは心の表面にさざ波が立つ。
「私は君以外は受け付けないぞ。身持ちだって堅い方だ」
「そんなんじゃねえ、万が一にも、……って思われたら」
男も女も両方いけるだなんて思われたら、ライバルは単純計算で倍だ。
しかも、ニールはそこには手が届かない。触れることは叶わない。それはもう、仕方が無いことだけれど。だからといって諦めたりできるか。
逡巡するニールをグラハムはその真っ直ぐな緑柱石の瞳で暫く見つめていたが、ふわり、と唐突にグラハムの空気が柔らかくなった。ニールが敵わないと思うのはこういうときだ。グラハムは、幸福の閾値がとても小さい。
だから、ニールのつまらない嫉妬でも、最大限に好意的に受け止めてくれる。
「ふむ、嫉妬する君もなかなか新鮮で魅力的だな」
「言って、ろ……」
「祝いの食事は私の部屋に変更するかね?」
独占させてやろうと暗に匂わせると、ニールはちっくしょ、と呟いて視線を逸らした。見抜かれている。なんだかもう、めちゃくちゃに抱き締めて思う存分幸せにしてやりたかった。今すぐに。
「どうした」
「今すぐキスしたい!」
「すればいい!」
「ぜってー、嫌だね!」
耐えきってやる、と妙な我慢をしたまま早足で歩き出す恋人の背中を追いかけながら、グラハムは笑って昇進祝いのディナーがピザとコークでも私は全く構わないぞ、と声をかけていた。
「その場合、デザートは無論……、」
「パイントでアイスクリーム買ってやる!」
さっと発言を先回りで遮られる。ホーキーポーキーだな、とグラハムと食事を取るようになってから見つけたらしい好物を挙げるニールに、グラハムは笑った。
「ふむ、姫はそういう趣向もお好みか」
あのなあ、と真っ赤になったニールが今度こそ振り返る。
「今、今何考えた、言ってみろ!」
「聞きたければ言うが」
にっこりと微笑むグラハムの笑顔が底知れなくて、ニールは背筋が震えるのを感じた。
「いや待てやっぱり言うな、聞きたくない」
「どっちなのだね」
まあ、私も説明よりもシュミレーションよりも実戦が得意だと胸を張るユニオンのエースに、為す術もなく撃沈の予感を感じてニールは頭を抱えたのだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「隊長!」
自分を呼ぶ部下の声に、グラハムは顔を上げた。
「どうした、ハワード」
「……っと、すいません、お邪魔でしたか」
携帯端末の画面に視線を落としていたグラハムの横顔が余りに真摯だったので、部下が遠慮したような表情を見せる。
「いや、構わん。つまらぬ用件だ」
昇進祝いを何にするかで散々迷って、君の言葉が欲しいなと気まぐれに言うと、何故か暫くままごとのような恋人ごっこでメールの交換をしようという話になった。
普段から照れ屋な恋人のこと、グラハムは然程期待して居なかったのだが、案に相違して、ニールからは、山のようにハートの絵が着いた、可愛らしいとしか形容しようのないメールが届いていた。
そうか、視覚に訴えかける装飾というものが電子ラブレターにはできるのだな、と真剣に感心していたところだ。
悪い気分ではない。
つまり、……単純に嬉しかった。
(まあ、それだけ、照れずに居られるほど、君は今私から遠い場所に居るのだろうが)
冷静に分析してしまうのは悪い癖だが、それで気分が下降する訳でもない。
どんな絵文字があるのだろうかと端末に搭載されているものを延々眺めていただけとは言えなくて、グラハムは端末を軍服の胸ポケットに仕舞う。
もしも、ニールが本当にソレスタルビーイングの関係者だった時のために、出撃の時にはこの端末は持って行こうと考えていた。彼と自分の密やかな恋愛は、誰に知られることもなく密やかに育まれて、終わるのだ。
未来を語らず、互いの今現在を尋ねることもない。過去を探ることすらしない。ただ、そこにあるのは幸福な刹那の積み重ねだけだ。
いかにも自分という根無し草のような男に相応しく、またそれでいいと思って居た。彼との出会いでグラハムが手にしたものの大きさを考えるならば。
「あの」
控えめに部下に言われ、グラハムは顔を向ける。部下はしばし躊躇って、尋ねてきた。
「もしかして、通信されていたお相手は隊長の恋人でしょうか」
隠す理由もないので、そうだとあっさり認めた。
「だが、他の隊員達にばれると色々とやかましそうなので、黙っていてはくれないか?」
しい、と口唇に指を当てて片目を瞑ると、ハワードはさっと赤くなって、了解しました、必ず! と請け負う。
そのハワードに向けて、心遣い感謝すると悪戯っぽく金髪の士官は笑ってみせた。
ハワードは思う。最近、エーカー上級大尉がやたらと大人の男の色気を振りまいている、というオーバーフラッグズでの噂はあながち嘘でもなかったらしい。
上官の身に纏う穏やかな雰囲気に、戦闘時のあの鬼神か阿修羅のようなグラハムを知っているにも関わらず、ハワードは錯覚しそうになった。
「墓の中まで持っていきます、自分のフラッグに賭けて!」
「フラッグに賭けてか、それはいい」
空を映したような青い軍服の裾を閃かせて、グラハムは爽快に笑い出した。ならば必ず守られるだろうなと言い添える。
「さて、用件を聞こうか」
「はっ!」
その笑顔も一瞬に、軍人の顔に戻ったグラハムは、部下の報告を聞くためにきびきびと歩き出す。ガンダム出現の報告は今のところないらしい。
だが、ニールがここに居ないと言うことは、……そのうち間違いなく、武力介入は開始されるだろう。
伝えられたカスタム・フラッグの整備状況などに的確な答えを返し、そうしながらもグラハムは、脳内の片隅では、思いついたニールへのメールの台詞をリフレインさせていた。
(この宇宙、そら、……そう、空だけは、どこかで君と繋がっている)
だから、私は常に君と共にある、ニール・ディランディ。
次のメールはそう書こうと決めて、グラハムはエースパイロットらしく、ハートが射貫かれている絵文字を使おうと密やかに決心したのだった。
>>>END.
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