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【"Do you like it?"】
アムロはベルトーチカが好きだった。
気が強い彼女のことを口さがなくいう人間は沢山居たが、彼が彼女を選んでいた以上、気にもならなかった。
このまま、ずっと一緒に居るのだろうと思っていた。
結局は、それは感傷を伴った幻想に過ぎなかったのだけれど。
あの日、どうしようもない自分の所に空から降りてきた天使のようだった彼女が自分の元を愛想を尽かして飛び去るのを、アムロはただ、あの日と同じように黙って見送っていた。
とうとう彼女に、愛しているとは言ってあげられないままだった。
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【"I finished growin'up, I just get older"】
アウドゥムラが突然エアポケットに入っても軽く機体が揺れるだけで済んだのは、パイロットの腕と機体の性能に依るところが大きかった。
しかしながらその揺れはか細い女性一人の足下をぐらつかせるには十分で、自分の恋人について、その因縁めいた相手に意見という名の言いがかり(聞かされるのはクワトロ・バジーナ大尉だけでなく青い髪の少年も時々有り難くもないお相伴に預かり、内容を後で吟味したカミーユがそう名付けたらしい)を呈している最中だった金髪の女性は、ほとんどロマンス映画の基本のようなタイミングでよろめき、前に倒れ込みそうになった。
「きゃ…!」
「危ない」
無論、自分がなんとか宇宙に連れ出そうとしている相手について散々反対意見を述べられ、決していい気はしていなかったクワトロだが、生来フェミニスト教育を受けている金髪の男はこちらもマニュアルに乗っ取ったように腕を差し出し、女性らしい華奢な身体を腰の辺りで支えた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ベルトーチカもこれには素直に礼を言い、クワトロも微かに笑みを浮かべて答える。そのスマートな対応に、ベルトーチカの脳裏に一瞬、アムロもこの位のことができればね、という思いと、でもそれができない不器用なところがアムロの魅力なのよね、という相反した思考が同時に浮かんだ。
クワトロもニュータイプと括られる範疇の人間なのでベルトーチカが何を考えたかまでは分からなかったものの、アムロのことを思い浮かべたことだけは何となく気取ったので、丁度軽く抱きかかえるようになっていたアムロの恋人を礼儀正しく解放する。
一瞬、さらりと視界を横切って頭を上げた彼女の金色の髪の毛に、地球に一人残してきた妹のことが頭を過ぎったが、次の瞬間にはうち消した。アルテイシア―――今はセイラ・マスと名乗っているらしいが、彼女はここまで気は強くない、筈だ。
しかし、人づてに聞く所によるとアムロはセイラのことも好きだったらしいが、金髪で青い目の美女に弱いのか、彼は、もしかしたら面食いだろうかなどと失礼なことを考えながら視線を上げたクワトロが、廊下の向こうの人影に気付いて硬直した。
「?」
体を起こしてクワトロの手から離れたベルトーチカが、舌戦を再開する気にもなれずに改めて金髪の男の顔を見上げ、その表情が凍り付いているのを見て視線の先を同じように確かめ、綺麗に固まった。
が、その茫然自失の状態から復帰したのもその場では誰よりも彼女が早かった。
「アムロ!」
名前を呼ばれ、どうも一部始終を見ていた赤味の差した鳶色の髪の毛の青年はびくっと弾かれたように体を翻し、廊下の向こうに立ち去って行った。
「ちょ、アムロ、待って!誤解だから!」
ベルトーチカが焦って声をかけ、まだ固まっているらしい金髪の男を忌々しげに振り向く。
「もう、貴方が余計なことをしたから、アムロに誤解されちゃったじゃないの!」
床に転んでいた方がマシだったわ、と腹立たしげに言いながら恋人の後を急いで追って行く後ろ姿を見送り、どう考えても不条理な言葉を叩き付けられたクワトロが漸く我に返って苦笑した。
「誤解してショックを受けるほど想われているのならば幸せだ、と君は考えるべきだな、ベルトーチカ・イルマ」
他人に関心の薄いアムロにそこまで拘って貰えるのならば、と心の中で付け加え、クワトロは馬に蹴り飛ばされるのは御免被るとばかりにベルトーチカとアムロが去っていったのとは逆の方向に足を向けて歩き去ったのだった。
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【"I'm old enough, I need time to grow up."】
「アムロ!」
背後から名前を呼ばれ、青年は億劫そうに振り向いた。
「なんだい、ベルトーチカ」
「あの、さっきの…」
「さっき?」
殊更気がない素振りで聞き返したが、先程アウドゥムラがエアポケットに入った所為で、バランスを崩した彼女をクワトロ大尉が咄嗟に抱きかかえるように支える光景を廊下の向こうで目にしていたアムロは、内心では煮えくりかえっていた。
ただ、腹立たしいのだが、それがどちらに向けて発散された感情なのかまではアムロの中では今ひとつ判別がつかなかった。
午後の柔らかい日差しが近くの窓から射し込んでいて、その中で華奢な彼女ひとりの身体を軽々と受け止める金髪の男の逞しい体躯は、確かに絵になるとしか言いようのない光景だった。それもまた腹立たしい。
さらりと揺れる髪の毛は二人とも黄金を模した色彩で日光を反射し、映画のワンシーンのような光景に花を添えていた。
自分とでは、ああは行くまい。
―――だけれど、ベルトーチカはこうやって自分を追ってきたのだし。
なのでアムロは溜息をひとつつき、その苛立ちを感情ごと胸の奥底に沈み込ませようとする。どす黒く色付いた感情を沈ませてやり過ごすのは、この七年のうちでアムロが真っ先に覚えた自己防衛の手段だった。
自分でも驚いたことに微笑みらしいものまで浮かべ、アムロはベルトーチカに向き直る。
「怖かったんだろう?怪我がなくて良かったよ、ベルトーチカ」
それでも流石に「ベル」と愛称で呼ぶ気にはまだなれなかった。やっとアムロが自分の方を見たことにホッとしたベルトーチカは、これ幸いとその腕に自分の腕を絡め、丁度僅かに低いくらいの位置にある青年の方に自分の額を押し当てて、そうよ怖かったの、と呟く。
「クワトロ大尉を怒らないでね、アムロ。私、助けて貰ったんだから」
仕方がない、塩でも贈っておきましょうか、と彼女はそこでもう一人の男についてもフォローを入れた。アムロは相変わらず微笑んだままで分かっているよ、と頷く。
「ただ、随分仲良くなったんだな、と思って」
喧嘩ばかりしてたのに、随分な進歩じゃないか、ベルトーチカ。揶揄するように言うと、彼女はさっと赤くなって拗ねたように膨れた。
「別に、仲良くなりたい訳じゃないわ。平和なインテリジェンスを感じない人は嫌いだって言ったでしょう?…でも、ただ…アムロがあの人のこと、嫌いじゃないから」
『クワトロのことは好きではない』というところをとりわけ強調しながらベルトーチカが子供の言い訳のような気の進まない口調で言う。
「アムロが嫌いじゃないなら、私も嫌いじゃなくなるように努力するわ」
その言葉に、アムロがぷっと軽く吹き出した。
「見上げた根性だけど、できないことはしないようにね」
「もう、アムロ!!」
きゅっと軽く腕を抓り上げられ、痛いよベルトーチカ、とアムロが抗議の声を挙げたところにハヤトが顔を出す。
「お楽しみの所すまないが、ベルトーチカ、ちょっと話があるので来てくれないか」
「え?わたし?」
アムロじゃなくて?と聞き返して、ハヤトが頷くのに軽く残念そうな顔をして、ベルトーチカがアムロの腕を放す。
「また後でね、アムロ」
「ああ、行っておいで」
「すまんなアムロ、借りるぞ」
「いいって」
第一俺のものなのかよ、彼女。俺が彼女に私有されかけてるんならまぁ頷けるけど、という浮かんだ思いも直ぐに消し、アムロは笑いながら二人を見送った。
誰の姿も見えなくなると、さっとアムロの表情から笑顔が消える。それこそ、別人のように暗く沈んだ表情で、アムロは手近な壁にもたれ掛かった。
感情のコントロールが相変わらず下手で、他人のちょっとした行動や感情にまで敏感に振り回される自分に、アムロは辟易していた。いつまでもこんな調子では、それだけで疲れ果ててしまう。
「歳だけはイヤになるほど食ったっていうのに…」
いつまでも成長しない自分が厭で堪らなくて、アムロは不甲斐なさにくそっ、と小さく悪態をついて手近な壁を蹴り飛ばした。
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【They said it was an accident.】
ベルトーチカがクワトロ大尉の腕の中に倒れ込むという珍しいハプニングがあった数日後、アウドゥムラが再び大きめのエアポケットに入ったのは、別に艦長の陰謀でもパイロットのミスでもなかった。
ただ、機体性能と操縦者の腕を持ってしても、今度は軽めの成人男性一人を十分よろめかせるだけの勢いを伴っていただけで。
「う、わぁ?!」
カラバの新型モビルスーツのことでクワトロと話し込んでいたアムロ・レイは、それこそこの間の恋人のベルトーチカの時の比にならないような勢いで前につんのめり、フェミニストであるだけではなく、格別に他人に対する礼儀は心得ているクワトロが、それこそ腕の中に倒れ込んでくる勢いだった男性にしては華奢な身体を腕で受け止めた。
同じ男性の癖に自分よりも幾分がっしりした胸板と、勢い良く倒れ込んだ自分一人支えてもびくともしない膂力と、突然のエアポケットに微動もしなかったバランス感覚と、そんなものが悔しくて、アムロは照れ笑いをしながら直ぐに身体を起こす。
「あ、はは、ごめん」
「いいや、別に構わんよ」
先日と同じ礼儀正しさでアムロの謝罪に返し、ベルトーチカに続いて何故か彼女の恋人まで受け止める羽目になった金髪の男が、しかし君達は揃って同じようなことをしてくれるな、と些か呆れたように言った。
「それだけ気があっているということかね?」
「馬鹿なこと言うなよ」
照れ臭いのか、アムロが少し顔を赤らめながらどこか子供のような拗ねた口調で、まだ近くにいるクワトロの顔を見上げながら言い返した。
「それよりあなたこそ、ベルトーチカと本当は意外に馬合いなんじゃないのか」
その言葉に、おや、とクワトロが微笑んだ。
「焼き餅かね、アムロ大尉」
咄嗟のことに、ベルトーチカに、なのかクワトロ自身にか、どちらを問われているのか瞬時に判別ができなかったアムロが、その事に狼狽えて益々赤くなる。
「ばっ、バカをい…!!」
まさにその瞬間、アウドゥムラは狙い澄ましたように本日二回目のエアポケットに突入した。
「うわ、あぁあ?!」
「アムロ…」
勢い良く胸の中に倒れ込まれ、今度は流石に全体重をかけてぶつかってこられた所為で、なんとか受け止めたものの代わりに背後の壁にしたたか背中をぶつけたクワトロが呻き声を上げる。
「あ、あははは、ごめん」
「いや、構わないのだが、だね…」
言いかけたクワトロが、そこでアムロの背後に気付いて、またしても綺麗に凍り付いた。その表情を見たアムロが不思議に思って背後を振り返り、文字通りフリーズする。
アムロは丁度クワトロの胸に頭を預け、お互いの意図しないところで完全にその腕の中に抱き込まれる体勢になっていた。
「べ、ベルトーチカ!!」
ばっとクワトロの胸から頭を上げたアムロの叫びに、ベルトーチカは我に返ったらしく、この間のアムロと同じように、身を翻して駆けだして行った。
「ま、ちょっと待て、ベルトーチカ、誤解だ!」
その背中に向かって叫び、彼女とは違ってクワトロ大尉、ありがとう、済まないがこれで失礼する、と礼儀正しく言い残して慌ただしく恋人の後を追って走り出した青年の後ろ姿を見送り、クワトロが疲れ果てたように首を振る。
「……あの二人に、私は鬼門だとでもいうのかね?」
寧ろ、こちらが馬に蹴り飛ばされ続けて居るような気がしてならないのは私の気のせいか?
残念ながらその場にはカミーユもハヤトも誰もおらず、クワトロの呟きにその通りだとツッコミを入れる人間はどこにも存在しなかったのだった。
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【"I just can't."】
「アムロ」
彼女にそう名前を呼ばれるのが好きだった。
俺の名前を発音するときだけ、甘ったれた舌足らずに発音するそんな彼女の癖を毛嫌いする人間も何人も居たが、俺は好きだった。
叱ってくれるのが心地よかった。甘えてくれるのが嬉しかった。
こんな俺でも、誰かのたった一人だと、寄る辺にしてくれているのだと、そう思わせてくれるのは気分が良かった。
気が強くて我が儘だと友人達の評価はイマイチだったが、彼女は可愛かったし、美人だった。
だって、そうじゃないか。恋愛なんて、所詮はお互いの利害のぶつかり合いだ。
俺はベルのヒーローで居ればよかったし、彼女の瞳は俺のなけなしの自尊心と優越感をくすぐった。
傷舐め合うのがなんぼのもんだってんだ。
俺が欲しいのは永遠の女神なんかじゃない、誰かの優しい言葉と腕、そして柔らかい身体と愛情のコミュニケーション、その位だ。
壮大な物語はもう勘弁して欲しい。でも、平凡で慎ましやかな幸せ、―――ミライさんやフラウが手に入れたような―――とも俺は無縁だった。
いや、むしろ向いていなかったのだろう。俺の周囲には硝煙と血と戦火と機械油の混濁した臭いが立ちこめている。消せないほど、きつく。
ベルが毛嫌いする『平和なインテリジェンスを感じさせない人間』なのだ、とどのつまり、結局は俺も。
溢れるほどキスをして抱き合った。ずっと二人で居られればいいと、宵ごとに彼女に囁いた。
そんなもので癒されるのなら、癒して貰えるのならお安い御用だった。守れない約束なんて、幾らでもしてあげたのに。
俺の掌も唇も指先も、舌先でさえ、全部。彼女を覚えている。手触りも、弾力も、優しさも甘さも。
なのに、俺の心は、彼女の愛情を覚えていない。
いや、初めからそんなものに気付いていたかどうかさえ、怪しい。
愛なんて、たいして重要じゃなかった。
ベルトーチカが彼女なりに俺を愛していたのだとしても、―――仮定形なのは俺自身がそれを覚えていないからなのだが、彼女は愛し方をよく分かって居なかったんじゃないかと思う。
そう、俺のように。愛することも愛されることも巧くない、俺のように。
ベルトーチカを、どうして俺はもっとちゃんと愛してやれなかったのかと、今となってはそんな苦い想いだけが俺の中に残っている。
残骸になった恋は、散ってしまった花のように無惨に地面で誰かに踏みつけられていくけれど、ああ。
俺は、誰も居なくなったアパートを見回し、ベルトーチカがたった一つ残していった枯れた鉢植えの植物を拾い上げた。
そうしてそれを、窓の外に投げて捨て、がちゃんと鉢が割れる音を聞いて、確信した。
「君が居なくなって哀しいよ、ベル」
姿が無くなったから初めて告げられる、俺の傷痕。胸の辺りを掴み、シクシクと滲みる欠落感に蝕まれ、苛まれる心臓を自覚する。
「―――ここ、が、痛いんだベル」
そして、俺は、こんなに痛くなるまで、そのことに気付かない。
頬を、ゆっくりと温かい涙が伝い落ちて床にぽつぽつと小さな丸い染みを作った。
それぽっちの雨では、枯れてしまった愛情など、元に戻りはしないと知っていても、それはその時の俺の精一杯だったから。
ただ、声もなく、しっとりと泣き続けた。
あの恋は、そうして終わった。
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+++END
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