美しいハロー、さようならのユーモア

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09:まるであの日のまま



 時間はまるで螺旋階段のようだ。

 その中で、二人は二重螺旋のけっして交わらない場所を同じ未来へ向かって駆け上がっているようなものだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 目が覚めると、十四歳だった。

 嘘ではない。手が、一回りも小さくてまだ銃ダコもできていない。

 はっとして、カレンダーを見た。日付を見て、喉の奥からしゃっくりのように焦りがせり上がってくるのを感じる。

(待って、待って)

 素朴な二段ベッドから飛び起きて、ニールは階段を段飛ばしで駆け下りた。下の段に弟が居た気配はない。そうだ、あの日、弟はまだ寄宿舎に居たのだから。

 リビングに飛び込むと、両親と妹がおはよう、と言って少年を出迎えた。勢い込んで少年はおはようの代わりに叫ぶ。

「行かないで、行っちゃ駄目だ、父さん、母さん、エイミー!!」

 息せき切って飛び込んできた長男坊に、どうしたのニール、と両親は笑う。

「駄目なんだよ、行かないで! 一緒にここで居てよ!」
「ニール、何を言っているんだ。今日、出かけるのはお前が一番楽しみにしていただろう?」

 お兄ちゃんなんだから聞き分けなさい、と柔らかく窘められてニールは思いきり首を横に振った。赤い風船が視界を過ぎる。

「駄目だよ、行ったら死んじゃう、みんな死んじゃうんだよ!」

 ねえ、だから行かないでと少年は泣くように叫ぶ。必死だった。


(止められたら、いや、止めるんだ)


 止められたら、きっとニールの未来は変わる。穏やかで平凡な人生に。

 文句を言いながら長期休暇にはちゃんと帰省してくるエリート商社マンの弟と、きっと大人になって美人になる妹。

 優しい両親に愛されて、どこか近くの工場にでも就職して、器量は十人並みでも可愛らしくて気立てのいい、健康な女性と恋をして、サッカーチームができるくらいの子供を産んで貰って。

 いずれ現れる妹の求婚者には、弟のライルと二人で死ぬほど難癖を付けるのだろう。そのうち弟の子供のゴッドファーザーにだって、指名されるかもしれない。

 何処にでもある普通の幸福の縮図が、その未来には詰まっている。

 ロックオン・ストラトスにはならない未来。

 ガンダムには乗らず、マイスターと呼ばれず、人殺しのための銃を握らない未来。

 夢のように輝かしい、ものの、筈なのに。

 分岐点で、ロックオンは立ち竦んだ。否、立ち竦んでしまう自分が信じられなかった。

(刹那、ティエリア、アレルヤ、フェルト、おやっさん、スメラギさん、クリス、リヒティ、ハロ……)

 プトレマイオスのクルーの顔が次々に脳内を過ぎっては消えていく。

 その時、オレンジのボールが、目の前でぽん、と弾んだ。


(ハロ?)


 待てよ、とロックオンは視線で追いかけた。オレンジのボールは軽快にぽんぽん弾みながら、ロックオン、ロックオン、と歌うように言っている。

 足が動かないまま視線だけでハロを追うロックオンの目の前で、ハロは現れた男の手の中に飛び込んだ。

 男は、ハロに向かって聞き慣れた柔らかい声音で話しかけている。

「初めまして、私の眠り姫の名前を呼んでいるので、ついつい拾い上げてしまったよ。君は?」
「ハロ!」

 元気よくオレンジの球体が答える。嘘だ、とロックオンは叫びたかった。ここまで来たら完全に夢だ。ハロを拾い上げて楽しそうに話している金髪の男。その翠の瞳がロックオンを映してにっこりと微笑む。

「これは、君のロボットかね、少年?」
「ーーーーー!!」

 言われて、自分が十四歳であることを改めて意識した。どうしよう、ハロのことを話したら、ソレスタルビーイングの事も知られてしまうのか。

 ガンダムマイスターであることも。

 どうしよう、どうしよう。

 動揺の余り咄嗟に巧い言い逃れが思い浮かばないニールの前で、グラハムはふむ、と言ってニールからハロに視線を戻す。

「私はユニオン軍のグラハム・エーカー、ご覧の通り軍人だ」
「シッテル! シッテル!」

 グラハムの名乗りに、何故かハロが答えている。グラハムは大仰に驚いて見せる。

「なんと! 嬉しいものだな、もしかして、私の姫が教えたのかね?」
「シュヒギム! シュヒギム!」

 あはは、とグラハムは笑い出した。あどけない、子供のような笑顔。

「君はなかなか利口なAIのようだ」
「オリコウサン! ハロ、オリコウサン! ロックオン! ロックオン!!」

 調子のいいロボットと楽しげに話す金髪の男にあり得ない未来を見て、ニールはごくりと唾を飲み込んでいた。

 思わずそちらの方に向けて足を踏み出しかけたニールの耳に、懐かしい声が届く。

「ニール」

 はっと背後を振り返る。そこに居たのは両親と妹だった。すっかり外出の支度を調えて、今にも玄関のドアから出て行きそうだ。

 焦ってもう一度振り向くと、こちらには暗闇の、……いや、よく目をこらすと星々の散る宇宙の中で、ハロを抱いて笑っている金髪の男。

 男の向こうには、宇宙に浮かぶプトレマイオス。併走する平和の象徴、シャムロックのグリーンカラーのデュナメス。あの中には、ガンダムを通じて出会った仲間が居る。


……”QUIS SEPARABIT ?"


 それは天啓のようだった。選べない、とニールは思った。そうして、どちらも選べないことに愕然とした。

 少し前のニールなら、迷うことなど一秒だって無かったはずだ。両親へ続く道を一散に走っていただろう。失われた時間が戻らないものだと脳内で理解していても。

 背後から、もう一度両親が自分を呼ぶ声がした。

「ニール?」

 戸惑い、逡巡して。やがて少年は静かに話し始めた。疲れ切った大人の孤独を漂わせながら。

「……行かないで欲しいよ」

 静かに少年が紡いだ言葉は、もう子供のものではなかった。

「行かないで欲しい、死なせたくないよ。だけど俺、……俺は、……」

 ニールの瞳が、故郷の海のようなターコイズの色を湛えて潤む。混乱していた。足が動かないという事実に。

「選べない、選べないんだ……」

 空恐ろしくも、ニールには確信があった。

 両親と妹は、選べない自分を赦してくれるだろう。プトレマイオスのクルー達は、あの日に帰りたいと思うニールを許容してくれるはずだ。

 しかし。

 ニールは、赦しではなく自分自身の変化こそが恐ろしくて仕方が無かった。居場所など、得ていい筈がないのだ。

「なあ、誰か俺を咎めてくれ、断罪してくれよ!!」

 蹲って涙を流すニールの側に、いつの間に近付いたのか金髪碧眼の男が間近まで迫って、ロックオン、と名前を呼んで顔を上向かせる。男に向かって、ニールは迸るように言っていた。

「俺を罰してくれ」
「いいや、私はただ、君を……その戸惑いごと、受け入れよう」

 言葉と共に抱き寄せられて、ニールは初めて自分が大人になってしまって居ることに気付いた。ああ、と息を吐き出して男の背中を掴むように抱き締め返す。

「えらべ、ない」
「うん」
「例え両方失う結果になっちまっても、俺はっ……!!」

 わあわあと子供のように泣くことは誇りが許さなかった。肩口から顔を上げないまま震えて嗚咽を噛み殺すニールの耳に、相変わらず高潔だな、君は、と苦笑する男の声が忍び込んでくる。

「君がどの道を選んだとしても、私は君をその迷いごと愛している」
「ばぁか、出会いもしないかもしれないんだぜ」

 彼と自分の螺旋階段は、二重螺旋だ。交わることだけは絶対にない。

 あちらに行ければ、俺は多分普通のおっさんになって、週末はパブでスタウトを飲みながら贔屓のサッカーチームのゲームの行く末の賭をして、子供の愚痴でも言うのだろう、とニールは呟く。……その未来に、グラハムの姿はない。

 そのことが、こんなに怖いだなんて、嘘だ、とニールは叫びたかった。だって、あんたは俺の敵なのに。

「きっと腹だってビア樽みたいになってるかもしれねえし」
「そんな君だって十分に愛しいさ」

 簡単に請け負う声に苛立ちが募る。

「あんたのこと、知りもしないのに」

 グラハムが顔を上げる気配がした。君の未来に私が居なくても、私はいいんだ、とグラハムは言う。

「それでも、もしも私と君の道が一瞬でも交錯するのならば、私は君に言うだろう、ハロー、今日はいい日だ、と」
「……っ」

 だから、と穏やかな声が再び立ち上がることをニールに促す。

「怖がらないで、前に進もう、ニール・ディランディ」
「……俺の名前は。ロックオン・ストラトスだ、間違えんな」

 ぐいと革手袋ごしの手で涙を拭う。例えニールがどんなに道に迷おうと、無理矢理にでも腕を掴んで螺旋階段に引き戻す金髪の男が小憎たらしくて愛おしかった。

「では、ロックオン・ストラトス、用意はいいかね」
「ああ、畜生、よくねえつっても先に行くんだろうが、あんたって男はよ……」

 歩き出す前に、ニールは一瞬だけ振り返り、青い目を細めてさようなら、と呟いた。

「俺は行くぜ、……未来を変えるために」

 そう、愛するものに、せめて心から愛していると返せるような、ささやかな未来を求めて。……例えそこには既に己の姿はなかろうとも。





 






>>>END.



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これでラスト。夢の彼方、6の話のニール編。
タイトルは聞くまでもありません……グラハムさんのお歌です。
大好きなんですよねこの歌。
QUIS SEPARABIT?=誰が私たちを別れさせることができる?
哀しい過去から派生した筈の未来に、少しでも光が射せば。
世界に向かって引き金を引いた射手、その魂に安らぎを。

 

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