シャーロットの贈り物

++++++++++




06:こぼれ落ちてゆく時間



 映像オフの通信が立ち上がり、ねむたげな声が聴覚をくすぐった。

『ん、だよ、んな、あさっぱら、から』

 やや舌足らずなその声に、ベッドの中で一緒に朝を迎えたときのいつまでもぐずぐずと布団から離れようとしない様子を思い浮かべてしまった男は、ついつい笑いながらおはよう、私の眠り姫、と言ってしまっていた。

 途端に、音声だけでも分かるくらい通信機の向こうの男がむっとしたことが分かる。

『用がないならきるぞ? こちとら、ねたとこ、なんでね……』

 癪だと舌打ちしてくる音の一つも楽しくて、シャツを羽織っただけのグラハムはインスタントのコーヒー粉末を落とし込んだマグカップに沸かしたての湯を注いで掻き混ぜながら、それは申し訳なかったと言う。

「しかし、私が例え機械越しでもいいから君の声を聞きたいと思った、その瞬間に。幸運にも多忙な君に通信が繋がると言うのは正に……」

 あーあーあー、と抗議の声が流暢なグラハムの言葉を遮る。

『そーゆーのは、はんぶんに切れ。朝から胃もたれしちまうだろ……』

 徐々に目覚めてきたらしいニールの声が低気圧気味になっていくのすら愛おしいと思いながら、グラハムは小さく笑って端末に口唇を寄せて口付けの音を立てる。

「それでは、今日も健やかな一日を。愛しいニール」

 それだけ言うと、通信機の向こうで完全に目が覚めたらしい男が喚き始める前にさっさとこちらから通信を切ってしまう。

 トースターに突っ込んだパンがポップアップしてくるのはもう暫く後のことだろう。ニールが居るときは朝食をたっぷり摂る彼に合わせているが、一人の時はトーストとコーヒーに、せいぜいベーコンでも焼けば豪華な方だ。

 今日はもう、恋人の声だけでも十分なくらいだが。

 昨夜、とても珍しいことに夢を見た。たまさかに訪れるグラハムの夢はいつでも総天然色で、大体において空が出てくる。

 一人きりで空を飛んでいることが多い。とても爽快感はあるのだが、昨夜の夢は違っていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 鳶色の髪の毛の男が、抜けるような青い空に居る。

(グラハム)

 行こうぜ、と誘う楽しそうな、嬉しさをかみ殺し切れていない声がありありと脳裏に浮かんで、グラハムは忍び笑いを漏らした。

 革手袋をした右手が伸ばされて、グラハムの左手を取る。大丈夫、俺が居るからとグラハムより年下の癖に直ぐ兄貴風を吹かせたがる声が言い、飛ぼう、と誘われた。

「ちっとばかり育ちすぎたピーター・パンだけどな」
「なんと、ではネバーランドへ行くのか」

 その名前から想起される記憶を辿ってグラハムが言うと、ニールはぱちりと青い瞳を瞬かせる。

「……そうだなあ」

 ニールは暫く考えて、グラハムの顔を覗き込んで尋ねてきた。

「あんたは、どうしたい?」
「私……かね」

 虚を突かれた。ニールは大抵譲れないものが決まってしまっていて、自分の居場所には決してグラハムを触れさせない。

 それはもう、言動の端々で推察されるお互いの立場を考えれば仕方がないものと諦観して受け入れているつもりだったのだが。

 夢が深層意識だというのなら、もしかして自分は彼とネバーランドへ旅立ちたいのだろうか。

「参った、本来の私はこんなに我が儘だということか……」

 口の中だけで呟き、どうせ夢なら、とグラハムは顔を上げて、ニールの両腕をしっかりと捕まえた。

「連れて行ってくれ、君の空へ。……ネバーランドへ!」

 オーケイ、と人好きのする顔が陽気に微笑んで、ぱあっと背後で太陽が明るさを増して。ーーーーーグラハムは覚醒した。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 そこそこの水準の味のコーヒーを飲みながら、グラハムは知らず独りごちていた。

「ネバーランド、か」

 そのおとぎ話も、ニールに聞かせて貰ったものだ。ニールは外見に似合わないなかなかの読書家で、古今東西色々な物語に精通していた。

 知り合った最初、グラハムが余りにその手の物語に暗いことに驚いていた彼は、それがグラハムの孤独な生い立ちに起因するのだと知って直ぐ、就寝前になんだかんだと話をしてくれるようになった。

 今更ナニーなんぞ必要としていないと言い切ってしまうには、目を輝かせて旧知の物語を語る男は微笑まし過ぎて、グラハムはじっと大人しく聞き役を務めるのが常であった。

 時々続きを忘れるのか、しばし考え込んでは話し始める所が好もしく、例えその内容が少々破綻していたとしても指摘したりはしなかった。

 グラハムが知りたいのは話の筋でも、正しい結末でもない。

 ただ、自分のためだけに語られるニールのおとぎ話だった。

 まあ、この間部下のハワードの前で、たまたま同僚が玉の輿に乗った事から出たシンデレラの話で、カブラの馬車がと言ったらカボチャですと即訂正されたが。

 私の姫はカブラの馬車に乗って舞踏会に来るのだ何が悪いと自信満々に言い放ったら、隣に居た別の部下に大尉の姫はガンダムに乗ってるとばかり思いましたと言われて二重の意味で轟沈した。あれは頂けなかった。

 ふと、グラハムの口元が吐息を零すように動く。

「ネバーランド(あるはずのない島)、……か。皮肉なものだな」

 ニールは今頃、グラハムの与り知らないネバーランドで、邯鄲の夢を見ているのか、それとも彼とのこと自体が既に夢なのか。

 トーストが焼き上がった音に意識を戻し、グラハムは皿を手に立ち上がった。

 その時。

 置いてあった携帯端末が再び鳴り響く。サウンドオンリーの表示は出ているが、発信者名を見てグラハムは息を呑んだ。

 やや震えそうになる手で、そっと通話ボタンを押す。

「……もしもし?」

 途端、不機嫌そうな声が回線の向こうから耳を刺した。

『おい』
「……なんだね?」
『言いたいことだけ言ってさっさと切るな』

 ふてくされたような声だが、これは多分拗ねているだけだ。後ろで微かに水音がしているのは、シャワーを温めてでもいるのだろうか。

「失礼した、長々と私の我が儘に付き合って貰うのも申し訳なくてね」
『あー……、あのな、グラハム、そういうのは我が儘、っつーか』

 通信機の向こうが言い淀む。グラハムは首を傾げた。束縛は行き過ぎると我の押しつけになる。ささやかならばスパイスとして有効な麻薬のようなそれを弄びすぎるのは良くないと過去の経験則から、グラハムは知っていた。

 最も、グラハムはどちらかというと架けられそうになる枷から逃げ出す方ではあったが。

 沈黙に礼儀正しく口を閉じたまま返していると、通信機の向こうがはあ、と大仰な息をついた。

『……じゃあ、シャワー浴びるから俺はもう切るぜ』
「ああ」

 耳に心地よい声を少しでも聞き逃すまいと堪能していると、急に向こう側の空気が泡だって、温度が上がった。

『ったく、……ああもう、愛してる、グラハム』
「!?」

 掠れる声で早口に言うと、今度こそグラハムが何か言う前に通信は切れた。きっと追いかけても電源ごと落とされているだろう。

 しばし呆然として、グラハムはつい口元に手を当てて笑い出した。

「……ああ、愛している、愛しているとも」

 こぼれ落ちる時間は止められなくても、たとえどんなに距離があろうとも、決して未来永劫共にあることを誓えなくとも。

 今、自分たちは互いが互いの支えだった。……それ以上何を望むというのか。

 放心していた間に冷めたトーストに苦労してピーナッツバターを塗りながら、グラハムは鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で冷め切ったコーヒーを飲んだのだった。
 




 






>>>END.



++++++++++


 

 

夢の行方。グラハム編。ニール編もあります。ていうかそれで更新ラスト。9の話です。
タイトルは絵本でも、Charaの歌でも。どちらも意識しているようなしていないような。歌の方はニールっぽいですが。
ネバーランドもユートピアも存在しないからこそ美しく人心を捕らえるのだと知ってしまっているグラハムの話。

 

+++ back +++