|
**********
「アムロ、無事か?!」
飛び込んできた赤い服の男は、家の玄関の奧までその勢いで走り込もうとして、強い抵抗にあって勢い失速した。
「―――おかえりなさい」
胸の中に飛び込んできた赤味がかった鳶色の癖毛を備えた迎撃用ミサイルが有ったとしたら、仕方のないことだが。
ここへ来る前に不運なギュネイを脅して車のキーのついでに巻き上げてきた腰のホルスターに入った銃に伸びかけた腕がストップして、その後すぐに胸の中に飛び込んできた青年の背中に回る。
「アムロ…無事だったか!」
まぁ、カミーユのやることだから頭の中の何処かでは冗談だろうと思っていないわけではなかったが、それにしても。
「悪ふざけが過ぎるぞ、君達は。寿命を縮めるのは止めてくれたまえよ」
「うん、ごめん」
「主犯は?どこに逃げた?」
「もうとっくに逃亡した。―――まさか追わないでしょう?」
ここで俺と居るのに、と煌めく琥珀の瞳で見上げて言われては、反論できよう筈もない。
「追う?…勝手に逃がしておくさ」
君が無事ならば、この一時を無駄にする莫迦がどこにいる?と戯けて言いながらこつんと額をぶつけてやると、アムロは心底嬉しそうに微笑んで首筋に腕を回して縋り付いてきた。
この笑顔を見られただけで、少々行き過ぎの部下の悪戯もまぁ、許してやらないでもないと思えてしまうのだから仕方がない。
「逢いたかった、今日だけは」
「私もだ…側にいたかった」
お互いから常には聞けないほどの素直な言葉が飛び出して、口唇の間で混ざり合う。
「この場所に」
「うん?」
忙しない口付けの合間に囁かれる言葉の先を促すと、アムロは泣いているような笑顔を浮かべ、ぎゅっと強くシャアの腕を掴んだ。
「多分、俺今人生やり直して良いって神様に言われたら、どんなに馬鹿なことをしてるって思っても、やっぱりもう一度ここにいると思う」
―――どんなに悲劇を積み重ねても、振り返るのも辛い過去ばかりでも、それでも。
「それでも、あなたに出会えない人生よりはこうやって、二人この場所に居ることを選んでしまうと思うんだ―――…」
あなたを待っている自分を選んでしまうと思うんだよ。
馬鹿なことを言っている。さっきカミーユと少し飲んだシャンパンとワインが良くなかったのかもしれない。酔っぱらっているのかも。
言ってしまってから段々そんな風にも思えてきて表情を曇らせるアムロの顔をシャアは暫く呆けたようにただじっと見つめていたが、やがて。
「…君から」
「え?」
今度はアムロがなんだろうという様に顔を上げた。その、年を経ても削げずに丸味を残す輪郭に愛おしそうに指を這わせながら、シャアが紺碧の瞳を細めて微笑む。
「君からまさか、そんな熱烈な告白が聞ける日が来ようとは」
「…や、別に告白って訳じゃ」
まともに蒼い双眸で見つめられてすっかり気恥ずかしく居たたまれなくなったアムロが、焦ったようにシャアの腕の籠から抜けようと身体を揺する。
「ええと、夕食は食べたのか?俺、デザートはまだだから、良かったら一緒に…」
「アムロ」
シャアは微笑んで首を振り、それから初めて開け放たれたままのドアに気付いてアムロを一旦解き放つと扉を閉めて鍵を下ろし、そわそわと手持ち無沙汰に立ちつくすアムロの側に再び歩み寄って、耳元に言葉を落とす。
「それよりも、ここまで来たのにまさかこのまま私を帰す気じゃ、ないだろうな?」
金髪の男の低くて甘い響きの声に腰の辺りを直撃され、アムロが条件反射同然にふらりとシャアの腕の中に頽れる。
「シャア、会議」
「一度脱走したのだ、後は半時間居なくなるのも二時間居なくなるのも同じだろう」
微笑みながら紅く染まった眦の辺りに口付ける男に、アムロが黙って手にしていたカルテを差し出す。
「なんだ?」
「カミーユから」
「カミーユ?」
不審そうに呟いてその書類に目を通したシャアの顔が、ゆっくりと華開くように綻んでいく。
ああ、俺本当に面食いって言うか、好きだよなこの顔、と思っていたら視線が自分に戻ってきたので、どきりと心臓が跳ねた。
この、大輪の花の容と視線を独り占めしているのだから、全くバチの一つや二つ当たろうというもの―――…
思っていたら長い指が伸びてきて、つんと頬をつつかれた。
「医師の見立てでは君も観念するしかないな。知っての通り、ドクター・ビダンは若年ながらネオ・ジオンでも有数の医師だと私は常々思っていたよ」
「調子のいいこと言うなよ、さっきまでどうやって仕返ししてやろうかとか考えてた癖に」
「なんだ、ばれていたのか」
くすくす笑いながら、シャアはアムロの腰に慣れた手付きで腕を回す。アムロは逆らわずにその胸に頭をもたせかけた―――そう、もうずっと昔からこうしているように。
小さく忍び笑いを洩らしながら、シャアが耳元で囁いてくる。
「デザートはメインディッシュの後にしか頂かない主義なんだ。悪いな」
「……あなたのそういう言い方、オジサンぽくて嫌い」
「じゃあ、どう請えばいいのかね?」
「言葉なんか要るのかよ、あなたも俺もニュータイプだろ」
意地悪く切り替えしてするりと腕抜けをし、じっと琥珀色の瞳を情欲で濡らして男を見上げる。シャアは黙って口角の端を上げ、青年の先に立って寝室に歩き始めた。―――後から躊躇いがちに着いてくる足音を当然のものとして。
◇◆◇◆◇
シャアから感じ取る海のように深い思念は、ただ頭だけで感じ取るには勿体ないといつもアムロは思う。くすくす笑う漣のようにアムロの足下に押し寄せたかと思うと、次の瞬間には荒ぶる大波となって、全てを攫おうと押し寄せてくる。身を任せて、全身で受け止めて、魂さえ震えるようなあの快楽の波に押し流される途方もない愉悦の瞬間。
息もつけなくなるほど苦しいのに、こんなに求められて幸せだ、と確かに感じている。もう、感情が肉体ごと全部ごちゃごちゃになって一緒に閃光弾ける遙か彼方に引きずられて行って、自分の中にシャアの存在を感じて文字通り感極まって泣いてしまって、失敗したなぁと男の腕に包まれながら今の自分にしか言えない愚痴を零す。
「何が」
「こんなの、知っちゃったらもう戻れない」
途端ふわりとまた押し寄せる感情の緩やかな温かさは相手が喜んだ事を示していて、色付いた波にまた、面映ゆくなって赤くなった顔を隠そうと腕の中に潜り込もうとして、ようやっとアムロは介入してくる不協和音に気付いた。
「…あ、シャア」
揺り起こされ、ここの所の疲労に蝕まれて流石に事の後に軽い眠りの淵に陥りかけていた男が、ただでさえ重そうに見えるたっぷりした黄金の睫毛を押し上げた。
「なんだね、…アムロ」
「携帯鳴ってる」
「……ああ、そりゃ鳴るだろうな」
苦笑して、先程までは完全無視を決め込んでいた(というよりは鳴っても気付かなかっただろうが)着信音は消えたまま振動を忙しなく繰り返す小さな電話機を拾い上げる。一番に邪険に毛足の長い絨毯の上に落とし込まれたその無粋な機械は、シャアの優美な掌の上で健気に震え続ける。
ちらりとアムロに視線と、ついでに軽いキスも一つ落としながら、シャアは通話開始のボタンを押した。
「私だが」
途端に、隣に寄り添うアムロにも聞こえるほどの苛立った声が受話器から響いてくる。余りの剣幕にシャアは軽く眉を顰めて携帯を耳から離したほどだ。
『総帥、一体何処までいらっしゃっているんですか、会議は途中で止まっていますし、連邦の方々もずっとお待ちで…』
おまけに護衛のギュネイを脅して逃亡したのだから、そりゃ大騒ぎだろうな、とシャアは思ったがアムロが気にするといけないので敢えて言わなかった。
「ああ…」
さてどう言い抜けるかな、とシャアがまだ少し眠気の靄のかかる灰色の脳細胞を活性化させようとしたとき、横合いから伸びてきた手がさっとその携帯電話を取り上げてしまった。
「アムロ?」
何事かと問いかける視線を制し、アムロはゆったりとシャアの腕に頭を預けたままの姿勢で仕事向きの声でしゃべり出す。
「もしもし?俺だけど。……ああ、ごめん、総帥は今ネオ・ジオン存亡の危機と対峙してるから。そっちには帰せないよ。……大丈夫だって、君達有能なシャア・アズナブルのブレーン集団でしょう。なんとかしなさい、なんともならなかったら電話頂戴。じゃ」
さっぱり言い捨てて電話を切るアムロに、シャアが青い目を大きく見開く。その後で、伺うような声を絞り出した。
「…ネオ・ジオンが存亡の危機だとはついぞ知らなかったが」
勘の鈍い男を責めるように、アムロがもう一度その胸に頭をもたせかけて、上目遣いに蒼い瞳をじっと覗き込む。
「カミーユの処方箋見たでしょ。投薬ないと俺が死んじゃう」
「…それは」
「で、俺が死んだらあなた後追うでしょ。ほーら、ネオ・ジオン存亡の危機」
「……違いない」
戯けたように言い切って、琥珀色の瞳にどこか愉快そうな光を揺らめかせる青年に苦笑してシャアが腕を伸ばし、アムロの赤味がかった鳶色の癖毛を掻き上げながら囁いた。散々喘がされた所為で少し掠れたアムロの声が堪らなく色っぽいと思いながら。
「由々しき緊急事態に陥る所だったな」
「でも、ナナイの制裁とブライトの小言はあなたが引き受けてね?責任者って責任取るために居るんだから」
「分かった、分かった」
そういう問題ではないのかもしれないが、担ぎかけた天秤の片棒を完全に担ぎ去ってしまうつもりだと見抜いたシャアが共犯者の口唇に了承の口付けを落として答える。その後で、ふと何かを思いだしたようにアムロの顔を覗き込んだ。なに?と視線で問いかけてくる青年に口角を上げただけの笑みで応える。
「カミーユの処方箋を出したら首だろうか」
「解雇になった総帥って話はまだ聞いたことがないけどねぇ」
どうだろうねぇ、首かも。ていうか、どうせなら巻き込んでやろうと思ってるんでしょう、ひっどいなあと笑い出すアムロの身体に腕を回して体勢を入れ替えながら、シャアがにっこりと微笑む。
「失業者になってもついて来てくれるかい?」
「まぁ、持病の薬がないと俺も生きていけないからね」
微笑みを返して首を伸ばして薄い整った口唇の端に誘うようなキスを贈って、アムロはその晩思う存分恋人からの愛情の欠乏していた身体を埋め合わせて貰う事に成功したのだった。
勿論、この出来事の後に稀代のネオ・ジオン総帥が解雇になった等という記録は何処にも存在しないままである。
**********
+++END
|