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(HAPPY BIRTHDAY Kamille BIDAN.)
殺風景な部屋で、大した嵩もない最後の荷物を詰めたトランクの蓋を体重をかけて閉める。
よいしょ、というかけ声もどこかわざとらしいのは、抱えている感情が半端なものだから、なのだろうか。
黙ったまま、少年は長らくを意識のないまま過ごした部屋を見つめた。
いや、この部屋で居た時間が長い訳ではない。むしろ、彼が長い時間を過ごしたのは、「あちら側」の世界でのことであって。
「……」
唇から、なにかを紡ぎだそうとして、止める。
この部屋は、彼が意識を彼岸に旅立たせている間に、彼の意識のない体が点々とした場所の終着点に過ぎない。
そして広大な精神の海から帰ってきた少年の全ては、これから始まるのだ。
自分は一度、寄る辺ない自我の小舟であの宇宙の荒波に漕ぎ出て、他人の意識の荒れ狂う刻の波間で座礁し、難破した。
彷徨い続けて現世の岸辺に辿り着いて、初めてそこで、自分が一人ではなかったことを知った。
(呼んでいる声がする)
初めて目を開けた、明るい視界の中には、目に涙を一杯に浮かべる黒髪の少女が居た。
一瞬、誰だったのか思い出せなくて、不審な顔をしたのを彼女は目覚めてすぐの自分が惚けているのだと取ったようだった。
『カミーユ、カミーユ!!』
(思い出した、僕の名前)
ああ、と思った。そうだった、自分はカミーユ・ビダンという名前の存在だった。それならば、彼女はファ・ユイリィの筈だ。ぽたぽたと落ちた涙が顔に降りかかったので、瞬きして拭ってやろうとしたら、手がぴくりとも動かなくて焦る。
『ファ』
名前を呼んで、戸惑ったように瞳だけを動かして訴えると、少女は自分なりになにか解釈したらしく、ずっと寝ていたもの、動かなくて当然だから、気にしないでと泣き笑いの表情を見せた。
それから、彼女の献身的とさえいえる看護(恐縮したが、ずっとやって来たことだから今更、と返されて益々どうしていいか分からなくなった)と果てしなく続くかと思われたリハビリを経て、カミーユは再び自分の足で立てるようになった。
カミーユを目覚めさせたのはしかしながら彼女ではなく、ファは私は人魚姫の意地悪なお姫様じゃないから、正直なことを言うわと苦笑しながら、もう一人のニュータイプの名前をカミーユに教えてくれた。
どこか輝石のように硬質な印象のある名前をカミーユは胸の中で転がし、やがてもう一度取り出す日のために奥底に大事にしまい込んだ。
その拍子にころころ、と転がり出てきそうになった幾つかの宝石には、まだ直視するのが怖いからと手を合わせて蓋を閉める。
(いつかまた、手にとってじっと眺めて、懐かしんだり、愛おしんだりする日が、来るに違いないから)
どこまでも黒く、闇のように果てしないあの場所で、カミーユはただ、光を求めて流離っていた。
それでも、もう、間違えない。光は探すものではなく、自分の内側にこそ、見つかるべきものだったのだから。
知らず、カミーユの口元に微笑みが浮かぶ。
コンコン、と部屋のドアがノックされ、黒髪の少女がひょこっと顔を出した。
「カミーユ?支度できた?」
「ああ、今行くよ。―――行こう」
どこに、とは彼女も問わなかったし、カミーユも自分がまだどちらに向かって歩き出そうとしているのか非常に心許なかったけれど。
(だけど、もうお休みは終わったから、歩き出すんだ)
最後にもう一度小さな部屋をぐるりと見回し、カミーユはくっと口元を引き結んで、小さなトランクを手に、振り返ることもなくその部屋を後にした。
(またぐるりと一周して、戻ってくるだけなのかもしれないけど、だけど歩き出すんだ)
荷物、半分持とうか?と聞いてくるファを苦笑で制して、それじゃあ手を繋いで行こうか、と差し出した手がそっと握り返されたので、なんだかそれでやっと生き返った気持ちになって、カミーユは安堵してその温かみに意識を預けたのだった。
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+++END
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