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【涙の川満ち足りない声-EL DORADO:11-】
ガラガラと、岩の崩れ落ちる音がした。
「っ!」
カミーユは危うく滑らせる所だった右手で慌てて岩壁を掴み直し、もう片手でバランスを取りながら身体を上に引っ張り上げる。
「よい、…しょっと!」
こういうのは本当は向いていないんだけどな、と苦笑しながら革の手袋で改めて少しずつロッククライミングを続けていく。少しでも集中力を途切れさせるのは自殺行為だ。
「待っていてください、クワトロ師匠」
その言葉だけを呪文のように呟き、カミーユは危険な岩場をものともせずによじ登って行く。思考は、自然と内向きに沈んでいく様でもあった。
「カミーユ、まだ脇が甘いな。…そうだ、随分上達したじゃないか」
言いながら笑う赤い軍装の男は、汗一つかいていない。対するカミーユは汗だくで、剣を杖代わりに立っているのがやっとだった。
「し、…師匠は化け物ですか?」
「人聞きが悪いな。修行の成果だと言って貰おう。君だってすぐにこの位では息も上がらなくなる」
ぽんぽんと愛剣の剣柄で肩を叩いているクワトロは、その剣を鞘に収めて地面に刺してあった長大な大剣を抜き放った。
黄金色に輝く刀身に目を奪われ、カミーユが言葉を失い、その後でさっと顔面から血を引かせる。
―――今、この人このクソ馬鹿でかい剣を「ひょい」とか持ち上げなかったか、「ひょい」って!
そんなカミーユの思考を知ってか知らずか、クワトロはにこりと笑ってもう一度だな、と少年を促した。
「今度はハンデをあげよう。私は【サザビー】じゃなくこの【百式】で相手をするから、かかって来たまえ」
陽光に燦然と煌めく黄金の剣に、んなっ、とカミーユが抗議の声を上げた。
「そんな大きい剣、間合いが違い過ぎます、全然ハンデになってませんよ!」
「何を言うか。この剣は普通の剣よりも三倍近く重くて長く出来ている。扱いにくい拵えだし、何より『叩き潰す』為の両刃だから、殆ど斬れないよ。安心したまえ」
さらりと言い放つクワトロに、そうじゃないでしょう、とカミーユが声を上げる。
「いや、僕、脳味噌撒き散らして死ぬのは避けたいです、できれば」
「私がそんなへまをすると思っているのかね?さぁ抜いて、立ち会いたまえ」
「ううっ……横暴だ」
ぼやきながらカミーユはそれでももう一度剣を構えてクワトロに対峙する。
何処からでもかかって来い、と言わんばかりの隙だらけに見える構えなのに、打ち込める隙は全く無い。
ジリジリと焦れながら先程から何度も打ち込む機会を伺っているのだが、尽く打ち返されてしまう。
なんとか一矢でも報いてやりたいと真剣な眼差しで周囲を巡るカミーユに、勘がいいし、何よりも筋が良くて素直だ、とクワトロは内心惜しみない賞賛を贈っていた。
―――この分では、遠くない内に自分をも抜く剣士に成長するのではないか。
そんなクワトロの予感は、戦況が激しくなって来るに従って皮肉にもどんどん現実のものになっていった。
戦火の中で巡り逢った恋を失い、悲嘆に暮れるカミーユを慰め支えたのもまた、師であり仲間でもあるクワトロであった。
「カミーユ、いつまでも嘆かないで…そうだな、この戦が終わった後のことを一緒に考えてみないか」
「終わった後…ですか」
そうだと頷きながらも、自分で言いだした癖にクワトロはしかし私は大して面白いこともなさそうだと顔を顰める。
「生憎と、私は剣の他に喰う道を知らんからな。そうだな…この戦役が終われば、私はまた用なしの存在になるのだろう」
「用なしだなんて、言わないで下さいよ。この世界の何処かに、きっと僕達みたいな力を待っている人が居るはずです」
ムキになってカミーユが言い立てると、クワトロは若いというのはいい、と微笑んだ。
そして、良いことを思いついたぞ、とカミーユの肩を叩く。
「では、この戦役が終われば、旅にでも出てみるか」
「本当ですか!」
弾かれたように顔を上げる少年に、クワトロは珍しく蒼い双眸を晒したまま、本当だともと微笑んでみせた。
「ああ、カミーユはまだ、竜は見たことがないのだろう?荒野を歩けばバンシーが啼き、森に分け入れば狐狸の精がこちらを化かそうと虎視眈々と狙っている」
クワトロの言葉に、出身が比較的人里であり、里山の向こうの世界になど未だ出かけたことのないカミーユが大きな目を丸く見開いて輝かせる。
「御伽話じゃないんですよね?」
「おや、カミーユは私が竜と戦ったことが在る話はまだ、知らなかったか?」
「いや、噂だけは…師匠が【ドラゴンスレイヤー】だっていう噂は聞きましたけれど」
「その噂は大袈裟だな。私は竜を退治などしたことがない。あれは……」
そこで言葉を切り、ふと片手で額の傷に触れる。―――口唇から漏れる言葉に、何処か寂しげな響きが宿った。
「―――あれは、人が侵していい、存在ではないのだよ」
その会話を交わした暫く後で、クワトロは前国王の息子という身分が判明して国元に緊急に呼び戻され、それきりカミーユはクワトロと出会う事はなかった。―――約束も、果たされることなく。
―――そうして、その不可侵の筈の存在と、カミーユは今事を構えようとしている。
皮肉なものだ、とカミーユは小さく笑った。今ではカミーユも、この世界に人の力が及ばないことが沢山在ることも知っている。
グリプス戦役の最後、カミーユは人としての意識を失いながらも、今まで巡り会ってきた沢山の人々の助けによって、生き残ることが出来たのだから。
「脆弱で何ものにも立ち向かえない人の力だけど、それでも奇跡を起こすのもまた、人間の力なんだ」
自らが戦乱の中で得た宝石のような真実の言葉を呟きながら、少年は歯を食いしばってまた一つ、大きな岩を登り切った。
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【炎と永遠-EL DORADO:12-】
「ふ…ぅん」
アムロが甘い声と共に鼻を鳴らす。技巧も何もない口付けにでも酩酊している様は青年と思われないほど扇情的にも見える。
僅かに開いた口内にするりと舌が忍び込んできて、誘うように揺れる。くち、と小さな水音がして、噛み付こうとする白い歯を窘めるようにシャアの方が口付けを解いた。
「や…だ」
「大丈夫だ、逃げない、と言ったからには逃げはしない」
追いすがろうとしてくる身体を宥めるように背中を撫で、シャアがそろりと上体を起こしながらアムロの耳元に口付ける。
癖のある赤味がかった頭髪に隠れている耳の先が少しだけ尖っていることにその時始めて気がついた。
気持ちは、定まった。今更往生際の悪い真似はするまい。後はどういう風にアムロを扱うかだけなのだが。
「床の上で、というのも味気ないだろう。折角君が整えてくれたベッドに場所を移さないか」
「場所なんかどうでもいいけど」
ムッとしたような表情で胸の中から見上げてくるアムロの額に一つキスを落として、シャアは有無を言わせずアムロのまだ華奢な身体を抱き上げた。
流石に、アムロの身体が一瞬びくりと強張る。ぎゅっと首筋に抱きついてくるのを可愛らしいとも思いながら、シャアはゆっくりと部屋の片隅に整えられた寝台に向かって歩き始めた。殊更に緊張を煽らないように話を別の方向に逸らす。
「この部屋の調度は君が整えたと言っていたな?なかなか良い趣味をしている」
「趣味なんて…その辺の王様とかの部屋を適当に真似ただけだよ」
深い赤色で統一された室内は、寝具に至るまで上質の素材がふんだんに使われていた。贅を尽くした、と言っても良い設えに、シャアが成る程、と小さく呟く。
「昔住んでいた部屋に良く似ている」
「むかし、すんでいた、へや」
落ちつかなさげなアムロがそのままオウム返しに返してくるのをそうだよと苦笑気味に肯定しながら、私はこれでも昔王族だったと言っただろう、とシャアは続けた。
「妹が一人居て…外見は優雅な癖にお転婆で気の強い妹だったが」
「会いたいのか?」
腕の中から返ってくる声に、シャアは一瞬沈黙したが、ああ、そうだなと直ぐに続けた。
「長らく姿を見ていない。別れるときに、もう二度と会わないと誓ったのだが、せめて一目なりと会いたい気はするな」
「シャアが…」
小さな声でぼそぼそと続けるアムロに、そのどちらかというと小柄な身体を辿り着いたベッドの上に横たえながらシャアがうん?と先を促す。絹張りの布団に身体を沈めながら、アムロが低い声で呟いた。
「あなたが、この先も俺に従順で側にいるって誓うなら、俺が探して会わせてあげてもいい」
肉親にくらいなら、まぁ、というその台詞を精一杯の譲歩と取るべきなのか早くも独占欲が出始めているのを呆れるべきなのか咄嗟に判断を付け損ね、シャアは半端な微笑みを浮かべた。
そのまま上に覆い被さるように自分も続いて寝台の上に上がると、すっかり着崩してしまっているアムロの服の前の合わせに手を掛ける。
「俺は竜だし、あなたみたいな人間が使えない力も沢山持っているし、この姿のままでは無理だけど、元の姿に戻ったらその気になればこの世にある出来事の半分くらいは感じ取る事ができるし、だから……」
緊張が解けないのか、饒舌にべらべらと喋りまくるアムロの唇にそっと指を当てて、シャアが苦笑して首を振る。
「アムロ」
「な、なに」
シャアの行動に、アムロは動揺の滲んだ声を上げた。―――引きつるような表情が何とも言い難い。迫ったのはそちらだろうと笑いたくなる。
笑っても、いいのか。そう判断して、シャアは表情を崩した。恐らくは初めて目にするであろうシャアの柔らかい身内向けの微笑みに、アムロが一瞬呆けたように蒼い双眸を見返して、その後急に赤くなった。
「こういうときは、黙っているものだよ」
囁きながら、シャアはアムロの剥き出しになった肩に顔を近づけ、露わになった傷口に恭しく口付け、舐め上げた。
もうとっくに塞がって居るはずなのにその行為は甘い喪失の痛みの記憶を呼び覚まし、アムロが眉を顰める。
「…っ、」
唇を噛んで、彼女の名前を呼ぶのは止めた。
もしも彼女が来てしまったら、この人の歓心はそちらに行ってしまうかも知れない。
覚悟を決めてぎゅっと目を瞑ったアムロの身体から、一枚ずつ衣服が滑り落ちていく。何が何だか分からないうちにすっかり脱がされてしまって、元々人間の纏う衣服になど慣れていないはずなのに、心許ないような気分になって困った目でシャアを見上げる。
男の指と掌は、ゆるゆると何かを確かめるようにアムロの肌の上を這っている。今は表面に出していない鱗が総毛立つような、それでいてくすぐったいような気持ちで、アムロはできるだけ身体の力を抜いて、シャアの為すがままにしようと思った。
人間の行う房事の事は、知っている。閨の中で何が行われるかも。―――アムロは竜だ、この世で分からないことなどないのだから。
経験したことはないが、きっと多分上手に出来るだろう。シャアが相手なのだから。ララァの愛した―――…
「?」
その時、何かを確かめたようにシャアの手が止まり、アムロの思考もそこで中断した。
驚いたことに、シャアはそこで何かに満足したように頷くと完全に行為も止めてしまったらしく、ベッドの上掛けを捲り上げてアムロの身体を追い込むと自分も続いて滑り込んできて、お休みと言って横になってしまった。
一瞬呆然としたものの、アムロが慌てて身体を起こしておい、ちょっと、と隣の男を揺さぶり起こす。
「ちょ、シャア…続きは?」
「続き?」
「俺を抱かないのか?さっき、応じるって言ったじゃないか」
シャアが何を、と呆れた顔になる。
「アムロ、私は成人もしていない子供を抱く趣味はないよ」
その言葉に、ぎくりとアムロの表情が強張った。
「な、な…」
思わず言葉を失うアムロに向かって、シャアがびしゃりと言い放つ。
「私を甘く見てくれるな。成竜ならば抱けないこともないだろうが…」
そこまでで言葉を切り、ララァも君は子供だと言っていたなと付け加えた。
「君は、側にあって体温を分かち合って、安心させてくれる相手が居れば良いのだろう?」
ふぅと息を吐き、何処にも行かないからさっさと寝たまえと腕の中に囲い込まれ、アムロはじたばたと抵抗した。
「待って、待てよ!な、なんで俺が子供だなんて!」
「外見だけ変えても誤魔化されないよ。君が大人の竜ならば当然備えている特徴が君には一つもない。…皆まで言わせるかね?」
その言葉に、アムロははたと沈黙した。その後で、ふてくされたように言わなくて良いと続ける。
「でも、でもっ…!人間が抱くのに不都合は無かった筈だ!」
「では聞くが、私と寝るのが目的か?それとも、私と共に在ることが目的か?どちらが主で、私を攫ってきたのだ?」
その問いにアムロはまたぐぅと言葉に詰まったようであったが、でも、と反論を試みた。
「でも、さっき約束したじゃないか、応じるって!」
「確かに君の申し出には応じると言ったよ。君の側を何があっても離れないと約束しよう」
誓うよ、と微笑んでシャアはぐいと再びアムロを腕の中に抱き寄せた。
「子供扱いして!あなたよりは長く生きているんだぞ!」
「ならばもう少し我慢したまえ。私だって子供を抱く趣味はない」
ぴこんと鼻先を弾かれ、アムロが放心したようにシャアの腕の中で顔を伏せてへたり込んだ。
「もう少し…」
「なんだね?」
暫くして聞こえてきた台詞に、少し眠そうな口調でシャアが答える。本当にまだ子供のアムロ自身に興味を抱かなかったらしい。
それさえ悔しくて、アムロは言質を取るように確認の言葉を放った。
「もう少ししたら、じゃあ本当に俺のものになるんだね?」
「約束はしたからな」
「抱いてくれる?」
「君が大人に成ったのならば」
軽く言い放つシャアは、竜の『もう少し』のスパンを恐らくは短くても数十年のものだろうと見積もっていた。アムロにとっては一瞬のことだが、人間にとっては長い時間だ。その内に、自分も老いるだろう。―――アムロが興味を持たなくなるほどに。
しかし、遠くないうちにシャアはこの自分の目論見がひどく甘かったことを知る。
琥珀色の瞳が、爛々と輝いて獲物を見定めるようにシャアを見上げた。
「どうせ、もう少ししたら、大人になるもの」
―――そうしたらその時になって驚いても遅いんだからな。
低い声で呟いたアムロの声は、シャアの元までは届いていなかった様であった。シャアはただ、楽しみにしているよ、と答えて微笑んだだけだったから。
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+++To be Continued.
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