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'Merry Christmas! What right have you to be merry? What reason have you to be merry? You're poor enough.'
---Charles Dickens; "A CHRISTMAS CAROL"
あいつなんだな、と思った。
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街は、慌ただしい喧噪に包まれていた。街路樹すら色とりどりの小さな電飾で飾られ始め、街頭には様々な飾りの付いたツリーが美しさを競い合うように存在を主張していた。ショーウィンドウにはプレゼントに喜ばれそうなものがずらりと並び、誰かが大切な人のために、手に取っていくのを待っているばかりで。
そんな感想を抱きながら、変わらず、どこか宇宙よりは雑然としている地球の片隅の街で、アムロ・レイはクリスマスマーケットをヴァン・ショー片手に冷やかしていた。
アムロ自身にはクリスマスに取り立てて予定はなかった。昔馴染みの上官がホームパーティに誘ってくれていたが、久々に地球に降りて、家族水入らずで過ごして居るであろう不器用な父親を、同じく昔馴染みのその妻や子供達の手から取り上げられるのは躊躇われ、アムロは俺は恋人と、などといい加減なことを言ってその誘いを断った。
長く続いた金髪の恋人とは昨年別れてしまっていたので本当は当てはなかったが、そもそも自分は一人で過ごすクリスマスを長く重ねてきていた筈だったのだ。
それでも、艦長の心遣いで休暇を貰った身としては、何かせめてその家族に贈り物の一つでもしようと、ふと見つけたクリスマスマーケットを覗いてみる気になったのだった。
ワインの香りの中に僅かに混じる柑橘やスパイスの香りを楽しみながらちびちびと熱い飲み物をすすっていると、一軒の店で可愛らしい木造の玩具を見つけ、アムロはその店頭へと足を向けた。天使や、羊飼いなどが勢揃いする、掌ほどの人形が厩舎の中に納められたその玩具は、子供のものとは一瞬思えないほどの値段だったが、アムロは迷わずそれを注文して、店主と掛け合って配送の手配まで頼むことに成功した。
ミライ・ノアとチェーミンがあれを見たらきっと喜んでくれるだろう、と僅かに微笑みながら、相変わらずクリスマスの買い物でごった返す広場をもう二、三回行き来して、ブライトやハサウェイにもなんとか同じようにプレゼントの段取りを整えると、アムロはようやく一息ついて、遅めの昼食でも取りに行こうかと、人混みの中を抜け出そうとして。
すっと、剣呑に目を細めた。幾ら通行人が多く、油断があったとはいえ、この気配に気付かなかったとは、と臍を噛みながら、背中に押し当てられた固いもの(恐らくは、銃身)に意識を集中する。言うとおりに歩け、と言わんばかりにぐいと押され、周囲の人々を巻き込むのを危ぶんだアムロは、素直にその指示に従って歩き出した。
案内されてきたのは、町中の広場でのクリスマスマーケットの喧噪が嘘のような一本入った裏路地で、そこに停めてあった車の助手席から運転席に乗るように促され、アムロは挑発するように、背後の帽子を目深に被った誘拐犯を振り向く。
「俺が運転するのか? 撃たれるの覚悟で、連邦軍の基地に突っ込むかもしれないぜ?」
誘拐犯は、何も言わずに銃口をアムロに向けたまま微動だにしなかったので、アムロは分かったよと大袈裟に溜息をついて、その車に乗り込んだ。
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車は同じくクリスマスシーズンで帰省したり旅立ったりする人々で混雑する空港に向かい、巨大な駐車場の一角で、アムロは男に促されるまま簡単な変装をした。その銃はセキュリティ・チェックに引っかかるんじゃないだろうかと思いながら、髪の毛を似合わない色のかつらに押し込んで、目の色を変えて眼鏡をかけたアムロが、誘拐犯をじっと見て、静かに口を開く。
「ところで、上司に休暇の延長の申請の電話をしてもいいかな? ブライト・ノア大佐に戻ったんでね、心配すると思うんだ。いいだろう? ―――シャア」
誘拐犯はそれでも返事をせず、ただぐっと押し当てる銃口の力を強めただけだったので、アムロは肩をすくめて、携帯電話をポケットから取りだして電源を切り、車の後部座席に放り投げた。
「休暇中だからね、他のものは持っていない」
言いながら両手を上げて肩をすくめると、ようやく誘拐犯の男が被っていた帽子を脱いだ。滝のように流れるプラチナブロンドが一瞬視界を掠めた気がしたが、それはアムロの中の記憶の刷り込みから来る思い込みだったようで、何の変哲もないダークブラウンの髪の毛と髪と同じ色の瞳の男が、ゆっくりと取りだしたサングラスを顔にかける。アムロが抵抗の意志はない、というように促されるまま車を降りる。じっとしていると、男は車の中に携帯電話を置き去りにしてロックをかけ、ちらりとポケットからセキュリティ・チェックに引っかからない種類の素材で出来たナイフを覗かせると、アムロの腕を掴んで歩き出した。
「そんなことしなくても俺は逃げないのに」
呆れたように溜息混じりに呟いた言葉は、男の耳には届いていないようだった。銃だけは、途中のゴミ箱に紙袋に入れて無造作に捨てられた。
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想像通り、乗ることになったのは最終的には宇宙行きのシャトルだった。
アムロは溜息をついて目を閉じる。今の時点での変装では髪の毛は金色のストレートで、流石のアムロもいっそ自分が犯罪者にでもなったような気分だった。隣の座席で相変わらず一言も発しない男は、殆ど色素のなさそうな銀色の髪の毛に、菫色の瞳に変わっている。
アムロはちらりとシャアに視線をやった後、諦めたように退屈凌ぎに薄い機内用のパンフレットに手を伸ばした。
馬鹿げたことをしている自覚はあったが、それでもシャアの目的が知りたかった。何故自分を連れ去ろうなどとしたのか、それも、シャア一人で。
グリプス戦役の最後に愛機百式の大破と共にクワトロ・バジーナ大尉が姿を消した後、ハマーン・カーンがジュドー・アーシタに倒されるに至って、連邦軍の内部では、正統なジオン・ダイクンの血を引く者として、遺児キャスバル・レム・ダイクンことシャア・アズナブルがその後釜に座るのではないかという、かなり確信に満ちた噂が飛び交っていた。
アムロが連邦軍の外郭部隊であるロンド・ベルに招集されたのも、アナハイム社での最新鋭のモビルスーツの建造許可が下りたのも、全て対シャア・アズナブル戦を想定してのことだと、アムロにもすぐに知れた。一年戦争の再現がしたいのかお偉方は、俺はラッキーチャームじゃないぞ、と苦々しく思いながらもアムロがその辞令を受け取ったのは、ひとえに自分が動けばシャアも出てくるかもしれない、と思ったからだった。
シャアと自分の間には、七年前に途切れた物語があった。それを完結してしまいたくて接触する機会を探していたら、案の定向こうの方からやって来てくれたというわけだ。
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シャアがアムロを連れてきたのは、打ち捨てられている感のあるうらびれた高価なリゾート開発用コロニーらしき場所の一角に建てられている瀟洒な洋館のようだった。ようだった、というよりも部屋に入ってからのアムロの所見に過ぎないが。コロニーの名前をアムロは見せて貰えなかったし、アナウンスも聞かせて貰えなかったが、不安だとは思っていなかった。
シャトルの中で瞳孔を開く点眼剤を差され、前が見えない状態のままサングラスをかけ、手を引かれて乗り込んだ車内でアムロは溜息混じりの感想を漏らす。
「なんていうか、悪い男が女ひっかけるんじゃないんだから」
「盲人の介添えをしているだけだ」
「自分で盲目にしたくせに、よく言うよ」
シャアから帰ってきたのは短い返事だけで、そういえばこの男が自分に対して口を開いたのは、あの街角で拐かされてからこれが初めてじゃないかとアムロは気付く。普段は雄弁すぎる男の沈黙にやや不安なものを感じながら、アムロは黙って男に言われるまま、その後に付き従っていた。
どこかの家に着いたらしく玄関を潜り、階段を上がるように促され、がちゃりと鍵が開く音がして、アムロはその部屋に足を踏み入れた。シャアの手がそのまま自分を案内して、辿り着いた先がどうもベッドのようだったので、瞬時ぎくりとしたが、シャアはアムロをベッドに腰掛けさせると、その足首に枷のようなものをして、短く少し休みたまえ、とだけ言うと部屋から居なくなった。
がちゃり、という部屋の扉が閉まる音だけが、見えない視界の分まで聴覚に鈍く響き渡った。
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散瞳剤の効果が切れて視界がクリアになってみると(一眠りしたのは我ながら剛胆すぎる、と流石のアムロも自分自身に苦笑した)、その部屋はベッドの他には何もない、シンプルで簡素な部屋だった。窓には当然のように鉄格子がはまっている。どうやらバスルームへ続くだろうと思しいドアまでならば、足首の枷についている鎖はなんとか届きそうではあった。鎖を引っ張ってみるとその先はがっちりと床の羽目板に金具で取り付けられ、アムロの力如きでどうこうすることは不可能なように見えた。
溜息を漏らして、そのうちシャアの方から何か言ってくるだろうとベッドの上に仰向けにひっくり返る。いっそ息苦しくなるほど何もない部屋の中で天井を見上げていると、扉の外から足音が聞こえてきた。上体だけを起こすと、がちゃがちゃとドアの鍵を外から開ける音がして、本来の髪の毛の色と瞳の色を取り戻した男が姿を現した。部屋の中に入ってきた男は扉を閉めて鍵をかけ(どうも、この部屋のドアは両側のどちらからも鍵がないと開かない構造になっているらしい、とアムロは見当を付けた)、そのまま何も言わずドアの側に立ったまま、じっとアムロを見つめていた。そのまま二人とも口を開かず、根比べのように見つめ合う沈黙が息苦しくなった頃、アムロの方が根負けしたように口を開いた。
「なぁ、せめて俺をどうしたいかくらい、言ってくれないか」
「言えば、それを叶えてでもくれるというのか?」
短く切り返されて、アムロはその頑なな声に小さく溜息をついた。これは、長期戦になりそうだ。アムロの様子をどう取ったのか、シャアがゆっくりとアムロの座り込むベッドの方に近付いてきた。すぐ近くまで近付くと、鎖に繋がれたアムロをじっと眺めて、そろそろと手を伸ばそうとして、止めて頭を振る。
「どうした?」
「君に、触れてはいけなかったのだろうな、本当は」
半ば溜息か独り言のように紡がれたその言葉に、アムロが眉を顰めた。
「なんだって?」
「触れてはいけなかったのだろうな、と言った」
シャアは言い、まるで見えない壁でも二人の間にあるかのような、そんな何処か遠いものを見る眼差しでアムロを見つめた。その所為で、アムロは触りたいなら触ればいいじゃないか、と言おうとした軽口を喉元の寸前で押し留める。シャアは、溜息のように重い言葉を床に投げ落とすように吐き出した。
「君を殺さないと、私は先に進めない」
「シャア」
ベッドに腰をかけてシャアを見上げていると、シャアはそんなアムロの顔から視線を外し、夕映えの日差しが入り込んでくる窓の外をじっと見つめた。唇が僅かに開いて何事かを呟きかけて取りやめ、俯いて首を振る。
「でも、私は君を殺したくなど、ない」
切れ切れの、普段の雄弁なこの男には似つかわしくない言葉からは、その分ひび割れた本音が滲み出ていて、アムロの息を詰まらせた。しゃあ、と掠れた音が喉に引っかかる。
「殺せない」
言い切ってしまうと、金髪の男はどこか、安堵したようだった。生気を失った、硝子玉のような青い瞳でじぃっとアムロのことを見つめながら、シャアは私の前に立ちはだかるのならば、私はどうしても君を殺さなくてはならない、と他人事のように呟く。
「けれども、どこにも行かせるわけにはいかないから、……側に」
言いながら手を伸ばし、辛うじて鎖の端を掌に掬い上げ、恭しく鎖に口付けて、シャアは言った。
「側にいてくれ、アムロ・レイ」
懇願じゃなくて、命令だろう、こんな所に閉じ込めて、縛り付けて、と言ってやりたかったが、こんな鳥籠が自分自身を撓めようもないことくらい、アムロの方にもちゃんと分かっていたので、それは口にしなかった。
男が、それ以上の言葉はもう無用とばかりにアムロにのし掛かってくる。ぎしり、と背中でベッドのスプリングが悲鳴を上げた。アムロが最後に考えたのは、できれば先にシャワーを浴びたいけれど、この分じゃ許してくれないだろうな、という至極暢気な事であった。
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泡立てたスポンジで気怠い全身を隈無く洗われる。アムロは逃げないと言っても今のシャアは信じないだろうから、黙ってされるがままになっていた。壊れ物のようなそっとした扱いに、つい口元には苦笑が浮かぶ。自分の手で傷つけて、慈しんで。シャアの方もアムロをどう扱って良いのか決めかねているのがありありと分かってしまう。
湯船に身体を浸すと、アムロは思わず満足の息をついた。無理な体勢を長時間強いられた体の節々は未だ悲鳴を上げ、日に焼けない身体のあちらこちらには男の蹂躙の後を示す赤い鬱血の痕が散っている。
シャアが疲弊しているのはアムロの目にもとても明らかだった。一回りは以前より身体が小さくなったような印象を受けたが、抱き合ってみるとその体躯は以前より鍛えられており、自らも彼と向き合うためにそれなりに鍛えてきたつもりだったアムロを少しばかり嫉妬させた。
シャアとこんな風に身体を重ねたことは過去に一度だけあって、むしろそれだからこそ、アムロは今回シャアの言うがままにこんなところまで着いてくる気になったのかもしれなかった。
(あの時の記憶は、今すぐにでも昨日のことみたいに思い出せる)
七年前、窓からアフリカの強い夕陽が射し込むアウドムラで、自らの存在が溶け込みそうな赤光の中で珍しく弱さのようなものを垣間見せそうになって、アムロにそれを差し出していいかどうか戸惑っていた男を、アムロは強引にこちら側に引っ張り込んだ。「宇宙には行きたくない」と、たった一言言うだけで良かった。それだけで、男の中でアムロは「特別な」存在になってしまったのだ。
(俺とあなたは、結局のとこ、共犯者なんだよ)
ものを考えるのも本当は億劫で、アムロは散漫な思考の中でそんな風に結論をつけながら溜息をついて男の腕の中にもたれ掛かった。シャアが側に着いているせいか、足首の鎖は外されている。指一本動かすのさえ億劫だった身体を抱え上げられてバスルームに運ばれ、まるで宝物のように隅々まで真剣に洗い上げられている。こんな自分達の様子が滑稽で、アムロは思わず笑い声を洩らしてしまった。
「なにがおかしい?」
当然のように、バスタブの中の湯をアムロにかけて冷えないようにしていた男からはどこかアムロを非難するような言葉が告げられたが、アムロはそれに返事はせずに、丁度いい温度の湯に浸かりながら鼻歌を歌い始めた。この時期になると嫌になるほど聞く羽目になるクリスマス・ソングの一つだとすぐに気付いたシャアは理解不能だ、というように首を振ると、粛々とアムロを温め、身体を拭いてやって服を着せると、元のように鎖で繋いでベッドの中に追い立てた。
シャアが部屋を出るために鍵を開けているその背中を見ながら、一緒には寝ないのか、というふざけた誘い文句を投げつけないようにするのにアムロは苦労した。がちりと閉まる鍵の音を聞きながら、アムロは肉体の疲労から直ぐに押し寄せてくる睡魔を緩慢に押し退けつつ、明日もあの男がくればいい、と考えていた。
とことんまで向き合う覚悟は、再会した次の瞬間にはアムロの中にはとうについていた。
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その日から、奇妙な共同生活は始まった。シャアは一体今何をしているのだろう、とアムロは不思議に思う。無論、本人に聞いたりはしなかったが。毎日毎日、三度三度シャアはアムロに食事を運び、アムロが食べ終わるのを待って食器を下げ、風呂に入れるためにタオルを持って部屋を訪れ、そして極々希に思いだしたようにアムロとセックスをする。
その一切に渡って、シャアはアムロの意志など確認しなかった。アムロが何をしていようと、とはいえアムロは何もない部屋では気紛れのように時折与えられた本を読むかシャアの来訪を待つくらいしかすることが無かったのだが、例え昼寝の夢の直中であっても、シャアは少しも容赦をせずにアムロを蹂躙しに掛かってくることも度々だった。その度にアムロは抵抗をしようとしては思い止まり、唯々諾々とシャアを受け容れた。一度など、鎖を引いて引き倒され、床の上で手酷く抱かれたときは、流石に蹴り上げて逃れてやろうかと真剣に考えたが、アムロは結局振り上げた拳を溜息と共にシャアの背中に回して、掻き傷を一段と深くしてやることで僅かに溜飲を下げた。
朝はシャアが朝食を持ってくる物音で目覚め、夜はシャアが部屋を出るときに照明を消していくのでそれと共に眠る。空き時間にはできる範囲で運動不足を解消したり、空を眺めたりする。シャアは世話を焼く必要のあるときとセックスがしたいとき以外はアムロの部屋には基本的に訪れないので、アムロは孤独だった。時々耐えかねて話しかけても、ろくな返事は返ってこない。アムロの存在を居ながらにして無視しているようなシャアの態度にアムロは次第に苛立ち始めていたが、シャアの方もそんなアムロの態度の変化に気付いたのか、徐々にアムロには触れなくなってきていた。
窓の外から見える景色で季節が移り変わり、夏を越えて秋が来る頃には、シャアは全くアムロの身体には用があるとき以外は触れなくなってしまい、一ヶ月以上も性的な欲求を抱えた挙げ句、アムロは誰もいない部屋の中でシャアの名前を呼びながら一人で処理をして、ぐったりと脱力感に襲われた身体をいつものようにシャアが彼を風呂に入れようとやって来るまでベッドの上に投げ出していた。やってきたシャアはそんなアムロを見ても何も言わなかった。
必ず勝算はある、とアムロは屈辱で打ちのめされそうになりながら、義務的に触れてくるシャアの手に耐えた。このまま終わらせたりなどしない、どうにかしてこの部屋を出てやるのだ、とアムロは考えていた。不本意だが、この手の待遇にはシャイアン時代に散々免疫がついている。半ばは意地に近かったが、それでもアムロは機会を伺い続けていた。
一人ではなく、二人でこの部屋を出ていくためのチャンスを。
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そして、一日が目に見えて短くなったある冬の日、いつものように夕食のトレイを手にシャアが部屋に入ってくると、温かく空調の利いた部屋の中で、ベッドに座り込んで窓の外を見ながら、アムロは軽快なメロディの鼻歌を歌っていた。そのメロディに聞き覚えのあったシャアは、何かを思いだしたように思わず口を開く。
「ああ、そうか、今日はクリスマスか」
その声に、ベッドの上のアムロが振り返って、そうしてにっこりと微笑んで、シャアに向かって言った。
「メリー・クリスマス、今日の夕食にケーキくらいはついてるのか?」
そのたった一言で、シャアは不意に自分がアムロを攫ってきてこの部屋に閉じ込めた時のことを思いだした。そして、押し寄せる記憶の中でどこか呆然としながら呟く。
「一年が、経ったんだな」
そうだ、アムロはあの時、ヴァン・ショーを飲みながらどこか楽しそうにクリスマスマーケットの人混みの中を歩いていた。嬉しそうに誰かのためにプレゼントを品定めするアムロにシャアは猛烈に腹を立て、かねてから考えていたようにアムロを攫ってきて、ここに閉じ込めたのだ。そのことを思いだした途端、シャアは自分が持ってきたトレイの中にケーキが無いことが酷く恥ずかしくなった。一年もここに閉じ込められていても、アムロ・レイはやはり歪みはしなかった。シャアがただアムロを閉じ込めることに躍起になっている間に、一年が過ぎ、アムロは自分に「メリー・クリスマス」と言った。
「まぁ、カレンダーがないから曖昧だけど、間違ってはいないと思う。三百六十五日、数えていたから」
どこか照れたようにアムロは言い、床の上を指差した。シャアがそちらに視線をやると、羽毛布団か枕から引っ張り出されたと思しき羽根が、床の上にこんもりと小さな山を作っていた。
「一年じゃ、布団の解体はできないな、流石に」
アムロは少し悔しそうに言うと、シャアの視線を集めていたその羽根をくしゃりと手で掴み挙げ、ぱあっと天井に向けて散らした。ふわふわと軽い鳥の羽が舞う様子を楽しそうに見上げているアムロを見ている内に、シャアは不意に堪えきれない衝動のようなものを感じて息を詰まらせ、辛うじてよろけそうになる身体を保ちながらテーブルの上に夕食のトレイを置いた。
寒くなってきたからポトフと、サラダとパンと、一杯のワインというメニューを見て、シャアは狼狽えたようにケーキを用意しなければ、と思った。
「……シャア?」
不思議そうな声で名前を呼ばれ、シャアは弾かれたように顔を上げてアムロを見た。アムロの癖のある鳶色の髪の毛に、鳥の羽が何枚か引っかかっている。それを見た瞬間、シャアはとうとう耐えきれなくなった。
「……許してくれ、アムロ、君を、こんな所に、一年も……!!」
シャアとて、何も考えていないわけではなかった。やっと囲い込んだアムロをどうしようか考えて、考えて、考え倦ねて、気が付いてみれば冗談のように季節が一巡りしていたのだ。正解のない謎を相手にしている内に、気が付けば布団から引っ張り出した鳥の羽だけを数えて一年を知るような、その鳥の羽が宙に舞うのを見て嬉しそうな顔をするような、そんな哀れな事になるほど何もかもを取り上げてしまっていた。一年前は見知った人々のために嬉しそうにプレゼントを選ぶような、そんな平凡で平和な生活が、確かにアムロにも存在していたはずなのに、それを断ち切って。
アウドムラで再会したときに、連邦軍の彼への所行を知って憤っていた自分が、結局は同じことを強いてしまった。そんな様々な沸き上がる感情が次々シャアの顔に浮き出しては消えていく。
一通りその様子を見守った後で、アムロはやっとのことで安堵の息を吐き出し、あろう事かシャアに向かって微笑みかけた。
「やっと、俺を見たな、シャア・アズナブル」
「……アムロ?」
どうしてここで微笑むことができるのかがシャアには理解できなくて、シャアはアムロの名前を呼んだ。アムロは胸を張り、シャアに向かって自分を見ろと強い視線を投げた。
「あなたの創り出した妙な『アムロ・レイ』の虚像じゃない、俺を見たな。俺はずっと、あなたが見つけてくれるのを待ってたんだよ」
長かったな、どこで迷子になっていたんだとアムロは少し困ったように微笑んで、首を傾げてシャアに尋ねた。
「どこに飛んでいくと思った? 俺の背中に羽根でも見えたのか?」
苦笑しながら言ったアムロの、その言葉に打ちのめされてシャアはその場にへたり込みそうになった。そのシャアの側に近づこうとして鎖に阻まれ、アムロはちょっと困ったような顔をすると、その場にしゃがみ込んでシャアに向かって言葉をかけ続けた。
「俺は、あなたに監禁なんかされていない、羽根ももがれたわけじゃない、閉じこめられてもいない。俺は、自分で望んで、自由意志でここにいるんだ。……その意味が、分かるか?」
意味が分かるか、とアムロが言い終えるより先に、シャアは弾かれるように立ち上がるとアムロの側に近づき、ポケットから震える手で鍵を出すと、アムロの足首を捕らえ続けていた鎖を外し、ごとりとその場に落とした。
「君は、自由だ」
それだけを呟くと、シャアはアムロに背を向けて、もう一度君は自由だ、と呟いた。その背中はアムロがこのままこの場から直ぐさま飛び去ってしまうのだと確信していると告げていて、ああ、何も変わっていないとアムロは思わず溜息をついた。
「こちらを向け、シャア」
俺を拒絶するな、ありのままの俺を受け容れることを拒否するな、そう怒鳴りたい気持ちをゆっくりと抑え付ける。一年、この機会を待っていたのだ。ここで急いて事をし損じては元も子もない。シャアは頑なに振り返ることをしなかったので、アムロは仕方なくシャアの正面に周りこんで、その腕を掴んで聞き分けのない子供を咎めるように揺さぶった。
「俺は、初めから、自由だ」
はっきりとした口調で言ってやると、シャアは分からない、とでもいうような途方に暮れた目をしたので、これは根が深い、とアムロは思わず天を仰いだ。
「あなたのしたことなんて、これぽっちも堪えていない。俺は最初から自由で、あなたの側に居てやっているんだ。この意味が、分からないか?」
シャアは、暫く考えこんだ後に首を振った。理解できるだろうに、考えることを放棄しやがったな、とアムロは思わずどん、と男の胸元を軽く殴りながら思っていた。本当は二、三発はぶん殴ってやりたい所だったが、それはとりあえず後回しにする。それよりも、男の耳の中に言葉を押し込んでやる方が先決だった。
「そんな簡単に、私のことを赦さないで欲しい」
「赦す? ……やっぱり、全然分かっちゃいないな」
アムロは溜息をついた。
「あなた、本当に分かってないのか? それとも、知らないふりをしているのか? 赦すなんて必要ない。元から俺には、あなたを裁く気など、微塵もなかったんだから」
それなのに、俺に裁かれることを恐れて、期待している。本当に馬鹿な男だと思う。救いようがない。心の中ではそう思うけれど、アムロが男を見る眼差しは、ここ一年の仕打ちを考えると確かに信じられないほど穏やかで、シャアは遂に視線を上げ、琥珀色の目を真っ直ぐに覗き込んだ。
アムロは、笑った。
「言っていること、わかるよな? 俺はあなたの側を離れない。誓ってもいい、俺から離れることは、絶対にしない。もしも俺をこの部屋から出したかったら、あなたが自分の意志で、俺の手を引いて連れ出してくれ」
さぁ、そこから始めようかと簡単なことのように言いながら差し出された手を、シャアは思わず振り払っていた。
「ば、馬鹿なことを!」
「あなたがしてきた馬鹿なことに比べれば、余程建設的だと思うけど……」
アムロは特に気分を害した風もなく振り払われた手を見つめ、そして再び差し出した。
「さぁ、取れよ。でなきゃ、俺はいつまでだってここを動いてなんか、やらないからな」
シャアは今度こそ確実に眩暈を覚えてアムロの手を見た。正直に、困り果てていた。
一年も姿を消した自分を、もうネオ・ジオンの首脳部は必要としていないかもしれない。この部屋から出た後の当ても保証も、何一つとして思い浮かばない。アムロだけを手にしての再出発、それでも、今まで追い込まれてきたどんな逆境よりも弾みそうになる己の心に、シャアは慌てて蓋をするとアムロから視線を逸らした。
「少し、……考えさせてくれ」
「どうぞ、いつまででも」
アムロは何でもないことのように言って手を引っ込めると、さっさとテーブルについて食事を始めた。パンをちぎりながら、アムロがあ、そうだ、と言って初めてシャアを振り返る。
「一つだけ言いたかった。今夜から、風呂は一人で入るからな」
「……どうぞ、好きなだけ」
いくら綺麗にして貰えると言っても、会話もなくては微妙に痒いところに手が届かず、焦れていたのだとアムロはそれだけは憤ったように言ったので、シャアはつり込まれるように謝罪した。そしてそれは、許された。自分への罰としてシャアは、久方ぶりに沸き上がってきたアムロへの欲望を何とか自制して、一人で部屋を出ていくことにした。
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その夜、久方ぶりに満ち足りた気持ちでベッドに横になりながら、アムロは漸く安心して眠れそうだ、と知らず口元を緩ませていた。
シャアにはまだ言っていない事だったが、アムロは最後に携帯電話の電源を切る前に、送信フォルダに作成したまま常に消さずにお守りのように持ち歩いていたメールを一本送信していた。ブライトに宛てたそのメールは、シャアに出会ったときの為に作っていたもので、自分でもセンチメンタルだなと思わないでもなかったが、それでも作らずにはいられなかったものだ。虫の知らせだったのかもしれない。
メールのタイトルは、『辞表』になっている。文面はごく形式的なものだ。受け取ったブライトは驚くだろうが、クリスマスにプレゼントが贈られてきた事も鑑みて、適当に前後の事情を推測してくれるだろう。発見された携帯電話、切られた電源と最後に送信されたメールが物語るのは「合意」だ。
なにより自分の意志で何者か(ブライトなら、直ぐ相手を察するだろうが)にのこのこ着いていったアムロの本気を分かって貰えれば、追及の手は緩むはずだ。シャアが真実自分だけを求めるならば、宇宙よりアムロを選んでくれたならば。―――覚悟なら、とうにできていた。
恐らくは、再会したあの赤く燃える夕陽の輝きの中から、ずっと。
ドアに、鍵が下ろされる音がする。
今はきっとまだ混乱しているだろうが、元々頭も悪くないし、適応力もある男だ。明日の朝は、アムロの為にいつもとは少し違う朝食、できればアムロの好物の多目のものがいい、とアムロは思ったが、そんな朝食を作って、少し困った顔で調子は悪くないか聞いてくるだろう。もしかしたら、ケーキくらい持ってくるかもしれない。その後で、アムロの手を引いて、外の世界を見せてくれるだろうか。二人一緒にこの部屋を出られるだろうか。
一日遅れの、いや、一年遅れのクリスマス。きっと、その時は、あの扉の鍵も開いたままだ。
再び閉じていく世界の中、アムロはそんなことを考えながら、唇にそっと満足げな微笑みを浮かべた。
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+++END
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