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その朝、普段通りに出勤しようとしたネオ・ジオン総帥シャア・アズナブルは、背後から新妻であるアムロ・レイに呼び止められて振り向いた。
「呼んだか?」
「うん、あなたさ、今日がなんの日か覚えてる?」
「今日?」
首を傾げて頭の中に思いを巡らせるシャアに向かい、アムロは勘の鈍さを咎めるような口調で言った。
「何だよ、忘れたのか? 今日は結婚して242日目の結婚記念日だぜ?」
「そうだったか」
「そうだよ、ついでに俺は今日は公休。残念だな、こんな日にあなたが出勤だなんて」
「全くだ、なんたる迂闊、出勤したらまず秘書官を問い詰めよう」
「それは可哀想だろ、広い心で代わりに次の俺の休日に休みを取り付けてくれ」
「君は優しいな、アムロ。流石は私が認めた男だ」
アムロの言った内容にはさして驚いた様子は見せず、むしろ申し訳なさそうにシャアは言い、アムロの額に軽い口付けを落とした。
「その記念日に休みを取って君の側に居てやれないとは、私は実に悪いパートナーだな」
「いいよ、あなたが忙しいのは知ってる。……たまに俺だけのシャアで居てくれれば構わないさ」
「そう甘やかさないでくれ、全く、公人としての仮面など365日中5日も被れば充分だと思っているのだがね、常々」
シャアの洩らした溜息にアムロが不真面目な総帥だなと笑う。
「じゃ、参考までに聞くとあとの360日の割り振りは?」
「知っている癖に、全て君専用だと言い張りたいが、睡眠時間くらいは確保が必要なのかな」
「まあ、寝ている間は俺がずっと眺めているから俺専用にしてもいい」
「それならばずっと君のもので居られる計算だな、重畳」
シャアも眉間に寄った皺を解き、アムロの腰を引き寄せて軽くその額に口唇を落とした。
「君は本当に寛大な配偶者だ。君と巡り会えたことで私は人生の全ての幸いを費やしてしまったようで不安だよ」
呟いて不安げに顔を曇らせる男に、馬鹿だなと青年は優しく微笑んでみせる。
「だったら、これから先の二人の生活には俺の分を使うからノー・プロブレムだろ」
「成る程、そういう手があったか。本当に夫婦というのはよくできているものだな」
心の底から感心したようにシャアは言い、名残惜しげにもう一度、二度とアムロの頬や額に口付けを落とした。
「それでは行ってくる。君は今日は休みだったな? 留守中はくれぐれも気を付けて、知らない人が来たらドアは開けないように、ついでに電話も私からの以外には出なくてもいい」
これも毎日繰り返されるお決まりの台詞だったが、言われる方も飽きることなく同じ答えを返すのだから息はぴったりだ。どうせ二人以外に聞く人間も聞かせる人間も居ないのだ、飽きたと言われる道理もない。
「分かってる、お陰様で公邸の執事も従僕も実に見事な衛兵代わりだ。眠り姫の茨の城も真っ青だね。郵便屋一人、怪盗だって辿り着けるもんか」
「そうだろうとも、眠り姫の元に辿り着けるのは古来より王子一人と相場が決まっている」
男の台詞を聞いて、アムロは笑いながら通った鼻筋の鼻の頭に口唇を触れさせる。
「素敵だな。あなたのそういう独占欲過多なところ、嫌いじゃないよ」
「縛るのは気が引けるが縛ってくれと言われるのは大歓迎だ」
「ココロもカラダも?」
「無論、日常生活から手首足首に至るまで。……痕を残すようなへまはしないが」
「そっちは今度試して貰うか考えとくよ」
「是非前向きに検討してくれたまえ、失望はさせないよ」
にやりと不敵に微笑んで背中から腰にかけてのラインを掌でなぞってみせれば、素直な身体はシャアの穏やかならぬ思念でも感じ取ったのかびくりと一瞬震えた。
「失望どころかあなたはいつでも期待以上だからな、……ちなみに今夜はなにがいい?」
「夕食かね、それとも夜食?」
わざとらしく聞いてやると、アムロはひょいと軽く肩を竦める。
「夕食はシェフにどうぞ、こちらでは夜食のご要望のみ承っております」
「ここの所変わったものが続いたから、たまには正常位などどうだろう」
普通の恋人ならばここでドン引きするところだが、そこはそれ、相手も心得たものだった。花の綻ぶような照れ混じりの笑顔と共にいいお返事を返す。なにせ結婚してもう242日目になるのだ、200回以上も同じ会話を繰り返せばニュータイプに非ずとも次の手は読めて当然だろう。
「基本に帰って初心を忘れず初々しく?」
「恥じらいを忘れずに、だ。そういう意味でも君は理想のパートナーだな」
「ありがとう、確かにオーダー承りました、お帰りまでに準備は整えておきましょうか?」
「いや、構わないでくれたまえ、下拵えから自分でするから」
「スペシャルコースをお望みならば、お部屋の方には午後九時までに入って頂かないと」
「楽しみにしていたまえよ、必ず帰ってみせるから」
「それを聞いてあなたの居ないグレイな休日にも楽しみができたよ」
さぁ早く行け、そして早く帰ってこいと背伸びしたアムロに口唇にキスをされ、シャアはそれにも充分に応えると名残惜しそうに公邸を後にしていった。
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「さて、と」
シャアを見送ったアムロは、毎日恒例の別れの儀式に閉口しているのか諦めの極地なのか、使用人の姿もまばらな公邸の中を自室まで帰って溜息をつく。急に手持ち無沙汰になったので、とりあえずベッドの下から工具一式とハロを引っ張り出すと時間潰し恒例の軽い機械いじりを始めた。
何か暇潰しでもしていないと、シャアが出かけて半時間足らずだというのにもう逢いたくて、顔が見たくて仕方がない。きっと向こうも同じ気持ちだろう。それでも、この離れた時間があるからこそ、毎日恒例のお帰りなさいの儀式も盛り上がるというものだ。
「それにしても、シャアの奴、一人で出かけるなんて。全く、留守の間に俺が見知らぬ人間に無体な目に遭わされたりしたらどうするっていうんだろう」
そうだ、アムロを一人きりにして出かけるなんて、シャアが不在の間に公邸がアンチネオ・ジオンのテロリストや不穏分子に襲われたらどうするというのだ。彼等は真っ先にシャアのアキレス腱である自分に手を出すだろう。
勿論シャアは遊びに出かけたのではなく仕事なのだと十二分に理解しているが、邪魔をするつもりも口に出すつもりもないのだから、妄想する位は許されるであろう。
内助の功とはアムロの為に用意された言葉だと胸を張って言える、陣頭指揮に立って作り上げた総帥公邸のセキュリティは宇宙一と言っても過言ではない。先程の台詞ではないが、冗談抜きに眠り姫の守る牙城にフリーパスで入り込めるのは金髪の王子様一人きりなのである。
それでも、中には古典に忠実に地道にトンネルを掘ってくるとか、ダイナマイトを体中に巻いて特攻をかけてくる馬鹿もいるかもしれない。そういう場合、大概ヒロインはやる気があるのかと思うほど呆気なく敵の手に落ちてしまうものと相場も決まっている。
(俺を捕まえたら、先ずは逃げられないように手錠とかかけて、ベッドに繋がれるんだろうな)
そして外に出られないように服を脱がされて。想像した自分の下着がランニングと縞のトランクスでは余りに色気が無くてゲリラの面々には申し訳ないが、女ではないのだから諦めて貰おう。
人質への拷問と言えばとりあえず命に別状がない部位に限られるだろうから、指とか耳とかを切って送りつけるのが一般的だろう。
(待て、そんなの見たらシャアが逆上して突っ込んでくるだろ、サザビーで)
なんせ、シャアと来たらもしやマニアではないかと思えるほどにアムロの指の先一本までを愛しているのだ。ここは、税金を納めている善良な市民の方々の為にできれば公邸全壊は避けておきたいところだ。
だとすると、とアムロは困ったような顔になった。そうすると、やはり古典的だが「上の口が喋らないのなら下の口に聞いてみるか、ヘッヘッヘ」という事になってくるのだろう。
(どうだろう、古典を極めるならやっぱりこう、縛ったままで嫌がる俺を……だろうな)
これがアダルトビデオだったらどこからとも無く小道具が満載で登場するところだが、流石に不穏分子はサブマシンガンや手榴弾は持っていても大人のオモチャを常備してはいないだろう。精々用意できるものがあったとしてもロープくらいか。ちなみに、クラシックなインテリアを好むシャアのお陰で、ロウソクだけはその辺の燭台に立派なのが立ててあるが。
無論、アムロやシャアの寝室の秘密の場所を探れば親切なご友人一同から贈られたものに折々に買い足したなかなか品揃えの優秀なコレクションが存在するのだが、突然の闖入者にそんなお宝の場所を教えることもあるまい。なんせ、まだシャアとも試していない幻の逸品があるのだ、あそこには。……それはともかく。
(冗談じゃない、やっぱりセキュリティはちゃんとしないと、俺に何かあったらシャアが悲しむだろう)
そう、ギュネイを初めとする親衛隊を引きつれて占拠された公邸に突入を敢行したシャアが真っ先に駆け付けた寝室で、ロープで器用に縛り上げられて口や或いは口には出せないような場所にロウソクや荒くれた男達の正義の根性注入棒を突っ込まれ、蝋やそれ以外のものでドロドロになった己を見つけたらどうするというのだ。
ちょっと想像して、アムロは震えた。そんな事態になったら間違いなくネオ・ジオンには血の雨が降るに違いない。
(そして、ボロボロになった俺をシャアが必死に優しく慰めてくれるんだ)
けれども見知らぬ男達に汚されたと悲嘆に暮れるアムロはなかなか心を開くことができないが、シャアの変わらぬ献身と愛の力によって、最後にはもう一度シャアを受け容れて今度こそ末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし、とラストシーンのシャアの告白から抱擁、ついでにその夜のベッドシーンまで一切手抜き省略無しで想像し終えて、アムロは満足な溜息をついた。世間一般で放映されている奥様向けの昼下がりのメロドラマより余程いい出来だ、この調子ならその内ロマンス小説だって書けるかもしれない。
「……ところで、本当にシャア、まだかな」
良からぬ想像をすると益々逢いたくなって、アムロはちっとも動く気配を見せない時計を睨んだ。その途端、携帯電話が聞き慣れた着信音を鳴らし、たった今想像していた恋しい人からの着信を告げる。
「はい、もしもし!」
『アムロ、今私のことを考えていただろう』
「そうだよ、どうして分かったのさ!?」
『なに、そうだといいなと思っただけさ。……今夜は予定通りに帰れそうだ』
飛びついた電話口でのやり取りもいつもの軽口で、予定に変更のないことを報されたアムロは安堵で胸を撫で下ろした。
「よかった、急な出張とか言われたらショックのあまり心臓発作を起こしかねなかったぞ」
『その場合は電話など悠長なことをせずにさっさと君を攫いに行くさ』
低い含み笑いが耳元で響いたので、アムロは堪らなくなってがり、と爪を噛んだ。どうかしてしまったと思うほどに、今すぐにでも顔が見たい。
「攫われる準備はしておくから、お早くどうぞ」
『触られる準備の方は抜かりはないか?』
「そちらは一年三百六十五日、休日無しで承っております」
『昨今の役所や銀行に聞かせたい優秀な返答だ』
「ただし、ご利用は計画的に」
アムロが最後に付け加えた台詞にシャアは一頻り笑い、では四時間後に、と告げて電話を切った。切れた電話口に軽いキスをすると、アムロも再び鼻歌交じりでハロ弄りに取りかかったのだった。
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その夜、朝申告したとおり時間厳守で帰ってきたシャアが、宣言したとおりに下処理からアムロの料理に掛かろうとしたところで、素肌に触れてくる男の指に昼間の一連の妄想を思い出したアムロは、不意に罪悪感に捕らわれた。
「シャア、ごめん」
「どうしたのだね?」
不審そうなシャアの問いかけに、アムロは何の屈託もなく微笑んで大したことじゃないけど言い放った。例え想像といえど浮気は浮気、旦那様への償いはきちんとしておくのが良き伴侶の心がけというものであろう。
「でも、俺、……今夜は精一杯サービスするから」
「それは嬉しいが、本当に何かあったのかね?」
気遣わしげな口調は当たり前だが、アムロも流石にはしたない想像を口にできるほど図太くはない。こういう小さな秘密の一つ二つ、持っている方が後々になって有利というものだ。
それにまだまだ想像の範疇の話だが、先々床の中でのネタが尽きたら、こういう想像をしていましたと自己申告してお仕置きをしてもらうなんてプレイもありだろうし。
「いや、何もないけど、昼間一人にして悪かったな、って」
すまなさそうにしおらしい態度で言えば、相手も心得ているのかそれ以上の追求はしてこない。この匙加減がきちんとできているから、二人はベストパートナーと呼ばれるのだ。
「仕方があるまい、それならば私も同罪だ」
「優しい旦那様を持って俺は幸せだよ」
「ならば、今夜はもっと大きな幸せを味あわせてやるとも。昨日のことなど遠慮なく忘れてしまいたまえ、惜しいなどとは思わせないから」
「期待してる。毎日が初体験だなんて、嬉しいよ」
微笑み合って、どちらからともなくキスを一つ。その後で申し合わせたように腕を伸ばして抱き合うと、結婚して242日目の今夜もどうやら飛び切りに甘い夫婦の時間の記録更新は固そうであった。
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