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あ、また聞こえる。
くすりと微笑みを漏らすと、私は窓の中の人間に見つからないようにそっと背を屈めて庭を横切った。
明日がゴミの回収日だったことを思い出したので、大きな袋を二つ手に持って急いで捨てに行く所だったのだ。
このコロニーに落ち着いて、手頃な値段だったからと借りたコテージは庭に大きな落葉樹があって、季節の巡りで大量の落ち葉が庭に生産されるのだけは誤算だった。
まぁ、こうやってこまめに掃き集めてゴミ収集に出しておけば、少なくともご近所からの苦情は最小限で済むだろうが。
そんなことを思いながら、私は窓の中の人間からは死角に当たる場所にそっと佇んで目を閉じた。
換気のために細く開いた窓の中からは、楽しそうな歌声が聞こえてくる。
おや、節を外した。
笑うと聞こえてしまうかもしれないから、口を手で抑えて辛うじて吹き出すのを堪える。相当上機嫌なのか歌は続いているが、気にしたのか二回目に同じ部分が巡ってきたときはきちんと節が合って……いない。
今度こそ、私は俯いて力尽くで笑いを噛み殺す羽目に陥った。どうやら、彼はこの歌のメロディを間違って覚えているらしかった。
暫くその場で立ったまま家の中から聞こえてくる歌声に耳を傾けていたが、やがて我慢できずに私も同じ歌を歌い始める。旧地球世紀の、いつの頃に出来たのかもよくは知らない、古い古い耳に馴染んだ歌だ。
歌い出して暫くして聞こえていた歌声は止み、私が立っているすぐ横にある窓が勢いよくがらりと開き、家の中から顔を出した人物が、じろりと不機嫌そうにこちらを睨んできた。
「そんなところで何してるんだ、今日の主役が」
「ゴミをね、出すのを忘れていて」
「そんなの明日の朝でいいだろう?」
「朝、いつもの時間に起きられる自信が無くて」
かなり含みを持たせた声と表情で下から見上げながらそう言ってやると、相手は意味を悟ったようで、さっと顔を赤くしながらますます厳しい目つきでこちらを睨み付けた。
「俺は、普段と同じ時間に起床する予定だからな」
「それは随分と頑張り屋さんだな、尊敬と賞賛に値する」
「ほざけ、俺の部屋出入り禁止にするからな」
言った後で、彼はふと私の顔を見て、ますます盛大に顔を顰める。
「あなた、いつからそこに立って居るんだ、唇が青くなってる」
言われて初めて、私は部屋着のままで外に出てきたことを思いだし、冷たくなった手で唇を触った。しかし、指先も冷え切っているのか、冷たいのかどうかよく分からない。
「そうかな」
「そうだよ。……バカだな、こっちにおいで」
差し招かれて、私は素直に窓際に近付いた。先程よりも少し優しく、けれども呆れたような表情で、窓から身を乗り出した彼がこちらに手を伸ばしてくる。
「ほら、氷みたいだ、あなたの頬」
「君の手は、とても温かいな」
じんわりと温もってくる頬の心地よさに微笑むと、彼が困ったような表情で、目を閉じて、と囁いた。言われるままに素直に目を閉じると、唇にとても暖かいものが触れる。
「……もっと温めて欲しかったら、さっさと家に入ってこい」
「承知した」
ケーキ、できたからな、と言い残して閉ざされる窓を目を開けて見ながら、私は冷え切った指先で再び先程まで彼が触れていた唇を触った。
今度はそこは、一瞬火傷するかと錯覚するほどに熱いように感じられた。
家の中に入ると、玄関までいい匂いが充満している。凝り性の彼が半日家に籠もって作り上げたディナーが楽しみで、私は子供のようにうきうきした気分で手を洗いに行った。この為に、今日の朝と昼は昨日の残り物で我慢したのだ、楽しみで仕方がない。
「シャア、手を洗ったらキッチンにおいで」
家の奥からそう声がして、私は素直に返事をすると、彼の籠城する前線基地へと向かった。
ダイニングキッチンでは、正に今日一日の彼の戦果の数々がテーブルの上を彩っていた。私の好物も有れば、見たこともないような異国風の料理もあったが、例え呪文にしか聞こえない舌を噛みそうな料理名を聞いても私はただ歓声を上げるだけだっただろう。
過去に幽閉されていたときに手遊びに習い覚えたという彼の意外な特技は、但しその非効率性と不経済さによって、特別な記念日のみにしか振るわれることはないものでもあった。
「ワインはあなたに任せるから、適当に選んでくれないか」
言いながら食卓にカトラリーを並べ、彼は私の方を見た。
「いいよ。グラスも持ってこよう」
取って置きのワインはこの間の彼の誕生日の時に抜いてしまったのだが、今日のメインは彼の料理だから、あまりワインは邪魔にならない方がいい。そんなことを考えながら、私はワインを物色し、グラスを手に食卓へ取って返した。
「軽めの赤にしたが、それでいいか」
「なんでもいいよ、今夜の主役はあなただ」
言いながら彼はエプロンを外し、私の側に近づいてくると、爪先立って私の頬に軽いキスを贈ってくれた。
「さ、食べよう。冷めちゃう前にさ」
「ああ」
言いながら食卓に着いた私が遠慮なく料理に手を伸ばすのを見届けてから、彼はやっと安心したように自分の分に手を着け始めた。分かってはいるが、少し引っかかりを感じて手を止める。
「待ちたまえ、どうして君は手をつけないんだ?」
「だって、味見したことないんだよ、その料理。まぁあなたからどうぞ」
「……君、なぁ、毎回私を実験台にして」
「いいだろ、作ってみたかったんだから」
機械弄りが好きなだけあって、彼の好奇心は丸々料理の工程と仕上がりの完璧さに向けられている。
味はと言えば、旨いのは旨いのだが、元々の料理の味を知らないものがかなりあるので(恐らくは彼も知らないのだろうと思う)、確かに旨いのだが、正しいのかどうかは今ひとつ分からない。
けれど、彼と囲む食卓は、こんな特別な日ではなくても日常ですら楽しくて仕方がないのだが。
あらかた料理を片付け終わって、デザートのケーキが登場したときに、セオリー通りキャンドルを立てる彼に、私は先程の歌を要求してみた。途端に、彼が嫌な顔をする。
「イヤだよ、恥ずかしいんだぞ、結構」
「しかし、練習していてくれたのだろう?」
「ただの鼻歌だって、むかつくよなぁ、そういう言い方」
「まぁ、そういわずに歌ってはくれないか、君の歌が聴きたい。……ダメか?」
念を押すように顔を覗き込み、じっと琥珀の瞳を見つめると、暫く逡巡した後、彼は深々と溜息を着いた。
「あなたって、ほんとうに、ずるいひと、だよな」
「どういたしまして、君程じゃないが」
「そんなこと言うと、もう歌ってなんかやらない」
拗ねたように言う彼に、君の誕生日には歌ったじゃないかと重ねてねだると、自分はあまり歌が得意ではないと信じているらしい彼は(まぁ、実際に巧くはないが)嫌そうな顔をしながらも最後には歌うことを承知してくれた。
「笑うなよ、……ホントに笑うなよ!」
「笑わないよ、君が用意してくれるものにケチなどつけるわけがない」
「って、言ってる側から顔が笑ってるじゃないか! クソ、腹立つなぁ……」
ぶつぶつ零しながらも、彼は頬を染め、胸を張って、聞き慣れた祝いの歌を口にした。
「――― Happy Birthday to you, Happy Birthday to you, Happy Birthday, dear Char......」
同じ所で彼が再び節を間違えても、もう私は笑わなかった。むしろ、そちらの方がいいとさえ思えるようになっていた。
聞き惚れる美声の持ち主ではなかろうが、例え所々節が抜けようが、こうまで私の心を揺さぶって、感動させ、酔わせる歌い手はやはり、この宇宙で彼一人しかいないと確信する。
彼の歌声に併せて目の前のケーキのキャンドルの火がゆらゆら揺れるのを、私は吹き消せと急かされるまでずっと、まるで素晴らしい夢の中にいるように、いつまでもうっとりと見つめ続けていた。
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+++END.
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