今を生きて

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06:君の吐息は僕の媚薬



※モブ×少年ニールが出てきます。直接の描写はありませんが、苦手な方はご注意下さい。



 オレンジ色の夕日が部屋の中を暖かな色に染め上げていた。

 ごろごろと昼過ぎからの怠惰な時間の余韻を引き摺ったまま、ベッドシーツの白色が夕焼けに染まるのを楽しそうに見ていた背中に、緩やかに手が添えられる。

「飛んで行ってしまいそうだな、どこかに」
「ばか、こんな世俗に塗れた天使なんざいねえよ」

 過去には裁きの天使を気取っていたこともある男は、カーテン越しの日差しのせいで常よりも濃く見える鳶色の髪の毛を揺らして笑った。

「そうでもない。私にとって君は、いつでも、いつまでもどこか不可侵の神秘性を持った、永遠の謎だ」

 乙女座の冒険心を擽ってくれる、と囁きながら掌に口づけてくる金髪の男に、俺はそんなに崇められるような存在じゃねえぞ、とニールは苦笑する。

 後から思えば、この時点で既に心の蓋は随分と箍が緩んでしまっていたのだ。

「そんなことはない! 私は、君が」
「ガンダムマイスターでも、……か」

 敢えて普段禁忌になっている二人の間の話を持ち出してから、ニールはグラハムの方を向き直った。

「俺の罪は、それだけじゃねえよ」
「ニール」
「……きっと、その名前の方が、罪深い」

 呟くと、ニールはごろりと仰向いて天井を睨んだ。ロックオン・ストラトスは、少なくとも紛争根絶の大義に則って戦っていた。しかし、ニールは違う。

「俺、が、職業スナイパーだったことは、言ったことがあるか」

 掠れるような声に、グラハムは短くああ、とだけ肯定の返事を返した。

「そんじゃ、ガキの頃、家族をテロで亡くしたことは?」

 グラハムは黙っていたが、知っているのは明白だった。……そのことは、何かの折に話したことがあった。

 両親を殺されたこと、そして仇のこと。そんなことは熱く語った癖に、ニールはそれ以外のことには奇妙なまでに沈黙を守っていた。

 理由があると言うよりは、まだ瘡蓋の下は血を流す生傷なのだろうと、そう考えてもいた。

「……まあ、普通は泣き寝入りしてまともに人生を送るもんなんだろうけどもよ」

 自嘲するように続けた言葉には、思うより真摯に返事が返ってきた。

「そんなものなのだろうか。私は前に君に告げたように児童養護施設育ちだが、両親の情愛を知らなくとも、今は君の行動の原動力は分かるような気がする」
「へ?」

 思わず隣を向くと、グラハムはそっとニールの鳶色の癖毛を、利き手の左で撫でながら囁いた。

「君だ。……君という存在だ。君を失ってしまったら、きっと私だって世界を恨み、復讐の鬼となるだろう。その位は想像が付く」
「……ああ、……そう、か」

 さっとニールは頬を染め、ごにょごにょと何か呟いて、困った顔をした。

「自棄になってたんだ。何も知らなかったガキの癖に、仇を取るんだって息巻いていた」
「そうか」

 これは再びニールの過去の話だ。思ったグラハムは、礼儀正しく聞き役に戻る。

「……テロリストと接触するのがどんな危険なことか知らなかった、平和ボケしたガキだった。両親を亡くしたことなんて、なんの教訓にもなってなかったんだな」

 諦めたライルの方がよっぽど大人だった、と小さな声でニールは零した。

「毎日、盛り場をうろついては、情報収集を気取ってた。少しでもテロの首謀者への手がかりがあればって」

 ほんとに小生意気なガキだった、とニールが自嘲するように続ける。

「警察が動いているって聞いたけど、そんなの生温いと思ってた。なんせ、無実の学生に罪を被せてIRAの爆弾魔に仕立てちまうような無能な警察だからな。だったら俺が復讐してやるって」

 ニールが口にしたのは、過去に彼の国の警察が実際に犯した失態であったし、KPSAが黒幕だったとしたら、犯行声明は出ていただろうが、捜査も難航を極めていたはずだ。

 まだ年端もいかない少年が復讐に暗く目をぎらつかせて夜の街を徘徊する姿を思い浮かべ、グラハムは微かに眉を顰めた。

……聡い金髪の男は、何となく先の展開が読み取れてしまったのだ。

 ニールはグラハムの腕から無意識に少しだけ距離を取り、話を続けた。

「ある日、俺はショッピングセンターの自爆テロの首謀者を知ってるって男に声を掛けられた。真相を知りたければ着いてこいと言う。危険だって分かってたのに、護身用のナイフ一本きりしか持ってなかったのに、俺はその誘いに乗った」

 あとは、とニールはそこで言葉を閉じる。お決まりのコースでよくある話ではあるし、グラハムも細部まで聞きたくはないだろうと思ったのだ。

 ニールだって、思い出したくもない。散々に陵辱され、尊厳を踏みにじられたあの時間のことなどは。

「幸いだったのは、俺がガキにしちゃ綺麗な顔立ちだったってことだ。いきなり殺されて財布だけ取られてもおかしかなかった」
「……ニール」

 ニールはしかし、矢継ぎ早に遮られるのを恐れるように話を続ける。

「そん時のことは、もうあんまり覚えてねえんだ。変なクスリで飛んでたし。ナイフなんかじゃ、何の役にも立たないって思い知った」

 悪夢みてえだったけど、とニールは低く吐き捨てる。

「最後の方、俺はひたすら父親を呼んでいたよ。助けに来てくれるんじゃないかってな。……あいつら、嘲笑ってた。お前は父親とこんな事をヤッてるのかって」

 ファーザーファッカー、と小さく呟いたニールにグラハムは手を伸ばそうとして、思い止まる。話の終着点まで待っていてやるべきだと、我慢弱い己の手綱を引き締めた。

「次の明け方、ガキだったせいかクスリが抜けるのも早かったらしくてさ、やりたい放題でぐったりしてるそいつらを置いてなんとか逃げ出した俺は、そのまま家に帰って、シャワーを浴びてクソ忌々しい服を全部ゴミ箱に突っ込んで、部屋から着替えと競技用のライフルを引っ張り出した。実弾をあいつらの数だけ握って、帰り際に目を付けてた隣のビルの非常階段の一番上の踊り場までこっそり駆け上った。ライフルのケースを開けて組み立てる間、少しも手は震えなかった」

 一気にまくし立て、そして、とニールは声を潜めた。ここからは、殺人の告白だ。

「起き上がって動き出したあいつらを、俺はライフルを構えて狙い撃った。……全てヘッドショットだ。弾丸がなくなった時、俺は安堵の息を吐いて空を見上げた」

 そりゃあ、抜けるように青かった、俺の国じゃないみたいに。とニールは続ける。

 グラハムは目を閉じた。その瞬間、少年は自分の世界が変わったことを知ったのだろう。

「ケースに分解したライフルを仕舞って、俺は階段を下りて、そのままその足で手近でいちばんいかがわしげな酒場のドアを潜り、人を殺せる男はいらないか、たった今殺してきたところだ、と言い放った。……そっから、俺の人生は始まったのさ」

 その後に自分がやらかしたことを考えたら、前払いでも追加請求が来るくらいだ、とニールは話を締め括った。

 グラハムはどう思っただろう、と考えると、時間が再び動き出すのが怖い気もする。ここまで話すつもりはなかったのに、と後悔しても今更だった。

 散々に穢れた己の過去のことを知らせてしまった。こんな事、言うつもりはなかったのに。恋人が陵辱された体験のことなど、誰が知りたいものかと今更ながらに申し訳なくなる。

 初めての引き金は、家族の復讐の為ではなく、自分自身の為に引かれたものだった、などと。

 一度も依頼をしくじったことがない、伝説の凄腕スナイパー。

 全く躊躇いもなく、引き金を引く冷徹無比な狙撃手。

 憧れを込めて呼ばれたこともあったし、だからこそロックオン・ストラトスにも選ばれたのだろうが、果たして自分は本当にそれを望んでいたのか、とニールが思い返すより先に、グラハムの腕が伸びてきて、今度こそニールは胸に抱き締められた。

「……人を撃つのは、苦しかっただろう」
「そこ、かよ」

 喘ぐように言ったが、男は取り合わなかった。

「プロのハンターでも猿を撃つのさえ躊躇うというのだ」
「俺のトリガーは復讐だ。……別段、なんてことは」

 ねえさ、と言おうとしたのに、続く言葉はニールの舌の上でもつれてしまう。

「強がらなくていい、もうそんな引き金は二度と引かせない」
「……」

 ニールがどこか呆然と見上げてくるのに、グラハムはまずその額に、頬に、瞼にキスを落としてから、しっかりと口唇を重ねた。

「もう一つ言わせて頂くと、君を抱くのは私だけだし、この僥倖を誰に譲る予定もない」
「あのな、」
「君を泣かせるのも、……私だけ、だ。ニール」

 おいで、と抱き締められて囁かれて、ニールは鼻の奥がつんと痛くなってくるのを感じて狼狽えた。まさか、泣こうとしているのか、自分は。今更、過ぎ去った過去のことで。

 羞恥で身悶えしそうになりながら、ニールは辛うじて残されていた理性で突っ張ってみせる。

「どうせなら、鳴かせてくれ」

 赤くなって潤む瞳を見せないようにしながら、ニールは辛うじて堪えてそれだけを囁いた。意地を張らなければ、グラハムに取りすがって慰めて欲しいと言ってしまいそうだった。

「それは、ニール」
「なあ、……こんな俺が嫌じゃないなら、しようぜ」

 もう一回、と囁かれて、既に夕日の最後の名残が残る部屋で、グラハムは金髪を残照に煌めかせながら、言われるがままに男の身体を組み敷く。

 そういえば、あの後男に抱かれるのだけはトラウマになってて駄目だったんだが、それもこの男が易々と覆していったんだったな、とニールはぼんやり思いながら、身体に伸びてくる手を受け入れた。

 二度と無理だと、同性との性行為で感じることなどないと思っていた。……実際、グラハム以外に性的な目的で触れられると思うと、嫌悪感で身体が震える。

(なのに、……こいつにだけは何で俺、身体を開く気になったんだろう)

 思っても、答えは出ない。初対面から否定し続けたが、触れられた瞬間に自分が変わってしまったことは分かった。

 グラハムの手だけは、間違えようもない。愛情を伝え、教え込み、優しく触れては、ニールの身体の熱を易々と高めてくれる。快楽は理屈ではないのだと、何度しみじみ噛みしめたことか。

「ひとつ、言い渡しておくが」
「ん?」

 金髪の男が口を開いたので、ニールの意識はそちらに戻る。グラハムは微笑み、ニールの口唇に口唇を重ねる。

「君がこんなに情熱的で、快楽に従順で、……ベッドの中では人が変わったように大胆だと知っているのは、私だけだと自惚れさせてもらっても?」

 かああっ、とニールの頬が赤くなった。ニールの身体を最初に踏み荒らしたのはあの男達だったかもしれないが、快楽を教え込んだのは確かにこの男に違いなかった。

 そうだ、こんな風に乱れるニールを知っているのはグラハムだけだ。それでも。

「……なんで、疑問系だよ、ばかやろう」

 早く続けろ、と囁きながら、ニールはもう二度と過去の悪夢は見ない、とどこか安堵の息と共に瞳を閉ざしたのだった。

 感じられる確かな熱に、全てを委ねて。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 そしてその夜、ニールはあの時のことを夢に見た。

 悪夢の始まりは決まっている。訳の分からない薬を飲まされて、脱力して抵抗できないところを押さえつけられて衣服を引き剥がされる、そこまではいつもと同じだったと思う。

 諦めて、染みだらけの天井を見て何も考えないようにしたことも。

 それなのに。世界は、急変してしまった。

「そこまでにして貰おう!」

 一人目の男がニールの身体に突っ込んでくる前に、大音声と共に薄暗い部屋の扉が開いて、金髪の男が部屋に入ってきた。

……幾ら夢の中とはいえ、道理を無理で押し通す男だとはいえ、余りにも無茶苦茶だ。

 夢の中だというのに男達も呆気に取られていたが、一番呆然としていたのはニールだった。

 なぜ、どうして。

 思う暇もなく、金髪の男は次々に無駄のない動きで荒くれた男達を倒していく。ニールもよく知る、無駄の全くない鍛えられた軍人の動きだ。

 唖然としたとニールが見守る目の前で、全ての男を叩き伏せたグラハムは、ニールの元まで近付いてきて、着ていたスーツの上着を脱いで着せかけてくれた。

「私は、間に合ったようだな」

 軽くウインクをしながら肩を抱き寄せて聞いてくるのに、ニールは何度も瞬きをした後、ばかやろう、と呟いて、俯いてしまった。

 鼻の奥がつんと痛くなって、ぽろりと目尻から涙が零れる。

「まに……あった、とか、夢なのに」

 だって、グラハムは今現在の大人の姿だ。過去のこの時点でそこに居る訳がないのだ。そんなことくらい、分かっている。

 これは、……全て、夢だ。それなのに、なんて幸せな。

 それでも、奥底に沈み込ませたままじくじくと痛み続けていた心を救って欲しかったのか、と考えると、どこまで自分はこの男に甘えているのだと恥ずかしくなる。

 掌に視線を落とす。銃で人を殺めることを知る前の、ふっくらした少年の手だ。銃タコもなく、血で汚れてもいない。

 ふっと、子供らしくない苦い笑みがニールの顔に浮かぶ。

(分かってるよ、過去は、変えられない)

 きっとすぐに、この優しい夢からも目を覚ましてしまうだろう、それでも。

 気遣うように抱き上げられ、男の首筋に腕を回しながら、ニールはもうきっと二度と、悪夢を見ることはないだろう、とそう感じて、ゆっくりとグラハムの首元に顔を埋めた。

「……ありがとう」

 やっと発することが出来た言葉は、涙混じりだったと思う。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 目を開けると、傍らで眠る金髪の男の碧色の双眸は閉ざされていた。軽い寝息に、知らず口角が上がる。

 夢の中と寸分違わぬ整った表情は、あの強い意志を湛えた緑柱石の双眸が隠れていると、酷く幼い。

 グラハムの視線はニールの全てを支配するほど時に力強くなる。傷つくことも痛みも、何もかも知り尽くして、ニールを包み込んでくれる、そんな大人の男の意思を持った視線だ。

 どこまでも甘えていたくなって、ニールは身体を寄せて男の体温を感じて、匂いを胸に吸い込んだ。甘い陶酔が、ひたひたと心の中を満たしていく。

 昨夜は散々に、いや、昨日は夕方からそういう行為に溺れていたのだ、全身の倦怠感はひどいし、腰のだるさは特筆ものだと言える。それでも。

 ニールは手を伸ばし、グラハムの頬に触れると、口唇に口唇を重ねた。

 暫く探るようなキスを続けると、目覚めたのか、応えるように相手も動いてきて、腰に腕が回される。

「……おはよう、ニール。今朝も随分と、情熱的だ」

 掠れた声に耳元で囁かれて、ニールは腰の辺りが甘く疼くのを感じた。

 そんな君も嫌いではない、と続けようとするのに、ニールは起きたばかりで立ち上がっている己のそれを相手のものに擦り付けてみた。

 ぱちり、と流石に大きく瞳が開く。……それはそうだろう、ニールはともかく、相手の方が硬いのはただの生理現象だと思う。

「ニール?」
「しよう、ぜ」

 飽きず同じ言葉を繰り返すと、流石にグラハムが盛大に瞬きをした。それでも、ニールの腰を引き寄せて体勢を入れ替えてくるのだから、大したものだと言わざるを得ない。

「どうしたというのだね、……私は嬉しいが」

 これ程幸せだと、やはり君が飛んで言ってしまいそうで不安だ、と呟きながら胸元に口唇を這わせてくる男の頭を抱え込みながら、ニールはバカだな、と呟く。

「ほんとに、人の夢の中まで改竄しやがって。無茶苦茶なんだよ、あんた」

 お陰様で、ばっちり夢の中身が書き換えられてしまった。次からは、悪夢の筈が途中でグラハム・エーカー武力介入版に差し替えられることだろう。

 無論、あの時の引き金の感触が脳内から消えることはないし、変わらずグラハム以外の男からの接触には嫌悪感を抱くはずだ。

(だけど、……変わらねえからって諦めた俺をなんとかしようとしてくれたのは、あんただけだったな)

 逃避なのかもしれないが、それならそれでもう、いいのではないかと思った。グラハムが側に居てくれるなら、ニールはきっと知らなかった、失われた自分を取り戻すことが出来る。

「……よくわからないが、君の役に立ったというのなら、どういたしまして、と答えておこうか」

 こちらはまだ大丈夫か、と後ろに伸びてくる指に身体の力を抜きながら、ニールは男の首に腕を絡める。

 きっと今日は一日ベッドからまともに動けないだろうが、それでも今は男をこの身体の中に迎え入れて、奥深くで感じたかった。

「分かってねえなあ……」

 あんたが俺を変えられる、たった一人の人間なんだよ、とは流石に照れ臭くて言えず、ニールは足を開いて熱を暴いてくる身体に応えながら、甘い声を上げて男の名前を呼ぶことに没頭したのだった。



 






>>>END.



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モブ仔ニルの続きを聞いていたので、こっそり描かれない部分を書いてみたもの。
道理を無理で吹っ飛ばすグラハムは健在です。

 

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