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ダカールは地球世紀にはアフリカ大陸の一番西側にある国、セネガル共和国の首都であった街だ。
大西洋に面した海岸線から突き出した半島の先にあり、西アフリカを代表する都市として町中には高層のビルが建ち、都会の喧噪が突如出現する。しかしそこから一度外に出たならば、目に見えるのは広大な赤い砂漠、続く白い砂浜、美しい青い海、温暖な気候、そして陽気で人懐っこい人々。
その、ダカールの近くにバラ色に輝く湖がある。
塩が名産になるほどの塩分とプランクトンで不思議なバラ色に輝くその湖は、旧地球世紀の頃には世界的な自動車レースのゴールに定められていたこともあった。
もっと古くには、黒人奴隷の出荷がこの間近の島で行われている。
圧制と隷属の歴史にまみれたその土地の海岸線を、今二人の男が並んで無言で歩いていた。
赤道の下の太陽に片方の髪の毛は燃えるように赤く、もう片方の髪の毛は黄金に輝いていた。赤毛の男の方が沈黙に耐えかねたように口を開く。
「この湖さ、『ラックローゼ』っていうんだって。薔薇色の湖、ていう意味なんだってさ。」
「ほう。」
「ハヤトに聞いたんだ。塩分と微生物でこんな七色に輝くんだと。」
珍しく博識なところを披露したアムロは、傍らの先程から無口な男を見上げて、その表情に初めて苦笑した。
「そんな顔、するなよ。今日はお疲れさん。大活躍だったじゃないか、"シャア・アズナブル"。」
「…意に沿わない活躍であったが、な。」
男の顔色は冴えない。普段はどちらかといえば饒舌な男の低調な様子に、アムロが心密かに溜息をつく。
「でもさ、あれで世界中にあなたの理想が伝わった訳だろう?」
言ってみたが、シャアが復調してくる気配はなかった。ちょっと気分転換に散歩にでも、と誘い出したのは逆効果だったかな、とアムロが内心溜息をつく。
そのまままた暫く二人は黙りこくって歩いていたが、不意にシャアの方から話を切りだした。
「天とは全く皮肉なものだ。なにも、ダカールでなくても良かったのだ。」
「え?」
「この土地でなくても良かったのに、と言いたかった、…ずっと。」
言いながらスクリーングラス越しの瞳でアムロを見据える。この土地に来てから強い日差しの所為か、元々の色素が薄いシャアは偏光グラスを手放したことがない。アムロが釣られて見つめ返すと、淡々とした言葉が続いた。
「知っているか、アムロ。地球世紀の頃、この土地は奴隷貿易で栄える港だった。」
告げられた内容に、宇宙生まれで地球の歴史にはさほど強くないアムロは思わず息を飲んだ。土地の謂われなどそもそも拘ったことも考えたことすら…無かったのだ。言葉もないアムロに向かってシャアは語り続ける。
「丁度、ダカールの沖には島があって…その島からこの土地の原住民達は人としてすら扱われず、手足に重い枷を填められ、荷物と同じよう船底に並べられて『出荷』された。…この海を越えた向こう、アメリカに着くまでに何割か生き残ってさえいれば良かった、足りなければまた捕まえて連れてくればいいだけの話だったから。」
「…!!」
感情を交えずに原稿を読み上げるかのようなシャアの言葉の調子は、返ってアムロの胸の中に当時の光景を想像させた。金髪の男の全身から沸き上がってくる怒りとも哀しみともつかない感情の渦のようなものの影響も有るかもしれなかった。気分が悪くなり、微かに顔色を蒼くして俯く。けれどシャアは容赦をしない。終わりのない怒りを込めて、人類に対する弾劾を続ける。
「白人の優位と黒人の隷属、先住民族との果てのない抗争、宗教対立に弾圧…人類は時代が変わっても同じ事ばかり繰り返す。スペースノイドとアースノイドの確執を見ろ。地球生まれが宇宙生まれより何ほど偉いと言うのだね…馬鹿馬鹿しい。」
吐き捨てるように言い放ち、シャアは偏光グラス越しにアフリカの直射する日差しを見上げた。
なにもかも見通していながらただ全てを等しく照らすだけの太陽の存在を憎むかのように。
「この土地はきっと、私の過去の亡霊を呼び寄せるのに十分だったのだろうな。隷属の歴史か…」
呟きながら、視線を落として湖の表面に青い瞳を哀しげに走らせる。
アムロは何も言えずに男の背中を見ていた。ジオンの後継者として、スペースノイドの希望の星として、この男は生を受けた。その肩に課せられたものは余りに重く大きく、多い。放り投げることを是としない生真面目なこの男が、それに潰されてしまわなければいいが。
―――そして自分がそれを少しでも減らして解き放ってやることが出来ればいいのだけれど。
その、ふと啓示のように浮かんできた感情をアムロは言葉として構築しなかった。無論、アムロ以外のことに気を取られているシャアは気づきもしなかったかもしれない。戸惑っての行動ではなかった。今はまだ、形にする時じゃないと整理を付けたアムロの心は存外に落ち着いていた。
しばらくは別々の想いを胸に抱えたまま二人ただ黙ってざざぁ、という軽い波の音を聞いていたが、シャアは同行者のことを思い出したように言の葉を補って完結させる。
「こんなに綺麗な場所なのに、悲しいものだな。そうは思わないか、アムロ。」
「そうだね。」
アムロが少し困ったように微笑んで肯定すると、シャアは今度もアムロから視線を外して薔薇色の湖面のその遙か先の空との境界線を見はるかすような遠い眼差しをして、そして始めた。
「コロニーにはまだ歴史と呼ばれるような物は存在していない。全てはこれから始まり、これから形作られてゆく新しい辺境だ。願わくば、偉大なる宇宙のフロンティアの歴史が苦渋に満ちた物でなければいいのだが。…この土地のように、見る物に哀しみと胸に迫る物を与えるようなものに成らなければいいのだが。」
アムロはその自分自身に対する問いかけのようなシャアの台詞には返事をせず、ぽつんと一言呟いた。
「だからなのかな、こんなに綺麗なのに…どこか寂しげなのは。」
シャアが何かに気がついたように瞳を大きく見開き、苦笑して口を開いた。私に引きずられたな、悪かった、君はニュータイプだった、との謝罪付きで。
「なに、母なる地球も自然も、いつも雄大で華麗さ。見ている人間の想いが私達の視界に目隠しをするのだ。歴史や、想い出や…。」
そこで言葉を切り、微笑んでアムロを見つめた。先程までの厳しい表情も感情も消え去って、陽気で尊大な『クワトロ・バジーナ』が姿を現す。いつものアムロをからかう口調で指を伸ばし、突然の変化に戸惑うアムロの唇に触れる。
「ところでアムロ、折角の薔薇色の湖だ。こんな寂しい想い出だけをこの地に残して立ち去るのはこの美しい自然に対する冒涜だとは思わないかね?」
にっこり当然のように微笑まれて行われる提案に、アムロは首を振った。
「俺は全然全くこれっぽっちも思わないけど…あなたは納得しないんだろうなぁ……。」
背中に伸びてきた図々しい腕を抓ってやりたい表情をしながら、アムロが少し困ったように金髪の男を見上げる。
触れた感覚で分かる。アムロがただ綺麗だとしか感じなかった風景に、この男はこんなにも透き通って哀しい色を付けて見ている。偏光グラスの下にでも、押し込めてしまいたいような。
哀しい雰囲気を振り払いたくて、冗談めかして少し訊いてみる。
「で?いい想い出が作れそうなのか?」
「さぁ、それは今からのアムロの態度次第だな。」
戯けたように軽い口調で返されて、アムロは自分が仕掛けたにも関わらず気分を害した。
「そんなこと言うと二度と地名も思い出したくなくしてやる。」
「どっちでも別に構わんよ。…それが君との記憶ならば。」
思うよりも真剣に言われ、気障な台詞を言ったら蹴飛ばしてやろうと身構えていたアムロが気勢を削がれる。
「…俺との記憶が欲しいわけ?」
諦めたようにひとつ息を吐いてから呟くと、耳元に低くて甘い囁きが返される。
「いけないかい?」
「いけなくは、」
ないけれど、とまで言葉を紡ぐ前にもう黙れとでも言うように男が顔を寄せてきた。
一瞬躊躇した後、素直に受け入れる事に決めた。頬に触れた固くて冷たい感触に分かったからせめてスクリーングラスは外せ、と文句を付けるとシャアも素直にそれに従う。
一度重なった唇が再び重ねられる直前に、相手の口元から微かな呟きが漏れた。
「そういえば、殴られずにキスをするのはこれが初めてかもしれないな…。」
それがあなたの薔薇色の想い出?と視線だけで皮肉を言ってやりながらアムロは鳶色のその瞳を閉ざす。
アムロの閉じた瞼の裏に、薔薇色の光が弾ける。
シャアも同じ色を見ればいいと思いながら、両腕を伸ばしてその首筋に縋り付いた。
そして湖は、相変わらず薔薇色に照り映えながら二人の足下に小さな波を寄せては返し続けた。
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END.
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