シャーロットの慾望

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(あなたの痛みは 誰にもはかれないけど あなたが愛した 私は変わらないのに)


 地球に落ちて、二人であちこち数え切れない土地を渡り歩いた。

 暫く前から住み始めたこの地域には、多分何処かに昔馴染みの女性が住んでいるのだと仮の住処を探しているときにアムロがぽつりとシャアに洩らしたが、だからといって探そうとしたり連絡を取ったりする訳ではなさそうだった。

「でも、一度来てはみたかった、どんな所だろうと思ってはいたんだ。……そうか、こういう所だったんだな」

 感慨深げにそんなことを言うので、シャアがなにか思い入れでもあるのかい、と問うと、昔住んでいたらしい、というあやふやな返事が返ってきた。

「まだほんの子供の頃に、父親がそんなことをぽろっと言っていたのを聞いただけだから、本当のことかどうかも分からないんだけど、俺はこの辺りで生まれたらしいんだ」
「……それは」

 驚いた、と本当に驚いた顔で言い、シャアはどちらかといえば沈んだ色合いの清潔な街並みを見回した。近くの店などをチェックしておこうと二人で散歩がてら出かけて、静かな公園を見つけて、その中を歩いているところだった。他に歩く人もまばらな公園内を見回し、ここは綺麗な街だな、とアムロが突然話題を変えた。

「古くて、落ち着いている。でも、あまり長居はできなさそうだな」

 アムロの言葉は余りにも正鵠を得ていたので、シャアはただ、そうだなと頷くことしかできなかった。アムロがなにがしかの思い入れのようなものを土地に示すのは初めてだったので、できる限り長くここに留まりたいような気もしないでもなかったが、たまたま流れ着いたこの小さな街で、二人の姿は異分子に過ぎた。

「本格的に暑くなる前に、どこかもっと北の方にでも移動しよう」
「そうだな、あなたは暑いのがあまり得意じゃないから……」

 アムロはそう言って少し笑い、喉が渇いたから、どこか喫茶店でも見つけて入ろうと金髪の男を促して、先に立って歩き始めた。その背中に漂う寂寥感の欠片のようなものに目敏くシャアは気付いてしまったが、敢えて気付かない振りをして鈍感にアムロの隣に並んだ。アムロがシャアの慰めなど必要としていないことは本当の話で、それに青年をこの先の見えない長い旅路に引きずり込んだのは元々自分である、言えるはずもなかった。

―――淋しいのか、などとは。


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 一ヶ月ほども過ごすと、急に気候が湿気を多大に帯び、元々湿度は高かったが、此程ではなかったと、どちらかといえば乾燥した宇宙での生活に慣れている二人の体には、結構な重圧を与えた。
 シャアの方はそれでも服を着て人間らしい生活をなんとか保とうと必死であったが、アムロの方は既に常人の神経が溶けだしてしまったらしく、一日中家から出ずに、下着姿で床の上にのたうつ生活が続いている。

 その内に、今度は段々に雨の降る日数が多くなり、蒸し暑さと鬱陶しさの相乗効果で、アムロの機嫌はどんどん下降していった。シャアとしてもそろそろ移住しても一向に構わなかったのだが、少し調べものをしている結果が出るまでは、とつい出立を一日延ばしにしてしまっている。それでも、思わしい結果が出なくとも、夏前にはこの土地を去るつもりではあった。

 あまりに毎日陰鬱な気候が続くので、やかましいTV番組など見る気にもなれないらしく、それでも機械いじりをするには湿度が災いするのか集中力を欠いてしまうのか、ある日突然、アムロが一冊の本を手にシャアの元にやってきた。

「シャア、読んで」

 そんな言葉と共に押しつけられたのは歩いて二分以内にある図書館のシールが貼られた子供向けの本であった。どうしたのだと尋ねると、人気がある本の棚に並んでいたのを適当に借りてきたのだという。

「あんまり静かだと、退屈するだろ?」

 そんな風に言いながらどう考えても好みに合わないような少女が好みそうな恋愛小説を押しつけてくるアムロがシャアに甘えているのは目に見えていたので、シャアは苦笑しながら二つ返事で朗読役を引き受けたのだった。
 最も、その小説はやはりお気に召さなかったらしく、シャアがろくに読んでやらない間に、翌日にはアムロはまた、新しい本を手にシャアの元にやって来た。

 その日から、主に食事が終わった後などに、シャアがアムロに本を読んでやるのが二人の定番の日課になった。
 特に、どこにも出かける気も起こらないような一日中しとしとと雨が途切れなく降り続く日には、これは素敵なレクリエーションになった。アムロは、別にシャアの読んでいる本の内容にはあまり興味がないようで、それでも大人しくシャアの朗読に聞き入っているのは恐らく普段から好ましいと公言して憚らないシャアの声を存分に聞けるからのようであった。
 シャアの方も、そんなアムロを見ているのが決して嫌ではなく、声の届く距離で、時には椅子に座って本を読むシャアの足下にアムロが寄りかかったりしながらしっとりと二人寄り添う時間はむしろ歓迎すべきもののように思えていた。

 その内に、子供向けの本のシリーズを気に入ったらしいアムロが次々に借りてくるようになったので、シャアはそれは何巻で終わるのだ、と何気なくアムロに尋ねた。アムロは余程このシリーズが気に入ったらしく朗読されるのを待たずに読み進めていて、シャアが声に出して読むのは、アムロがここから、と指し示した所から始まる数頁だけ、しかも飛び石のような場面だけに限られていた。

 その時もアムロはその本を読んでいて、顔を上げてシャアを見ながら返事をする。

「うん? 図書館にあったのは七巻までだったな」
「そうか」

 低い声で呟いたシャアは、アムロが七巻を読み終えたらこの街を後にしようと心の中で密かに決意をした。そんなシャアの気持ちを知ってか知らずか、アムロはこれが終わったら六巻なんだけど、と呟いて本を閉じた。


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 夕食の後片づけをして、コーヒーのマグカップを抱えてソファに二人で腰を落ち着ける。今日はとみに雨足が強く、結局買い物にすら出ずに終日家に閉じこもったままだった。
 もうこちらの都合を伺うことすらせずにごそごそと本の用意を始めるアムロに、シャアは殊更ゆったりした口調で尋ねる。

「今日はどこからだ?」
「ここから」

 アムロが栞を挟んだ孔雀色の本を差し出すと、シャアは受け取ってぱらぱらとページを捲り、直ぐに読みかけの場所を見つけだして、声に出して朗読を始めた。


「ダンブルドアがおっしゃったわ。他人の正しさを許すより、間違いを許す方がずっとたやすい」ハーマイオニーが言った。
「ダンブルドアがね、ロン、あなたのママにそうおっしゃるのを聞いたの」
「ダンブルドアが言いそうな、へんてこりんな言葉だな」ロンが言った。…………

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』 J.K.ローリング



 そこでシャアは突然言葉を切り、顔を上げてアムロを見た。アムロは、最初から最後までじっとシャアの顔を見つめていた。唐突に、シャアは気付いた。アムロは、ここを読んで欲しくてシャアにこの本を渡したのだと。
 閃いたその考えに、シャアは微かに狼狽した。アムロがどんなメッセージを託したのかは今ひとつ分からなかったが、それでもただ一つ、アムロがシャアの隠し事に気付いていて、そしてその事を責めているのだということには気がついていた。
 シャアは無言で本を閉じ、胸のポケットから一枚の紙を取りだして、アムロに向き直った。

「アムロ、手を出して」

 言いながら、流石に声が震えそうになるのを抑えるのに苦労した。小さな紙片を持った指先は、みっともなく震えているかもしれない。書かれているのはちっぽけな数字の羅列、どうしてこれを手に入れようと思ったのか、それはシャア自身にも理解しかねる行動だったが、たったこれだけの為でも、シャアが相当に苦心したのは事実だった。

 過去のことを全て捨ててきたとは言わなかったが、それに近い状態だった。正式に失踪宣告されるまでにはまだまだ年月が必要だ。それまでは、慎重に息を潜めて暮らして行かねばならない、そんなことは分かっていた。

 分かっていたし、手に入れたからといって、シャアに益のある代物ではない。それでも、シャアは従順に手を差し出したアムロの掌の上に、その紙片を置いて、その上から手を握った。

「ミセス・コバヤシ、……君が嘗て『フラウ・ボウ』と呼んでいた女性の電話番号だ」

 アムロが弾かれたように顔を上げた。シャアの言葉を予測もしていなかったような狼狽えた表情がそこにあった。

「シャア」
「行ってきたまえ、私はここに居て、……君を待っているから」

 それだけを言うと、アムロの手を固く握ったまま、シャアはふっと青年の顔から視線を逸らす。

「私は君を許せる。君が間違っていても、そして君が誰より正しくあろうとも。……きっと、こうするのが正しいのだろう。だから君も、私を許してくれたまえ」

 アムロの手を離してしまえば、自分は再びこの途方もなく広い青い星でたった一人になってしまう。そんなことは分かっていた。あれだけの大騒動の末にやっと繋ぎ合わせた掌だった。―――例え一時でも、離したくなど、なかった。それでも。

 この土地に初めて来たときにアムロが見せた、どことなく不安げな頼りなさそうな表情が、酷くシャアの心を打ちのめしていた。ふるさとであるかもしれない土地でさえ自分のルーツを探したりすることもなく、想い出も語れず、ただ家の中で空想の世界にだけそのどこまでも高く飛べる純白の翼を広げているアムロのことが哀れだった。

 アムロはシャアの手の僅かな震えを感じ取ったに違いないが、暫く何も言わずにただ俯いて口唇を噛んでいた。彼にとっても残酷なことを言っているのは分かっていた。が。
 これは、正しいことなのだ、と、それだけはシャアは信じて疑っては居なかった。ただ、望まれている行為では決してなかったかもしれないが。長い沈黙の後、アムロはシャアの手からそのちっぽけな紙片を受け取ると、黙って部屋から出ていった。

 玄関のドアが開く音を聞いて、シャアは思わず後たった一巻だけ残された本を見て、発作的にその本を手に取った。この本さえ無くなれば、シャアがここから去る理由はなくなる。しかし、土砂降りの雨が降る窓の外にその本を投げようとして、シャアは思い止まる。

「自分を誤魔化すのは止めろ、シャア・アズナブル。そんなことはただの言い訳に過ぎない。アムロは行った、行ってしまったのだ」

 低い声で呟くと、シャアは静かにその本を手にして、窓を閉めて部屋の中に戻っていった。


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 がちゃり、とドアノブの回る音がして、部屋の中に住人の片割れが帰ってきた。一瞬、部屋の中の暗さに驚いたようだが、すぐに照明のスイッチを入れながら中にいるはずのもう一人の名前を呼ぶ。

「シャア?」
「……アムロ?」

 驚いた顔をして顔を上げた男は、小さなライトスタンドの明かりだけを点けて本を読んでいたようであった。その表紙を見て、アムロがやっぱり、と子供のように頬を膨らませる。

「ダメじゃないか、先に読んだら」
「……しかし」
「待っているって言った癖に、それを読んだら出ていくつもりだったんだろう」

 言いながらアムロはずかずかとシャアの元に近付き、手元から本を取り上げて、足下に放り投げる。借り物なのだから、と窘めるシャアの声が聞こえないように、そのままアムロは早口で語り始めた。

「やっぱり、ダメだった、俺は」

 それだけ言うと、ポケットからしわくちゃになった先程の紙片を取りだした。目を見張るシャアの前で、駅前の公衆電話までは行ったんだ、一応、とアムロが正直に言う。

「でも、ダメで。―――俺にはあなたの正しさは許せそうにもない、だから」

 言うと、アムロはぐしゃっと小さな紙を丸めると、ぽいとそれを口の中に放り込んでごくりと呑み込んでしまった。ぎょっとしたシャアが座っていたソファから立ち上がると、アムロは顔を顰め、泣き笑いのような表情になる。

「許さない。―――側にいなきゃ、あなたが」

 寂しくても苦しくても切なくても、それだけで良いのだとアムロの全身が叫んでいる気がして、シャアは思わずくらりと目の前が揺らぐほどの眩暈を感じた。

 物語の完結を見届けることはどうやらできそうにもない、明日にでも自分はアムロの手を引いて、離せるはずの腕を再び捕まえて、ここから逃げ出すのだと。これからもそんな日々が繰り返されるのだということに、窒息しそうだった。こんなことは間違っている。けれど、もう、道を質すための勇気を一度使い果たしたシャアには、それを再び是正するだけの気力は残っていなかった。

 弱いな、とシャアは呟き、君も私も、という続きは呑み込んで、ただ腕を伸ばしてアムロをその胸の中に抱き込んだ。いつの間にか、あれだけ激しかった雨の音すら、もう二人には全く気にならなくなっていた。


(その時感じた これが私の愛だと あの人のために 繰り返し泣いていたいのです)






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+++END

 

 

お誕生日企画のリクエストの一つですよ(笑)
たしか、「梅雨時にシャアに本を読んで貰うアムロ」というのが。
あんまり甘くできない自信があったのでお礼には選ばなかったのですが、
案の定甘くできませんでした……。

あと、何故かやけにハリポタとガンダムの共演を推す声が多かったので、
ハリポタ登場させてみました。(笑)シャアが朗読したのは6巻です。
それと、梅雨なので日本ということで、
多分これ山陰のどっかです。
え?
岩国?
それじゃあもう二人はこの後バイストンウェルにいっちゃう!(笑)

最初と最後のは、charaの「シャーロットの贈り物」ですよ。

 

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