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何か欲しいものはないか、足りていないものは、と言われてアムロは顔を上げた。
「…はい?」
「いや、君もこちらに来て、一ヶ月が経つだろう。そろそろ、こちらの生活にも馴染んできたころだと思って」
足りないものなども出てきているのではないかと思ったのだ、と言われて、アムロは小さく笑った。
「普通に単身でこっちに来てたら、そりゃ困ったことだらけだったかもしれないけどね」
現在、アムロが生活しているのは、ネオ・ジオン総帥シャア・アズナブルの公邸の一室だった。
普通なら状況に萎縮してしまったかもしれないが、シャイアンで豪邸での名誉職飼い殺し時代を送っていたアムロは、既に一度華麗な牢獄を知っている。
包み紙ばかりがけばけばしかったシャイアンの私邸に比べればこの公邸は質素な方かもしれないが、そこかしこにシャアの趣味が行き届いた空間は、物珍しくて心地よかった。
暮らしている、という実感もあるし、何よりも。
ここには、あの頃にはなかった自由がある。―――会いたい人も、側に居る。
不足どころか、その気になれば手を叩けば望みのものが届けられる状況にいて、何をどう困ればいいというのだか。
苦笑しながらそう告げると、シャアはそうか、と言って口を閉ざした。
「なに?なんか、不満そうに見えた?」
「ではないが、君は余りに無欲だからね、聞いてみないと不安になってしまうよ」
こんなものでいいのだろうかとね、とシャアが僅かに顔を顰めながら言ったので、アムロはもう少しで吹き出すところだった。
無欲だって!―――この俺の、一体どこをどう捕まえれば無欲などという単語が出てくるのだか。
余りのことに笑いに歪む顔を必死で抑えながら、アムロは軽く肩をすくめて返事をする。
「お気持ちだけ、有り難く」
「遠慮はいらないからな」
本気でアムロが遠慮しているのだと信じて疑っていない風な過保護な恋人を前に、連邦軍の青いジャケットを着こんで出勤の準備を整えたアムロは(もちろん、シャアの方はもう半時間も前にきちんと身支度を整えている)、ふむ、と考え込む素振りを見せた。
折角シャアがここまで言ってくれているのに、なにか思いついてでもみせたほうが可愛げがあるというものだろう。
なにかないか、と吟味して、ひとつ他愛ない願いを思いつく。
男相手に男が可愛げの話をすること自体相当恥ずかしい気もするが、そちらの羞恥心には蓋をして昨夜遠いところに放り投げた同じ所に再び投げ込んで、にっこり微笑んで下から上目遣いに金彩の男の顔を覗き込む。
「それじゃ…毎朝、『いってらっしゃい』のキスをしても?」
なるべく邪気のない顔で言うと、まず不意打ちのように軽いキスが降りてきて、びっくりすると強い力で胸元に引き寄せられる。
「可愛いことを、言うのがいけない」
耳元で甘い声で囁かれてびくっと竦み上がると、頬に温かい手が触れて、再び唇に柔らかいシャアのキスが重ねられる。
「……可愛いとか言われても、なぁ」
本当はあなた以外には全然可愛くないんだけど。音にせずに内心で呟いた苦笑混じりの本音には目を背け、アムロは三度目のキスは自分からねだろうと、すっかり見慣れてしまった赤い総帥服の広い背中に腕を回した。
「可愛いものは可愛いだろう。思ったままを言って、何が悪い?」
再び言い返された台詞に、流石に羞恥心を抑えきれなくなったアムロが、綺麗に後ろに撫でつけていたシャアの金髪を照れ隠しに両手でわしゃわしゃと掻き混ぜて乱し、お返しとシャアが益々強くアムロを抱き寄せて軽く耳朶を噛むとアムロが笑い声混じりの悲鳴を上げる。
おそらく、この一ヶ月で一番ストレスを溜め込んでいるのは、いつまで経っても私室から出てこない総帥とその宿命のライバル(だったはず)の青年を完全防音のドアの前で忠犬ハチ公宜しく待ち続ける親衛隊の青年であろうと推測される、
…………そんな平和な一日がまた今日も始まっていく。
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...end.
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