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グラハム・エーカーが恋人と待ち合わせたのは、繁栄しているとは到底言い難い地方都市の映画館だった。
出会える場所は殆どが相手からの暗号メールでの指定、まるでスパイ映画のような恋愛だった。
From Riddle,と書かれたメールが端末に来る度に、心を躍らせては開封してその謎を解く。
大抵は、初めて会った時に渡された地図の座標軸に沿った場所だったが、電子の地図で浮かび上がるポイントは図書館だったり、カフェだったり。
お陰様で、随分と雑学に詳しくなった。こういうのも悪くはない、歯ごたえのある恋人は好きだ。
恋人、と言っていいのなら、の話だ。
そういえば、と映画館で先に見始めた、やたらレトロな白黒映画を見ながら唐突に気付く。
自分はすっかり彼の恋人だと思っていたが、恋人同士らしいことは殆どしたことが無かった。
ハグも、キスも。……頬への挨拶程度のキスすら。
そんなことに気付いたのが映画の中でヒロインのラブシーンを見ていたときなのだから、もうどうしようもない。
その時、隣に癖のある髪を首元まで伸ばした青年が静かに座った。
相変わらず気配を感じさせない、と思ったが、今日は手にポップコーンを持っている。
いつもしている革手袋が油で汚れないか心配になったグラハムは、ポップコーンを一つかみ掴み取ると、そのうち一つを相手の口元に差し出した。
「……おい」
なんだこれは、とマナー違反を気にしたのか幾分低い声で囁かれたが、実のところ、このスクリーンには観客は二人だけしか居ないも同然だ。
あと一人か二人くらい、室内には座っているのだが、一人は結構な音量の鼾をかいているし、もう一人も微動だにしないから、あちらも多分眠りの国の住人だろう。
だからこそ、相手も真っ直ぐグラハムのことを見つけて来られたのだろうが。グラハムは短く返事をした。
「手袋が汚れる」
「……あァ」
そんなこと、と僅かに苦笑し、あんたって妙なところだけ気が回るよなと呟いた男が、グラハムの差し出した指に口元を寄せてきた。
差し出したポップコーンを口唇で受け取って、ついでに少し塩気のある指先をちろりと舐めていく。
背筋がびくりとしそうになったが、なんとか平静を保って見せた。
もういっこ、と強請るような声が耳元でして、言われるままひとつ、またひとつとポップコーンを差し出す。
一つかみのポップコーンは直ぐに相手の口に消えてしまって、これでおしまいだ、と最後の一つを差し出した時に、男はグラハムの手首を掴んで、指先を口にくわえた。
「……っ、」
流石に微かに声が漏れてしまう。同時に、指先にキスをする仕草が、先程の映画のラブシーンと同じだ、という事にも気がついた。
ヒロインの動きを、男はなぞっている。……もしもこの映画を見たことがあるのなら、完全に確信犯だ。
それならば、とグラハムは逆に隣に座る男の頬に手を伸ばす。
ニール、と男の名前を呼んでやると、触れた頬、唇の端が少しだけ嬉しそうに上がる。
こちらを見ていた青い瞳がスクリーンの中のヒロインの動きをトレースでもしたかのように自然に閉じられていくのを見て、正解だったか、と思いながらグラハムは自らも口唇を寄せた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
映画が終わって、エンドロールを最後まで見ずに外に出ると、まだ日は高いままだった。
この後は食事にでも行って、その後、と考えた所で、グラハムは鳶色の髪の男の方に向き直る。
「確信犯だったのかね?」
「なんのことだよ?」
ポップコーンなどと手を使わなければ食べられないようなものを買ってきた所から、グラハムはもしや既に相手の術中に嵌まっていたのではないかと怪しんでいたが、男は空惚けていた。
「まあ、いい」
グラハムは肩を竦める。自分だって、同じ事を考えてはいた。
「……ただし、私は姑息な手段は好きではない。されるのは歓迎だが、するのは大の苦手でね」
そんなことを呟き、残ったポップコーンの箱を屑籠に捨ててきたニールの腰に手を回した。
結局、グラハムが食べさせてやった一つかみ以上は口にした様子がなかったので(しかも、場末の映画館に相応しく買った時点で既に冷めていたようであった)、相手の方の確信犯疑惑は益々深まる一方だった。
「おい、待てよ、真っ昼間の往来でなにを、」
言いかけた男の瞳を、にこやかに微笑みながら覗き込む。視線が合うと、赤くなって目を逸らす。
「大丈夫だよ、ニール」
「……何がだ」
唸るように言ってくる男の耳元に口唇を寄せる。今日はもう、自分の側以外、どこにも行かせるつもりはない。
「私達など真昼の月も同然だ。誰も私達など見ていないさ」
だから、と僅かだけ爪先を挙げて寄せた口唇を、鳶色の髪の男は拒むことは無かったのだが。
「……初めてのキスくらい、もう少し嬉しそうな顔をしてくれればいいものを」
「うるさい」
「あと、せめて目は閉じてくれないか」
「ああもう、やかましい!」
殆ど無表情に近くなって先に歩き出したニールの真意は、真っ赤に染まっている耳元からしか読み取ることができないようであった。
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+++END
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