未来の破片-The Insanity of War-




**********




【10】The Rose in the Deeps of His Heart



 吹き曝しのビルの屋上で、全く同じ顔をした男が二人、簡素な毛布だけを広げた上に付近の地図を置いて座り込んでいた。

 ジャケットを羽織った片割れが小さな水筒に入ったアイリッシュ・ウィスキーを傾けながら言う。陽が徐々に翳り、そろそろ肌寒く感じ始める頃合いだった。

「兄さんと一緒に狩りをするのは初めてだな」
「そうだな」

 弟の手から水筒を受け取り、ニールもアルコール濃度が高い琥珀色の酒を喉に流し込む。途端に胸の辺りから身体が灼けるように熱くなった。

「時間が昼間だろうからナイトサイトは多分必要ないだろうが、持ってきておいたよ。あと必要なものはあるか?」
「サンキュー、ライル。今のところは特にないかな」

 いや、と細々したことを全て引き受けているライルは首を振った。

「初代ロックオン・ストラトスのマークスマンができるなんて光栄だよ」

 ライルが微笑みながら言った。狙撃手は、基本的に単独行動のように思われているが、実際には二人組で行動することが多い。

 一旦狙撃体勢に入ると動けない狙撃手の動く目となり、対照の監視や着弾の成功などを確認するのがマークスマンの役割だった。

 ガンダムに搭乗しているときは主にハロが行っているそれを、生身のニールはライルに託すことにしたのだった。

「抜かせ、……次は俺がやってやるよ」

 苦笑するニールの手の中で、使い込まれたレミントンのライフルが鈍い光を放っている。今となってはクラシックに過ぎる武器だが、丁寧に分解して整備していく手付きはとても素早く、迷いが無い。それを見ながらライルはぽつりと呟いた。

「昔居たカタロンでさ。……兄さんの噂を聞いた」
「噂?」

 なんのことだ、とでもいうようにニールが顔を上げる。その、そっくり同じ造形の顔を見て、ライルはやはりいつもの奇妙な気分に捕らわれていた。

(どうして、俺たちは二人になって生まれてくる必要があったんだろう)

 どう見ても見間違えようのない一卵性の双子だった。物心ついたときには既にアイデンティティの確立について悩んでいたと言っても過言ではない。

 カタロンに身を置いていたあの頃、ライルは皆にコードネームで「ジーン1」と呼ばせていた。双生児であっても、遺伝子だけは自分のものだと、粋がってそう主張している気だったのだが。

……学生時代、何かの折に遺伝子調査で双子は見分けられないと聞いて、半ばやけっぱちで付けた名前でもあった。

「ある日突然姿を消した、アイルランド系の凄腕のスナイパー、『グリーンシャムロック』の話、って言えばいいのかな」

 そうだ、カタロンでさえ、兄を超えることは出来ないと痛感させられた瞬間だった。はっきりした個人情報はソレスタルビーイングのせいか消されていたので、彼とライルの間の血縁を疑う者は居なかったが、ライルは聞いただけで誰のことなのか分かってしまった。

「ああ」

 ライルの言葉を聞いて思い当たったらしいニールが苦笑を浮かべた。自分で名乗ったわけではない名前は、どうしても耳慣れない上にむず痒くて、つい反論をしたくなる。

「狙って外した獲物はないけど、気に入った仕事じゃなきゃ絶対引き受けなかったらしいじゃないか。現場には、青々としたシャムロックが一つ」

 あれは俺がやり始めたことじゃない、と言おうとして、ニールは口を噤んだ。

 この話は、茶化すべきではない。そして、ライルがそう聞いていたのなら、それで全てなのだ。

「誰の話だろうな。生意気な若造だ」
「絶対、一人だけで仕事をしてたらしいけど」

 そうだよ、と心の中だけでニールは呟く。誰も信じなかった、誰も心に入れなかった。復讐を誓って、己の心を磨り減らしていった。

 死ねばそれまでだったが、家族の、ライルの学費の為にとそれだけがニールの心をこの世に繋ぎ止めていた。……あの頃から、ニールの救いはただ弟に在ったのだ。

 ひとごろしをして稼いだ汚い金で大学までやったので、ライルがカタロンに入ったのだろうかと悩んだこともあったが、心の支えがぐらついたときにもう一度彼を支えたのがグラハムだった。

 両親、エイミー、ライル、刹那、ティエリア、アレルヤ、スメラギ、フェルト、イアン、ラッセ、リヒティ、クリス。……そして、ひょんな事で共に過ごす時間を持ったグラハムとビリー。

 誰一人欠けても、ニールは今この場所には立っていなかった。それはソレスタルビーイングや、ハロやガンダム・デュナメスも同じ事だ。

 だから。一度は失ったと思っていた命をもう二度と無駄にはしたくないというのが、ニールの偽らざる本音でもあった。

 今度はこの命の全てを、復讐ではなく、愛すべき人々と生き延びるために費やすのだと。

「……失敗したくねえんだ」

 この世で一番優秀なマークスマンが必要だ、と言いかけるニールに、ライルが笑って肩を叩く。

「光栄だ、って言っただろ。任せてくれていいよ」
「ありがとな」

 笑うニールに、ライルはがらりと切り替えた真剣な顔で話を切り出した。

「兄さん、……ずっと考えてたんだが、ソレスタルビーイングに帰ってこないか」
「ライル」

 弟の提案を聞いて、ニールが流石に驚いた声を出した。

「なあ、兄さんの乗ってた機体は残ってるし、ハロだって兄さんの分もいる、それに」

 ライルはそこでぐっと声を低めた。

「兄さんがここに残れば、多分エーカー少佐は軍を抜ける」
「!!」

 ぎょっとしたが、ニールにも分かってしまった。弟の言うことは正しい。

「俺には分かる。あの人は、兄さんのように譲れないものがある人じゃない。もっとしなやかに自分の人生を切り開いていく男だろう」
「……」
「触れたものから砂漠が水を吸うように吸収して、いつか不毛の大地にだって花を咲かせられる。……どこか」

 そこで、ライルは言葉を切った。ニールが困ったような顔をして、続きを促す。

「どこか?」
「刹那にも、似てる」
「……」

 ニールは黙ったまま首を横に振った。自分自身を餌に、そんな方法はあまりにも卑怯だ。

「あいつは、生まれながらのモビルスーツのパイロットだ。それ以外ができるだなんて思えない」

 言うニールに、ライルが即時に反論した。

「軍人ではなくても空は飛べるだろ」
「ライル、お前あいつとちゃんと話をしたか? 骨の髄まで軍人じゃないか!」

 叫んだ瞬間、弟からのカウンターを喰らう。

「じゃあ変えてしまえよ!!」
「!」

 兄さんは、良くも悪くも他人の人生に影響を与えるように生まれついている、とライルは続けざまに言った。

「俺はそんな兄さんの呪縛からはもう抜けた。……アニューの愛情が俺を変えてくれたからな」
「ライル」

 どこか戸惑ったニールの言葉を聞きながら、誤解をするな、とライルは付け加えた。

「ああ、悪いって訳じゃねえぜ? 俺には十字架みたいなもんだったが、刹那もティエリアも、……あいつらを変えたのは兄さんだ」

 だけど、とライルは続ける。ここで兄に顔を上げさせることが、他の誰にも出来ない自分の仕事だとライルには分かっていた。

 兄は、自分自身の価値を低く見積もりすぎていると思う。

 ニールの頑なな胸の奥まで届く言葉を探せるのは、同じ魂を持つライル・ディランディだけだ。

「兄さんは自身は変わらない、変えられない人だ、そんなこと百も承知であの人は兄さんを選んでる」

 駄目だ、とニールが絞り出すような声で言った。

「俺は、あいつに……空まで捨てさせられない」

 バカだな、とライルは言った。

「空は、兄さんが与えてやればいい」
「……」

 勘違いするな、とライルは兄の両肩を掴んで軽く揺さぶる。

「あの人は兄さんの庇護対象じゃない、立派な大人だ。自分の事は自分で決められる。だから兄さんも好きに決めて良いんだ」
「ライル」
「それに、兄さんだってもう気付いてるんだろ? エーカー少佐が間違いなく自分を選ぶって、兄さんはもう知ってる口調じゃないか」

 それを聞いて、ニールは酷く狼狽えたように視線を彷徨わせた。気付いていなかったのかと、無自覚の傲慢さを恥じるよりも先にライルがしっかりしろと兄に発破をかける。

「無理なら説得しろよ、どうあっても離さないとか言っちまえ。逆に説得されたら兄さんの負けかもしれない、でも、ぶつかる前から諦めんなよ、……俺の勘だけど」

 ライルはそこで言葉を切った。

「逃げたらきっと、兄さんはあの人を失うと思うぜ……やっと見付けた運命なんだろうが」

 ニールは暫く黙って渡されたウイスキーを飲んでいたが、ややあってぽつりと口を開いた。

「……同じことを言うんだな」
「ん?」
「弟から逃げるなって叱られて、ソレスタルビーイングに無理矢理引っ張ってこられたんだ」

 誰にとは言わなかったが、ライルには十分伝わっているはずだった。

「へえ」
「ここで会わないと二度と会えなくなるから、殴られても軽蔑されても戻れ、会えるんだからって、命までは取られないから安心したまえ、って……酷い話だろ」

 確かにひどいなとライルは笑いながら言う。

「本当だな、プライドの高い兄さんには死ぬより辛いだろうに」

 ニールがやっと青い瞳に普段の陽気な色を戻して片割れの顔を見上げる。

「……分かってるんだ。本当に俺のことを考えてくれていることくらい。……お前も。ありがとうな、ライル」
「礼ならグラハムさんに言えよ」

 階級で呼ぶような堅苦しいのはさっきので止めにしたライルがそう言って肩を竦める。

 同時に、世間知らずの箱入りテロリストなニールには、やっぱり世慣れた保護者が必要だなと兄に気付かれないようにちらりと思った。

「あいつに言うのは礼じゃない」

 ぼそっと言ったニールの、どこか拗ねたような言葉を聞いて、ライルがさっと顔を赤くした。

「……ああ、そうかよ、ご馳走様!」
「待てよ、俺まだ何も言ってないぞ?」

 ニールが目を瞬かせるが、ライルはすっかり不意打ちで顔を赤くして頬を押さえている。兄の全身から出ている空気が既にすっかり甘ったるい。勘弁して欲しい、自分もアニューと居るときはこんな感じなのだろうか。いや断じて違うと思う、思いたい。

「いい、わかる、聞かなくても分かるさ、双子だろうが!」

 畜生、大体こっちに来てから延々いちゃついてやがってそういえば、俺はアニューに触れられてもいないっていうのに、と呻くライルをしげしげとニールが眺めた。

「……」
「なんだよ」

 じろりと睨んでくる上気した目元に、ついついニールも軽く吹き出した。……双子であることをこんな風に明るく受け止められる日が弟に来るとは。

「いや」
「なんだよ、ちくしょ、何をにやにやしてんだよ!!」
「いやいやいや、弟よ、兄は嬉しい」

 笑い転げる兄の手からウィスキーを取り上げてやけっぱちのように煽りながら、さっさと準備に取りかかれ兄さん、作戦を立てるぞ、と地図を広げたライルは言ったのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 時間が等しく経過し、その日は、訪れた。

 ニール・ディランディは、完全に周囲の風景の一部と化していた。コンシールメントは完璧だ。

 反射を隠すために擬態させたホロサイトのスコープ付きのライフルをバイポットを立てて構え、ギリースーツというよりは何処にでもあるような服装に身を包んだ男が一人、ビルの屋上に身を伏せているのだ、どう見ても怪しい光景の筈なのに、何故か誰の目にも留まらない。

 吹き渡る風と呼吸は同化し、体温は冷たいコンクリートと同じに溶けて、ニールは引き金を引く指先だけの感覚を残して、意識を世界に向けて拡散し続けていた。

(グラハム……俺が護ってやる)

 それだけが、ニールの思考に時折混じるほんの僅かな自我の欠片だった。

 その時、見慣れた金髪が視界の隅を掠める。グラハムが待ち合わせ場所にやって来たのだ。ティエリアが立てた作戦には、ライルが詳しいはずだった。

 繁多なフィールド・クラフトの殆どをライルに任せていることは、ニールの気持ちに余裕を生んでいた。余計な雑音は抜きで、ニールは只、引き金のことだけを考えていれば良かった。

 耳元の無線にライルの声が入る。現場近くで索敵をするライルは、目立つマークスマンライフルではなく、拳銃を持って移動しているはずだった。

『兄さん、エーカー少佐の後ろのビルの十二階の端の窓だ。あれがスナイパーだな。あと、公園の木立にも刺客らしきのが居るな』
「……どっちから?」

 バイポットで固定されたライフルのスコープから目を離さないまま、ニールが静かな声で聞いた。

『カウンタースナイピングを狙った方がいいな。近距離の敵はエーカー少佐なら何とかすると思う。俺も居るし、刹那達も潜んでいる』

 直ぐにライルのそんな返事が返ってくる。

「了解」
『距離を測る?』

 グラハムが射程距離に入るまで、向こうのスナイパーも動かないはずだった。ソレスタルビーイングの動きを警戒もしているだろうし、逆に人質にすることも出来る。

 スコープ越しに、ニールは相手のスナイパーの手元の銃を一瞥した。照準の中で、敵のスナイパーが着々と準備を整えているのが感じられる。

……それはニールの手にしている銃より随分と大型で新式なものではあったが、しかし道具の性能が命中率の絶対的な差分ではないことを、誰よりもニールは熟知していた。

 神懸かりのショットを撃てるような男には、やはり神か悪魔が憑いているのだ。一人の人間の癖や習慣を知り、そしてそのどこか近しくも感じる人間に終焉を迎えさせる狙撃手という仕事を、ニールは嫌悪しつつも自分には向いていると認めざるを得なかった。

 ニールが手にしている銃は、銃身からニールが選びに選び抜いて手入れを怠らなかった半生の相棒だ。ソレスタルビーイングに入ると決めてから封印していた武器の重みがニールの肩にずしりとのし掛かる。

 狙撃手の無防備な顔が見えて、ニールは撃てると確信した。理屈では無い、狩る方と狩られる方の立場が決定しただけだ。

「いや、……十分狙い撃てる」

 それを終わりにニールは人間から風景の一部に戻った。グラハム・エーカーには、「ソレスタルビーイング」が付いている。それがはっきりしている以上、今回のことで傷一つ付けるわけには行かなかった。

(グラハム、俺があんたを守ってやるよ)

 呟くと、己の魂を活動停止の直前まで追い込む作業に入る。過酷で、孤独、そして背徳的に過ぎる。この強烈な孤独感に耐えうる忍耐力の無い人間に、そもそもスナイパーなど勤まるわけがない。

(誰にも感謝なんかされない、ヒーローになんてなれない)

 しかし、復讐と人殺しに人生を明け暮れたニール・ディランディには相応しい仕事だ。

 スコープは敵のスナイパーを捕らえていたが、ニール自身は強烈にグラハムの存在を捕らえていた。

 狙撃手の動きが俄然緊張を帯びてきたからでもある。相手がトリガーを引く数秒前に仕留める。ニールは心を凍り付かせた。

 相手が、偽装したライフルを伏せた姿勢で構えるのが見える。綺麗で無駄が無い動作だが、ある程度の未熟さが見て取れた。訓練などされていないのだろう、撃ちたそうに筋肉がむずむずしているのが感じられる。

 若いな、とニールの口角が上がった。

(駄目だぜボーヤ、グラハムはそんな浮ついてて撃ち取れる獲物じゃあない)

 そう、自分自身がカウンタースナイプの脅威に晒されているとは露程も思っていないあんな狙撃手では、グラハムは狩れないだろう。殺気すら漏れ出ている。

 しかし。ニールは心の中だけで軽く詫びる。

(悪ィな、だけど俺は、あんたを狙い撃つよ)

 無線かなにかで連絡が入ったのか、狙撃手が本格的に狙撃姿勢に入った。ニールの指先がトリガーに力を加えていく。スコープは、敵スナイパーの頭を捕らえていた。

 ヘルメットくらい支給して貰えよな、次に生まれ変わったら。……ニールが最後に考えたのはそんな事だった。

「狙い、撃つぜっ……!!」

 銃声が響き渡った。……のは、ニールの脳内だけで、実際はサイレンサーの付いた銃口から静かに弾丸が発射されただけだった。

 スコープ越しの視界の中で、ぱっと赤い花が散り、相手の狙撃手が伏せていた窓際に寄せた机から転がり落ちるのが見えた。ライフルもそのままに。よし、死んだ、と感慨の無いカウントが脳内に響く。

 完全にニールの脳内のスイッチが狙撃手としてのチャンネルに切り替わる。感情がどこかに抜け落ちていく。

 ニールはそのままスコープ越しの視界を下界の公園に移動させる。グラハムは落ち着き払ってそこに立っていた。

 その背後に、ライルが言っていたらしい刺客。ああ、ナイフ、あれはスペッナズナイフだから、飛び道具だな、とニールは判断し、照準を合わせて引き金を引いた。事件の状況など、もうニールの脳裏には然程の影響も与えない。

 ぱん、と赤い花がもう一つ弾けて、男が倒れるのが見える。ナイフを持つ手を狙ってみたのだが。と己の中でその事象を片付け、次へ。

 続いて、グラハムを起点に、少し離れた所を。そこの相手は、アレルヤに取り押さえられていた。次、と視界に入った複数の男は、ライルが反撃している。

 グラハムも女性を抱えて逃げ、そちらに合流しているようだった。女子供をティエリアと刹那に預け、自らはティエリアから拳銃を受け取って取って帰っている。

 そこは任せ、ニールは周囲を見回した。指揮官は何処だ、と思った次の瞬間、ライルから聞かされていた狙撃に良さそうなポイントの一つに、士官の軍服を発見する。

 あれが獲物だ、と直感が告げた。

 双眼鏡で公園の銃撃戦を見て、携帯端末で何か喚き散らしている。男の血走った目が視界に入り、ニールの心が凪いだ。

 外しはしない。狙いも、勘も、銃弾も。

 ニールの照準が、軍人の胸を捕らえた。……狙い撃つ、と口唇が動き、そしてニールは己の目的を達成したのだった。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 おおよその戦闘は収束に向かい、最後の一人をライルが手にしていた拳銃で狙い撃つ。とんでもない早撃ちを披露した現ロックオン・ストラトスは、そのままグラハムに駆け寄った。

「大丈夫か?」
「ああ、流石の腕だな」

  途中から相手が指揮系統を失ったように無軌道になったようだったが、というグラハムに、ライルは肩を竦めた。銃声一発で、一人きりで戦局を変えられる唯一の駒……それがスナイパーだ。

「そいつは兄さんに言ってやってくれ。流石の俺でも鳥肌もんだったぜ」

 兄さんあそこ、とライルが指差した場所の遠さに、グラハムは流石に目を見開いた。

「なんと!」

 驚くだろ、あれで普通だっていうんだぜ、とライルは苦笑した。

「相手のスナイパーが狙うような場所じゃ意味が無いから、だってさ。俺も驚いたけどね」

 ちょっと代打はできないと思ったね、とライルが肩を竦めた。その後で、あんたさ、とグラハムに聞く。

「スナイパーが居ることには気付いてたのか?」

 グラハムはそれを聞いて正直に頷いた。

「購入していた武器のリストを見た限り、居てもおかしくないとは思っていたが……ニールが姿を消したから、きっと大丈夫だろうと」
「……へえ」

 感心したように金髪の男を見た後、ライルは抑えた口調で切り出した。お節介だとは、分かっていたが。

「兄さんは、優秀な狙撃手だった」
「そのようだな。指揮系統が乱れたのは、どこかに潜んでいた指揮官をニールが仕留めてくれたのだろう」

 なんだ、分かっていたのかと言いかけて、ライルは目の前の男が優秀な軍人だったことを唐突に思い出した。

 黙ってニールを行かせるはずだ。その決意も矛盾も、グラハムの中には既に存在しているものに違いなかった。ライルの理解に気付いたのか、グラハムから口を開く。

「……ライル君は、軍に所属したことは、ないんだったな」
「ああ」
「狙撃兵は、その役割の特殊さから、途方も無い精神力と忍耐力を要するものだ。私のように我慢弱い男には、到底勤めることは出来ない」

 なぜなら、とグラハムは労しそうにも思える表情で続けた。

「彼等はターゲットの生死を己の目で見届けることを要求される。茫洋と弾を撃つ結果としての殺人ではない」

 分かっていて行かせたのか、とライルの視線が語っているのを理解しつつも、グラハムは目を閉じた。

「ああ、そうだな……」
「……」

 止めることなどできん、と微かな声が告げるのを、ライルはそうだろうな、と呟くことで返した。

 庇護対象でなどないのはお互い様だ。戦い方を知っている男が二人なのだ。男女の恋愛のようには行くまい。

「彼等にとって、最も大切なのは、戻れる日常があることだ。私は狙撃手にはなれないが、ニールにそちらを用意することは出来る」
「相互依存か。……悪くないね」

 ははっ、とライルが笑う。グラハムが僅かに微笑み、ニールの居る遠くの屋上へ思いを馳せるように視線を上げた。

「願わくば、共倒れにならないまま、互いが見ている方向を合わせたい。それは困難かもしれないが、挑む価値はあると思わないか」
「あんた、強いな」
「違う、変わったのだよ。……そしてそれは私だけではない、あの戦場を戦い抜いた君も知っているはずだ」

 グラハムの視線が、刹那を向く。

「少年を変えたのがニールだというのなら、私は私の元に巡ってきたものを、彼の手に返すだけだ」

 不毛の戦場に花を咲かせた奇跡のイノベーター、刹那・F・セイエイ。……全てを見通すような鳶色の瞳が視線に気付いてグラハムを見て、どうした、とでもいうように丸くなった。

「やれやれ、ロマンチストだね、と言いたいところだが……俺も見ちまったからな、あの花を」

 刹那を見ながら笑い出す男二人に、青年が分かってない表情でなんなんだお前達は、と呟く。

 グラハムが表情を真顔に戻してライルの方を改めて振り向いた。

「私など、元々ロマンチストな乙女座の男だ。信じたいな、……人の心の光を」
「ああ、全くだ」

 また一頻り笑った後で、涙を拭いながらもそうだ、いいことを思いついたとライルはいい、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「兄さん、丸二日飲まず食わずであっちのビルの床と同化してたからな、流石に現役でもなし、直ぐにはこっち来ないと思うんで」

 そこで言葉を切り、ライルは人の悪い微笑みを浮かべる。

「迎え撃つぜ、ってどう」

 それを聞いたグラハムが一瞬驚いた顔をして、にっこりと笑う。

「ふむ、悪くはない案だな」
「そうだろ、行ってらっしゃい。お迎えはあちら」

 ひらりとライルの手袋をした手がニールの居るビルの方角を指し示した。本来なら護衛はマークスマンの仕事だが、もうお役御免でいいだろう。とりあえず、電話でもしてアニューの声が聞きたい。

「……弟君には迷惑をお掛けする」
「いいえ、あの偏屈な兄を貰っていただけるだけでもこちらとしては御の字で。……ああそうだ」

 胸のポケットからタバコの箱を取り出しながらライルは言った。一本を口にくわえて、火を点ける。紫煙をくゆらせて、胸に嗅ぎ慣れた香りを吸い込んだ。

 ミッション中は、匂いが残るのを気にして禁煙するので、殊の外この一本は美味に思えた。

 点った煙草の火を視線で追いながら、グラハムがゆっくり尋ねる。

「なにかね?」

 ライルは心ゆくまで一服を味わった後、煙草を口から離して、にいと微笑んだ。

「俺、兄さんにソレスタルビーイングに帰ってこないかって言ったんですけど、いいですよね?」

 呆れたな、とグラハムが目をくるりと回しながら言う。予想の範疇内といえば、確かにその通りだが。

「ああ、ニールが決めることだ」
「俺、前々から思ってたんですよね」

 煙草を再び口にくわえながら、ニールが口元に笑みを浮かべたままで言う。

「?」
「洒落た酒とシャツの話ができる兄貴が欲しいな、ってね」

 私だってそれ程は詳しくないが、とグラハムも苦笑する。

「血の繋がった方は?」
「諦めました」

 漂う紫煙をふうと吹き散らかして、ライルは肩を竦める。

「飲みに行きましょうよ、今度一緒に、是非腹を割って」
「……それも、ニールの決めることだな」
「本当ですか? そう言ってくれると思ってたんすよね。兄さん頑張ってくれないかな」

 にやにやと笑いながらライルが言い放つのに、そんなに簡単な男だと思って貰っては困るぞ、とグラハムも苦笑する。

「先にミス・スメラギを煽ってみてはどうかね、ニールはカタギリに随分懐いているぞ? 説得役にはうってつけだと思うがね」
「そんな絡め手もありですか! いいこと聞いた」
「ただし、カタギリには結婚秒読みのフィアンセが居る。そちらも併せて口説かなければならないだろうけれどな」
「……えっ? なんでそういう重要なことはもっと早く言ってくれないんですか!」

 とてつもなく腹黒い会話を繰り広げるグラハムとライルを見て、アレルヤがそっと身体を震わせる。

「可哀想なロックオン……」

 いや、幸せなのかな、と呟いた言葉に対する答えは、どこからも返ってこなかった。ティエリアは女性と子供を連れて去り、刹那も呆れ果てた様子で撤収を始めている。

 まだ事後処理は数多残っているものの、とりあえず最大の危機は去ったと思っても良かった。


 その後、見事に皆の前にお姫様抱っこで登場したニールが、やっぱり恥ずかしいからソレスタルビーイングには残れないとさめざめ弟に泣きつくのはその夜の話であった。














**********

+++END

 

 

ここまでお付き合いありがとうございました!
ちょっと書いてみようと思った割に長くなってしまってびっくりしていますがまあいつものことですね!
直前の話もそのうち公開します。

 

 

 

 

 

 

 

 

+++ back +++