|
**********
【9】踵で愛を打ち鳴らせ
グラハムを連れてニールが皆の待つホテルに辿り着いたのは、既に夜が明けてからの話になってしまった。
刹那、ライル、アレルヤは既にガンダムを隠して帰投してきていたが、モーターボートで海を渡り、その後人目を憚るようにしながら帰って来た二人はどうしても遅くなってしまったのだ。
ただいま、と言いながらホテルのドアを開けた瞬間、ついついゴールイン! と付け加えてしまったのも無理のない話である。
「お帰り、無事に帰れたんだね」
「おお、何とかな」
途中までは警護してくれていたアレルヤが安堵の表情で言ってくるのに、ニールは軽く笑って答えた。
「どこに隠れていたんです?」
ずっと付いているのも逆に目立つので、ハルートはモーターボートが接岸して二人が降りたのを確かめると現場を離脱していた。
「ん、海沿いのボート小屋だよ。明け方になって人が増えてきたから、混じって帰って来た……夜は、むしろ敵よりも怖いかもしれねぇし」
折角敵の目から逃れられても、何処から見ても異邦人の二人は観光客狙いの物取りの標的になりかねない。只でさえこの国は政情不安定で、治安が宜しくないのだ。
実際、夜は人っ子一人出歩いていないことも多かった。その辺りは事前にニールが他の人間と打ち合わせていた首尾通りの筈でもあった。
「青少年凶悪犯罪集団の掌握、傘下には麻薬組織……黒すぎて何も言えないな」
手に入れた、武装テロリスト集団の組織図を見ていたティエリアが呆れたように呟く。
「こっちだって。武器の輸入のルートが特定できたんだけどねえ、国が二個くらい壊滅するくらいのもの、買い付けているよ」
元々の勤め先が軍需産業のビリーも、どうやらティエリアの優秀な助手を務めているようであった。
「最終的には」
腕組みをして座り込んでいた刹那が目を開けて一同を見回す。
「俺たちは俺たちのミッションを全うするだけだ」
ガンダムマイスター達はそれを聞いて改めて頷き合う。
「グラハム・エーカーとロックオンはこれで外れてくれてもいい」
ティエリアがニール達の方を振り向いて言った。とんでもないとグラハムは首を振る。
「そうは行くまい、私にもまだやり残したことがある」
スレーチャー少佐の娘とその家族の身柄の確保ができていない、とグラハムが勢い込んで言ったが、隣で聞いていたニールは小さいあくびをした。
「何でもいい、俺はとりあえずシャワーを浴びたい……」
砂まみれだ、ついでに眠い、とぼやくニールの耳元で、グラハムが低い声で他には聞こえないような囁きを落とす。
「中には出さなかった筈だが?」
さっとニールの頬が淡く染まる。
「……あほ」
ごすっと肘打ちを不埒な男にお見舞いしておいてから、ニールはじゃあまあ、後は任せたと言って立ち上がる。
「どこへ行くのだね、ニール」
私を置いていくつもりか、と言外に聞かれ、その通りだったら良かったんだがとニールは肩を竦めた。
「一度ホテルに帰って、シャワー浴びて着替えてくるよ。どうせ直ぐには動かないんだろ?」
ティエリアの方を向きながら言うと、紫紺の髪の青年はこくりと素直な髪を揺らしながら頷いた。ニールがグラハムの腕も掴む。
「ほら。お前も一回帰ろうぜ、グラハム。お前さん、ちっとは寝ろよ。ずーっとちょこまか動いてたら、周囲の迷惑だろ」
「迷惑とはどういう……」
言いかけたところで、グラハムの胸で携帯端末が鳴り響いた。グラハムは端末を出して映像オフの通信を立ち上げ、どうやらメールだったその文面を読んで、ふっと表情を厳しいものに変える。
「スレーチャー少佐の娘から連絡が来た。……三日後に、もう一度子供の引き渡しをしたいのだというのだが」
皆を見渡しながら言うのに、ティエリアがメールの転送をグラハムに依頼する。グラハムは直ぐに応じて携帯端末を操作した。
「間違いなく、罠ですね」
アレルヤが言うのに、ああ、と刹那が即答する。前夜は威嚇だけで相手は撤退してしまったし、刹那達も深追いはせずに撤収したが、ソレスタルビーイングの介入も分かっているだろうし、なにより。
「ガンダムを見てしまっているからな」
今回は、と端末に転送されたメールを改めて見ながらグラハムは言った。隣に、ティエリアがダカールの市街地図も呼び出してくれたので、その一点を押さえる。
「市街地の真ん中にある公園を指定してきている。モビルスーツは入れん場所だ」
「行くんですか?」
アレルヤに聞かれて、グラハムは当然のように頷いた。
「知れたことだ。虎穴に入らずんば虎児を得ずというでは無いか」
「あんたは火中の栗を拾い過ぎなんだ!」
すかさずニールが切り返し、グラハムの手から携帯端末を取り上げてティエリアに放った。ティエリアが目を丸くしながら端末をキャッチする。当然、グラハムからも抗議の声が上がった。
「何をする!」
じろりとニールがグラハムを睨む。なにをするはこっちの台詞だ。
「あんなもん、向こうも誰がメール打ってきてるかわかんねえのに、返事も任せちまえよ。あんたは暫く、俺を通じて以外の外部接触は禁止だ」
そして俺は、取りあえず寝る、と言い切って、ニールが弟分達を振り返る。
「じゃあ、その待ち合わせとかの返事、頼むな?」
「ああ、きちんと繋ぎをつけておくよ」
ティエリアがモニターに視線を戻しながら言ったので、ニールは皆にひらりと左手を振った。
「じゃあ、帰るぞ」
言うと、今度こそニールはグラハムの首根っこを引っ掴んで歩き始めた。
「に、ニール?」
「やかましい、お邪魔だって言っただろう」
「しかし、カタギリを見たまえ!」
「カタギリさんはお役に立ってるからいいの! トラブルメイカーは自重しろ!」
はいはい行くぜ、とグラハムを半ば引き摺るように出て行った兄を視線で見送り、ライルは仲間達を見渡しながら言った。
「誰か、兄さんをまた妬かせたのか?」
まさか、とんでもない、という抗議の言葉があちこちから上がったのはいうまでもない。
☆ ★ ☆ ★ ☆
ホテルの部屋に戻ると、ニールは着ていたTシャツをいきなり脱ぎ捨てた。掻き混ぜた髪の毛が既に潮風でべたついている。
惜しげも無く晒された上半身のしなやかな筋肉から、グラハムは慎ましげに視線を逸らした。ニールはそんな態度に気付いているのか居ないのか、ジーンズのリベットにも手を掛け、途中で気付いたように振りかえる。
「まず、シャワー浴びようぜ、体中が砂と潮風でべたべたしてるし……」
言うと、先に靴と靴下を脱ぎ捨てながら、ニールはその姿でバスルームの扉を開けに行った。
「そうだな、確かに」
初めて気付いたようにグラハムも言い、ジャケットを脱いでベッドの上に放る。順番は、と聞く前に、背後から伸びた手に反転させられ、シャツの胸ぐらを捕まれて、噛みつくように口づけられた。
「……ん、」
口内を散々に蹂躙して舌で口唇を舐め、顔を離すと、上気した顔でニールは金髪の男を睨んだ。
「昨日、半端なところで突っ込むの止めやがった恋人が居るしな、すげえ気分が悪いんだ、俺は」
恨みがましい口調で言われて、グラハムは思わず苦笑していた。
「仕方がなかろう、スキンの用意すらなかった」
砂漠の砂は不衛生だとビリーが言っていただろうと、グラハムも言い分がありそうだった。理性的だなあんた、とニールが顔を顰める。
「じゃあ、……さ」
腰をすりつけられて、履いているジーンズ越しでも感じる硬い熱にグラハムが呻き声を上げる。
「ちゃんと、してくれ」
「ニール」
喘ぐように言われて、グラハムはごくりと唾を飲み込んだ。
「ぜんぜん、足りねえんだ、……あんたが」
昨夜も、珍しくも己で服を脱いでグラハムの上に乗り上げてきたのはニールの方からだった。どちらかといえば清潔そうな外見の青年が、急に凄絶な色香を放つのに、グラハムが圧倒される。
自分の中の何がこんな風に彼を煽るのか、グラハムには未だに理解できないことがある。……嬉しくは、あるのだが。
「ニール」
熔けた熱い青色の瞳が、ちろりと口唇を湿す赤い舌が、グラハムの碧色の視線を占有していく。
(あの、陽気で人のいいニール・ディランディは幻か)
ごくりと唾を飲み込む。何度抱いてもどこか硬く、物慣れない身体はその癖強烈なまでに甘く、グラハムを虜にしていると言っても間違いでは無かった。
耐えがたい力に引き寄せられるように、ニールを抱き寄せて荒々しく口づける。んぅ、と小さく呻く声が聞こえたが、鼻に掛かるそれさえグラハムを煽る効果にしかならなかった。
服を放り投げたベッドの上にそのままもつれるように倒れ込んだ二人が、シャワーを浴びることを思い出すまでにはまだたっぷりとお互いがお互いの補給をする時間が必要なようであった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
一寝入りした後、シャワーをゆっくり浴びていたグラハムが部屋に戻ると、先にシャワーを終えていたニールが荷物を纏めているところだった。
その横顔からは、先程まで濃厚に漂わせていた夜の気配は微塵もなく拭い去られている。
「ニール?」
驚いて、バスローブ姿のまま声を掛けると、身支度を調えて皮手袋をした手が軽く上がる。既に服も見慣れたベストを着た姿に戻って居た。
「……俺、ちょっと二、三日消えるわ」
さりげない口調だが、込められた意思は固い。真っ直ぐにグラハムを見る青い双眸に宿った色を確認して、グラハムは全てを悟った。
「ニール、……」
それ以上の言葉は、さしものグラハムでさえどうしても音にすることが出来なかった。一人前の男が一度決めたことならば、口出しをするのは無粋に過ぎる。
まして、ニールが熟考と葛藤の末に選び取った道なのだ。グラハムが口を出せるような所はとうに過ぎ去ってしまっている。
人を、とグラハムは数世紀前の何かのテキストで読んだ文章を思い出していた。
人を殺した者は、例えそれが子供であれ、もう無垢には戻れない。ニールは最初から復讐とその贖罪の道を探している。ならばそれは、同じような軍人という道を歩んでいるグラハムが手を出すべき領域では無かった。
ニールを止めることは、グラハムが自分自身の生き方を否定するにも等しい。それでも、心の片隅では、君には戦わせたくないという本音が蜷局を巻いていたが、グラハムはその本音に重石を置いて抑え付けた。
ニールは小さなスポーツバックだけを持つと、グラハムの肩をぽんと叩いて部屋のドアノブに手をかける。背中越し、柔らかな声が耳に届いた。
「グラハム、……作戦当日は側にいてやれねえけど、しっかりな」
その言葉を聞いて、グラハムは全ての言葉を押し殺し、ただ頷いた。こんな時でまで兄で居なくてもいいようなものなのに、年上はどちらなのだと言ってやりたい。
「分かった」
ニールは安心したように少しだけ振り返るとグラハムに向けて笑いかけ、薄い唇を開く。リズミカルな旋律にも似た言葉が、その間から紡ぎ出された。
「……The wrong of unshapely things is a wrong too great to be told;
I hunger to build them anew and sit on a green knoll apart,」
低めの甘い声が、彼の故郷の詩人の言葉を乗せてグラハムの胸に届く。
「With the earth and the sky and the water, remade, like a casket of gold
For my dreams of your image that blossoms a rose in the deeps of my heart.」
目を背けもせずに聞き終えたグラハムが、そのままの表情で言う。
「……心の中の薔薇か、イエイツかね」
「正解だ。随分俺の好みを覚えたな」
嬉しそうにニールが微笑む。よく言う、とグラハムは呆れた表情をしたが、すぐに笑顔が取って代わった。そうだ、と以前軍に戻ると決めたときに自分が彼に伝えた言葉を思い出す。
男が戦いに出るときは、常に死と隣り合わせだ。ならば、笑顔で送り出すことが、待つ方の務めである、と。
だから、心の底からの笑顔で送りだしてやろうと思った。
「君の為なら、どんなことでも喜びだ。もしも世界をやり直したいと君が願うのなら、ニール、私は……」
「その言葉、頂いた」
ニールが微笑みながら言うのに、グラハムが首を傾げる。
「……?」
「そっくりそのまま、あんたに贈る」
さしものグラハムが、話の展開に取り残されて目を瞬かせる。
「言葉を、かね」
「いや」
ニールは首を振る。
「俺流に言うならば、この醜くも美しい世界、って所かな」
「ニール」
この世界なんかみんなあんたのもので構わないとニールは嘯いて、バッグを肩に掛けた。
「俺が、……俺が作り替えて、あんたに贈るよ、グラハム」
だから待っていて、とさっぱりとした表情で言うニールに、グラハムは何も掛けるべき言葉を持たず、そうか、とだけ言って頷いていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
コンコンとノックの音がして、一番ドア近くに居たアレルヤの返事を待たずにドアが開く。部屋の中に居たティエリアと刹那とライルが一斉に入ってきたニールを見た。
「よお」
「どうした、ロックオン」
湿った髪の毛を乾かしさえしていないニールの青い瞳が己の分身の方を見つめる。気付いたライルが振り返って首を傾げた。
「ちょっとな、二、三日、ライル借りてっていいか」
「……俺?」
驚いた顔でライルが言った。借りるとは、一体何に、と言いかけるのをニールが制する。
「ちょっとな、ギリーが必要なんだよ」
「ギリー?」
ティエリアが発したその質問には、ライルが自身で答えた。
「……狩りの案内人のことだ」
言いかけて、自分でその言葉の意味に気付いたように大きく目を見開く。
「まさか、兄さん」
「……どうする?」
ニールの問いは素っ気なく、イエスかノーかの返答以外の全ての質問を拒絶していた。それで、ライルも腹を決める。
「分かった、行く」
きっぱりと言って、ライルは立ち上がった。
「悪いな」
「お互い様、さ」
軽い口調で返した後、でもさ、と続ける。
「俺が行ってもいいのか」
「馬鹿言うな、家族だろ。甘えさせろ……お前だから、力が借りたい」
ライルが真摯な表情で頷く。その様子を見て、残りのメンバーもニールの決意に気付いたらしかった。ティエリアが血相を変えてモニターの前から立ち上がる。
「ロックオン、まさか、あなたが戦うのですか」
「ああ」
ニールは短く言って、微笑んだ。眼鏡の青年がかっと白皙の面に血を上らせる。
「あなたはもう、ソレスタルビーイングの構成員じゃない、ガンダムマイスターでもない! 無理に戦う必要なんて、身を危険に晒す必要なんて……!」
激高したティエリアが言いかけるのを、刹那が制した。
「勝てる可能性は高いのか? そして、その為のライル・ディランディか?」
「ああ、無駄に死ぬつもりは全くないさ」
ニールははっきりとした言葉で言い放つ。それは己の中のガンダムマイスター、ロックオン・ストラトスとの決別でもあった。
「俺は、俺自身で闘うさ。……そうだ、俺はこの先も戦い続ける。俺が望む世界のために」
青い瞳が、僅かな揺らぎも無く刹那を捕らえた。じっとその視線を見つめ返して、刹那が小さく頷く。
「……そうか、ニール・ディランディ。それがお前の出した結論ならば、戦え」
ただし、と刹那が付け加える。
「辛く、厳しい道だぞ」
「元より承知だ、俺は生憎、骨の髄から狙撃手でね」
露悪ぶってみせて、いけね、と首を振る。真っ直ぐな瞳が、俺を信じろ、とでもいうように刹那を射貫いた。
「俺は、俺自身が満足する世界を求めて戦う。それが俺だ。ロックオン・ストラトスではない、俺の戦い方だ」
ニールが刹那と話している間に手早くティエリアから情報と作戦を貰い、地図を手にライルがニールの側に寄った。
「行くか、兄さん」
「ああ、……頼りにしてるぜ、相棒」
ははっ、と嬉しそうに笑ったライルが、後悔させないぜと兄に請け負い、胸を叩いて見せた。
**********
+++END
|