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【5】オメルタの掟
ニールが一人で待つ宿にグラハムが帰ってきたのは、その日も深夜を回ってからだった。部屋に入るなり、グラハムはニールの隣のベッドに倒れ込んでしまう。
「流石に少し疲れたぞ、ニール……」
呻くように呟く男の方のベッドに移動して腰掛け、ニールはそっと労るようにその背中を撫でてやった。
「うん、お帰り」
「……」
黙ったまま、撫でられるままになっていたグラハムが、やがて身体を捻ってニールの手をそっと握った。安堵したような息を吐き、ニールの手を額に当てる。
「なにも」
「うん?」
柔らかな声音で先を促すと、一旦口を噤んだ男が再び言葉を紡ぎ始める。
「何も聞かないのか」
ああ、と言ってニールは苦笑する。ニールの中ではその話への決着は付いてしまっていていた。
「あんたが話したかったら、俺はいつでも聞く」
ほう、とグラハムの口から漏れた吐息が、安堵のものだったかどうかはニールには判別が付かなかったが。
「そうだな、……長い、話になる」
「うん」
ながい、ともう一度、今度はややろれつの回らない声でグラハムは呟いた。
「仕切り直して構わないか、君にはちゃんと全てを聞いて欲しい」
「分かった」
今はおやすみ、とぽんぽんと金髪の頭をはたくように撫でてやると、グラハムが忍び笑う気配がした。
「どうした?」
「いや、……まさかこの私が、止まり木に戻る鳥になるとは」
呟くと、完全に身体を反転させて、傍らに腰掛けるニールに向かって腕を伸ばす。
「君を少し、補充させて頂けるだろうか」
「馬鹿野郎、聞くなよ。嫌だって言いたくなっちまう」
ニールは上体を倒し、胸元にグラハムの顔を埋めるように抱きついてやる。癖のある鳶色の髪の毛で遊ぶように指を絡めていた男に口唇を強請られて、覆い被さるようにしながら重ねてやると、Tシャツの背中をぎゅっと握りしめられた。
「ニール」
「うん?」
黄金の髪の毛を梳きながら聞いてやると、翠の双眸が揺らめきながらもしっかりとニールの姿を捕らえる。
「子供を二人、脱出させて欲しいと言われた」
ニールは驚いた顔でグラハムを見返した。それは、昼間の女性に関してのことだというのだろうか。大凡、彼が自発的に受けてくる類いの依頼ではない。
「子供……」
「今日会っていた、彼女の子供だ」
低い声でグラハムは続けた。やはりそうだったのかとニールは思い、刹那の慧眼に感謝をした。そうではなければ、今頃冷静には聞けていなかっただろう。
「君たちと別れた後、もう一度彼女と会って、そのことを依頼された。彼女の夫はどうやらこの国で『やり過ぎた』ようだ」
命を狙われているというより、はっきりと監視下に置かれて見張られているようだが、子供の命だけは助けたいのだと懇願された、とどこか疲れたような口調でグラハムは言った。ニールが尋ねる。
「相手は、ソレスタルビーイングのターゲットか?」
ニールの問いかけを聞いて、グラハムは彼らがある程度の所まで推測が着いているのだということを把握したようだった。
「はっきりとは分からんがね。まだ茫洋としている。……踏み込んでみていいものか」
珍しく躊躇うように言ったグラハムの鼻先をぺろりと舐めてやると、びっくりしたように視線が上向いたので、にやりと笑ってやった。
「らしくないぜ、ライセンサー」
「……ニール」
「好きにするんだろう? そう宣言してたじゃないか」
ニールがわざと戯けたように言うと、そうか、そうだな、とグラハムが持ち前の強気な笑顔を取り戻す。
「そうだな、君が居る」
「俺?」
「……そう。君のことを考えると、私は途端に我慢弱い只の男に引き戻される」
囁きながら、グラハムが僅かに上体を起こして再び口唇を重ねてきた。応えるように何度も同じだけキスを返してやっていると、嬉しそうな微笑みを浮かべ、新緑の瞳に熱情を浮かべた男が、ニール、と名前を呼んできた。
「……もう、寝ようか。明日も早い。私は先に出るが、君は眠って居てくれ」
その言葉の裏側には隠しきれない熱情が潜んでいるのが分かったが、任務中だという意識がさしものグラハムにも頸城を掛けているようであった。なので、ニールも何も言わないようにする。
触れ合った身体はどちらも熱を帯びているし、ほんの微かなキスや触れ合いで容易く解け合いそうな甘い雰囲気が流れてはいたが、ニールは金髪の男の気持ちを優先させることにした。
「ああ、そうさせて貰うよ」
最後にもう一度名残惜しそうに口づけると、ニールは身体を起こして、せめて着替えてから眠れよな、と金髪の男を促したのだった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
空気は、微動だにしないほど静まりかえっていた。噛み殺すようにして呼吸を数えていたニールが、暫くして諦めたように上体を起こす。
「おい、グラハム。まだ起きてるか?」
低い声での問いかけには、案外はっきりした返事が返ってきた。
「……ああ」
「じゃあ、ちょっとこっち向け」
ごそりと空気が動く気配がした。暗闇の中でも真っ直ぐ降り注ぐグラハムの視線を感じつつ、ニールが静かに口を開く。
「なあ、俺たち、ここに来るまでだって、いろんな事を話したよな」
「そうだな」
また、しばしの沈黙が流れた。しかしそれは決して不愉快なものではなかった。
「無論、あんたの振ってくる話は愉快なことばかりじゃなかったし、正直なんでこんなに話をさせられるんだろうって鬱陶しく思ってたこともあった。……けどな」
「ニール」
金髪の男が静かに名前を呼ぶ。この部屋は随分と安普請で、こんな深夜に下手な物音を立てると、隣に筒抜けになってしまいそうなので、あくまで声は抑えたままだ。けれど、隣の寝台で眠る男にはそれだけで十分であった。
「お陰で俺は、あんたの言葉は信じられると分かるようになっちまった。言えよ、俺には。聞かせてくれ。あんたが何を考えているのか」
「ふむ、考えていることか」
グラハムが考え込むように言ったので、ニールも相槌を打つ。
「ああ」
「ではまず、君を抱きたいな、ニール」
笑いを含んで告げられた言葉に、ニールは不意打ちを食らって思わず真っ赤になってしまった。
「ば、ばか、あのな。茶化してんじゃねーぞ」
しかし、それに関しては不似合いなほど静謐な言葉が返ってくる。
「茶化してなどいない。君を所望したい、ニール」
君の暖かさが欲しい、と囁くような言葉が同時に降りてくる。
自分の方こそ、切っ掛け探しをしているだけなのは分かっていた。そしてそれを、自分の所為だと思えと促してくれるグラハムに甘やかされているのも。
ああもう、と呟いて、ニールは自分のシングルベッドから起き上がり、ぺたぺたと隣のベッドに近づく。
「ったく。寛大な恋人で良かったよな?」
照れ隠しにそんなことを言いつつ、上掛けを捲ってちょっと詰めろというと、グラハムが嬉しそうに腕を伸ばしてきた。
「その必要は無い、私の腕の中へ」
声を潜めながら、ニールがばかか、と男を小突いた。
「狭いつってんだろ! 落ちる!」
「パイロットに落ちるとは不吉な」
「うるせえ、避けろってほら、……抱き合えねえだろ」
な、と笑いながら膝でベッドの上に乗り上げると、伸びてきた力強い腕に思い切り抱き込まれる羽目になった。
暗がりの中で顔を見合わせ、どちらからともなく口付けを何度も交わして微笑み合い、お互いを抱き締める。ごそごそとシャツの中に這い込んでくる不埒な手を咎めずに、ニールは形のいい男の耳に何度もキスを落としていた。
首筋に口づけられて上がりそうになる声を抑えながら(なんせ、この宿の別の部屋には弟だっているのだ!)、ニールは男の米神に優しくキスを贈ってやる。
「ちゃんと起きろよ、明日。起こせねえぞ、俺」
暗に手加減は不要だと示してやると、グラハムも嬉しそうに笑う。そういえば、存外生真面目なこの男と共にあって、ソレスタルビーイングに来ることになってから抱き合うのはこれが初めてだった。
無論、プトレマイオスの中でなど、とてもこんな事をする気分になれなかったし……。思い返すと、久しぶりに過ぎる交歓は瞬く間にお互いの身体の熱を上げていく。
グラハムが、柔らかい声でニールに希うように囁いた。
「分かっているとも……ニール、力を抜いて」
「……ン、」
従順に身体を持ち上げるニールから衣服を剥ぎ取りながら、グラハムはしばし、我を忘れたように優しい熱に没頭した。
迎え入れて貰えるくらい潤沢に蕩かした狭い胎内に、自分のものを納めきったときはつい、満足の吐息が漏れて、どんだけ我慢してたんだ、と小さく笑われる。
抗議をしようと思ったのに、次の瞬間に切ない眼差しで俺も、と言われてしまうと、もうグラハムに選択の余地などありはしなかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
汗ばんだ身体を寄せ合って微睡んでいると、先程とは逆に耳元に名前を落とされたので、ニールは青い目をなんとか開いて顔を上げる。
「……んだよ?」
「そのままで、眠ってしまっていてもいい。……聞いて欲しい」
まだ熱情に掠れたままの声で、グラハムは過去の因縁を話し始めた。
「彼女の父親は、旧ユニオン軍において、フラッグと新規導入を争った機体、ブラストでの模擬戦の最中、墜ちて亡くなった」
「グラハム」
「ユニオン軍に導入される権利を巡る新型モビルスーツ同士での模擬線があって、……その時のフラッグのテストパイロットは私だった」
ただ静謐に語られる言葉の端々にグラハムの当時の苦渋が滲んできているような気がして、ニールは気付かれないように目を伏せた。
「……そっか」
「結果的に事故、……とは言われていたが……」
私が思うに、あれは未必の故意による自死だった、とグラハムは悼むような口調で呟く。
「勝敗は既に決して居たにも関わらず、少佐は私のフラッグに特攻をかけてきた。私は咄嗟に彼の機体のウイングを切り落としたが……」
もういい、と囁いて、そこでニールがグラハムの頭を抱えてやった。徐々に事務的な口調になっていく金髪の男がとても愛おしく、哀れにも感じられる。
「それで、自殺か」
嘗てガンダムと呼ばれた機体のパイロットであったニールには分かった。翼を失った程度では、墜落を回避できないこともないのだ。まして、グラハムが認めるほどの手練れであれば。生きようとする意思さえあったならば。
しかし、グラハムの目の前で、グラハムに勝ち星さえ与えず、前を飛び続けた男は死んでしまった。抜かれることさえ潔しとはしないまま。
(卑怯だよな、……それで一生、この自由な男を縛り付けるだなんて)
見当違いとは知りつつも、嫉妬でどうにかなりそうになって、ニールはやや強めに口唇を噛んだ。
「正直、今でも私は彼が自死に近い墜落をしたことが許せないことがある」
ぎゅっとニールを抱き締める腕に力がこもる。もう十年近く前の出来事だというのに、未だにグラハムの心には消えない傷があることを見せつけられ、ニールは労しげに眉を顰めた。
「ニール、私も何度も人生に青山を探した男だ。あの時の少佐の選択を、生き方を否定はせんよ、しかし……」
そこで失ってしまった言葉を探すように口唇を噛む男の頬に、ニールが優しく指を這わせる。
「あんた、その上官が好きだったんだな」
「……」
グラハムは返事をしなかったが、ニールは男の瞼に優しく口唇を落としてやりながら続ける。
「だから辛かったか」
「しかし、……彼は私を嫌っていた。憎んでいたかもしれない」
ばかだな、とニールが囁く。人との付き合い方の肝心なところがてんで子供な所のある彼が愛おしくて堪らない。
「嫌われてるから嫌いになる、ってもんでもないだろ」
むしろ、想い合える方が奇跡だ、と額を合わせながら言ってやると、そうだな、と納得しきっていない声が呻き、ニールの口唇を柔らかい口唇が掠め取っていった。
意外に力強い声が、ニールの耳元を掠めていく。
「……大丈夫だ、ニール。過去は消せない。が、考えないようにすることはできる」
「グラハム」
「それは、悪いことではない筈だ」
そうか、それがあんたが選んだ自分との折り合いの付け方か、と感じたニールは黙って頷いてやった。
「ああ、そうだな」
「ニール、私は……君に」
続いて言いかけた口唇を、俺からも伝えることがある、とニールが遮ってしまった。
「俺を赦すことで、あんたが赦されるってのは間違いだ。俺の咎は赦されない。赦されていい訳がない。……あんたが赦す必要もない」
「ニール」
「赦さなくていいから、……ただ、俺を受け止めてくれ」
俺も、あんたがたとえどんな闇を抱いていても抱き締めてやるから。言外に告げると、グラハムの表情も緩まった。
「いつでも、君が望んだときに」
「じゃあ、今すぐ頼むぜ、……Let us part, ere the season of passion forget us, With a kiss and a tear on thy drooping brow.」
さらりと愛の詩を引用してくるニールに、グラハムが眉を上げる。
「心配せずとも、私は今更君から逃げたりはせんよ」
「どうだか。とりあえずキスをくれよ、俯かないでさ」
囁くニールの指が、男の顎にかかる。その瞬間、噛みつくように男が深く口づけてきた。
「……う、ン、」
「無論だ、今日も明日も明後日も、未来永劫君に、数え切れない口付けを贈ろうではないか」
「あんたって、詩人なんだかそうじゃないんだか、いっつも分からなくなるよ……」
こうなってくると抱き合って行われる軽口の応酬が、直ぐにキスを伴ったものだけでは物足りなくなるのは、時間の問題であった。
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+++END
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