Rainy Lazy Morning




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 冷え切って、体中がずぶ濡れだった。がちがちと歯の根が合わないくらい震えているのに、触れ合っている唇だけが熱い。

 そう、まるでそこだけがまだ辛うじてニールをこの世に繋ぎ止めているかのようであった。

「……ン、……う」

 咥内を我が物顔に振る舞う舌は、まるでニールが発しようとする全ての否定の言葉を封じ込めようとするかのようであった。

「……ニール」
「ん、……う、あ」

 舌を絡ませる間に名前を呼ばれ、触れ合う場所の暖かさに縋るように腕を伸ばす。服の背中を掴んでぐっと抱き寄せると、力強い腕に思い切り抱き返された。

「……グラ、ハム」

 耐えきれず、男の名前を呼ぶ。小さく、男が神の名前を呼ぶのが聞こえた。感謝を告げているだけだとは分かっても、反応してぎゅっと掴んだ手に力を込める。

「呼ぶ、名前が違うだろ」
「ニール」

 見開かれる翡翠色の双眸を、真下から気の強い眼差しで睨み付ける。

「俺は、神様が出てくる話は信じないことにしてるんだ」
「……勿論、私もさ」

 再び名前を呼ばれ、男の手が頬を撫でて、ほつれ掛かる髪の毛を耳元にかける。その指先が耳元に触れて、ニールはう、と呟いて首を竦めた。その耳元に、遠慮を知らないような口唇がそのまま寄せられる。

 耳朶を囓られ、耳殻を熱い舌でなぶられて、ニールは耐えきれず甘い声を上げた。

「ん、あ」
「ニール、……ニール」

 堪らないというように首筋を吸い上げられる。ちりりとした痛みが走って、ああこいつ、痕をつけやがった、と思った。

「ん、……う」

 キスの合間に、グラハムがぐっしょりと濡れた白い手袋をもどかしく歯で噛んで引き剥がし、素手がニールのシャツの中に潜り込んでくる。

 僅かな体温を求めるように腹を撫でられ、胸元まで上がってきた手に、ニールが口付けを解いて抗議の声を上げた。

「ばか、……こんな、ところで」
「誰も来ないさ」
「アホ、……風邪、引いちまう」
「そんな心配をする余裕があるとは心外だな」

 グラハムは呟き、濡れて重そうな軍服の上着を脱いで、地面の上に片手で器用に広げる。

「おい、泥だらけになるぞ」
「構わない、どうせ汚れている」

 君が追いかけっこを始めてくれたからな、と言いながらグラハムは広げた制服の上にニールを横たえた。

 こんな紳士的な、あんたの方がよっぽど余裕がある、とニールは泣きそうに切羽詰まった表情で思う。

「ニール、私は以前言わなかったか? 君が何者でも構わないと」
「……あほう、世の中にはな、限度ってもんがあるんだ」

 グラハムはニールの背中を持ち上げてから、抱擁を解いて両腕で顔を覆うニールを促し、肩から羽織っているボア付きのベストを落として、軍服の上に置く。

 ネクタイを緩めようと格闘するグラハムに、組み敷いた身体から声がかけられた。

「後悔するぞ。こんなこと、許されていい、訳がない」

 往生際が悪い、と呟きながらグラハムがニールのジーンズのベルトのバックルを外す。

「君がどう思おうと、私は誰かに許されるために君を選んだ訳ではない」

 きっぱりと言い放ってやると、びくりと怯えたように肩が竦む。

「私は、私の心の求める所のものを欲し、そして手に入れると決めた、それだけだ」
「……ばっか、やろ」

 もう、雨なのか涙なのか分からない水滴で顔中をぐしゃぐしゃにしながら、ニールがグラハムの肩口を拳で殴る。

「ああ、馬鹿だな。……悲劇は終わったんだ、これからは喜びの事だけを考えていればいい」
「よろ、こび」

 ひゅ、と上手く息を継げなかったらしいニールの喉が鳴った。胸元を、グラハムの手が滑っていく。ジーンズの前をくつろげられて、ニールは流石に顔を引き攣らせた。

「まて、……待って」
「なんだね」
「こんな、外で、……じゃ、嫌だ」
「しかし、君だって辛そうだ」

 前を撫でられて、ニールは小さい声で呻いた。流石に頬が赤くなることはないが、体中ずぶ濡れで冷え切って、縮こまって萎えてもおかしくない筈なのに。

「で、も……こんなの、じゃ、たくさん、あんたを……」

 感じられないだろ、と言った瞬間、ぐいと腕を引かれて身体が持ち上がった。

「……う、わ!?」
「言った筈だな、私は我慢弱い男だ、と!!」

 持っていたまえ、と脱いだベストと軍服の上着を纏めて持たされ、ニールが戸惑っていると、雑嚢よろしくそのまま肩に抱え上げられた。

「う、わああ!?」

 自分はグラハムよりも身長が高いくらいだったはずだが。思うよりしっかりした体幹に支えられ、肩の上で揺れるニールが下ろせばか、と怒鳴る。

「言わせて貰うと、断固拒否だ!」
「怖いんだよ! 落とされそうで!」
「なんと、軍人を侮らないで頂こう!」
「いいから下ろせ、逃げない、逃げないから!!」

 ここから一番近いモーテルは、と呟きながら片腕でニールを担いで片腕で携帯端末を操作する男の背中を必死で叩きながら、ニールはどんより曇ってばかりいた空から降り注ぐ雨脚が、少しずつ弱まっているのを感じていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆




 倦怠感で指一本動かせないような気分だったが、なんとか瞼だけでも開こうと努力する気になったのは、どこかで聞いたような鼻歌が聞こえてきたからだった。

「What a glorious feelin' I'm happy again……」

 軽やかな弾むようなメロディーの歌は、ニールの記憶の奥底を刺激するのだが、どうしても思い出せない。

 そうこうしている間も、歌の主は上機嫌にラストのフレーズまで歌い終える。

「The sun's in my heart And I'm ready for love……」

 そのまま続くのかと思いきや、少しの間口ずさむのを止めた後で、もう一度歌い始めた。

「I'm singin' in the rain, Just singin' in the rain ……」

 今度こそ、ぼやけていたニールの記憶もカチリと繋がる。旧世紀も旧世紀の著名なミュージカル映画で歌われていた有名な曲だった。

 このおよそ美術や芸能に然程興味がない男が歌えてもおかしくない。教科書に載っているレベルの曲だった。

「そうだ、雨に唄えば、だ」

 やっと分かった、と呟くと、歌い手はぴたりと陽気な曲を止めてしまった。

「起きたのかね」
「ああ、……ご機嫌だな」

 うん、と伸びをしようとしたが、腰とあらぬ場所を中心とした部分の鈍痛が酷く、うう、と呻いてあえなく撃沈する。

 そのまま、寝入ってしまう前の爛れきった時間のことを思い出して、今度こそ赤くなった。

 それでも、身体だけではなく、心も満ち足りているというか、浮かれて歌っていた男の事を責められる余地は全くない。

「それはまあ、……当たり前だが」

 呟いた後で、グラハムはくすりと小さな笑いを漏らし、ニールの身体に腕を回して引き寄せながら囁いた。

「私はロマンティストな乙女座でね」
「知ってる、それが?」
「君が、」

 そこで言葉を切り、顔を近づけて口唇を重ねる。もう何もかも今更のような気もするので、ニールも素直にそのキスを受け入れた。

 軽く口唇を噛まれ、唯でさえ噛み過ぎて腫れているようにも思えるそこが敏感に痺れて、ニールは甘い喘ぎを漏らす。

「ん、……う」
「君がね、起きたときに、きっとまだ寝惚けているだろうから、なんと言うだろうと」
「?」

 そうだね、とグラハムが考えながら続ける。

「君自身が酷く甘い気分なら、アイリッシュの詩文の一つでも囁いてくれるのかもしれないが」

 ニールはぎくりとして黙り込んだ。図星が過ぎるにも程がある。確かに、この男との話ではないが、過去にベッドを共にした相手に、そんなことを囁いてやったこともあった。

「しかし、それでは君は君の心に従ったまでで、私の事を認識していないことになる」
「そう、……かな」

 なんだか朝から理屈を捏ねられても、疲れが抜けきっていないニールの頭の回転が追いつかない。なので、適当な相槌で誤魔化した。

「私は君の唯の愛人で終わるつもりはない、唯一無二の恋人になるつもりだ」

 何を馬鹿なことを、と思ったが、言うのも面倒だったので、呆れたように目を見開いて回すだけに留めた。

 そのニールの額や頬にキスを贈りながら、グラハムは続けた。

「できうることならば英語がいい。……名前などと言う贅沢なことは言わないから」
「グラハム」

 ああ、とそこでやっとニールは理解して、自分の方から手を伸ばし、乱れた金色の頭を手櫛で整えてやりながら顔を伸ばして口付けをした。

「心配しなくても、他に呼ぶ名前なんてねぇよ」

 少なくとも、S級レベルの秘匿条項である他マイスターの名前やガンダムのことをニールが寝言でも口にすると思って居たなら見くびりすぎだ。

 まあ、聞きたくないからと知っている歌をひたすら歌い続けるのもどうなのかという気もするが(しかも、やっとニールの頭も動き出したが、グラハムが歌っているのはエンドレスで一番だった。二番の歌詞は知らないらしい)。

「ニール……」

 考えを読まれたのがばつが悪いのか、グラハムがこの男にしては珍しくやや眉尻を下げてニールの名前を呼んだ。

「情けない顔しなさんな、男前が台無しだ」

 笑って鼻先に軽く噛み付いて、きゅっと目を瞑るグラハムの口唇に、もう一つキスを重ねる。

「さて、それじゃあ、俺の唯一無二らしい恋人さんよ」
「……?」

 不思議そうな顔をするグラハムに、ニールは戯けた表情で甘えるようなことを口にした。

「さっきの歌、もう一度頭から聞かせてくれ。俺たちのためのラブソングなんだろう?」
「……無論だとも!」

 それでは是非、とシーツごとニールを胸の中に抱え込むグラハムの腕の中で、鳶色の癖毛を跳ねさせたまま、ニールは穏やかな顔で目を閉じる。


(あと、もう少し。もう少しだけ、この幸せに浸ることを許してくれ)


 誰にともなく、ささやかな祈りを捧げる。

 甘い、少し低音の男の声がクラシックな旋律をなぞり始めた。

 この小さな部屋の中では、少なくとも雨音はもう、とろとろと微睡むニールの耳には聞こえなかった。














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+++END

 

 

さがみさんのシブのマンガの続きです。
すっごい好きな漫画で、すけど、続き……どうしてこうなった……(倒)
ハムさんが唄ってるのは、恋の成就を喜んでる歌なのです。
浮かれて踊ってるところの。
本人がもだもだしてるのはこれがほんとに恋人同士になった初めての朝だと思ってるから。
米俵担ぎ大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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