七夕のセンチ




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 珍しく、軽い口喧嘩をした。

 諍いの切っ掛けは多分、大したものではなかったのだ。

 ずっと楽しみに読んできたミステリーだった。ニールの読書が佳境に差し掛かったところで呼ばれて。

 生返事をしたと責められ、しつこくされて、カッとなってなんであんたはそう我慢弱いんだ、あと数ページくらい待てよと怒鳴り返したとか、そんな。

「……そうか、それはすまなかったな」

 珍しく、口早に言って引き下がったのは向こうの方だったが、その宝石のような煌めく碧玉の瞳に、傷ついた色が差したのを察知してしまったとき。

 狙撃手としての自分の目の早さを、ニールは少しばかり恨んでしまった。

「……ああ、もう!!」

 こうなると、どんな推理も謎解きも後回しになるしかない。ニールは主人公のコーヒーカップに忍ばされた毒薬に心を残しながらぱたんと本を閉じた。

 文庫本を脇に置き、昼の内からとぐろを巻いて籠城していた安楽椅子から立ち上がる。

「なんなんだよ、一体」
「いや……こちらに来て、星を眺めないかと言おうとしたのだが」

 金髪の男の口から発せられたらしくもない言葉に、ニールは素っ頓狂な声を出してしまった。

「星ぃ? そんなもん、飽きるほど見てる……」

 言いかけたところで、ソレスタルビーイングのマイスターの一人として宇宙をかけずり回っていることを連想させてはいけないと言葉のベクトルを無理に変える。

「……だろう、あんたは」
「私かね」
「っていうか、星だって?」

 確か、ニールが覚えている空は、まだ午前中の眩しい光が照り映えて居たはずだったが。

 地球にある恋人のグラハムとは、逢瀬の時は軍の宿舎に恋人など呼び込めないグラハムの立場を考慮して(というか、ニール自身にも事情はあったが)、短期契約のマンションなどを借り、過ごすというのが風習になっていた。

 先に来た方がある程度の物資補給をするという暗黙のルールがあるのだが、今回先に着いたのはグラハムの方で、迎え入れの準備をしていてくれたのだろうに。

「……悪ぃ、全部アガサが魅力的すぎるのが原因だ」
「それはそれは、相手が推理の国の女王陛下では仕方がないな」

 部屋に着くなり取るものもとりあえずここへ来る途中読み始めていた旧世紀に書かれたミステリーの続きに没頭してしまった薄情な恋人を、グラハムは鷹揚に笑って許した。

 側に居ても居ないかのような空気のような存在であるのは不思議な気分だった。

 昼食に行こうと誘っても反応がなく、仕方なく一人で出かけてサンドイッチをテイクアウトして脇に置いておいたら無意識に食べ、コーヒーを入れて紅茶でないが構わんかね、と断って置いたら文句も言わずにインスタントのそれをすすっていたから、これはこれでなかなか扱い易くて大変結構だった、というちらりと兆した本音は心の底に仕舞って、淋しくはあったが、と言う。

「君は帰ってきてくれただろう? 私の所へ」
「……くだらない用事なら速攻あっちに帰るけどな」

 さっと頬を染めつつもまだ未練を残しているのか文庫本に視線を送ったニールに、グラハムは星というのはだね、と話を切り出した。

「私の友人に、日系の男がいるのだが。その男から聞いた話だ、今夜はね、ミルキーウェイの両岸に引き離された恋人達が、年に一度逢える逢瀬の日なのだそうだ」

 ざっくりと七夕の織姫と彦星の話を語るグラハムに、元々こういう話が嫌いではないニールもへえ、と相槌を打って大人しく聞き入る。

「それで、星を眺めようって言ったのか?」
「いや、それは……丁度、流れ星が」
「それを先に言えよ!」
「言ったとも! 君が聞いていなかっただけだ!!」

 さっと窓際に走り寄って夜空を見上げるニールに続きながら、グラハムが流石に文句を口にする。

「あー、もう見えないかな、一緒に見られりゃ良かったのに」

 一瞬なんだからさ、と呟きつつ、青い瞳は更なる夜空の流星を探している。

「……君な」

 呆れた、と眉毛を上げる金髪の男に、ニールは悪い、と苦笑してみせる。

「ほったらかしにしちまったな、随分。部屋の片付けも一人でやってくれたんだろ?……ついでに、俺の飯の世話まで」

 意識がこちら側に戻ってくると、あれこれ世話を焼いて貰っていた気がする。

 むくむくと罪悪感が沸き上がって来ているのが顔に出ているニールに、グラハムは重々しい表情で頷いた。

「そうだろう、存分に構ってくれて構わないぞ」

 尊大な仕草で隣に仁王立ちになる恋人の、得意げな子供のような顔を見て、ついついニールは吹き出してしまった。

「笑うのかね、そこで!」
「やー、すまない、つい」

 一頻り笑って、謝罪を口にしてからニールは言った。

「しかし、よく怒らねぇな、俺が言うのもなんだけど」

 グラハムは今度は肩を竦める。元々、一人の時間潰しは得意な方だった。……それに、言ってはやらないが、傍らに居てくれるだけで十分な相手というのもあるのだ。

「慣れだと言っただろう。君が文字に酔う質なのだと知って、諦めも付いたというものだ」

 図星を指されて、ニールはぐっと言葉に詰まった。そこを見抜かれているとは思わなかった。確かにニールは文字に、文章に酔いやすい。

 夢中になると寝食を忘れるし、心の琴線に触れるような話に出会うと、その話に持って行かれて暫く帰ってこられない事すらある。

……ソレスタルビーイングに参入してからは、まとめ役の一人という立場もあって、気をつけて出さないようにしていたというのに。

「もしかして、俺が酔うかも、って中断させた?」
「まあ、夕食ぐらいは一緒に取って頂けないか交渉しようとはしていたが」
「面目ない」

 手を合わせてくるニールに気にはしていないと微笑んでみせながら、グラハムは窓から身を乗り出して、雨でなくて良かった、と呟いた。

「きっと存分に巡り会えていることだろうな」
「……宇宙に雨もなんもねえだろ」

 両方、っていうか全部星じゃねえか、とニールは身も蓋もない感想を告げる。

「それはそうだが」
「大体、金環日食だの彗星だのの天文ショーなら分かるけどよ、言い伝えだろ?」

 自分は散々読書に没頭しておきながら、いざ戻ってくると、グラハムが星に心を奪われているのが面白くない。

 己の狭量さにややうんざりしながら注意を喚起するようにグラハムの腕を引くと、金髪の男が目を丸くしたまま呟いた。

「君らしくもないな」
「へ?」
「君が、一番悲しみそうなのに。……逢えなかった二人の逢瀬を」

 ニールはつかの間、黙ったままグラハムを見つめる。

「あー……」

 がりがりとニールは鳶色の癖のある髪の毛を引っかき回す。そうしてから暫くグラハムから視線を逸らして沈黙していたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「俺な」
「?」
「そんな心、広くねえから。……俺があんたとこうやって逢えてんだから、後の恋人達のことは知らねえよ」

 雨だろうが雪だろうが、と照れ臭いのか早口で呟いたニールに、最初は腑に落ちない顔をしていたグラハムが、徐々に笑顔になる。

「申し訳ないな、乙女座はセンチメンタリストでね」
「みてえだな」

 知ってる、と短くニールが言う。

「……今からは、君だけの心配をさせていただこう」
「そうしてくれ」

 ミステリーのラストは明日の朝でいいか、と律儀に尋ねてくる恋人に、それでも未練がましく裏表紙を一瞥してから、ニールは頷いて伸ばされてきた腕に身体を預けることにしたのだった。













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+++END

 

 

おまけ。

「そういえば、アガサってアガサ・クリスティっだって、あんたちゃんと分かってたんだな」
「うむ、あの本は読んだことがあってね、なかなか興味深かった。確か犯人は、」
「わー、うわー、言うな!」
「何故だね! 君が読む手間が省けるだろう!!」
「最低だ! 言うなよ、言ったら……」
「どうだというのだ、犯人は、」
「……千手の涯、届かざる闇の御手、映らざる天の射手、光を落とす道、」
「待ちたまえ、私を仕留める気かね!?」
「やかましい! ネタ晴らしの制裁はルール無用だ! 悔しかったら刀剣解放すりゃいいじゃねえかよ!」
「美しくないので遠慮させて頂く! 大体、今のは呪文の詠唱なのかね!? てっきり君のキャラクターソングの一節かと思っ……」
「破道の九十一・千手皎天汰炮!」
「九十番台の鬼道の詠唱破棄など、いつ使えるようになった!!」

……お後が宜しいようで。(中の人ネタともいう)

 

 

 

 

 

 

 

 

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