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ーーーーーーHAPPY BIRTHDAY, Neil Dylandy !!
名前、と言われた。
「誰がつけたんだ、名前」
ぱしり、と重そうな黄金の睫毛を備えた翠の瞳が瞬く。その後で、僅かばかり翠の色が愁いを含んだように深くなった。
「誰、と言われると、戸惑う問題だな」
「は?」
「つまり……少しばかり複雑だ」
むしろ君は、と促されて、腹が減ったと夜中に騒いだ挙げ句、駆け込んだキッチンで買い置きのツナとアスパラの缶詰をボウルの中でみじん切りの玉葱とマヨネーズと混ぜ合わせ始め、それをトーストにのせてチェダーチーズを被せて焼き、かつ注意されるまで立ったまま貪り食う、という殆ど深夜夜食テロリストだった男が、指先についた溶けたバターを舐めながら言った。
「複雑、ねえ」
やけに勿体ぶる、と素直な感想を告げられてグラハムは肩を竦めた。
「何でもいいが、食べ過ぎだぞニール」
深夜にハイカロリーなオープントーストを二枚、と呟かれて、うるせえとニールは呻いた。
「補充しなきゃいけねえ程体力使わせたのはどこのどいつだ!」
じろりと睨みつけられて、グラハムは両手を挙げた。完全ホールドアップだ。
「私だな」
「だったら大人しくしてろって」
普段ならあり得ないくらい砂糖を落とし込んだ甘ったるい紅茶を飲みながら、やっと人心地ついたらしいニールが満足のため息をつく。向かいで、お相伴の格好のグラハムもマグカップを手にしていた。
「ふー、やっと落ち着いた」
バスローブを身に纏っただけのあられもない姿で腹の辺りを撫でる色気も素っ気もない男に、似たり寄ったりの格好のグラハムは笑いながらそれは良かったよ、と言った。
「あのままでは君、私まで喰らいかねなかったからな」
「当たり前だ! 大体、人がこの家に着いてからこっち、ベッド以外の場所にまだ辿り着いてねえんだぞ、おかしいだろう!」
ベッドで爛れた行為に散々耽溺した挙げ句の次がバスルームでキッチン、実に分かりやすく性欲・睡眠欲・食欲と続いている。
最終的に空腹で切れたニールが、食事をさせないと今すぐお前の逸物でホットドッグ作ってやるぞ、と物騒な事を言い出した挙げ句の今の仕儀だ。
グラハムが今までの展開を思い起こすだけでしかめっ面になっている男に向けて微笑んだ。
「生憎私は、」
「我慢弱いのは知ってる。次!」
決め台詞を流されて、グラハムは少々しおしおと俯いた。
「……私の眠り姫は、出会ったときより随分図太くなられた」
あの頃は何を言っても赤面していたのに、とため息を漏らす男に、些か食べ足りていないニールが名残惜しそうに皿の上に落ちたパン屑を指先で摘みながら言った。
「ったり前だろ、姫は普通、王子に出会ったらお妃様にランクアップすんだよ」
古今東西クイーンってのは理不尽で傲慢なもんだろうと博学を披露するかの如く小鼻を膨らませて得意そうに言い放ったニールは、グラハムが唖然とした表情でこちらを見ているのに首を傾げた。
「どうした?」
ぽかんとしたままグラハムが掠れた声で問うて来る。
「君、今のは無意識なのかい?」
「……ハ?」
意味が分かりませんけど、と益々困惑した表情になるニールに、グラハムは堪えきれずに笑い出した。
「……ック、ははは! 私はそんな君を愛しているとも、ニール・ディランディ!」
「そりゃ、お気に召したようで」
どーも、と呟くニールのご機嫌は逆に降下していく。そのニールにあやすように口づけて、グラハムは話題を変えた。
「ニールとは良い名前だな」
「そうだろ! 闘士って意味らしいぜ」
よくある名前だけど、気に入ってるんだ、と続けるニールに、グラハムはそうか、と言ってどこか上の空のように緩く撒いた鳶色の癖毛を指先で捉えた。
ふわふわと毛先で戯れる男の深くなった翠色を覗き込むようにして、ニールは改めて尋ねる。一瞬、聞かない方がいいかと思ったが、グラハムの方も切っ掛けを探しているだけのように思えた。
「あんたの、名前は」
もうしばしの沈黙の後、形のいい口唇が少し震えた。
「由来は知らない。意味も分からない」
「どうして?」
言葉を探すように些か逡巡して、グラハムは続けた。
「私が、孤児院育ちであることは、以前言ったはずだが」
「ああ、聞いたが……それが」
「捨てられていたとき、私には名前がなかった」
「……!」
「そんな子供は決して珍しくない。院長は、日頃の習慣のとおり私に名前を付けた。その日の気分で開いた電話帳の、一番上の名前だ」
名前と名字は別々に、開いたページが「G」と「A」だったのも偶然だった。
「あんた……」
「誤解しないでくれ、その割にはまともな名前が付いたと思って居るんだ、今ではもう、すっかり馴染んでしまっているし」
さらりと言うグラハムには、ほんの僅かのセンチメンタリズムの欠片もなかった。
「ただ……この話をすると、大抵相手が黙ってしまうので、きっとあまり良くない話なのだろうなと」
思って、どうも言い方を考えてしまうと続ける、哀しいことを哀しいとも感じられないのであろうグラハムの頭を、思わずニールが腕の中に抱き締めた。
「……、」
何か言ってやろうと思うのだが、何も言葉が出てこない。無力な自分に舌打ちをしそうになりながら、ニールは無意識に親指を口元に持ってきていた。その手を、やんわりとグラハムに抑えられる。
「爪を噛むのは良くない」
年上ぶった言い方にニールが眉を上げた。狙撃手の自分がそんな癖を持って居る訳がない。
「噛んでねえよ、俺の故郷では、親指をくわえるといい知恵が出るって話があんの!」
「そうか、では……」
何かを思いついたように悪戯っぽく笑ったグラハムが、左手を上げる。
「……ん、う、」
「どうかね?」
にっこりと微笑んで問うて来る男に、舌で押し込まれたものを押し返しながらニールが抗議の声を上げる。
「……んっ、でお前の親指なんかくわえなきゃいけないんだよ!」
「より良い知恵が浮かぶかもしれないではないか、さて、私も」
言うなり、グラハムは今度は逆にニールの手を取った。
「うわあっ、やめ、親指噛むな、ってゆーか、そこは親指じゃない!」
焦った声を上げると、金髪の男が不敵に笑う。ああ、そうだ、こいつはもう多感な少年時代なんかとっくに終わらせてる大人の男なんだ、とふと気付いてニールは動揺した。
そのことが、残念だと思った自分に。
(小さなお前を甘やかしてやりたいとか……もう末期だ、そんなの)
ニールの内心の揺れに気付いているのかいないのか、グラハムは重ねて問うて来る。
「駄目かね」
「駄目だ馬鹿野郎!」
ぺろり、と赤い舌が扇情的に動いた。
「バターの匂いがする、ニール」
どこか楽しそうに告げられて、かあっと頬が熱を持った。
「……っれは、今食ったばっかりだか、ら」
吐くからやめろ、と鼻先を摘まれて、グラハムは楽しそうに笑う。
「さて、それでは二人の愛の城に戻ろうではないか、妃よ!」
「……はい?」
いきなりのテンションの乱高下についていけないニールが青い瞳をぱちぱちと瞬かせる。そのニールに向かい、誇らしげにグラハムは告げた。
「さっき、自分で言っただろう。王子に出会って、クイーンになったと」
差し詰め私はホワイトナイトからキングに格上げと言うことだなと言いだしたグラハムの腕の中で、意図を察したニールが暴れ出す。
「ばかやろう、あれは、そーゆー意味じゃねえっ!」
しかし、自分でも苦しいのは分かっている。照れ隠しに暴れて見せても、男は馬耳東風だ。
「だが、私はそう取ってしまった! 諦めたまえ! 大体、カロリーオーバーだと言っただろう! 消費の手伝いをさせていただこう!」
「解釈に相違点があるぞ!?」
「そんな齟齬、私の無理の前では紙屑も同然だ!」
「……んな、訳があるかー!」
和音の破壊だ、とニールはグラハムの頬を抓り上げる。
「新作だぞ!」
「せめて韻を踏め!」
ふむ、君は存外詩人だからな、と考え込むグラハムは、真剣に韻を踏める語彙を探しているのか。乱されかけたバスローブの前をかき合わせながら、ニールは真剣に頭を抱えたくなった。
(も、……駄目だ、俺)
狙撃手は、標的にできる限り近付いて銃を構える役割だ。その分だけ、隠密行動も多いし、狙われる割合も高いのだが。
(標的に、逆に撃ち落とされてるとか、なんて不覚……)
万死に値する、というティエリアの叱責が聞こえるようだ。
思った意識は一瞬のことで、再びニールの意識は白い闇の底に解けて消えて行ってしまったのだった。
たゆたう水面に浮かぶような交歓の間に、故郷を探すデラシネの唄が聞こえた気がした。
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+++END
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