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「…あれ?」
マールに頬にキスをされ、呆然としながら自分の時空…中世に帰って来たカエルはぽつんと言葉を落とした。
自分の身体に違和感がある。時空のトンネルをくぐりすぎた所為だろうか。
地面が遠い。
目でも回しているのかな、と初めは思った。
抜群の三半規管を誇っているカエルだが、時空酔いなんてものが存在するとしたら十分にかかっていても良い頃だ。
「なんだっていうんだよ、もう。」
舌打ちをしながら腰のグランドリオンに手を伸ばす。誠に不本意だが、愛剣に杖にでもなって貰わなければ歩けそうにない。
伸ばした腕は、けれど直ぐに力を失う。ずるずると手近な木の根本にへたり込み、幹に背中を預けた。
「…ま、いっか。…少し休むか……。」
思ってみれば。
自分はサイラスについて騎士団に入った幼いあの日から、一度も休息などというものとは無縁だったような気がする。
いつもいつも誰かの背中を追い続け、がむしゃらに走っているうちに「勇者」などと呼ばれるようになってしまった。
そんな己にずっと違和感を抱きつつ、立ち止まるわけにも行かなくて此処までやっと来たけれど。
デナドロ山は初夏のころで、新緑がカエルの瞳にも眩しいほどの煌めきを見せている。地球は美しいな、最高だぜとやくたいもないことを思いながら、カエルは自らが戦力の一人として護りきった偉大な星の自然を心から噛みしめた。
そよそよと風が吹き抜けると、肌に爽やかで瞼さえ重くなってきてしまう。
ふわりと。また風が吹いてカエルの服の隙間を攫い、緩やかに流れる新緑の色の髪の毛が舞い上がって肌の上を滑る。
鬱陶しげに長く落ちかかるそれを掻きあげて、再び瞼を閉じて眠りに落ちようとして。
…カエルは、異変に気がついた。
「え、ええ?!」
眠気さえ吹き飛んで立ち上がり、自分の顔を、頭を両手の平で触って確かめて。慌てて一番近い川まで走り、揺れる澄んだ水面に己の顔を映す。
そこには。
「…マジかよ。」
さらりと滝と流れる髪の一房が落ちて水面に波紋を作る。…十年近く切っていないから当たり前なのだろうが。
水鏡が映しだしたのは、見慣れた「カエル」の顔ではなく、逞しく成長した一人の青年の姿だった。
呆然と水面を眺め、天を仰ぐ。道理で身体のあちこちに違和感を感じるはずだ。身体だって二回り以上大きくなっているし、腕や足の長さも全く違う。
「…嘘だろう?」
抓ってみる手足も頬も痛みを確かに感覚として脳髄に伝える。…これは現実のことで夢ではない、と。
どこか愕然としたように、カエルは呟いた。
「そっか、俺はもう…自由なんだ。」
魔王からも、サイラスからもラヴォスからも。時空の呪いも魔王の呪いも、カエルに掛かっていた因縁の鎖は全て時空の糸と共に砕け散って彼を解放してしまった。
「…正しく王女さまのキスってとこだな。」
マール、ありがとうな。
もう二度と逢うこともない金の髪の毛の己の女主人にも似た少女の容貌を思い浮かべ、カエル…グレンはどこまでも抜けるように高くなった青い空を見上げた。
その距離さえ、急に縮まったような気がした。
遠い空と大地の果てに向かって勇者は束の間の休息を終え歩き出す。
違う時空の王女一人のキスだけを胸の内の宝物にして。
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end.
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