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「あんたはアホか。」
言い渡されて、黒ずくめの青年は些か憮然…というには凶相過ぎる表情を浮かべる。
「麻衣に阿呆扱いされるようではいよいよ僕も駄目だな。」
「言ってろ。…リンさん、なんてあんたに言ってた?季節の変わり目で世間にゃ流行性感冒がイヤって程蔓延してておまけにナルは体が弱いと来てるのに、もうっ!!」
怒り散らしながら麻衣は殆ど押し倒す勢いで無理矢理に耳に押しつけた体温計の電子音を確認してディスプレイの数字を見る。そして盛大に嫌みったらしく溜息をついてやった。
「…異常な低体温の所長にお伺いします。」
「なんでお前は僕が低体温だと思って居るんだ?」
「だってナルってば冷血じゃん。爬虫類並に低いとみたね。…平熱は如何ほどでいらっしゃいます?」
「答える義務はない。」
「ほほう。じゃああたしの判断で勝手にさせてもらうぞ。37度5分はナルにしたら立派な高熱ですっ。今認定しました。寝なくちゃ駄目。直ぐ帰りなさい。」
びしっとオフィスの外を指で指し示す麻衣にナルはうんざりした表情で溜息をついた。
「…帰宅の必要を感じない。」
「あんたは感じてなくてもあたしは感じてるのっ!!ヤだからねまた倒れるの!あんたなんか抱えて帰れないんだからねあたしっ!!」
喚き立てる麻衣を気にもせず、気が済んだかとナルは立ち上がる。そのまま所長室に逃亡しようとするナルに麻衣が食い下がった。
「大体、いつもいつもオーバーワーク気味だけどここのところちょっと羽目外し過ぎっ!ワーカーホリックもそこまで行くと誰にも誉めて貰えないんだぞ。」
「結構。誰かに誉められたくて仕事をしている訳じゃない。」
「だからっ…。」
麻衣が漆黒の色彩の青年の黒一色の服の腕を捕らえ、聞き分けがないように首を振る。
「…麻衣?」
ナルが苛立った声をあげる。彼自身も自分の体調の不良はささやかながら認識しており、そうそうこの少女に対して寛大な気分にもなれない、というのが本音の所でもあった。暫くそんなナルの腕を掴んで何か言いたげにしていた麻衣が諦めたように掴んでいた腕を放す。
「どーして頼るとかできないかなぁ、ナルは。」
「…他人に寄りかかる必要性を感じない。」
「必要性じゃなくってー。ああもう、分からない人だよねぇ、ナルって。」
「いえいえ、谷山さんが素直すぎて僕のような冷血漢には理解の範疇を超えるのではないかと?」
「…それ。嫌味ったらし過ぎ。もう、人が折角心配してやってるのになにさその態度。」
「いつ僕が心配してくれなんて頼んだ?」
いいからさっさと自分の仕事にかかれ、ときっぱりと言い渡されて、先程からナルにかまけて仕事の手が止まっている少女が口元を膨らませる。
「…それと、今日はもう人払いをしてくれ。」
「へ?」
「僕は少し寝る。…なんだ?その顔は。僕に睡眠を取らせたかったんじゃないのか?」
麻衣が驚愕した表情のままに告げる。
「い、いや。ナルがそんな素直にあたしの言うこと聞くと思わなかったから。」
「別にお前に言われたからじゃない。その必要を感じたからだ。」
「はいはい、お休みなさい。」
素直じゃないんだから、とぼやきながら麻衣が風邪薬の用意するね、と給湯室に立ちかけた。
その途中で、何かを思いだしたようにUターンして所長室へ向かうナルの元に走り寄ってくる。
「あ、そうだナル。」
「なんだ?」
言いかけて振り向きかけたナルの頬に一瞬柔らかいものが触れる。
「あんたイギリス人だし、あのご両親だし、日本にいたんじゃこーゆーことも無いだろうから今日だけ代わりっ!!おやすみ!!」
しばし硬直していたが、ナルは表情を動かしもしないまま鉄面皮を保ってふんと鼻を鳴らし、身体を翻す。
ぱたん、と所長室の扉が閉まった。麻衣がついぼやいてしまう。
「ちぇー、なんだよー、乙女のちゅーを受けて置いて全然動揺しないんだもん、可愛くなーい。」
まぁナルだし仕方がないか、と諦めつつ優秀な事務員は所長のためにいそいそと薬の用意にかかった。
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部屋のデスクに腰を下ろし、ナルはぎしっと椅子の背もたれに体を預ける。
「……本当に馬鹿だな、あいつは。」
憮然とした声で呟くはずが、口元だけはほんの微かに上向いているのを自覚して益々不機嫌になった若きオリヴァー・デイビス博士なのであった。
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end.
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