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「快斗……。」
盛大な溜息をついて少女は幼馴染みの少年を睨み付けた。
少年の方はいつものごとく彼女の部屋でくつろぎ、彼女のベッドの上に胡坐をかいて手に入れたばかりの手品の本などを読み耽っている。
陽気がいいので開け放っていた窓を閉め、少しずつ夜の気配が近寄って落ちてきた室温を気にしつつ青子が声を潜める。
「なんで快斗は青子がいくら言っても止めてくれないの?」
「なにを?」
惚ける少年をぴっと指差す。
「分かってる癖に。…怪盗。」
快斗は軽く肩をすくめただけで返事をしなかった。
この間色々な山あり谷あり事件も有りで結局の所正体を青子に掴まれてしまってから、快斗は半分くらい「キッド」が混じったような仕草や言動を取ることが多くなっている。
実のところ、青子はそれが少し怖い。
天下に名前をとどろかせる「怪盗キッド」は亡き父を模して「黒羽快斗」が作り上げた幻影のキャラクターなのか、それとも。
―――快斗自身も気付いていない「もう一人の快斗」なのか。
余り考えすぎても堂々巡りになるから青子は余り深く考えないようにして居るのだが。
「分かってるだろ、青子だって。俺がべつに好きでやってるわけじゃないことくらい。」
なのに、快斗はわずかに拗ねた様な調子さえ声に紛れさせてこんなことを言うのだ。でも楽しそうだよ、とでも言えばどうせやらなくちゃならない事ならちょっとでも楽しんでやった方がマシさ、と反論されるに決まっている。
そう、快斗さえ多分気づいてはいないのだ。自分の中に潜む、犯罪と危険への愉悦を。
どうか気づかないままで居させて、お願いと天にいるのかもしれない創造主に信徒でもないのに祈りを捧げながら、青子は腕を伸ばした。
「おい?」
快斗が言葉に僅か慌てたものを含ませる。青子の華奢な白い手が快斗の学生服のポケットに伸び、そこに常に潜ませているモノクルを探し出した。手にとって、しげしげと眺める。こんな薄い硝子一枚通すだけで、彼女の幼馴染は『怪盗キッド』に変身してしまうのだ。
力を込めて壊してやりたい衝動に駆られたが、我慢した。モノクルはいわばキッドの象徴に過ぎない。結局は快斗自身が変わらなければなんの解決にもなりはしないのだから。
モノクルを手に持ったまま、床に座って快斗の顔を見上げる。
暗くなる光を浴びて輝く、快斗の瞳は角度によっては青い色を滲ませる。オヤジからの遺伝なんだ、特殊な色なんだってさ俺の目、と何時だったか小さい頃に自慢げに得意げに聞かされたのを覚えている。
ぽかんとしたままの快斗が酷く幼く思えて、なんだか泣きたくなった。本当の快斗はこんなにも、キッドとは掛け離れた存在なのに。
―――オネガイ、ツレテイカナイデ。
唇の中だけで誰に対するでもない焦燥めいた祈りの言葉を呟き、青子は体を起こして快斗の開かれた目元に軽くキスをした。
その後、ゆっくりと手に持っていたモノクルを快斗の顔にかける。
白く翻るマントとシルクハットの気障な大怪盗の背中が泣いているようだと思ったのは何時の頃からだろう。周りの暖かさに背を向け、一人厳しい世界に旅立ってゆく白い騎士が、自分を呼んでいるような気分にさせられたのは。
―――快斗が白い騎士なら。青子はアリスだよ。
側に居て、支えてあげる。今まで一度も口にしたことはないけれど、泣くことさえ忘れかけているポジティブシンキングの呪縛にかかった快斗には、多分少しくらい足を引っ張って地面に堕とす重石が必要なのだ。
でないと羽根を得た怪盗は、どこまでも高く高く飛んでいってしまうから。
憎まれても嫌われたっていい。快斗の羽根を飛べなくするのは青子だから。涙を思い出させて身体を重力で重くして。
何するんだよ突然、青子お前!と照れて目元を赤くする快斗に泣きそうな微笑を浮かべ、彼女はもう一度快斗のそのモノクルのある顔に唇を寄せる。
「…青子は快斗を泣かせるキッドは大嫌いだから。…だから同情のキスなんかしてあげない。」
言いながら、少女は怪盗の冷たい片眼鏡越しのその青い瞳に唇を押しつけた。
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end.
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