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「もう、泣かないでいいからね。」
そう言ってアムロは震える金糸の睫に柔らかな口付けを落とした。ぎゅっと首筋にしがみついてくる華奢な腕を本当に愛おしいと思う。かたかたと未だ恐怖が消えないのだろう、細かく震え続ける身体を強く胸の中に引き寄せ、耳元で優しく囁く。
「忘れていいんだ、みんな怖い夢なんだよ。」
言いながら剥き出しで過敏になっている神経に触れて解きほぐすように感応していく。ゆるゆると応えて内側からおっかなびっくりに彼の意識も浮かび上がってくる。
ダイジョウブ、ワスレテイイヨ。
何度も何度も、子供をあやすようにくるみ込んで言ってやる。遂に、ふありと瞼が落ちて青い双眸が隠れてしまうまで。
アムロは、嘘と罪に包まれた呪文を唱え続ける。
「大丈夫、みんな夢だから忘れても良いんだよ。」
……と。
*:*:*:*
―――旦那様の名前はアムロ・レイ。奥様の名前はシャア・アズナブル。二人はごく普通の恋をしてごく普通の結婚をしました。ただ違っていたのは……奥様は、二十歳の青年だったのです。
等という益体もない旧地球世紀終わり頃の人気ドラマの一節を思い出しながら、ブライトは襲い来る偏頭痛と戦っていた。そこへ頭痛の元凶であるロンド・ベルのエースパイロットが鼻歌交じりで通りがかる。ついこの前の戦役で宇宙からとんでもない状況で帰還して、しかもその後直ぐに美人の嫁を貰って頭のネジが三本ほど飛んでいる新婚さんだ。不機嫌になりようがない。ひらひらと手を振りながら、長年連れ添った気心知れた直属の上司に気安い挨拶をする。
「あ、俺定時であがるねブライト。」
「またか。…お前、俺達はサラリーマンじゃないんだぞ?」
「いいじゃん、今地上勤務なんだからさ。戦時中でもないし。ブライトも羨ましいならミライさん呼べば?単身赴任なんてせずにさ。」
「やかましい、余計なお世話だ!お前こそちょっと緩みすぎじゃないのか、アムロ?」
嫌味のつもりで言い放ったブライトは、直ぐに地雷を踏んだことに気付いて顔を顰める。アムロの顔がへにゃっと崩れた。
「そうなんだよちょっと聞いてくれよブライト。」
「嫌だ。」
「そんなこと言わずに。あのさー、最近うちのってばまた料理の腕上げてさ、こないだなんか帰ったらテーブルの上フルコース並んでて『お帰り、夕食は出来て居るぞ、それとも先に風呂にするか?沸いているから。』なんて言ってくれちゃってさー。」
…それでお前は『先に勿論君を食べるさ!』とかいう旧石器時代な台詞を返したんだろうな、とブライトは思ったが、賢明にも口にはしなかった。何と言っても目の前の男は所謂『新婚さん』である。言うだけ無駄だ。
「料理も俺の好みなんかちゃんと抑えてるし和食なんか肉じゃがなんか基本だし頼めばイタリアンでも中華でもなんでも来いなんだぜー。まぁピーマンが時々入るのだけは頂けないけど…。」
「アムロ、お前まだピーマン食べられなかったのか…?」
「うん。まぁそれはどうでもいいとしてもうちょー可愛いよねハタチの嫁。やっぱり男も女も若いのが一番だよねー!金髪の輝きも違うしさ、あのさー、あの澄んだ青い目で上目遣いに見上げられたらもうそれこそどうしよう、って感じだよね!」
こーのど面食い!とブライトは頭から怒鳴ってやろうかと思ったが辛うじて自制する。
「…どうしようと言いたいのはこっちだ……。」
かなりげんなりとした様子のブライトを余所にアムロは上機嫌に嫁自慢を続ける。
「や、顔はいいしスタイルはいいし気だてはいいし料理は旨いし頭はいいしお育ちもいいし床上手だし言うことないよねホントに。」
「…アムロ、一番最後の所だけ深くツッコミ入れてもいいか?」
「ん、駄目聞かせない。」
「…心配するな、聞きたくなんぞない。」
「今度酒飲んだらゆっくりね。ほらやっぱり俺も素面じゃちょっと。」
「聞きたくないと言うとろうがっ!!!!!!!!!」
「もうね、後は子供だよね子供。俺シャアとならサッカーチーム作れるくらい子供欲しいかも。」
ブライトは益々深く刻まれた眉間の皺を戻そうと努力しながらこの上なく不機嫌な声で聞く。
「……アムロ、もう一つだけ言わせてくれ。」
「なに?」
「お前もあいつも男だ、ってことは分かってるな?」
「あー、うん。十分。」
「そうかそうか。宇宙線ボケした訳じゃなさそうだな。何より結構。だったらお前にはまだ辛うじて人間としての一般常識は残ってるな?」
「何が言いたいんだよブライト?」
すぅとブライトは息を吸い込み、アムロの耳を掴んで盛大に喚き散らす。
「アホかぁ!お前とあいつの間に子供が出来るわけがないだろうがぁ!!!」
きぃぃぃぃぃん。思いきり鼓膜を貫通する怒鳴り声に耳を押さえながらアムロが怒ったように言い返す。
「当たり前だろ、そんなこと分かってるさ!第一さ、ブライト知ってるか?!男が出産の陣痛経験したら痛みの耐性弱いから発狂するんだぜ?!俺がそんな真似シャアにさせるとでも?!」
「……じゃ、冗談、なんだな?」
「ううんマジ。俺あいつの子供なら産んでもいいかも。」
「…………。」
うちのエースパイロットはやっぱりあの燃え尽きるアクシズからの脱出で脳髄のどこかに損傷があるに違いない、とブライトは真剣に悩んだ。一緒に地球に墜ちたもう片方の様子からしてその位のダメージは受けていてもおかしくない。ホスピタル・ウィングに放り込んでやろうかな、と真剣に検討する艦長に向かって、アムロは更に一言。
「第一、産まなくっても創ればいいじゃん?」
にこやかに満面の天使の微笑みで放たれた真っ黒な発言に、内容を理解したブライトがカチコーン!と一瞬でハン・ソロ宜しく全身が凍る。やる。こいつならやる。余所のサイトのアムロならいざ知らず此処のアムロはやってのける。(なんてったって前科持ち)
「お・ま・え・というヤツはー!言っておくが連邦の法律でもネオ・ジオンでもどこに行ってもクローンもホムンクルスもファティマも新造人間もアンドロイドも禁止禁止禁止、禁止なんだからなーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!」
頼むからこれ以上俺の胃壁に穴を開けんでくれ!只でさえお前があいつ連れて帰ってきた時点で俺はもう栄達は諦めたんだからなっ!!せめてひっそりと退役させてミライと二人穏やかに年金生活させてくれ、頼むからっ!!!
胸ぐらを掴みかねない勢いの涙目のブライトに、アムロが片手をひらひらと振りながら苦笑する。
「あはは、ブライト真に受けたの?冗談だよ、冗談。」
「お前が言うのだけは冗談には聞こえん……。」
深く深く溜息をつくブライトに、アムロは手近な壁にもたれ掛かって少し儚げな表情を浮かべる。
「…第一、ホントに…あいつがいつまであのままなのかも分からないし。」
その口調の隅に引っかかりを感じたブライトが、はっと気付いて顔を上げる。
「アムロ。お前…まさかまだ、本当のことを言っていないのか?!」
ブライトの言葉に、アムロは視線を逸らす。それは何より雄弁な答えになった。ブライトが息を呑む。
「…言って、ないんだな。」
「必要ないだろう。」
「いつかは分かるぞ、ニュースに登場しない日があるか?!昔の『彼』が!」
「分かってるよ。」
「お飯事みたいな日々は続かないぞ、アムロ。…現実を見ろ。」
真剣な表情で詰め寄るブライトに、アムロが首を振った。
「分かってる!!」
「分かっていないから言って居るんだろう?!」
「大丈夫だよ。誰もシャアを見ても『彼』だとは思わないし、思っても…連れてなんて行けないさ。」
今のシャアはもう『彼』じゃないんだから。
その言葉を何より自分に言い聞かせるように呟くアムロに、ブライトは意見しようとしていた胸の固まりを飲み込む。アムロはじゃあ、俺は今日はこれで、と壁から体を起こし、艦長室を出ていこうとした。その背中に思わず声をかける。
「アムロ。」
「……なんだ、ブライト?」
何か言おうとして浮かんできた全ての言葉を意識の外に追いやり、最後に残った一つだけを唇に乗せる。脳裏には、宇宙から墜ちたアムロを再び見つけた日の映像が有り有りと浮かんでいた。焼け落ちて装甲は無惨に熔け落ちた嘗ては純白だった赤く灼ける機体の中から、黒く汚れて肩にもう一人を引きずるように担いでこちらに歩いてくる『連邦の白い悪魔』。
ブライトは問う。
「お前は今、幸せか?」
アムロが躊躇なく振り返って返事をする。
「当たり前だろう?…今までで一番、人生で最高に幸せさ。」
「そうか。…なら、いい。」
行け、と手を振るブライトに、アムロは思わず頭を下げた。
*:*:*:*
ドアを開けると、見慣れた笑顔が視界に飛び込んでくる。知らず微笑みが顔中に広がっていく。
「おや、今夜は早かったのだな、アムロ。」
言いながら、柔らかく波打つ金の髪の毛が揺れた。夕食の支度の最中だったらしく、白いシャツの上にエプロンを付けている。にっこりと微笑む青い双眸に、本当に昔の絵の天使みたいだよな、と惚れ惚れと眺める。
「…なんだ?」
「ううん、なんでもないよ。」
今日は軍服のまま帰ってきてしまったので着替えてくる、と言い残して自室に引っ込んだ。身体に会わせた余裕のない服を脱いでいると、胸のポケットからことんと何かが落ちる。
「…なんだ?」
拾い上げてみると、突っ込んだまま忘れていた余剰部品の欠片だった。…モビルスーツのものだ。嘗てアムロが乗っていた愛機、νガンダムの。
暫く眺めた後、アムロはそれを躊躇いなく部屋のゴミ箱に放り込む。
「…過去さ。みんな、過去のことなんだ。」
呟きながら、出来たぞと呼ぶ声がする部屋の外へと振り返らずに出ていった。
歩きながら今夜の夕食はなにかな、と考える。今朝出ていくときにシチューが食べたいなと言ったから、多分それかもしれない。匂いからして煮込み料理みたいだし。喰ったらコーヒーは俺が入れて、テレビなんてないから暫くソファで他愛ない雑談をして、飽きたら俺はちょっとコンピューターとかハロとか弄って、その間あいつは読書してたり音楽聞いてたり…で、いい加減な時間に風呂に入って一緒に寝よう。
そう、一緒に。
一緒に寝てやらないと、あいつはよく夜中に夢を見て飛び起きるから。
宇宙が灼熱に灼けて落ちてくる悪夢に魘されるから。
だから俺が側について、無敵の呪文を唱えてやらなきゃならないんだ。
「もう泣かないでいいからね。大丈夫、みんな夢だから忘れても良いんだよ。」
って。キスをしながら耳元で、他に何も考えなくていい様に。
自分が誰だか思い出さなくてもいい様に。
刻の砂に埋もれた忘れられた名前は「シャア・ダイクン」。
スイートウォーターというコロニーで連邦からの独立を宣言した、ネオ・ジオンの総帥まで勤め上げた男だった。
ブライトには、「クワトロ・バジーナ」という名前の方が馴染みが深いようであったが。
昔アムロよりも五つ年長だった男は、全ての罪から開放されて今この世のどこにも居ない。
―――どこにも。
「それでも、俺は時々…あなたが『あなた』の事を思い出したらどうしようって、そればかり考えて居るんだ。」
洩らした独り言を思考の欠片としてでもドアの向こうのシャアに気付かれないようにきっちりと心の蓋を閉め。
「腹減ったよ、今夜の夕飯なに?」
アムロは極上の笑顔を浮かべて、リビングのドアを開けた。
君のリクエストだ、シチューを作ったよアムロ、と直ぐに返事が返ってくる。
至極ありふれた日常が世界を支配する、この微睡みの鳥籠で。熟さない果実に戻った卵は、未だ白い悪魔の腕の中にいる。
再び熟すのかどうか、今はまだ誰にも分からない。
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end.
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