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ことんとマグカップをテーブルの上に置く音がした。
視線も上げなくても気配で分かる。アムロはこの後どうしようかとテーブルに座ったまま、だらりだらりと考えている。
シャアは何も言わずにまた一枚ニュースペーパーを捲った。がさがさという音で、アムロはシャアのことを思い出したらしかった。
一緒に暮らし始めて思うが、アムロは少々人として退化を始めていないだろうか。
こう言っては失礼だが、感情とかそういうものがどんどん鈍磨に成っていっているような気がする。
そして僅かに不安になる。
その内に、深海で暮らすことを覚えた深海魚のように。
宇宙で暮らすことを覚えたニュータイプの、新しい人類であるアムロも感情とか五感とかそういった、いわゆる人間としての感覚を必要としなくなるのではないか、と。
そういえば、光の射さない深海では色素も要らず、サカナはどんどん透けて透明に成っていって仕舞うのだったか。
アムロもその内に、この世界にとろりととけて消えていってしまうのではないだろうか。
馬鹿なことだとは思う。だけれど。
―――あれは宇宙で泳ぐことを覚えてしまったサカナだから。
さっぱり頭に入らないスペースノイドのテロ事件の記事を眉間に皺を作って読んでいると、かたりとアムロが立ち上がった。
当然のように食器はそのままだ。おいおい、また私が片付けるのかね、と頭の隅でシャアは思ったが、赤味がかった鳶色の髪の青年がゆらりゆらりとこちらに近づいてくるので思考が逸れた。
まるで。
重い地球の湿度混じりの重力の中を泳ぐ熱帯魚のようだ。
ゆらゆらと彷徨い、漂い、目的などどこにも見いだせぬまま。
それでも気がつけばシャアの所に回帰しているだけ、今はましな状態なのだろう。ブライトの慧眼には全く恐れ入る。
ゆらゆらとアムロが近づいてくる。
シャアの座るソファの足下まで近づいてくると、そこを居場所と定めてとぐろを巻く。
サカナの次は猫か。シャアはなんだかおかしくなった。どちらにしても人類は止めてしまったようだ。
あたまがいたい、と一言小さく呟いて、アムロはことんとその頭をシャアの膝の上に落として、ぐりぐりと擦り付ける。
シャアはアムロのその仕草でふと、気付いた。
なんのことはない、彼も退屈していたのだ。
しとしとと銀の雨そぼ降る屋外からぬくぬくと守られて、金魚鉢の中で泳ぐタイクツなサカナが二匹。
なので彼もアムロの観察をするのは止めて、さっぱり進まないニュースペーパーを傍らに置くと、腕を伸ばしてその収まりの悪い髪の毛の頭を撫でながら梳いてやった。
そのうち、甘え上手な白い猫は喉のひとつも鳴らすだろう。
今日はもう、人間はやめ。
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end.
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